(閑話)小説を書く、とは何か。

 当日記も、ようやく書き方がこなれてきた気がする。


 どんなものを書いてもそうだが、最初は自分の好きなことをやりつつも手探りで「これは本当に面白いんだろうか」と思えてくる。


 で、だんだんとペースが掴めてくると、自信もついてくる。


 今、新しい小説を書く準備と並行して、過去の拙作を読み返しているのだが、文章の拙さは置いておいて、自らの琴線に触れる物は書けているなと感じる。


 こと、Web小説を書く理由として最も大きいのは、


「自分が読みたいものを書く」


 だ。


 残念ながら、というか当然のことというか、玉石混交、枯れ木も山の賑わいな小説投稿サイトに、多くの読者が付いてくれることはまれだ。


 祖父江のフォロー・フォロワーはだいたいが緩く書き、読む人が多い。


「このカクヨムを足掛かりに、物書きとして一旗あげてやろう」


 なので、そんな野望はあまり聞こえてこない。


 が、そういう人にとっては、PVや評価の☆が増えないことは、非常な焦燥と、不安を感じてしまうことなのではないかと思う。


 祖父江は意図的に、それらを無視して執筆している。


 ワークスペースのダッシュボードでも、一話ごとのPVが見えないようにブラウザの大きさ200%に調整している。


 恐らくカクヨムの中でもこんな無駄な努力をしている作者は己だけだろう。


 熱いレビュー文はたいへんありがたく読ませていただいているが、☆の数にはまったく興味が無い。


 つい先日も、拙作のレビューが消えていた。


 何が起こったのかは知れないが、二行くらいの短いレビュー文であったな。


 これを読んでいる方は、一話を流し読みしただけ、もしくは読んでもいない作品に評価を適当にばらまくような不届きは行っていないだろうが。


 それでアカウントを吹き飛ばされたと愚痴る方をお見かけした。


 いやでもやはりな同好の士よ。


 いやしくも物書きを自称するのであれば、そこはページビューうんぬんや星の数かんぬんといった“数字”より“言葉”で勝負したいものよな。


 ましてやここはWeb小説。数はなくて当たり前。水モノどころの騒ぎじゃない。


 一本でも小説を書けば、誰もが思い知ること。


 読まれず、浮かばず、語られず。


 それでもなお書くというのは、「書くのが楽しいから」であって、「いつか自分で読み返すため」であって、もう、それだけでいいのではないかと思う。


 そんな中、浮かばせることはできないかもしれないが、読み、語る場所として、この日記は書き続けていく所存だ。


 

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