学内融和
「先日、転入試験に合格した男子生徒十一名が、予定通り秋津洲女子学園に入学しました」
副会長の挨拶を皮切りとして、書記長が状況の説明を始めた。
「本来ならば私たちは彼らの入学を歓迎しなければならない立場なのですが、学園内の雰囲気が雰囲気なだけに……」
「たしかに、歓迎ムードとは程遠いですね」福井がいった。
男子生徒たちが在学生に歓迎されていないのは明らかで、むしろ白い目で見られている、という方が正しい状況だ。いまだに男子と女子が仲良さそうにお喋りをしている光景を見たことがない。
「学食の隅っこで固まってご飯食べてたよ」宇和島がいった。「なんかちょっと可哀想じゃない?」
「それは予想できたことでしょう」と副会長。「それとも、女子校に入学すればすぐに女子とキャッキャウフフできてハーレム生活を送れるとでも?」
「いや、それ目当てで転入して来た子もいるかもしれないじゃん」
「浅ましい。そんな生徒は
「そんないい方せんでも……」
「宇和島さんは、男子さんと仲良くしたいんですか」会津がにこやかな表情で尋ねた。
「わ、悪い?」
「いえ、素敵なことだと思います。ですが今は、ミヤコ様のお気持ちにも配慮しないと、です」
「うー」
それをいわれると宇和島は反論できなかった。男子が転入してきた後もミヤコ様の気持ちは変わらず、共学反対の立場を貫いている。
「今日話すべきことは、まさにそれです」書記長がいった。「今回の共学化決定があまりに性急だったため、ミヤコ様の信任を大きく損なう結果となってしまいました。生徒たちの反発も大きく、一部の生徒は『女学運動』と称して授業をボイコットし、西寮の『自学の間』を占拠して身勝手な振る舞いを続けています。その数は校門の一件以降に急速に増え、今では五十名近くにのぼります」
「うわっ、ずいぶん増えたね」宇和島がいった。「なんで、生徒会に直接抗議しないのかな」
「抗議の仕方がわからないか、しても無駄と思われているか、したら罰せられると思っているか」副会長がこたえた。「いずれにせよ、彼女たちが生徒会よりミヤコ様を頼りにしているのは明らかです。ミヤコ様は理事長のご息女でもあられますから」
「ミヤコ様が直接理事長に働きかけてくれることを期待しているのかもしれませんね」福井がいった。
「そんなことになったら、生徒会の面目は丸潰れですね」と薩摩。「で、どうするんです」
「はい。なんとかしてミヤコ様から失った信頼を回復し、関係を修復しなければなりません」書記長がこたえた。
「いうのは簡単なんだけどねー」と宇和島。「もしミヤコ様が共学化の撤回を迫ってきたらどうするの」
「共学化は既に決定しています。いちど決まったことを覆すのは難しいかと……。ですので、ミヤコ様には共学化の利点を説いて納得していただくしか……」
「それが簡単にできていれば、こんなことにはならなかったと思うんだけどなー」
「それはそうですけど、そのために皆さんの知恵を貸して頂きたいんです」切実さのこもった口調で、書記長がいった。
「ここに、関係修復の鍵を握る文書があります」
立ったまま窓の外の写真を撮っていた副会長が振り向き、懐から一通の手紙のようなものを取り出した。
「これは、ミヤコ様から水戸班長に宛てられた密命の記された手紙です。といっても複写したものですが」
「
「原本は班長が肌身離さず保管しています。記念に取っておきたいそうで」
「手紙を貰ったのがよほど嬉しかったんだね……。で、なんて書いてあるの?」
「前半は、生徒会が自分の許しなく、理事会のいうがままに共学化を受け入れたことを非難する内容が書かれています」
「うわー、やっぱり」
「ですが注目すべきは後半です。生徒会は従来の枠組みに囚われずに各班と協力して学内融和を成し、学園にかつての平穏を取り戻してほしいと書かれています」
「つまり、どゆこと?」
「ミヤコ様はお怒りではあるものの、関係を修復したいという気持ちは我々と同じということです。ですから信頼回復は可能と考えます」
「そこでですね……」書記長がいった。「関係修復に向けた具体的なプランを皆さんと一緒に考えたいんです。宇和島さん、何かいいアイデアはありませんか?」
思いがけない振りに、宇和島は思わず目を見開いた。いきなり意見を求められるなんて、紹介すら忘れられていた最初に比べたら目覚ましい進歩だ。一同の視線が宇和島に向けられている。悪い気はしないが、なんだか緊張する。考えろ。何か案を出せ。
「いや、そんな急に訊かれても……」
宇和島は注目に耐えかねて目線を逸らした。ああ、せっかくの発言のチャンスをフイにしてしまった。
「私たちもお手紙を書くのはどうでしょう」会津が控えめに両手を合わせながらいった。「『私たち、多少のすれ違いはありましたが、それを乗り越え、ともに力を合わせて学園をより良くしていきましょう』みたいな感じで……。大切なのは、愛情を込めることです」
「同じ学園にいるのだから、直接いえばいいじゃないですか」と副会長。
「でもでも、面と向かってだといいにくいこともあると思うんです」
「まあ、お手紙案はひとまず置いといて、ほかに案はありますか」書記長がいうと、会津は小さく落胆する素振りを見せた。
室内に沈黙が落ちた。みな目を伏せながらあれこれ思案している。
「よく考えてみたら、私たち、ミヤコ様が共学化に反対する理由も知らないんですよね」
しばらくして口を開いたのは福井だった。一同の視線が、彼女に向けられる。
「ほら、私たちはなんとなく、ミヤコ様は伝統を守るために反対しておられるのだと思っていたじゃないですか。水戸さんもそういっていました。でもそれって、推測でしかないと思うんです。ミヤコ様が頑なに共学化に反対するのには、なにか別の理由があるんじゃないでしょうか。そこを見誤ったままだと、関係修復も難しいと思うんです」
「うーん……反対派の生徒たちの気持ちに配慮したとか?」宇和島がいった。
「それは違うと思います」と薩摩。「ミヤコ様は女学運動が盛んになる前から反対を表明しておられます。むしろ、反対派のミヤコ様を拠りどころにして、女学派勢力が拡大したと見るべきです」
「なるほどね。たしか、最初にミヤコ様に共学化の話を伝えにいったのは書記長だったよね」
「はい」書記長がこたえる。「ですが、そのときは反対理由は教えていただけませんでした」
「話をしたとき、どんな反応だった?」
「それは……」
書記長は答えに窮するようにうつむいた。いいにくいことでもあるのだろうか。
「書記長?」
「……固まっておられました」書記長は目を伏せたまま小声でこたえた。
「そのとき、初めて聞いた、みたいな反応だったってこと?」宇和島が尋ねる。
「私の目には、そのように見えました」
「なんか、不思議だね」
「なにがですか?」
「だって、理事長のお嬢様なんでしょ?そういう話は前もって聞いていてもおかしくないと思うんだけど」
「宇和島さん。家庭の事情にまで踏み込むのはよくありませんよ」会津がたしなめるようにいった。
「もしかして、反抗期とか?」
「反抗期?」
「
「ミヤコ様がそんな子供じみたことするはずありませんっ」会津がテーブルを控えめに叩きながらいった。
「ごめん。冗談」
ふたたび、室内が静寂に包まれた。
「私たち、ミヤコ様のことを知っているようで、なにも知らないんですね」
達観するような口調で、薩摩がいった。
「でもみんな、ミヤコ様のこと大好きだよね」と宇和島。
「それはそうです」と福井。「あれほど綺麗なお方はどこを探してもいません」
「男子が放っておかないでしょうね」書記長がいった。
「男子がねぇ……」
宇和島が呟いたとき、ひとつのぼんやりとした考えが電光石火のごとく脳裏をよぎった。しかし、その全貌を掴む前に、その考えは立ちどころに霧消してしまった。
「どうかしましたか?」宇和島の表情の変化を読み取ったのか、会津が尋ねてきた。
「いや、なんでもない」
結局、雑談のような話をしていただけで、関係修復のための実効性のある具体案は何ひとつ出てきていない。次第に参加者からため息が漏れ聞こえるようになった。
「お困りのようじゃな」
疲労感に満ちた空気を切り裂くように、ひとりの生徒の声が室内に響いた。一同の視線が、声の発生源に向けられる。
執務室の入口に、萩が立っていた。
「あ、お萩ちゃん」
「『長さん』と呼んでおくれ」
「誰か、呼びました?」書記長が一同に尋ねる。
「呼ばれなくとも必要とあらば馳せ参じるのがウチのやり方でな」
居丈高で自信にあふれた口調で萩がいった。
「それで早速じゃが、ミヤコ様との関係修復の件、ウチに一任していただきたい」
一同から、驚きの表情がこぼれる。唯一、萩に睨むような視線を送る薩摩を除いてだが。
「いきなり現れて一任してほしいとは……よほど自信があるようですね」副会長がいった。
「いかにも。ウチが生徒会とミヤコ様との橋渡し役を務めよう。幸い、ミヤコ様の側近とは
「適任かどうか判断する前に、まず、あなたの共学化問題に対するスタンスを聞かせてもらえますか」副会長が問う。
「共学化。おおいに結構」萩がこたえる。「ウチはずっと考えておったのじゃ。この学園はほかの学校との交流も少なく、いささか閉鎖的に過ぎるとな。それでは社会に出たときに戸惑う生徒も多かろう。これからは男女の垣根を超えて積極的に交流を深めるべきじゃと、ウチは思うのじゃ。
むろん、この考えをそのまま奏上したところでミヤコ様にご納得いただけない可能性は十分にある。じゃが、そこは交渉人として精一杯の努力をさせてもらうつもりじゃ」
萩の演説めいた話が終わると、一同は顔を見合わせた。彼女に橋渡し役を任せるべきか、考えあぐねているようだ。
「いいんじゃないでしょうか」意見を述べたのは、会津だった。「ミヤコ様に近しい方が間に入ってくれるのは、頼もしいことだと思います」
「私は反対です」不機嫌そうな口調で、薩摩がいった。「こいつに頼るのは危険です。協力的な態度を見せながら裏で何を考えているか、知れたものではありません。面従腹背という言葉があるのをお忘れなく」
「ああ、嘆かわしい」挑発するような口調で、萩がいった。「わたくしはひとえに学園の行く末を思い、生徒の間のわだかまりを解消しようと、こうして橋渡し役を買って出ているというのに、このわたくしに裏があると?なんと情け容赦ないお言葉……」
萩の芝居めいた反論に、薩摩はより一層苛立ちの表情を深めた。
「どうしましょう?副会長」
書記長が立ったまま窓際にもたれかかっている副会長に尋ねた。このひとは会議中でも椅子に座らないスタイルなのだろうか。
「まあ、いいんじゃないですか」
「ずいぶん軽いな」
副会長の素っ気ないこたえに、宇和島は拍子抜けした。
「できることは何でもやっていきましょう。ほかに策もありませんし」
「光栄至極。この萩めにすべてお任せあれ」
こうして、学内融和策についての話し合いは、とつぜん乱入してきた萩に一任するという、誰も予想しない結果に終わった。
数日後の朝。
宇和島はいつも通り西寮の食堂で朝食を食べていた。
学園内の食堂は東西それぞれの寮と高等部の校舎にあり、朝と晩は寮の食堂で、昼は校舎の食堂で食事が提供される。宇和島は班のメンバーと一緒に朝食をとるのが習慣になっていた。
「宇和島はん。ここ、よろしおすか」
玉子焼きに箸をつけようとしたとき、ひとりの生徒に声をかけられた。となりの空席のことをいっているようだ。
「いい……けど」
宇和島は生徒の顔をよく見た。
ミヤコ様の取り巻きは何人かいるが、その中でも、側近中の側近と呼ばれている生徒がふたりいる。そのうちのひとりが、今となりに座っている。
ふたりの側近の名前も覚えているのだが、今となりにいるのがどちらなのか、思い出せない。容姿がそっくりなのだ。
「最近はえらい活躍されてるようどすなぁ。生徒会にも重宝されてるとか」
「はぁ……どうも」
まずい。名前を思い出そうとしているのを悟られたくない。ここは堂々としていたほうがいい。
「急なことやけど、もし、ミヤコ様が宇和島はんに
「ミヤコ様が、ウチに……?」
心臓の鼓動が高まるのを、宇和島は感じていた。
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