第9話

(温かくて、気持ちいい。離したくない)


 夢の中で俺は、どこか懐かしいその温もりに永遠に触れていたくて、自らの腕に力を込める。


「慎司…」


 夢から覚めたくない俺の耳元に、吐息がかかる程リアルで心地いい声が響いて、俺はゆっくり目を開いた。


「ごめん、そろそろおら、うず戻らんなねから」


 裸のまま俺がしがみついていたのは、幼い頃からずっと恋焦がれてきた誠の、程よく筋肉のついた逞しい身体。俺の顔を覗きこみ、頭を撫でながら謝ってくる兄を見つめ、俺は、好きな人と初めての朝を迎えられる幸福に酔いしれる。


「一緒さ帰れねぐでごめんねあんにゃ、おら、ほんてんバスで行げっから…」


 言いかけた言葉をキスで塞がれ、俺の唇をゆっくりと解放しながら兄は言った。


「あんにゃじゃなぐで、二人の時は誠!」

「そうだった、ごめん誠、中々言い慣れねぐで…」

「あーぐそ!もっとわらわら早く起ぎれば良いっけ良かった!」


 突然大きな声で後悔を口にする誠に、理由がわからずキョトンとしていると、誠は俺の頬を優しく摩り子供のように呟く。


「朝、もう一回すたがった」


 その言葉にギュンときたけど、誠は自らを律するようにベッドから出てしまった。


「シャワー浴びでくるな」

「うん」


 誠は烏の行水のようにあっという間にシャワーを終え、俺は誠の、大柄でガッチリとした肉体に見惚れる。思えば確かに、家族全員小柄な松原家の中で、誠は誰にも似ていない。

 誠の本当の両親のことなど、今更知るすべもないけれど、その人達に心から感謝したくなる、誠を産んでくれてありがとうと。そして、誠を松原家に迎え、実の兄弟として育ててくれた父と母にも…


「どうすた?」


 服を着終えた誠が、ベッドに座ったままの俺の隣に腰を下ろし聞いてくる。

「やっぱり誠はカッコいいなあど思って見惚れでだ」

「なんが他にもあるだろ?おめがほだな顔すてる時、大体ろぐな事考えでねんだがら」

「え?」

「笑ってでも、まなぐが寂すそうなんだよ、家出する前もよぐほだな顔すてだ…」


 誠の言葉を受け、俺は、さっきふと浮かんでしまった本音を口にした。


「誠、うぢにきてぐれで良いっけなって。それがら…おっちゃんごしゃいでる怒ってるがな、おらだのごど俺達のことって思ったっけ」


 すると誠は、俺の頭を撫でながら意外な事を言う。


「ああ、でも納得はすてるんでねがな」

「え?」

「実はさ、おめには後でゆっくり話そうと思っでだんだげんど、親父亡ぐなる前言われだんだ。慎司は今は稼いでるがもすれねが、芸能界なんて水物だす、今後どうなるがわがんねがら、土地の3分の1は慎司とおめと共有財産にすてもいいがって」


 想像だにしていなかった父の話しに、俺は衝撃を受けた。


「共有財産はトラブルの元だがら、本来やめだ方がいいらすい。当時のおらは真理ど結婚すてだがら、親父も遺言書ぐ時弁護士さんにアドバイスもらって、おらにも色々話すてぐれだ。

その時、慎司東京さ住めねぐなって戻ってぎだら、あいづの事気にかげでけでぐれねがっ気にかけてやってくれないかて言われで。

慎司は今後家庭たがぐ持つごどもでぎねだろうし、年どってがら伴侶も子どももいねのは孤独なものだがらって、親父は考えでだみだいだ。

自分は慎司受げ入れでけれねえっけんだげんと受け入れてやれなかったけど、おめはもす慎司戻ってぎだら受げ入れでけでぐれって受け入れてやってくれって


 誠にとって、父の言葉は意外でもなんでもなかったのだろう。でも俺は、死んでも父は、俺を拒絶し続けると思っていたから嬉しくてたまらず、泣きたくなるほど心が震える。誠は最初から、俺が気付けなかった、不器用で見えにくい、父の家族に対する深い愛情を知っていたのだ。


「もぢろん、ほだなこど当たり前だって親父さ言ったら、本当が?って聞がれだんだ。おめは弟女装すでテレビ出るようになって、職場でなんも言われねがったが?もす慎司があの姿で戻ってぎだら、おめだづまで色々噂されるごどもあるがもすれねが、それでも受げ入れる覚悟はあるのが?って」


 父が兄達家族を心配するのは当然だ。ご近所の目、噂、誹謗中傷。俺の事を誠に頼みながらも、父は自らの選択が本当に正しいのか、思い悩んでいたのかもしれない。


「それでおら言ったっけんだよね。女装すてる慎司がおがすいんだらおらも異常だすおがすいよって。おらは小せえ頃がら、慎司のごど恋愛感情で好ぎだったんだって」

「え?!」


 だが、続く誠の言葉に、俺は驚愕し声をあげた。誠の自分に嘘をつけない、正直で誠実なところ大好きだ。だけど死の直前、真っ当な男に育ったはずの誠にそんな告白された父を思うと、申し訳ない気持ちになる。


「それで、おっちゃんなんて?」

「そうがって」

「それだげ?」

「おめは真理さんと結婚すたんだがら、それは墓場までたがいでいげよ持っていけよって言われだ。んだげんと、おめと再会すたら、墓場にたがいでいげねぐなったっけよ持っていけなくなっちゃったよ


 俺の目を真っ直ぐ見つめそう告げる誠に、何も言えなくなった。誠にとって、父との約束がどれだけ大切なものなのか、俺は知っている。それでも誠はあの時、恋人になる道を選んでくれたのだ。


「こだな事思うのは申す訳ねんだげんと、真理男作って出で行った事、おらにどってよいっけんだど思ってる。おめ初めてうち帰っできだ時、真理のごど愛すてるのがって聞いだよな。

おらは真理のごど、確かに愛すてだど思うんだ。んだげんとそれは、真由への愛情ど同ずで、自分守んべぎ家族どすて愛すてだんだ。でも真理欲すいっけのはその愛じゃねえっけ。そすておらが、真理欲する愛抱げるのおめだげだった。

おめが目の前さ現れだ時、ああダメだって思ったよ。想像の中でなら、おらは親父どの約束守れる自信あったげんど、生身の引力って凄いよな、理性では全然抗えねぐなる」


 熱の籠った目で見つめられ、堪らずその胸に体を寄せる。俺も同じ。大好きな人を目の前にしたら、その身体に触れてしまったら、自分を抑えることなどできなくなった。


「んだがらおらは、親父はごしゃいでね怒ってないど思ってる。おらは慎司がずっと好ぎだったす、おめもずっとおらば好ぎでいでくれだ。おらだがごうなるのは自然な事だったんだ。んだがらもう、変な罪悪感抱ぐ必要はね」

「うん、ありがとう」


 迷いなく発せられる誠の言葉に深く頷き、俺達は強く抱きしめあった。


「もう行がんな。寒河江まで迎えに行ぐがら、必ずラインすろよ」

「うん」


 離れ難い身体を離し、俺はドアまで誠を見送るため、旅行の時いつも持ってきているバスローブを羽織る。


「まだ後でな」


 誠はもう一度だけ俺の頬に触れ口付けをすると、名残り惜しげにホテルの部屋から出て行った。




 五ヶ月ぶりに乗った左沢線あてらざわせんの窓の外には、山と空の境目まで、緑の田圃が広がっている。初めての里帰りでこの景色を観た時は、懐かしさと同時に、疎外感にも似た感情を抱いたが、今日はこの壮大な緑が、異質な自分すら排除せず受けいれてくれているような気がして、目に映る景色が全て輝いて見える。


(早く会いたいなあ)


 抑えようのない喜びに胸がいっぱいになりながら、誠に思いを馳せていたら、どこまでも続く田圃が、長閑な住宅地の街並みに変わっていく。いよいよ寒河江に到着し、俺は、逸る気持ちに急かされるように電車を降りた。

 エスカレーターを上がり改札を出たら、なぜか急に、どんな顔して会えばいいのかわからず緊張してくる。だけどそれは不安からくるものではなく、心も身体も結ばれ恋人になったからこその幸せな戸惑い。

 ドキドキしながらエレベーターで下降すると、開いたドアの先に、今朝別れたばかりの誠が立って待ってくれていた。


「こ、こんにちは…」

「なんだよそれ」


 思わず他人行儀な挨拶をする俺を呆れたように笑い、誠は俺のキャリーバックを手早く持って、もう片方の手で俺の手を握ってきた。


「行こう」


 人前で手を繋ぐなんてやめた方がいいと分かっているのに、振り払うことができない。単純に嬉しいのだ。嬉しくて、この幸せな気持ちだけを感じていたい。


「全ぐ、中々連絡来ねがら心配すたんだぞ」

「ごめん、あんまりわらわら着いでも迷惑がなって思って…」

「気使いすぎ、ゆっくり観光でぎだが?どご行ってぎだの?」

「七日前御殿堰どが文翔館どが、あど、あんにゃど行った霞城公園にもまだ行ったっけ」


 そう応えると、なぜか誠は繋いでいた手に、やけに力をこめてくる。


「あんにゃ、ちょっと痛え」

「二人でいる時はあんにゃじゃなぐで誠」

「そうだ、ごめん誠」


 ハッとして謝る俺に、誠はそれでよすと優しく微笑む。


「慎司がゆっくり観光でぎだなら良いっけ」

「うん、チェックアウトの後も荷物預がってもらえだがら、誠には往復すてもらうごどになってすまってごめんね」

「んだがら気使いすぎ」


 あっという間に車の前につき、繋いでいた手が離される。少しの寂しさを覚えながらも誠に促され、俺達は車に乗り込んだ。


「実はおら、今朝おめと一緒さ帰れねのがすこだま辛ぐで、おめがうず来ねがったらどうすんべって不安になったんだ…」


 二人きりの空間になった途端、誠がポツリとそう零し、俺は、今まで見たこともないような苦笑いを浮かべる誠を見つめる。


「不思議だな、おめと抱ぎ合えだら、おめがおらから離れる事なぐなるって確信たがげる持てるど思ってだのに。

なんか、ほんてん好ぎな人ど結ばれるど、絶対さ失いだぐねがらなのが、余計なごど考えたり、かえって臆病になったりするもんなんだな」


 誠の言葉は意外だった。誠は、俺みたいにグルグル考えすぎてしまうことなんてないのだと、勝手に思っていたから。


「こだな感覚初めでだ」


 いつの間にか、普段の屈託ない笑顔に戻っていた誠は、不意打ちのように触れるだけの軽いキスをしてくる。


「あんにゃ!この車中見えっから」

「ごめん、実家ではでぎねがらさ。なんかおら、好ぎな子ど付ぎ合いだでの中学生みだぇになってる」

「中学生がらこだなこどすねだべ」

「いや、今時の中学生はましぇでっから。真由同級生の男さ告白されだらすい」

「え!付ぎ合うの?」

「いや、あいづは男嫌いだがら。見だ目が慎司で、中身がおらみだいにバカ正直な男がいいって言ってだ」

「なんだそれ」

「まこっちゃんは性格はいいげんども見だ目が暑苦すくて無理なんだどさ、おら暑苦すいが?」

「ううん、カッコいい」

「慎司はそう言ってくれるど思った」


 真由ちゃんの話しに心が和み、誠が車を発進させる。

 恋人としての会話ができるのも、誠と二人きりでいられるのも、実家まで30分のドライブの間だけ。そう思ったら、ずっと車に乗っていたいなあなんて、つい現実離れしたことを考えてしまう。


「慎司」


 と、車を運転する誠の姿をうっとり眺めていると、誠が前を向いたまま真剣な声で俺を呼んだ。


「なに?」

「おめ、こっちに帰ってくる気ねが?」

「え?」

「もちろん、おめには東京の店があって、簡単にやめられる仕事でね事はちゃんとわがってる。でもおらは…」

「あ、誠、その事なんだげんとね、実はおら、お店閉めるごどになったんだ」

「ええ?!」

「危ねあんにゃ!ちゃんと前見で!」


 すぐ前方に視線を戻しながらも、誠は驚きを隠せない声で尋ねてくる。


「いづ?」

「9月末まで。実は、ずっと一緒にお店やってぎだ正樹が、今年いっぱいでねぐで、辞めるの早めだぇっ言ってぎで。

あいづの彼女実はいいどこのお嬢さんだったみたいでさ、新築建ででもらう上さ、彼女の両親にお店出す資金も出すてもらえるごどになったんだって。おらも色々考えだんだげんと…」

「正樹って誰?」


 だが、俺の話しを黙って聞いていた兄の声音が変わっていることに気づき、俺は慌てて首を横に振り言った


「正樹は同ず事務所の同期で、全然ほだな関係でねがら!正樹が俳優諦めだ時期どおらが店出す時期重なって、たまだま手伝ってくれるごどになったの!将来地元で店開ぐ夢は最初がら知ってで、彼女が妊娠してはやまったでいうが」

「ふーん」


 恋人になってから、誠が意外に嫉妬深い事を知った俺は必死に話したが、かえって言い訳がましかったのか、不機嫌な様子は変わらない。


「なんで言ってぐれねがったの?」

「ごめん、こっち来でがらちゃんと話すつもりだったんだげど、急だったす、あんにゃに余計な心配がげだぐねなって、アパートの収入はあっから、じぇじぇごお金に困ってるどがはねんだげど…」


 話しの途中で、誠が突然ウインカーを出し、車道沿いにあるコンビニの広々とした駐車場へ入っていく。車を停めた後、誠は身体ごとこちらに向け、俺の手を握り言った。


「慎司、これがらは、心配がげだぐねどが、ほだな考えは辞めでほすい」

「そうだよね、ごめん」

「謝らねで、慎司責めでるわげでねんだ。ただおら、我儘だど思われるがもすれねんだげんと、もうおめのごど東京さ帰すたぐね。おらはおめと本気で結婚すたぇど思ってる。店辞めんだら、農作業どがすねぐでいいがら、こっちに来でおらと一緒さ暮らすこど真剣さ考えでぐれねが?」


 途中まで、誠の熱烈な言葉に感動していたのに、農作業しなくていいからで心がかさつく。


「あんにゃ、おら別さ農作業嫌でねす、真理さんにもそうやってプロポーズすたの?」


 思わず出た声は驚くほど刺々しくて、俺はすぐに自分の言葉を取り消したくなった。


「ごめん今のなす、おら、嫌な言い方すた」

「いや、おらもさっき正樹って奴の名前出だ時不機嫌になってごめん。

でも真理の時は、真理が農作業は絶対すねがらって言ってぎだんだ。

慎司はずっと東京で暮らすてぎだす華やがな世界にいだがら、もう農作業どが嫌なんでねがど思って、ついあだな言い方すたっけ」


 分かっているのだ、誠の言葉にはいつも、俺に対する気遣いと優しさが溢れている。俺が勝手に真理さんを連想して嫉妬してしまっただけ。


「ううん、誠は真剣さおらと一緒になりだぇって言ってぐれでだのにごめんね。

おらさ、まだ今すぐこごさ戻るって言うごどはでぎねんだげんと、おらもずっと遠距離は嫌だって、誠ど一緒にいでえって思ってる。んだがらもう少すだげ待ってくれる?これがらは、全部ちゃんと誠さ相談すっから」


 誠は、少し切な気な表情を浮かべながらも、分かったと頷いてくれた。


「おら、強引なごど言いすぎだ。情げねなあ、プロポーズするならもっとちゃんとすたがったげんど、すぐ感情のまま突っ走ってすまう。おめの方がずっと大人だ」

「ほだなこどねよ、おらは逆さ考えすぎですまうだげ。誠結婚すたぇって言ってくれだの、すこだま嬉すいっけよ」


 今更のように、プロポーズの喜びを噛み締める俺に、誠が再び顔を近づけキスしてくる。


「おらは本気だがら。誰さ何言われでも、おめと一緒にいるって決めでっから」

「うん、ありがとう」


 唇を離した後、至近距離に顔を近づけたままそう言われ、幸せすぎる現実に、自然と目に涙が溢れてくる。とその時、突然携帯が鳴り響き、俺と誠はビックリして顔を見あわせた。見ると携帯に母から着信が来ていて、俺は液晶画面の通話を押す。


「もしもし」

「慎司、誠ちゃんと迎えに行ってる?遅いがら心配になってすまって」

「大丈夫、今一緒さ車に乗って向がってるどごろ、もうすぐ着ぐがら」

「なら良いっけ、待ってっからね」


 あっという間に通話が切れて、俺はホッと胸を撫で下ろした。


「ほんじゃ行ぐが」

「うん」


 2人頷き笑いあって、今度は真っ直ぐ実家へと向かった。




「慎司さん!久すぶり!」

「慎司よぐ来でくれだね!」


 家に到着すると、真由ちゃんと母が待ってましたとばかりに迎えてくれた。


「今回は長ぐいられるんだべ」

「うん、4日くらいだけど、久すぶりに農作業も手伝うよ」

「あら!だったら稲刈りの時期さ来でもらえば良いっけわ、ちょっと早えわよ来るの」

「おばぢゃん!しぇっかぐ慎司さん来でくれだげんど来てくれたのに

 母と真由ちゃんの、相変わらず親し気なやり取りに、自然と笑みが溢れる。

「慎司の荷物客間さ置いでおいだがら」

「あ、ありがとうあんにゃ」

「ほら、慎司も誠もとりあえず手洗って、お線香上げで、わらわらみんなでご飯食うべ!」


 誠と二人きりの時間は何にも変え難いけど、たまの里帰りを、家族でバタバタするのも悪くない。むしろ自分は、ずっとこんな風に、そのままの自分を故郷に受け入れて欲しかったのだ。

 俺は居間の仏壇の前に座り、祖父母や父の遺影に線香を上げ手を合わせた。前ここで父の写真を見た時は、罪悪感で頭がいっぱいになったが、今は懐かしさと感謝が胸に込み上げてくる。


「よす、ほんじゃ食うべが」


 母に急かされ仏壇から立ち上がり席に座ると、卓上には、前回と同様、母が腕によりをかけて作った料理が沢山並んでいた。


「はいじゃあいだだぎます」

「いだだぎます!」


 母の号令と共に挨拶をし、皆でご飯を食べはじめる。

 何も知らない母にも、いつか誠との事を伝えなきゃいけない日がくるだろう。でも今はまだ、母の前での俺と誠は、普通の兄弟のままでいい。


「おがぢゃん、おら来るだびにありがとうね」

「言っとぐげんと、こだな豪華なのは今日だげで明日がらは残りものよ」

「分がってっず。何日がいる間さ、おらもなんか作んべ」

「やったー!おらパスタ食いだぇ!イタリア料理」

「真由ちゃんパスタって、レトルトソースがげれば誰でも作れるでねのよ。

ほだなこどより慎司聞いでぐれる?最近誠いい人でぎだみだいで、昨夜もごそごそ出掛げで朝帰ってぎだりすてさあ」


 唐突に投げられた母の言葉に、ギクリと箸が止まる。


「いいでねの、まこっちゃんまだ若えんだす」

「真由ぢゃんがそう言うんだらおらも何も言えねんだげんと、でも真理さんと離婚すてがらちょっとすか経ってねんだがら、今度はすっかりずっくりしっかりじっくり相手の事見極めでがら結婚決めねど…」

「おばぢゃん、それ何気におらのおがぢゃんディスってる」

「違う違う!ほだな意味でねのよ」

「いいって、うぢのおがぢゃんディスられで当然だがら」


 ケラケラ笑う真由ちゃんと、あたふたする母の会話を、俺はひっそりやり過ごそうと黙って見守っていた。


「大丈夫だよ、相手慎司だがら」


 だが次の瞬間、誠が発した言葉に居間の空気が静まりかえる。


「え?」


 母が聞き返し、事情を知っている真由ちゃんと俺は目を合わせ固まる。


「おらが付ぎ合ってるの慎司だがら、今日プロポーズもすた。慎司もおらと一緒にいでえど思ってぐれでるす…」


 こともなげに話しだした誠を、俺は慌てて止める。


「ちょっと待ってあんにゃ!何言ってるの?」

「なんで?こだな大事なこどはわらわら早くお袋にも言った方がいいべ?」

「あんにゃ!何事にも順序ってものがあっから!なんでも正直さ言えばいいってもんでねがら!」

「えー!まこっちゃん慎司さんにプロポーズすたの!そすたら慎司さん山形来でくれるってごど!やばい超嬉すいんだげど!」


 話があっちゃこっちゃに飛び交い訳がわからなくなる中、母がバン!と座卓を叩く。


「どだなごどなのが、ゆっくり話す聞がしぇでもらうわよ!」


 母のドスの聞いた声が響き渡り、二度目の里帰りは、図らずも波乱の幕開けを切ってしまったのだ。




「それで結局どうなったのよ」

「凄いショックは受けてたけど、分かりましたって」

「分かりましたって何?」

「変な嫁がくるよりいいと考えるようにするって…」

「何それ消去法じゃない、もう最高ねあんたのお兄ちゃん!私も山形に会いにいくから今度紹介してよ」  


 深夜の客間で、俺は初めて誠に告白された日と同じように、サリーさんに電話をかけていた。


「笑い事じゃないですよ!これじゃわざわざ別々に来た意味ないし、正直明日からどう振舞っていいかわからなくて…」

「でもさ、ずっと好きだった人にそんな風に真っ直ぐ愛されて、親にも紹介してもらえるって凄く幸せなことだと思うわよ、まああんた達の場合同じ親だからうけるんだけど」

「全然ウケないですよ!」

「ウケるわよ、あんた気づいてないかもしれないけど、悩んでるようで昔よりずっと声は幸せそうよ。毎回惚気聞かされる私の身にもなってよ」


 そんなつもりはなかったが、サリーさんに言われて、確かに昔より、ずっと心は満たされている事に気づく。


「両思いの悩みなんて結局幸せだったりするのよ、嫉妬による諍いなんて私からしたらプレイだし。あんたらはまさに付き合いたてなんだから、嫉妬プレイとか、悩みプレイとかして楽しんでりゃいいのよ」

「そんな、SMプレイみたいに言われても」

「あんたどMだしね」

「違います!」


 と、客間の襖から、慎司と呼ぶ誠の声が聞こえてきて、俺は慌てて声を抑える。


「ごめんなさいサリーさん、あんにゃが来たんで…」

「いいじゃない、実家で羞恥プレイ楽しんでね」

「そんなことしません!」


 言うと同時に通話を切ると、誠が静かに襖を開けて部屋に入ってくる。


「ごめん誠、うるせえっけ?」

「いや」


 誠は首を振り、俺の布団の近くに座りこんだ。


「なんか悪いっけな、おめにはおめの考えやタイミングがあったげんどあったのに、勝手にお袋さ言ってすまって。でもおらは、真由だげじゃなぐ、お袋にもおらだのごど認めでもらいだぇっけ」


 誠の言葉に、俺は分かってるよと頷く。


「確がにビックリすたげんと、誠、それだげ真剣さ考えでぐれでるって事だがら、嬉すいっけよ」


 すると誠は、安心したように笑い、俺の身体を抱きしめてきた。


良いっけ良かった


 言いながら、首筋に唇を押し当てられ、思わず身体がビクリと震える。


「なあ慎司、朝の続ぎすていいが?」


 その言葉に俺は迷った。すぐ隣りの部屋には仏壇があり、居間と台所を隔てた先の部屋には母が寝ている。真由ちゃんだっていつ起きてくるかわからない。

 でも…


「少すだげなら」

「少すってどごまでいいの?」


 誠が、俺の言葉にクスリと笑い口付けしてきたその時、突然廊下から足音が聞こえ、俺達は慌てて布団に潜りこむ。

 どうやら母がトイレに起きてきたようで、水を流す音が聞こえた後、俺と誠は息を殺して足音が通りすぎるのを待った。しかし、足音は俺達のいる客間の前で止まり、母が声をかけてくる。


「慎司起ぎでる?」


 助けを求めるように誠を見ると、正直者の誠もさすがにこの状況はまずいと思っているようで、黙ったまま首を横に振る。動揺する俺達に構わず、母は襖越しに話し始めた。


「おがぢゃん正直、おめだづの話すショックだったんだげんと、おめが大事な息子だってごどには変わりねがら、慎司が戻って来だがったら、いづでも戻ってぎでいいがら」

「…ありがとう」


 寝たふりをするつもりだったのに、母の言葉が嬉しくて、俺は思わず返事をしてしまう。母はそれだけ言って気がすんだのか、客間の前から立ち去っていったが、なぜかまた客間の前に戻ってきて言った。


「でもね誠、おめ明日の朝までには自分の部屋さ戻ってなさいよ、真由ぢゃんも色々わがる年頃なんだがら。

はあ、まったく、変な嫁来るよりいい気もするんだげんと、親どすては複雑だわ。このウチ古いす壁も薄いんだがら、なんべぐおらにわがんねようにすてちょうだいね。ほんじゃおやすみ」


 感動の言葉から、家族ゆえの遠慮なしトークを繰り広げ去っていく母に、俺はヘナヘナと力が抜ける。


「誠、やっぱり今日はやめどがね?」

「そうだな」


 母の出現で、俺も誠もすっかりその気が失せてしまったけど、親と同居している夫婦ってこんな感じなのかなと、結婚せずして嫁気分を味わってるみたいで、少し愉快な気持ちになった。


『両思いの悩みなんてのはさ、悩んでても幸せだったりするのよ』


 サリーさんの言葉を思いだし、確かにその通りだと頬が緩む。


(本当に、自分は今幸せだ…)


 十八歳の夏、二度と戻ることはないと、逃げるようにこの家を飛び出したあの日の自分。男しか好きになれず、兄に本気で恋をするような俺は、家族に拒絶され、排除されても仕方ない存在なのだと自分を否定し続けた。だけど今、手放しではなくても、母も、死んだ父も、そのままの俺を受け入れようとしてくれていると感じる。

 だからもう、自分を責めるのはやめよう。実の兄だと信じてきた誠に、ずっと焦がれてきたこの想いが、一度は切れた故郷と自分の絆を繋げてくれたのだ。


「慎司、結婚すたら庭さ離れ立でんべが」

「んだな」

「おら本気だがらな、叶わね夢の話すすてるんでねがら」

「うん、わがってる」


 これからもこんな風に、大好きなあんにゃで、恋人でもある誠と、ずっと一緒にいられる道を模索しながら生きていこう。

 俺達は強く抱きしめあい、互いの温もりを感じながら瞼を閉じた。

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望郷【改訂版】 安藤唯 @yuiandou

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