錆のち青春、のち未来
翌朝。
「外に出たくない……」
昨日あれだけ通学に胸躍らせていた俺は今、ベッドの上で、そんな情けないことをつぶやいていた。
学校に行くと決心しておいて、二日目からさっそく登校拒否だ。
「
聞き心地のいいソプラノボイスとともに、俺の部屋のドアがけたたましくノックされる。
「うーーん、あと七日間」
「天地創造でもする気なの!?」
さて、なぜこんなことになっているのか。
説明しよう! 俺は昨日、三ヶ月ぶりに外に出て学校へ通い、昼休みに決闘をしたり帰り道に
足が棒になるという表現があるが、なれるものならなってほしい。少なくとも棒には神経は通っていないだろうからな。
腕や肩などの上半身もだが、足の筋肉痛がひどい。とくに、膝の裏側の関節がつねりあげられているかのようだ。
太もももぴくぴくと痙攣し、俺はベッドの上から動けずにいた。
あまりにも遅いもんだから、雨森さんが起こしに来てくれたというわけだ。
ちなみに何かを勘違いされている気がするが、母さんは喜んで雨森さんを家に上げたらしい。
「巡坂くん、遅刻するよ!? 昨日、あんなにかっこよく『また明日』って言ってたじゃない!」
忘れてくれまいか。
昨日の俺は、筋肉痛の苦しみを知らないからそんなことが言えたんだ。
一向に部屋から、というかベッドから出ようとしない俺の耳に、今度は別の人物の声が聞こえてきた。
「ったく、しゃあねえなあ。いい加減起きろやこらあ!」
言うと同時、俺の部屋のドアが中に向かって飛んできた。
風通しのよくなった入口から見えるのは、とまどうように視線を上げ下げしている雨森さんと、その横で右足を突き出している
伊崎は相変わらずの金髪とサングラス常備だが、雨森さんはもうマスクを着けていなかった。
わがクラス委員のキャラは、女子側だけちょっと薄まった。いいことじゃないか。
にしても普通、人ん家の扉を蹴破るかね。さすがヤクザ委員長。
右足を下ろし、伊崎はベッドに近づいて、寝ている俺のシャツの襟首をつかんだ。
「おら、学校に行くぞ! 出席日数、やべえんだろ!? クラスメイトを留年なんかさせねえからな!」
しっかり学友の心配をしてくれている。さすがヤクザ委員長。
「筋肉痛が……」
「気合いで治しやがれ!」
俺の訴えは、根性論であっさりと論破された。
「学校、行こう? 巡坂くん」
そのすぐ隣では、雨森さんが天使のスマイルでささやく。
完璧な飴と鞭だった。うちのクラス委員コンビ、恐るべし。
「……わかったよ。なら、とりあえず家の前で待っててくれないか」
着替えるのを察したのだろう、伊崎と雨森さんは素直に部屋を出て行った。
いや、伊崎。きみはドアを直せよ。
痛みに悲鳴を上げる体に無理やり言うことを聞かせ、なんとか制服に袖を通す。
これを着るのは、まだたった二回目か。
これから飽きるほど着てやろう。
リビングに行き、焼かれていない食パンを一切れ手にして外に出る。
雨森さんと伊崎が、傘を差しながらちゃんと待ってくれていた。
「お待たせ」
俺は傘を開く。赤青黄の三色が住宅街に咲いた。信号機みたいだ。
こうやって誰かと登校するなんて、ついこの間の俺からは想像もできないことだ。
夢、と言ってもいい。
夢。それで思い出した。
「なあ、伊崎」
「なんだ?」
新品の黄色い傘の下から顔を覗かせる強面のクラスメイトに、俺は自身の思いを口にする。
「
「任せとけっての」
そう言った伊崎は、鞄から一枚の紙を広げて見せてきた。
一目で入部届けだとわかるその紙には、名前の欄にすでに「
「さすがすぎる」
ひゅう、とでも言いたいところだけど、残念なことに俺は口笛が吹けない。
「これからよろしくね」
雨森さんは笑顔で言った。朝っぱらからまぶしい。
「よろしく、伊崎、雨森さん」
「おうよ」と即答する伊崎とは対照的に、だんまりを決め込む雨森さん。
ん?
……あ。
「よろしく、
改めてそう言い直すと、彼女はさらに顔を輝かせた。俺も伊崎みたいにサングラスでもしようかな。
「一緒に地元を守っていこうね」
嬉しげにそう言う晴さんと、無言でうなずく伊崎。
俺は、二人にまだ打ち明けたいことがあった。
「それでさ、夏休みの部活動のことなんだけど」
「貴様、登校したてだろうが」
もう休みの話か、とぼやく伊崎をよそに、俺は真剣な表情で告げる。
「どうしてもやりたいことがあるんだ」
本気度が伝わったのだろう、伊崎も晴さんも黙って俺の言葉に耳を傾ける。
傘の下から、俺はなんだかんだで食べるタイミングを逃している食パンを持ったままの手で空を指差し、続けた。
「あのひびを、消したい」
荒唐無稽な願いだった。無理難題とも言っていい。
なんせ、それができるならとっくに国がやってるし、できないからひびは今も空に刻まれているのだから。
一介の高校生の、部活の手に負える代物じゃないことは俺にだってわかる。
わかるが、それとこれとは別の話だ。
呆れられるのを覚悟したとき。
「しょうがないなあ」
晴さんがつぶやいた。
「同じ部員同士だもんね、手伝うよ」
空は晴天だけど、俺の目から雨がこぼれそうだ。
「俺も乗ったぜえ」
伊崎も笑う。
「やってやろうじゃねえか」
笑い飛ばすのではなく、面白そうに笑っていた。
「
いきなり俺の傘の中から声がして、伊崎と晴さんはぎょっとする。慣れないと驚くよね、これ。
傘の内側から滑り落ち、麗夏は俺たちの列に加わった。
「昨日放ったあの光の帯、さらに出力を上げることができればいけるかもしれない」
「だが、そのためにはもっと多くの
つまり天錆、下手をすると何体もの
予想はしていたが、やっぱり条件が厳しい。
肩を落とす俺に、声がかけられる。
「天錆が大量発生するのは運次第だが、時間稼ぎなら引き受けるぜ」
「うん、もし昨日の赤い天錆が相手でも、今度は負けないよ、絶対」
伊崎も、晴さんも、あっさり承諾してくれた。
二人とも……
初夏の暑さとは違う、じんわりとした温かみが胸に広がる。
「クモリ」
麗夏は言う。
「これが、麗夏がクモリにもらったものだ。それを、どうしても返してあげたかった」
麗夏は、俺の温かい心から生まれたと言っていた。
なるほど、確かにこれは、味わったら忘れられないな。
「クモリは友という、苦しさをさえぎってくれる新しい傘を手に入れたのだ」
気取ったことを言ってくれるじゃないか、麗夏め。
でも、ありがとな。こうなったのは、全部お前のおかげだ。
礼を言おうとしたところで、学校のチャイムが俺たちの耳に届いた。
「しまった! ホームルームの時間だ!」
あわてて走りだす伊崎。俺と晴さんも、あとに続く。
俺は麗夏に戻れと傘を差し伸べた。
しかたない、という風に麗夏は傘に飛び込むのを見届け、俺は食パンを口にくわえて走る。
「ひこくひこくー!」
「始まるのは裁判じゃなくて授業だよ!」
晴さんがまたもやつっこみを入れる。
パンをくわえたまま「遅刻」と言えるやつはフィクションなのだと思い知った瞬間だった。
今日も一日が始まる。三ヶ月間のそれとは比べ物にならないほど、満たされた一日が。
これから毎日、学生生活を精いっぱい楽しんで素晴らしい日々にしてやる。そして、その楽しさを麗夏に食わせるんだ。
とりあえず今は、それがお礼代わりだ。
またちゃんとした機会に、麗夏にありがとうと伝えよう。
今朝はばたばたしていてテレビの天気予報を見ていなかったが、空模様を見るまでもなく、今日の天気は決まっている。
青春のち笑顔だ。人を襲う化け物なんか降らせない。
これからずっと、この天気を通してみせるさ。
年をとったら青春じゃなくなるだろうって?
それはまた別の話だよ。
そのときは、希望のち笑顔とでもしておこうかな。
何にせよ、自分の人生は、自分の手で晴らすのが一番だ。
傘とうたえば 二石臼杵 @Zeck
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