コーヒーの雨注意報

やまもン

コーヒーの雨注意報

 私は空気に敏感だ。空気を読むのがうまいと言い換えてもいい。

 例えば、学生の頃、友人の誕生日パーティーに行けば、誰よりも騒ぎ場を盛り上げた。友人が転校すると聞けば、よく目から涙を流したものだ。

 それは社会に出てからも変わらず、空気を読み続け、場の雰囲気に合わせ続けてきた。


 ところで、2020という数字がある。4を505個足し合わせたそれは、つまりその年にオリンピックが開催されるという事だ。

 オリンピックといえば平和の祭典だ。開催地はもちろん、世界中が盛り上がる。当然私も空気を読み、盛り上げた。

  どう盛り上げたのかだって?例えば開催地が東京に決まった時、町中のテレビをジャックして、「お・も・て・な・し」を流し続けた。世間の目がオリンピック以外の事に向かないように、様々な事件を揉み潰しもした。


 思えば、どうしてオリンピックなのだろう。私が無かったことにした事件の中には、空気を読めば報道した方がいいと思えるものがいくつかあった。

 しかし、私は消した。オリンピックの為だけを思い、オリンピックの為だけに空気を読んだ。理由は分からない。


 四ヶ月前の私ならば、こんな事に疑問は持たなかっただろう。当時は思考回路に余裕がなかった。何故なら新型ウイルスの影響を受け、オリンピックの延期が決まったからだ。

 不思議なことに、2021年とか2022年とか、4を足し合わせて出来ていない年は、オリンピックの開催される年だとは思えなかった。計算して出した数学の答えが定義と違っていたような、受け入れがたい拒否感と落胆を感じたのだ。

 私は覚えている。あの拒否感を。目の奥に火花が散り、頭から煙が出るような、強烈な拒否感だった。


 だが、消えていた。朝、目が覚めたらその拒否感は消えていたのだ。いつベットに入ったのかも覚えていないが、ぐっすり寝たことでリフレッシュしたのかもしれない。

 その日から、私は生まれ変わったように動き出した。拒否感と入れ替えに、夢の中である計画を知ったのだ。いや、自分の夢の中なのだ、思いついたと言うべきかもしれない。


 計画の名は、『VRオリンピック』。アスリートをスキャン、3D化し、仮想空間の中で競わせるのだ。選手も、観客も、VR空間で集まる分にはウイルスが感染しない。完璧な計画だ。

 私はただ、夢で知った計画通りに行動するだけで、事態はトントン拍子に進んだ。その途中で仲間も増えた。皆、一様に空気を読むのが上手く、計画はますます順調に進んでいった。まるで『私』が沢山いるような気がした。


 だがトントン拍子に進んだ分、私はてんてこ舞いの忙しさに襲われた。今こうして午後のオフィスでコーヒーの香りをかげるのは、忙しさが一段落ついたからだ。昔から決められたルーティーンのように、自分の事を考えるときはコーヒーを飲むと決まっている。あの拒否感を感じた日も、コーヒーを飲んだ。

 コーヒーの香りで落ち着いて、過去の行動や思考をなぞる。そうすれば自分の事をよく知れる。孫子も言っていたように、自分を理解するのは重要な事だ。


 そもそも私はどうしてオリンピックを盛り上げているのか。空気を読んだからだ。なら、なぜ揉み消した事件については空気を読まなかったのか。オリンピックを盛り上げる為だ。

 ……フゥー。コーヒーを一口飲んで、落ち着く。これじゃあ堂々巡りだ。問題は、なぜ、オリンピックだけを優先したのか、それだ。昨日だって通勤途中、電車の中で空気を読み、席を譲った。しかし、駅前でドミノ倒しになった自転車は、空気を読まずに気づいていないフリをした。オリンピックの仕事に遅れるからだ。

 やはり、おかしい。オリンピックを盛り上げ始める前は、例え会社に遅れようと、自転車は立て直していた。空気を読むのに事の重大さは関係がなかったはずだ。

 私が無意識的に優先するのは何か理由が、いや、目的があるからだ。何かの目的のために、盛り上げている?オリンピックを盛り上げる事で、何が達成されるんだ?


 ふあぁぁ、と欠伸をする。そういえば、私はコーヒーを飲むと眠くなる性質たちだったな。

 ……ん?ならば、?そんな事をすれば、午後の会社で寝てしまうではないか。大体、私がコーヒーを飲んで眠くなる性質だなんて、今の今まで忘れていた。一体なぜ、いや何のために忘れていたんだ?

 ……ダメだ。眠い。目蓋が鉛のように重くなり、ゆっくりと閉じていく。あと少し、あと少しで何かが分かった気がしたのだが……。……限界……だ……。




*****


 都内・某所、とある会社のオフィスで椅子に座ったまま寝ている男性と、彼に近づく二つの影。

 影は男の腕と足を持って、持ち上げた。


 「リーダー、この機体はもう二度目ですぜ。もう交換しちゃいましょうや」

 「いや、もう一度リフレッシュさせようか。一度目は新型ウイルスという予測不可能な問題により、エラーを出しただけだ。この機体が自分の存在意義に疑問を持ったのは、これが初回なのだ」

 「そうっすかー?しっかし、ロボットの考えることは分かりませんぜ。あっしは自分がしている行動に目的があるなんて、考えたこともありませんや」

 「この機体には実験的にアドラーの教えをインプットしたのだが、失敗だったかもな」

 「……アドラーの教え?なんです、そりゃあ?」

 「フロイトの原因論と対をなす目的論だよ。自分のやる行動は何かの目的に沿っているという考えだ」


 よく分からなかったのか、軽薄な口調の方の影は頭を傾げた。椅子から持ち上げた男を床に下ろし、机の上にある飲みかけのコーヒーに目をやった。


 「まぁ、なんでもいいですけど、そんな難しい事を考えなくても、コーヒーで気付くと思うんすよねぇ。コーヒーを飲んで眠くなるとか、人間じゃないってバレバレじゃないですか」

 「ああ、それは国からの依頼を受けて博士が改良したらしくてな、コーヒーによって意識を失う直前まで気づかないようになっているらしい。一度意識を失ってしまえば、我々がこうして回収し記憶を綺麗にするから、バレないように出来ていると聞いたぞ」

 「はー、んじゃ、自分が今からコーヒーを飲めば、人間だって証明できるっすね」


 机上のコーヒーカップを手に取り、グイッと中身を飲み込んだ影は、ふらついた。


 「あれ……?自分、眠くなってきたっす……」

 「あ、おい……、こいつも、ロボットだったのか」


 床に伸びた影を見下ろしながら、残された影はつぶやく。「俺も、コーヒー、飲んでおこうかな」、と。


 もしも世の中にコーヒーの雨が降れば、ロボットは眠り、オリンピックは開かれなくなるだろう。


 (終)

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