第35話
駅で雪宮としばらく会話していると、追浜がやって来た。今回は遅刻していない。学校にいつも通り向かうのであるが、その道中で俺はふと疑問を抱き、追浜に聞いた。
「なあ、お前の家って駅の近くだよな。だったら、駅で待ち合わせなんてしないで、道中のどっか適当な場所で落ち合った方がいいんじゃないか」
自分で言うのもおかしいが、至極自然な疑問である。追浜が駅に来てから学校に行くのと、直接学校に行くのではたいして差がないと言えばそうなのだが、いずれにせよ彼女が“わざわざ”駅に来ていることに変わりはない。それに駅で毎回落ち合おうと言い出したのは追浜自身なのだ。
「いやぁ、それはさ、ちょっとでも長くいたいなぁなんて思ったんだよね。座談部って、なんか楽しいって言うか、何やってもいいって感じがしててさ」
「どう言うことだよ、それ」
「なんかさ、セールススマイルをしなくていいみたいな。昔、お父さんが言ってたと思うんだけど、営業は人間関係なんだって。でね、学校生活で思ったのは人間関係っていう営業、人間関係っていう名前の取引なんだってこと。私は、嘘ついてまで取引を成功させたいとは思わないの。だから、二人の関係に惹かれていったし、二人には自分に嘘つかないで私が私のままでいられると思ったの」
「そうか」
「ちょっと恥ずかしい...かな」
追浜は照れ臭そうに髪を撫でる。
「私はそういうストレートなところ、好きよ」
そう、雪宮が言う。そう言う雪宮こそ珍しくストレートだと思ったが、これは追浜に対する彼女の敬愛の念なのだろうか。相手が直球を投げてきたら、黙って直球を投げ返す、そう言ったコミュニケーションなのだろうか。
「おう、そう言うの、俺もす...いいと思うぞ、ああ、いいなじゃないか」
「何それ」
どうも格好がつかない俺を見て追浜はキャッキャと笑う。数秒経ってから、体内から笑いを吐き出し終えると、すっと息を吸い彼女は言った。
「二人ともありがとう」
夏の日差しは往々にして輝いているが、今この瞬間の彼女の笑顔にはかなわないのではなかろうか。
教室に入ると、いつも以上に空気がじとりと湿っているように感じた。屋外の気温も湿度も体感では大して変わらないように感じていても、教室は以上なほど暑く湿度が高く感じる場合が往々にしてあるように感じるが、その原因は一体何なのであろうか。
少なくともこの教室、座談部の使用している教室に関しては窓が小さいのが一因であろう。その上あろうことか、時と場合によっては俺の言うことを聞かず、ぐぎぃと駄々をこねて開こうとしないのだ。
「うわ、これまた今日はひどいね」
追浜はそう言いながら、カバンをいつもの椅子の横に軽く放るようにして置き、そのまま窓を開けた。窓はきゅうと言いながら追浜の言うことを聞いて、開かれた。道具も人を選ぶとは言うが、そう言うことなのだろうか。
「確かにこれはちょっと暑いわね」
「まあ、そうだな」
雪宮と俺はそう言いながら、椅子に腰掛ける。夏休み期間中に集まっているのは言うまでもなく、課題の片付けが当面の目的であるので、椅子に腰をかけたら、ノートを開くなりはしなくてはならないのであろうが、今日ばかりはそれが叶いそうにない。
追浜はノートの背中を持ってファッサファッサと首元から頬のあたりにかけて仰ぎ始めた。どうせ仰ぐなら、ノートの短辺を持って仰いだ方が良いようにも感じるが、どうなのだろうか。
「いやぁ、今日は暑いな」
飯田先生は何かしら口に出しながらでないと、このドアを開けられないのであろうか。小学校で教わった、「手紙では、拝啓から始まり、まずは時候の挨拶を書く」と言ったものに類するような、彼女なりの俺らに対するコミュニケーションの導入部なのだろうか。
「全くっすよ、朝早くからどうされたんですか」
全くだとは言ったものの、俺の身体は暑さによるダメージを大して受けていない。
「早くはないだろ、西村」
「いや、用事がないとここまで顔を出さない先生が、午前中に来るなんて、何かあると思いますよ。昼時ならまだしも...」
「そうか」
俺の受け答えに対し、飯田先生はすっと、目線を雪宮と追浜へと移動させ、目で疑問符を投げた。
「ええ、まあ、そう言う解釈もできるかと」
「そうかもね」
ほう、そうか、そうかと言わんばかりに軽くその状況に対し数回頷くようにしてから、彼女は再び俺らの方を向いた。
「いや、合ってるからいいんだけどな。今日、10時か11時に体育祭実行委員会の会議がある。それに参加してもらう」
「また、なんでですか」
「体育祭で研修旅行先を賭ける、あれが採用となってな。それで、その立案者である君たちには会議に参加してもらうことになった。だから、賭けが成立しなくなるようなことが起こった場合にはそれを正してもらう立場だと思っておいてくれればいい」
なるほど、立案した以上会議には出ていてほしいと言うことなのだろう。
「それにしても、採用が早いですね」
雪宮が言うと、飯田先生は少し困ったそぶりで言った。
「いやぁ、それなんだがな。君たちから報告をもらっただろ」
そう、俺らは“捻り出す段階”を終えた時点で早々に飯田先生に提案の内容を報告していたのだ。ベータ版というのも少々早計な案であったのは確かであったが、教育機関で形はどうであれ、“賭け”を行うとなると何かと問題が発生しかねないということで、先生と俺ら、双方のダメージを少なくすべく、報告をしておいたのだ。俺らの方でほぼ完成した案を持って行ってから、ダメ出しを食らっていては、時間や労力といった面で双方がさらにそれらを割かなくてはならなくなる。それを恐れたのだ。
「私個人はな、結構好きな案でな、それを丁度“新しい体育祭”を持ちかけた人と会う機会があったから、私も固まっていないことは知っていたが、ぽろっと言ってしまってな。そうしたら、学生がその案を出したってこともあってか、ウケてしまったわけだ。上の人間のお墨付きが出れば、君たちがその報告の時言っていた、“賭け”に付随する問題も大丈夫なわけで...要は、その場で即決してしまったわけだ」
こう言った状態を幸か不幸かというのであろうか。その真偽は定かではないが、飯田先生の口からはその一言が今にも漏れそうに感じた。
教室は軽微に歪んだ空間となった。
各員が何かしらを理解し、分析し、集中して脳を使っていたのである。
俺は、会議において起こるとしたらどのような面倒が起こるのだろうかと予測を立てていた。百分の一秒単位で俺の目に映った雪宮は机上の一点を数ミリ単位で眼球を動かしながらじっと見ていた。
ここで、余談ではあるが、眼球と脳というのは我々が意識している以上に連携している。自身の資格で自信の眼球を感知することはできないから、体の各部位と、その動作に関する意識の相対の倍率を考えれば、眼球と視覚の倍率の大きさは上位5位以内に入るのほぼ間違いないのではなかろうか。それらと互角ないし超える組み合わせといえば、内臓や触覚ではなかろうか。何が言いたいかというと、人が真剣に脳を稼働させて何かを考えるときは遠目で見れば一点を凝視しているように見えても、実際には眼球が小刻みに動くのだ。これはボッチによる観察のたまものである。
「自慢じゃないが」というときに自慢したいという欲求がゼロなわけがない、「別にいいんだけど」というときは相手に意識してもらいたいという意図がゼロなわけがない、そういった感覚はそれなりに人間社会の中で過ごしていれば、小学校低学年でも知っているないし会得していることであると言えよう。
だが、
お前が言った「余談ではあるが」は、この状況において本当に余談じゃぁねぇかといったご意見は、この場はどうか収めておいていただきたい所存である。
つまり、雪宮は脳を十分に稼働させて何かを考えていたのだ。彼女は所詮”他人”であるため、彼女が何を勘がているのかなど、知る由もない。あくまでも、俺が彼女の考えている内容が、”会議に対すること”かつ”俺とさして変わらない内容であること”というものを、状況などから予想しただけなのである。いや、予測したなどというのはおこがましいか、単にそう思った、感じた程度の動詞がお似合いだ。いいや、期待したなどというもっと利己的なものなのかもしれない。
しかし、いずれにせよ、彼女の考えていることの片鱗さへも手に取り、観察できないことに、俺はもどかしさを覚えた。
世の中は不条理に溢れている、そう感じることはなかろうか。
このような発言は、人間として20年もこの世に存在していない俺がするのはおこがましく、ある種の滑稽にあたるのかもしれない。また、哲学をかじったことがある者や勘が働く者は、俺に対し、「まさに君の発言こそ不条理さを滲ませている」と指摘するかもしれない。
俺は今、この瞬間に世の不条理を噛み締めているのかもしれない。
不条理、不合理、理不尽、そう言ったものを俺は味わってきた。学校生活で幾度もなく。しかし俺はそれらをなんとかして受け入れてきたつもりだ。そういうと格好が良いが、実際は、まずは煮てみて、ダメなら擦ってみて、さらには焼いてみて、苛立ってきながら、塩酸をかけてみて、最後には王水をぶちまけると言ったような、とても醜いものであろう。
しかし、今、噛み締めているのは、俺の、この空間に意味を見出さんとする欲求と、それに起因する行動は、一向に結果として現れないため、成功や失敗すらも語ることを許されず、結局は空虚を評価しているに過ぎないのではいか、そういったものだ。
彼女は俺とは違う。
春の歪み ーボッチによる青春哲学ー 東 弘 @integral
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