自傷

びりり、と破けたような痛みが腕から這い上がって全身に伝わった。

 冷汗が背を濡らしている。

 痛みを押し込めるように目を開けば、黒く沈んだ静かな部屋の底に己の身があった。

 詰め込んだように静かな部屋に、修介の痛みに呻く声だけが聞こえる。

 痛みを逃がそうと、ひゅうひゅうとかすれた息を何とか吐き出すが、神経を辿って駆けずり回るそれが収まる気配は見えない。

 意識を他にそらそうと目玉だけを動かして部屋の中を探るが、暗闇の中に時計の文字盤がぼんやりと浮かんでいるだけで変化は何も起こらなかった。

 文字盤は四時を僅かに回っている。陽の長い季節ならもう辺りは薄明るくなっている時間だが、カーテンの外は飲み込まれたように暗いままだ。

 腕から端を発して全身を苛む痛みに、脂汗がm滲む。痛みで死ぬことはまずないだろうということは分かっていたが、コレが死ぬような怪我であったなら。

 この暗く沈んだ部屋にいる角塚修介を見つけてくれる人はいるのだろうか。

 あるいは、昨日の電話の彼も、一昨日の電話のあの人も。調べてもそれらしい事故も事件も見つからない。あるいは、まだ見つかっていないのかもしれなかった。それがいい事とは決して思えない。

 そうして、今日の電話の相手もまた見つからなかったら。

 あたりを見回せば、枕元にはいつも通り携帯電話が転がされている。

 今日の電話もきっと来るはずだ。見慣れぬ番号から来るはずだ。

 痛みには次第に慣れてくる。変に逃げたりして動かさない限りは、強く感じないということに気が付いたのはそれからしばらくしてからだった。

 振動が他へ広がらないようにとふぅ、ふぅ、と細く短く呼吸を繰り返す。

 修介が痛みとうまく付き合い始めたその時だった。

 着信音が部屋に響いた。

 予想通り、見慣れぬ番号がディスプレイに表示される。

 電話をとろうと、腕を伸ばすと全身を痛みが襲う。それでも、何とか腕を伸ばして電話口に出た。


「今から死にます!」


 まるで死ななさそうな元気な声だった。

 若い女性、まだ子供だろうか。

 短い呼吸は、興奮しているせいにも思えた。


「待て、落ち着け……!」

「落ち着けるわけないですよ。今から死ぬんですよ?」


 声の後ろでパシャンと水の跳ねる音がした。


「角塚修介、あなたのせいです」


 この相手も一方的に修介を知っているらしい。


「あなたが悪い」


 興奮をにじませたままなじるその声は、絶望というよりも怒りの方が強い。今までの悲観的な物とは違うことに気が付いて、今度こそ、と修介は気色ばんだ。


「あなただって、止められたのに。」


 謂れのない非難を静かに受け止める。


「これから楽しいことが私にはいっぱいあったんですよ? 彼氏だってほしかったし、卒業旅行でイタリアに行く予定だった。」


 暢気な計画が語られて、相手がしゃくり上げたのを聞いた。


「あんな電話、とらなきゃよかった。そうしたら、こんなことにはならなかったのに」


 またパシャパシャ、と水の音がする。


「死ぬんなら、一人で死ねばよかったんです。どうして宣誓する必要があったんですか? どうせ人間、みんな死ぬのに」


 深いため息が挟まる。子供が付くには疲れ切った、全部を吐き出すような音だった。


「あなたはどうせ死にたくなかったんですよ。私たちと同じです。助けてほしいといえば、きっと誰かが助けました」

「ど、どういう意味だ?」

「死んだのに気が付いてないんでしょう。それとも、繰り返しすぎて死に慣れてしまいましたか? でも、もう誰も助けられません」


 少女の声が深く耳朶を打つ。決定的な言葉だった。


「あなたは死んだんですから」


 ようやく思い出した。これらの電話は折り返しだ。


「角塚修介あなたに返します。あなたが私にかけた呪いを」


 彼女の呼吸が止まるのを聞く前に、角塚修介は電話を切った。

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