最終話 努力は続く
テストの結果は散々だった。
今までで一番悪い。
その成績の悪化が、前日の睡眠のせいなのか、度重なる無茶のツケが来たのかは、定かではない。
一つ言えることは、肩の力を抜いて受けたテストは、結構楽しかったということだ。俺は結局、それなりに勉強が好きらしい。
成績が返却された放課後、待ちきれないと言った風に、彩華が教室まで走ってきた。
「けーちゃん! ここで会ったが百年目! いざ尋常に勝負!」
彩華が中国の拳法のような決めポーズをして、妙なテンションで勝負を挑んでくる。
「よし、勝負だ!」
俺は彩華へ成績の書かれた紙を見せる。
彩華も俺に自分のそれを見せてきた。
見ると、全教科で俺は彩華に敗北していた。いっそ清々しい気分になって、俺の顔は勝手に笑みを浮かべる。
彩華はそんな俺を、ぽけーっとした、学年一位の秀才とは思えないアホ面で見ていた。
「全然悔しがらないじゃん。どうしたの?」
「もう、止めたんだ。勉強だけに囚われるのは」
俺の言葉を聞いて、彩華は目を伏せる。
「……それって、もう私と勝負するのやめるってこと?」
その声は、酷く震えていた。彩華の瞳が揺れる。
「いや。俺は頑張るのも、彩華と勝負するのも、止めるつもりは無い。ただ、勝負することを変えたいんだ」
これは、周防と眠ったあの日から、ずっと考えていることだった。
俺はずっと、彩華と勝負をし続けてきた。彩華に勝ちたいと思っていた。
じゃあ、俺はどうして、彩華に勝ちたかったのだろう。俺は彩華の、何が羨ましかったのだろう。ずっと、俺は自分が何でもできる彼女の才能に嫉妬しているんだと思っていた。
でも、多分、それは違ったのだ。
本当に俺が羨んでいたことは、別にあった。
「勉強以外? 運動とか?」
周防は今までやった勝負を思い返しているようだったが、俺がこれから提案する勝負は、今までにやったことが無いし、そもそもきちんとした勝敗があるかすら怪しいものだ。
だから、果たして彩華が受け入れてくれるかは、分からない。
「どっちが楽しい人生を送るかで勝負だ! 学校を卒業して、成績みたいなものさしが無くなっても、俺とお前は、一生勝負を続ける……ってのは、どうだ?」
これが俺の結論だった。
俺が羨んでいたのは、彩華が俺よりずっと勉強ができることでも、運動ができることでも、人気者なことでもない。
彼女がいつも楽しそうなことが、羨ましかったのだ。ありのままの自分で、毎日愉快に生きている彩華の姿に、強烈に憧れたのだ。
だから、それで勝負する。
この勝負には、決着が無いから、終わりもない。点数がないから、正解は自分にしか分からない。でも、だから良いのだ。だからこそ、この勝負は頑張りがいがある。勝っても負けても、努力の先に何かがあるという確信が持てる。
「一生って……」
彩華は少し戸惑ったようだった。
それも無理はない。急にこんなことを言われたら、俺だってどう反応したら良いか分からないだろう。
そう思っていたのだが。
「良いね。私、絶対負けないから!」
彩華は直ぐに笑顔を見せ、意外なほどにあっけなく勝負を受けた。
「提案しといて何だけど、良いのか?」
「良いの! 私、けーちゃんと何かを頑張るの、大好きだもん! その勝負なら、勝っても負けても楽しそうだし!」
彩華は胸を張って答えた。
何か感謝の言葉を探すが、感情がどっと溢れてきて、うまく言葉に出来ない。
「なになに、プロポーズ?」
すると、突然譲葉がやってきた。彩華と話すのに緊張して周りを全く見ていなかったが、教室は殆どの人が帰っている。譲葉は習慣となっている宿題の提出チェックをしながら俺達の話を断片的に耳に入れているようだった。
「一生俺のそばに居てくれみたいなこと言われた」
彩華がわざとらしく頬に手を当てる。
「勝負な、勝負!」
「圭くんも大胆だねぇ」
「話を聞け」
じろりと睨んでやると、譲葉はけらけら笑い出す。つられたのか彩華も笑ったので、思わず俺も口角を上げてしまった。
「何か圭くん、前より楽しそうだね。良いと思うよ」
そんな俺の表情を、いつの間に用意したのか、譲葉はカメラで撮影していた。
「後で焼き増ししてくれませんか!」
彩華が譲葉に何か頼んでいる。この二人、そんなに話しているのを見たことはなかったが、結構馬が合うのだろうか。まぁ、彩華も譲葉もコミュニケーション能力が高いタイプの人間だからなぁ。
「彩華! 部活行こう」
そんな事を考えていると、教室の入口の辺りから声がした。確かバスケ部の……南さんだったか。
「はーい! じゃ、けーちゃんと譲葉さん、またね!」
彩華は駆け足で南さんのところへ向かった。
「それじゃあ、私も行こうかな」
譲葉がカメラを鞄にしまって、持ち上げる。
「おう、それじゃあ」
俺が小さく手を振ると、譲葉も「じゃあね」と手を振り返す。
そうして譲葉は教室を出ていこうと歩き始めたのだが、途中思い出したように立ち止まった。
「周防さんによろしく」
振り返って、にやり。譲葉はいかにも楽しげだ。
自分の顔が微かに赤くなるのを感じる。
「さっさと行け」
そのせいか、言葉も不自然にぶっきらぼうになってしまう。
「はーい」
譲葉は楽しそうに去っていった。
「……俺も行くか」
誰も居なくなった教室を出て、空き教室へ向かう。きっと周防はもう居るだろう。もしかしたら、寝ているかもしれなかった。
周防の事を考えたら、譲葉のさっきのにやけ顔が浮かんだ。多分、俺と周防が昼休みに話しているのを見たりして、俺達の雰囲気が少し変わっているのを感じ取ったのだろう。
周防と同じベッドで眠ったあの日の出来事について、俺達の間で改めて話すことはなかった。単純に互いに恥ずかしいから、話したくないのだ。
でも、あの日に変わったことも沢山あり、それは今も続いている。
そういう意味では、あの日は大きな意味を持っていた。
「夜船じゃねぇか」
冴島先生は、廊下で缶コーヒーを飲んでいた。
「休憩中ですか」
「あぁ。丁度良かった。夜船、一言言わせてくれ」
先生は俺の肩に手を置き、潤んだ瞳で俺を見た。
「ありがとうな」
それだけ言って、先生は表情を隠すように去っていった。
あの日から、俺と周防は少しづつ夜に寝ることが出来るようになっていた。だから最近は周防も授業中起きていることがたまにあり、教師や生徒全員を驚かせてる。
特に冴島先生は泣いて喜んでいた。冴島先生と周防兄の関係というバックグラウンドを知っていれば泣くのも納得なのだが、普段適当な先生が急に泣いたということもあり、先生は一般生徒からは、周防贔屓のロリコンという誹りを受けている。
その噂について譲葉は「他の女が近づかないからむしろアリ」というポジティブな見解を示していたが、先生は結構ショックを受けている様子だった。
まぁ、そんなに泣くほどに嬉しかった周防が起きているという事実を、先生は俺のおかげだと思っているようである。確かに俺も一因ではあるだろうが、周防が起きているのは周防の努力によるものだろうから、本人に感謝してほしいものである。
というか、褒めてやってほしい。
「あ、来たんだ」
空き教室の扉を開けると、周防が布団に寝転がっていた。特に寝ようとしている様子はない。
「まぁ、ここで本でも読むかなぁと」
言いながら、鞄を置いてちゃぶ台に座る。
そして、図書室で借りてきた本を取り出した。
「何その本。分厚すぎない?」
「まぁ、重いな」
俺が読もうとしている本は専門書なので、結構な重量があった。見た周防はドン引きである。
「また勉強? あんまり根を詰めすぎないでよ」
「分かってるよ。まぁ、過労とか睡眠とかについて興味が出てな。今までテスト範囲を頭に詰め込むので精一杯だったから、他の事を色々知りたいって思ったんだよ」
「ふーん。やっぱ夜船って真面目だよねぇ」
周防は寝返りを打って、何も無い場所をただただ見る。
何かを考えているのだろうか。
取り敢えず無視して、本を読み始めた。
「ねぇ」
本を読み進めてしばらく、周防が突然話しかけてきた。
「何だ?」
「それ図書室で借りてきたんでしょ?」
「そうだけど」
「図書室で読めばいいじゃん。なんでわざわざここに来たの?」
聞かれて、俺は本から目を離した。周防は眠たげな瞳で、俺をしっかり捉えている。
「……何となくだよ」
本当の理由は、言わなかった。多分周防は分かっていて言っているだろうし、口に出すのは癪である。
「ふーん」
周防は布団から起き上がり、俺の正面でちゃぶ台を支えに前のめりになった。
ふわりと甘い香りがして、周防家での出来事がフラッシュバックする。
「なんだよ」
「……別にぃ」
満面の笑みを浮かべる周防の目の前で、俺はどんな表情をしているのだろう。
少し胸が苦しく、でも落ち着く。そんな不思議な時間の流れが、そこにはあった。
終わり
クラスメイトと空き教室で寝ることになったんだが かどの かゆた @kudamonogayu01
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