呪殺
角塚修介は絶望していた。
進退窮まった。二進も三進もいかなかった。
だから、死ぬことにした。
考え直してみれば、人間なんて弱いものだ。死ねる機会は大いにある。
何も考えず、大きな外力にぶつかってみればいいだけだ。
角塚修介がまず向かった場所は国道の車通りの多い場所だった。
法定速度を超えた車がどんどんと行き合うその通りを前に彼は立ちすくんだ。
突然怖くなったのだ。
家族も、友人も失った。誰も彼に手を差し伸べてくれる人はいなかった。それが、悲しかった。ひっそり誰にも気にされず死んでいく。それが突然許せなくなった。
その時、ポケットに入れいていた携帯電話が鳴いた。
ディスプレイに映されたのは見慣れない番号だった。彼の電話番号を知る人など限られている。そして、彼に電話をかけてくる人などもういないのは彼自身がよくわかっていた。間違い電話だ。それでもよかった。思わず現れたそれにすがるように電話をとった。
「俺、今から死ぬんだ」
電話口の相手が何を言ったかなどもう関係がなかった。そのまま、速度を出している車の前に踊りでる。
バン!
確かに、弾き飛ばされた。痛みもあったはずだ。だが、不思議なことに角塚修介は死んでいなかった。
死ねなかった。
そのままの足で向かったのは近場で一番高いビルの屋上だった。
吹き上げる風に一瞬怯んで、辺りを見回す。薄く汚れた白い壁に落書きがされていた。電話番号と、名前。でたらめな番号でも構わないと思った。自ら電話番号を打ち込んだ。
数コール挟まって、電話口には女性が出た。
「俺、今から死ぬんだ」
との一言に戸惑ったように沈黙が挟まって、返って来たのは
「いたずらですか?」
の一言だった。
角塚修介はそのまま高層から飛び降りた。
地面にぶつかったような気もするし、そうでなかった気もする。
ともかく、また死ねなかった。
携帯電話を握りしめて向かったのは自分の家だった。
自殺の定番と言えば、首つりだ。
これなら、きっと確実に。
太いロープを通して、首にかける。
その前に、知らしめなければ。誰にも見つからない可哀そうな死者がいることを。
でたらめな電話番号につながった先は、男性の声だった。見慣れない電話番号からの着信に、猜疑心がありありと浮かんだ「ハイ、****です」という低い声が返ってきた。
「俺、今から死ぬんだ」
同時に椅子から飛び降りる。ごき、と何かが折れる音がした。
気が付けば、ぶら下がるロープを対面になって眺めていた。
また死ねなかった。
それならば、眠るように死ぬのがいいだろうか。
睡眠薬を腹が膨れるほどに飲み込んだ。
苦しい腹を撫でて、今度こそでたらめに番号を打ち込む。
つながった相手は、訝し気な声だった。
「俺、今から死ぬんだ」
と告げて目を閉じる。だが、その時はなかなかやってこなかった。
薬が効くまでは時間がかかるということを考慮しなかったのがいけなかった。
しかし、電話口の相手が慌てたように「理由を教えてください」と尋ねてきた。
死ぬまでの間を繋いでくれるらしい、と角塚修介は目を開けた。
そして、あたりさわりのない身の上話をした。ただ、疲れたのだとも話した。
電話の相手は何も言わずそれを聞いていてくれた。
身の上話もひと段落しても、角塚修介の終わりはやってこなかった。そこまで長くもない反省だったので、それのせいもあるかもしれなかった。
死ぬには穏やかすぎる呼吸をしながら、角塚修介は相手に尋ねた。
「あんた、名前は?」
息を呑むような逡巡があって、相手は「*****」と名乗った。
しばらくして、穏やかに眠るように電話が切れたが、数時間後に角塚修介は目覚めた。
また死ねなかった。
次に試したのは服毒だった。下水清掃用の洗剤を飲んだ。
口に含んだ瞬間に口の中に耐えがたい苦みが広がって、ごくりと飲み込んでしまう。すると、喉から胃に通って焼けるような痛みが走った。痛みのせいで細い呼吸をするが、空気が触れるのもつらかった。
こみあげる色々な者抑え込んで、またでたらめな電話番号を打ち込む。
「俺、今から死ぬんだ」
そんな風に告げれば、「いたずら電話ですか?」と至極まともな返事が帰って来た。
返事を変えそうにも、もう喉が痛くて呼吸をするのが精いっぱいだった。
自分のことも伝えきれず、悪戯ではないと否定もできず。ぜぃぜぃと肩で息をして、つばを飲み込む。激しくせき込んでようやく出せたのは、
「名前は?」
という一言だった。
数瞬の呼吸が挟まって「****」とため息交じりに名前が帰ってくる。
何とかその名前だけを覚えて、こと切れた。
はずだった。
また死ねなかった。いつもの間にか痛みも、苦しみもなくなって部屋の真ん中に寝そべっていた。
手首を切った。これなら何とかなるのかと思った。
切り口を水に浸けて、ぐったりと諦めたようにしていた。
利き手と反対の手で携帯電話をいじってでたらめな電話番号にたどり着く。
数コールもしないうちに「はーい、**」と返事があった。
若い女性の声だった。
思わぬ声にうっと怯む。
しかし、もう遅い。
「俺、今から死ぬんだ」
慣れたようにそう告げれば、電話の相手は息を呑んで「冗談やめてよ」と笑うようにして電話を切ってしまった。
長い時間たっても、角塚修介が死ぬことはなかった。
失敗するたび、死ねなかったたびに、修介の何かが削れて剥がれていくような気がした。それは、良心や、倫理、後悔。最後に残ったのはただ、憎らしいという気持ちだけだった。
そうして呪いは成就した。
死ねない自死を角塚修介は選んだ。
棺桶に収まった今も、死ねない夜を続けている。
これらはそれの一端だ。
自殺の夜は開けとくね 八重土竜 @yaemogura
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