服毒

 ぱっと目が覚めたのは、口内に顔をしかめるような苦みが広がったからだ。

 押さえつけられたように動かない体を持て余して、辺りをきょろきょろと伺う。

 室内は今日も水に沈めたように静かだった。

 口の中の苦みは消えない。広がる不快感に生唾を飲むが、逆効果のようにも感じた。

 もつれる舌を何とか動かして、口の中を探る。 

 舌で歯列をなぞって、口内には何もないのを確認した。すでにのみ込んでしまったのかもしれない。

 口内から広がった苦みが喉の奥では痛みに変わった。

 こみあげる痛みに咳き込もうとするが、固まった体がそれを許さない。苦しさに生理的な涙が零れて枕を濡らした。

 辛うじて吐き出される細い息がひゅうひゅうと室内に響いている。酸素を求めるのにつられて鼓動が走り回るように早くなった。

 呼吸が苦しくなるにつれ、視界が黒く鈍っていく。なぜこんなことになったのか。ともかくは、まだ起きていなければ。あの死を告げる電話をとらなければならないのに。

 苦しさにさいなまれて時間が長く感じる。修介はそのまま意識を手放した。


 携帯電話の電子音で意識は再び浮上した。

 暗闇の中、四角く切り取られた明かりの中には知らない番号が表示されている。

 無理に揺り起こされた体は痺れるように動きが鈍かったが、思考は冴え冴えとしていた。

 この理由を知らねば、死んでも死に切れない。なぜかそう思った。

 酸素の足りない体を何とか動かして電話をとる。


「今から死ぬんです」


 僅かに震える、若い男性の声だった。


「僕は、どうしたらいいと思いますか?」


 噛みしめるように一言一言口にしている。


「僕はどうしたらよかったと思いますか?」


 スピーカー越しの問いに修介は答えられないままでいた。暴れる胸を何とか抑え、声に耳をそばだてる。心臓の音が邪魔だった。


「止められなかった僕のことを恨んでいるんでしょう……」


 一言一句逃さぬようにと。どこに解決の糸口があるのかもわからない。

 電話口の相手は修介が何も返さないのもお構いなしに続ける。


「でも、あの時どうすればよかったんですか? 知らない電話番号からの着信をたまたまとっただけなんですよ? 名前だけ名乗られて、それを助けろなんて無理でしょう」


 声はだんだんすすり泣くようになっていった。

 短い呼吸を繰り返して、しゃくりあげるさまは子供を相手にしているようにも思えてしまう。

 可哀そうだと同情的にもなった。

 泣くほど嫌なら、自殺など選ばなければよいのにと思えるほどに、修介の呼吸は落ち着き始めていた。


「僕が悪かったわけじゃない。死にたくなんかなかった。死にたいなら一人で死ねばよかったのに……知らしめるような、あんなこと」

「あ、あんた、名前は……?」


 ようよう呼吸を落ち着けて、訊けたのは真相にも程遠いようなことだった。

 電話越しに、ひゅっと短く息を吸ったのを聞いた。


「なんでまた、そんなことを聞くんですか! 私は今から死ぬんです! 死んでも呪われるなんて!」


 感情的な声が、せき込む音に交じって聞こえる。気圧されて修介は口ごもる。


「返してやる。角塚修介。お前が僕に渡したもの」


 電話越しに聞こえるのははがしくせき込む音だった。それがだんだんとか細く、苦し気になって、そう時間も経たぬうちに消えていった。

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