ニンジン泥棒
ある朝レクマガーさんが農園に行くと、ニンジン畑からニンジンがみんな盗まれていました。
「こりゃ大変だ。しかしジャガイモもタマネギも無事なのに、なんでニンジンだけ。ともかく、罠を仕掛けるべきだな」
レクマガーさんが泥棒用の罠を取りに家に戻ると、奥さんが困った顔をしていました。
「あなた、大変よ。台所のニンジンがみんな盗まれてしまったわ。ジャガイモもタマネギも無事だけど、なぜかニンジンだけ。今夜のシチューに使うニンジンは買うしかないわね」
奥さんは買い物に出掛けました。ところが、どこへ行ってもニンジンはありません。なんと、町中のすべての店、すべての畑、すべての台所からニンジンが盗まれていたのです。
「いったいどうしたことだろうね」
奥さんは、ジャガイモとタマネギだけのシチューを夕食に出しました。
喜んだのは末娘のミーシャです。まだ小さい彼女はニンジンが大嫌いだったのです。
「これならずーっとニンジンを食べなくてすむわ。泥棒さんありがとう」
ミーシャはその晩、幸せな気分で眠りにつきました。
ところが次の日、レクマガーさんの奥さんがニンジンを一袋買ってきたのです。
「隣町からはるばる売りに来たんだとさ」
ミーシャはがっかりしましたが、あきらめてニンジン入りのシチューを食べました。
そして、みんなが寝静まった真夜中のこと。ミーシャはそっとベッドから抜け出しました。ニンジンをこっそり捨ててしまおうというのです。今なら、ニンジン泥棒のせいにできますからね。
ところが、ミーシャが台所に入ろうとすると、中からガサゴソと音が聞こえてくるではありませんか。本物です。本物のニンジン泥棒がやってきたに違いありません。ミーシャは怖くなって扉の陰に隠れました。
そうっと台所を覗くと、一匹の野うさぎがニンジンを麻袋に入れているところでした。ミーシャが目を丸くしている間に麻袋はニンジンでいっぱいになり、野うさぎはそれを担いでさっさと窓から出ていきました。
ミーシャは慌てて追いかけました。あの野うさぎがニンジンをどうするのか知りたくなったのです。もちろん野うさぎはニンジンを好んで食べますが、だからと言って町中のニンジンをすべて盗み尽くせば、食べきる前に腐ってしまうでしょう。
ぴょんぴょん走る野うさぎを、満月が煌々と照らします。その速いこと速いこと。ミーシャも必死に追いかけますが、とうとう、町外れの林の中で見失ってしまいました。
ミーシャはがっかりしましたが、野うさぎが走っていった方へ向かって歩き続けました。木立が途切れ、丘が見えてきます。なにやらざわざわとしていて、いつもと雰囲気が違います。
木の陰から丘を覗き、ミーシャはあんぐりと口を開けました。丘にはたくさんの野うさぎがぞろぞろと、一列に並んでいたのです。野うさぎ達はみんな麻袋や紙袋を抱えていて、そこからニンジンの先っぽがいくつも付き出しています。
そして丘のてっぺんには、大きな大きな、二階建ての家ほどの高さもあるニンジンが、細い先っぽを上にして真っ直ぐに立っていたのです。
野うさぎ達は、どうやらそのニンジンに向かって並んでいるようでした。見ていると、巨大ニンジンの下側に四角い穴が空いていて、先頭の野うさぎがそこに自分の抱えたニンジンをどさりと入れます。全部入れ終わると、ぴょんと跳ねて、巨大ニンジンの真ん中に空いた丸い穴へ入っていくのです。一匹が入れば、次の一匹がまた同じように入っていきます。
じっと見ているうちに、ミーシャは先ほどから聞こえているざわざわとした音が、野うさぎ達の声だと気付きました。
積め積めニンジン ぴょんぴょこぴょん
積め積めニンジン ぴょんぴょこぴょん
野うさぎ達は口々にそう歌いながら、ぞろぞろ巨大ニンジンへ入っていくのです。
ミーシャがポカンと口を開けて見ていると、後ろからガサゴソとなにやら音がしました。ガサゴソ、タンタン、ガサゴソ、タンタン。草の擦れるような音と地面を叩くような音がどんどん近付いてきたかと思うと、茂みからぴょこんと一匹の野うさぎが飛び出してきました。紙袋を抱えた真っ白な野うさぎです。
「大変大変、遅れちゃう」
「ま、待って!」
横をすり抜けようとした野うさぎを、ミーシャはとっさに捕まえました。
「わあっ!」
野うさぎは悲鳴をあげて紙袋を放りました。紙袋からニンジンが飛び出て散らばります。十本はあるでしょうか。
「やめて食べないで! シチューにしないで!」
そう喚いて暴れる野うさぎを抱きしめ、ミーシャは慌ててささやきました。
「食べないから、大丈夫だから。ちょっと訊きたいことがあるだけなの」
「……なんです?」
野うさぎは暴れるのを止め、ミーシャを怖々見つめながら聞き返してきます。
「あの大きなニンジンはなんなの? 野うさぎたちは何をしてるの?」
「見てわかりませんか? ロケットですよ。ニンジンロケットに燃料のニンジンを積んでるんです」
野うさぎが当然のように答えるので、ミーシャは聞き間違えたかと思いました。
「ロケットって、空のずっと上まで飛べるっていう、あのロケット?」
「そうです」
「そんなの、ニンジンで造れるわけないじゃない!」
「これだから無知な人間は困ります」
野うさぎは心底馬鹿にしたように笑いました。
「ニンジンはすごいんですよ。毎日ニンジンを食べていれば賢くなれます。そんな野うさぎが集まれば、ニンジンでロケットを造るなんて朝飯前ですね」
「……本当に?」
「本当ですとも。我々野うさぎは、赤ん坊でも微分方程式が解けるんですよ」
野うさぎが胸を張り、ミーシャは感心しました。微分方程式とは数学の難しい問題だと聞いたことがあります。三軒隣に住むとても頭の良いお兄さんが、遠くの大きな町の学校でそれを勉強してるのだという噂です。
ニンジンがそれほどすごいものだとしたら、ロケットも造れるかもしれません。でも、野うさぎたちはなぜそんなことをするのでしょう。
「ロケットなんて造ってどうするの?」
ミーシャが訊くと、野うさぎは空を見上げました。
「月へ行くんです。みんなで」
ミーシャも空を見上げました。どこまでも広がる真っ暗闇の中心に、真ん丸なお月様が輝いています。
今夜は満月でした。
「……どうして?」
ぽつりと溢すようにささやくと、野うさぎは静かに答えます。
「人間が増えて、暮らしにくくなったからです」
どうっと夜風が吹いて、草木がざわざわと揺れました。急に肌寒くなったミーシャは、腕の中のふわふわなぬくもりをぎゅっと抱きしめます。
「もちろん、人間と争って僕たちの居場所を取り戻そうって言う野うさぎもいましたがね。でもほとんどの野うさぎは喧嘩が嫌いなんです。だから、もっと広い場所でのびのび暮らすことにしました。……さて」
野うさぎはするりとミーシャの腕から抜け出し、てきぱきとニンジンを拾い集めました。
「もう行かなくては。乗り遅れちゃう」
そうして、今度は止める間もなく駆けていきました。
丘の上には、もう数匹の野うさぎが残るばかりでした。真っ白な野うさぎがその最後尾に加わり、すぐにニンジンロケットへ乗り込んでいきます。
あれほどたくさんいた野うさぎたちが皆いなくなって、丘の上にはただ、大きなニンジンロケットが月の光を浴びてそびえ立つのみです。
どこからともなく野うさぎ達の歌が響いてきました。
飛べ飛べロケット ぴょんぴょこぴょん
ニンジンパワーだ ぴょんぴょこぴょん
歌が響く中、ニンジンロケットは音もなく浮き上がりました。ゆっくりと、押し上げられるように。そして次の瞬間、稲妻のような速さで飛んでいったのです。橙色の矢に似た姿が満月の的を目指して飛ぶのを、ミーシャは黙って眺めました。真っ暗な空の中、それは不思議と良く見えました。
翌朝からはニンジン泥棒が現れることもなくなり、町の人々はホッとしました。同時に野うさぎを見ることもなくなりましたが、気にする人はほとんどいませんでした。
そしてミーシャは、ニンジンをたくさん食べるようになったということです。
眠れぬ夜のおとぎ話 士鶴香慈 @shizuRukouji
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