目標はスタートライン

坂井さかい千鶴ちづるside】



 準決勝レースはとてもドキドキしていた。


 緊張すると聞かれたら、しないって言われたら嘘になる。


「ヤバい……緊張してきたぁぁぁ」

「大丈夫? 千鶴ちゃん」


 同室の清水梨子りこさんが気にしてくれている。


 わたしがパラ陸上に転向したきっかけだったのが、梨子さんで前回のパラリンピックで400mのメダリストでもある彼女はとてもかっこよかった。


 今回は先輩として選手村のこととかを教えてくれた。


 実は選手村で起きたときから、いままでずっと緊張していた。


「梨子さん、緊張しますか? 準決勝レースって」


 わたしは頼りになる梨子さんに不安なことを聞いてもらった。


「緊張するけど、とても楽しみでもあるよ」


 そのまま選手村を出ると、コーチの古原先生が来ていた。


「千鶴……緊張してるね」


 緊張しているわたしのことを気にしてくれていた。


「あれ。メッセージ、来てる」


 気分転換にスマホを見るとLINEがやって来ていたことに気づいた。


 そのメッセージは同級生の二宮桜ちゃんからだった。

 彼女は二年前の冬季オリンピックにフィギュアスケートで出場したんだ。


 ジュニア、その下のノービスというカテゴリーにいたときから、ずっと活躍しているスケーターだ。


 お互いに世界を相手にしているアスリートで、ずっと中学時代からのつきあいでもあるんだ。


『――目標を常に先に見据えて、目標達成したら終わりじゃなくて、新しい目標のスタートラインにしてね』


 その言葉を見ると、深呼吸をした。


 メッセージを見てからは、結構心にハマった。

 いよいよレースが近づいてきていた。


 たぶん期待と応援がプレッシャーになりかけていた。


 緊張で手足が震えていたのに、不思議と収まっていく。


 わたしな小さな声を話す。


「目標はスタートライン……か。そっか、そうだね」


 桜にメッセージを返す。


『ありがとう。今度は応援するね!』と送ると、ファイト!と書かれたスタンプが送られてきた。


 なんだか、緊張がなくなっていくのを感じていた。






 会場にたどり着くと、いよいよ準決勝レースが始まるようなドキドキ感が伝わってくる。


 観客席はほとんど埋まって、日の丸を振っている人が多くいる。

 自国開催のパラリンピックは一回きりだと思っている。


 わたしはスタートラインに立ち、左腕の半分を覆う義手をさする。


 中学時代に交通事故で左腕の前腕部分を失ってしまい、直後は絶望的な感じだった。

 もう陸上では走れないって気持ちでいっぱいだった。


 そのときに導いてくれたのは古原先生だった。


 中高の陸上部のみんなも、わたしが出場する大会にはしょっちゅう応援しに来てくれた。


 特に深山ね! アイツ、来すぎ。

 思わず微笑むと、自然体で走っていくことを決めた。



 でもここまで来れるなんて思わなかった。



 スタートブロックを歩幅で調整してから、ブロックに足をかける。


「――On your mark……set.」


 国立競技場に何度も聞いたアナウンスが響き、静寂に包まれた。


 そしてしばらくして号砲が鳴り、八人の選手が一斉に走りだした。


 歓声に包まれるようにスピードを加速させていく。


 たった十数秒で決まる勝負の結果は――。















 わたしは先生とうずくまっていた。

 涙がどんどん溢れてきて止まらない。


 今回のタイムは自己ベストだった。


 とても嬉しかったけど、電光掲示板を見てショックを受けた。


 レース全体では九位……〇・一秒差で準決勝敗退だった。


 あとちょっとで決勝レースに進出することができたのに……と、悔しくて涙が止まらない。


 初めてのパラリンピックがここで終わってしまったことに対しても、とても寂しくて終わりたくなかった。


 タオルに顔を埋めて、泣きじゃくっていた。呼吸も荒くなってきている。


 古原先生が背中を擦って、ずっと近くにいてくれる。


「終わりたく……なかったよ~」

「うん。でも、よかったよ、千鶴。これから、もう次のパリを目指そう」


 優しく話してくれる先生の話で涙を拭いて、しだいに呼吸も涙も落ち着いてきた。


 目標はここで終わることはないってのはわかってるけど、あとちょっとで決勝進出することができなかったのが悔しかった。


 事故の前の夢はオリンピックで100mの選手になりたいって思っていた。


 そのためにずっと練習をしていたんだ。


 目標へ向かって走っていったけど、突然事故で左腕を失ってドン底に落ちた。


 そこから手をさしのべてくれた先生や家族、友だちに感謝したい。


 また四年後、大舞台へ行きたいと思っているのは間違いじゃない。


「古原先生。パリでは必ず、決勝進出する」

「うん」


 パラリンピックは終わってしまったけど、ここでわたしは次の目標を決めた。


 絶対に準決勝レースまでやって来て、決勝レースに進出すること。


 わたしはライトアップされている国立競技場を見つめる。


「よし! 次の目標へ出発だ!!」

「千鶴。そうだね」


 達成した目標は新しい目標へのスタートライン、もう国立競技場を出たときには達成した目標から走り出していた。

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目標はスタートライン 須川  庚 @akatuki12

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