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 台風一過の澄んだ空の下、伊庭は電動バイクを走らせている。河沿いの道を南下していく。上流には人工光合成発電のための擬似林があり、その林の中には変わらず別荘があるだろう。躰を取り戻した静日が、柳瀬を介抱していることだろう。これからふたりは森の奥で暮らし続けるのだ。

 伊庭はバイクに一目で旅支度とわかる荷物を載せている。失われた右の眼下はなめらかな皮膚におおわれている。

 その奥から声がする。

「だいじょうぶ?」

 呼応するように、右目がちかちかと赤く光る。

「大丈夫だよ、アーク」

 意味を言葉として変換し、受け取る。アークはいま伊庭の右目の中に住んでいる。失われた右目を補うように、領域をきちんと確保し、処理速度を極端に落とした状態で圧縮保存されている。

「どこへ行こうか?」

「――――」

「そうだね」

 だから伊庭は新しい絵を描くだろう。アークのために、新しい躰を手に入れなければならないからだ。伊庭には悲壮さはなかった。むしろ晴れがましい気持ちでバイクを走らせている。照らす日差しが今日も暑くなることを告げていた。どこか遠くでセミが鳴いている。右の眼窩に住むアークと言葉を交わして、伊庭はバイクを下流に向けて走らせる。



 方舟の夏アーク・サマー――のちにヒューマノイドたちにそう呼ばれる技術的特異点テクノロジカル・シンギュラリティの物語はこうして、幕を開けた。



【了】

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アーク・サマー 川口健伍 @KA3UKA

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