夏の章

副会長、帰国

 来た。

 来た来た。


 この二週間、ときに自己嫌悪に陥ったり、寮から逃げ出したいという衝動に駆られながらも、教師役の飛び級ちゃんの鞭を打つような指導に耐え、なんとか胸を張って中間考査の日を迎えることができた。

 謹慎期間が当初の予定より短縮されたのもプラスだった。校門での一件以降、謹慎中の生徒の復帰を求める声が学内のあちこちから上がったらしい。宇和島にしてみればありがたい限りだ。


 特に大きな働きをしたのは、インフルエンザから早々に復帰していた薩摩だった。薩摩は生徒会に直訴する代わりに、まずミヤコ様に働きかけて恩赦の請願状を取り付けるという周到ぶりで、腰の重い生徒会を動かしてみせた。ミヤコ様からの請願とあっては生徒会も無視できない。薩摩自身が働きかけるより何倍もの効果があることをわかった上での行動だった。あの老獪ろうかいさは本当に油断がならない。



 全九科目からなる中間考査は滞りなく行われた。

 数日以内に結果が通知され、成績上位者は校舎内に掲示される。


 宇和島の成績は、五位。

 

 目標に掲げていた『学年五位以内』を、ぎりぎり達成した格好だ。

 だが、嬉しかったのはいうまでもない。

 自分の名前が掲示されているのを見るときの喜びは、筆舌に尽くしがたいものがある(謹慎処分を受けたときも名前が掲示されていたわけだが、それは別のお話)。


 中間考査の結果についてほかに特筆することといえば、萩がわずかな差で薩摩に及ばず癇癪かんしゃくを起こしていたことだろう。あの二人の対抗意識は凄まじいものがある。

 ちなみに、二位が薩摩、三位が萩、四位が佐賀という結果だった。

 やる気をなくしたように見えた土佐や、仲良く謹慎していた福井もちゃっかり十位以内に入っていたから、やはり油断がならない。



 中間考査が一段落して間もない頃、宇和島の『近所』でちょっとした事件があった。


 宇和島は再び生徒会からお呼びがかかり、一緒に呼ばれた土佐を迎えに行こうと彼女の部屋を訪れた。

 そこで目にしたのは、部屋の真ん中でひとり、床にうつ伏せで倒れている土佐だった。


「ちょ、土佐ねえ?」


 宇和島が慌てて駆け寄り土佐の上体を持ち上げると、彼女は


「うぅぅ……うへへへ……」


 言葉にならない声をあげた。どうやら酩酊しているようだ。

 床をよく見ると、何本もの甘酒の空き瓶が転がっている。


「土佐ねえ、いったい何本飲んだの?」

「うぅぅん……二、三本くらい?」

「うそだ。絶対それ以上飲んでる」

「じゃあ百本くらぁぁい……」


 宇和島は呆れながら彼女の背をベッドにもたれ掛けさせると、


「ちょっと待ってて」


 自室からみかんジュース入りのコップを持ってきて、彼女に手渡した。


「水、持ってきたよ」

「ありがと……プフッ、これのどこが水なのよ!」

「よかった。味の判断はできるみたい」


 宇和島が改めて部屋を見回すと、空き瓶のほかに、三個ほどの班章が落ちているのが見えた。その中の一個を拾い上げる。三枚の柏の葉が放射状に描かれている。すべて土佐の班章のようだ。班員が落としていった物のようだ。


「……妹ちゃんたちはどうしたの?」

「……でてった」

「はい?」

「出て行ったのよ。あのバカ共……バーカバーカ!どいつもこいつもバカばっかり……」

「出て行ったって、どういうこと?」


 詳しく話を聞くと、昨晩、土佐姉妹の間で口論があった。

 それ自体は珍しくも何ともないことなのだが、その日はいつもと調子が違っていた。

 妹は今こそ生徒がミヤコ様の名のもとに一致団結して生徒会を打倒すべきとか何とか主張し、生徒会を擁護する姉と激しい言い争いになった。

 どうやら、水戸さんの班の生徒が彦根を襲撃した事件が、妹を焚きつけたらしい。

 姉妹喧嘩が最高潮に達したとき、堪忍袋の緒が切れた妹はとうとう部屋を出ていってしまった。妹に付き従う年中グループも、班章を捨てて出て行ってしまった。

 その日の夜は結局、妹たちは帰ってこなかった。



 意気消沈した土佐を連れて行くのは諦めて、宇和島はひとり、生徒会執務室に向かった。


 書記長をはじめ、薩摩、福井の姿があったが、水戸さんと彦根はいなかった。

 その代わり、というのも変だが、新顔の姿があった。


「本日から、会津さんにも臨時チームに参加していただくことになりました」


 書記長が紹介すると、会津は少し緊張した様子で


「よろしくお願いします」と挨拶した。


「会長が感謝していましたよ。水戸さんの件で会津さんが仲裁してくれたおかげで、最悪なことにならずに済んだと」

「いえ、私はそんな大したことは……」


 会津は謙遜しながら照れ笑いを浮かべる。


「そういえば皆さん、先日の中間試験ではすごい活躍でしたね。私ももっと頑張らなきゃって思いました」

「そうですね」福井がいった。「今回は思いがけないダークホースが現れましたし」


 そういって宇和島に視線を向ける。福井は自分が宇和島を焚きつけたことを自覚しているのか、含みのある笑みを浮かべていた。


「まあダークホースっていうか、これがウチの本来の実力、的な?」


 宇和島は頬を掻きながら誇らしげにいった。


「みんな困ったことがあったら、どんどんウチを頼っていいんだからね」

「調子に乗ってきましたね」薩摩が横槍を入れる。

「そういうさっつんも、お萩ちゃんに勝って、してやったりって顔だね」

「フッ、萩なんて眼中にありませんよ」

「そんなこといって、本当はちょっと焦ってたんじゃないのー?」


 宇和島が茶化すと、薩摩が鋭い視線を宇和島に向ける。


「そういえば宇和島さん。あなた確か佐賀さんに――」

「あー!ごめんなさーい!もう何もいいませーん!」


 まさか、宇和島が佐賀から過去問を入手していたことを薩摩が知っているのかと勘ぐり、慌てて彼女の言葉を遮った。


「そういえば、土佐さんが来ませんね」福井が案ずるようにいった。

「また遅刻ですか」と薩摩。

「土佐ねえは妹が家出して、ショックで落ち込んでるよ」宇和島がいった。「だから、こっちにはしばらく来ないんじゃないかな」


「家出?寮を出て行ったのですか?」


 自分の家族の心配をするような口ぶりで、会津がいった。


「いや、寮のどこかにはいると思うんだけど」

「家出っていうんですか、それ」と福井。


「それは心配ですね」会津がいった。「最近の西寮は規律が乱れていると聞きますし、意地悪な生徒にいじめられたりしないといいんですけど」


 いや、妹が規律を乱している張本人なのだが。

 と宇和島はいおうとしたが、土佐に気を遣って口をつぐみ、無言で会津を見た。


「……あれ?私なにか変なこといいましたか?」


 会津がキョロキョロと周りに目をやりながら訊いた。彼女は少し天然なところがあるようだ。


「土佐さんが不参加ということは、あとは副会長を待つだけですね」


 書記長がいった。


「おお、ついに」と宇和島。「帰ってきたんだ」

「はい。じきに見えると思うんですが……」


 書記長が答えたその直後。



「失礼します」


 大人びた声とともに扉が開き、ひとりの生徒が入室した。

 ぴんと伸びた背筋に、理知的な眼。居るだけでその場の空気をピリッと引き締めるような、そんな雰囲気を湛えている。このひとが生徒副会長だ。


 副会長は室内を見回すと、おもむろに片手に持っていたコンパクトカメラを目元に持ち上げた。


「はい、チーズ」


 なんだ、このひとは。入ってきていきなり写真撮影か?

 宇和島は一瞬あわてたが、すかさず笑みを浮かべて両手でピースをつくった。

 書記長、福井、会津は控えめにピースしている。薩摩はカメラ目線だが、しかめっ面のままだ。


 副会長はシャッターボタンを押してモニタを確認したあと、薩摩を一瞥した。薩摩がしかめっ面なのが気に入らなかったのだろうか。やがて、「フンッ」と鼻であしらうような態度をとったあと、部屋の奥へと進んだ。

 一瞬、宇和島とも目線が合ったような気がするが、気のせいだろうか。


「すみません。最近、写真にはまっていまして」

「副会長。お待ちしていました」書記長が立ち上がりざまにいった。

「書記長。状況説明、ありがとうございました。おかげで、おおよその事情は把握できました」


 まだ留学先から帰国して間もないはずだが、既に学園内の状況を把握しているのか。だとしたらかなり抜かりのないひとだと、宇和島は思った。


「それで、早速ですが、早急に解決しなければならない課題があります」


副会長はそういって身を引き締め、真剣な眼差しを参加者一同に注いだ。

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