第6話:狼ライダー事件:遭遇編②
「…………っハァ!ハァ……ハァ…………」
現実へ帰ってきた。全身が汗でびっしょりと濡れている。これが、死ぬという感覚だろうか、それとも寸前で戻ってこれたのかわからない。とにかく、気分が悪い。荒い息を無理やり肺を空にすることで整えてハンカチで顔の汗を拭う。しかし、すぐさま気持ちが悪くなり、崖の下に胃の内容物をぶち撒けた。
「大丈夫?」
どう見ても大丈夫なようには見えないだろう。と言ったところで、気を悪くさせるだけだ。御経塚さんから受け取ったペットボトルのお茶で喉を洗い流す。こんなことになるなら朝食なんて食べるんじゃなかった。
「ありがとうございます……」
「それで、何が見えたんだい?」
相変わらず大聖寺さんは僕のことなんて気にも掛けていないらしい。しかし、そういう人だということは前回思い知っていたので、腹は立つが流しておくことにした。
「多分、被害者の記憶です……」
僕は皆に今見えたものを説明した。被害者のこと、狼ライダーのこと、そしてそれらの結末を。嫌になるくらいに細部まで鮮明に覚えていた。鮮明に覚えてしまっていた。夜風の冷たさも、嫌になるくらいに美しい紅葉も、吐き出しそうな(実際さっき吐き出したのだが)獣臭も、釘バットで殴りつけられた痛みも。そのすべてを覚えていた。
「それで、失血死か……納得はできないが……」
「納得は行かないけど、怪異にまともな論理が通用するわけ無いでしょ」
確かに、不思議には思うが、大聖寺さんのいうこともよく分かる。そもそも、怪奇現象に理屈を求めるのが間違いなのだ。それはそういうものだ、としか言えないことが起こるからこその『怪奇』現象なのだろう。
「とりあえず、七尾君は覚悟しておいたほうがいいね。なんせ今回は死人が何人も出てるんですから」
そうだ、今回はもうすでに何人もなくなっている。猫女事件でも結果的に死者が出たし、僕も直接その死に様を見せつけられている。しかし、あくまでも猫女の標的は猫だった。今回のように明らかに人間を狙っているものとはわけが違う。なぜならば、僕も標的になりうるからだ。
確かに、猫女事件でも、僕は明確に標的に分類されるだろう。しかし、命の危険に直結しているのとそうでないのとでは比較にならない。そういう手合に向き合うことは、絞首台に立っているのと等しい出来事のように思えた。
胃の奥から酸っぱいものが上がってくるのを無理やりお茶で押し戻して口を拭った。
「それでも、やります」
やらなければならない理由はない、義務もない、しかし、ここで投げ出すわけにはいかないという確信があった。
『恐怖から逃れたくば、その口を閉じよ。龍神様の口封じの儀を執り行え』
かつて、灯台笹さんから聞いた言葉だ。未だそれが何のことかわからないが、こういった怪異を封じることが、それに繋がるアリアドネの糸なのだと僕は信じている。だからこそ、投げ出すわけにはいかないのだ。これは呪いだ。どこの誰かから掛けられたのもわからない呪いだ。
だからこそ、逃れられない。呪いを解くには、まだ材料が足りない。ならば、あれこれ考える前に目の前の問題を一つずつ片付けていくに限る。今日だってそうだ。まだ他人の死を一度垣間見ただけだ。 投げ出すには、早すぎる。
「大聖寺さん」
「なんだい?」
「他の事故現場に連れて行ってもらえますか?」
「だめよ」
僕の提案は即座に却下された。加賀さんだ。ずっと黙っていたのにいきなりキツを開くと、その幽霊のような存在感からひどく心臓に悪い。
「ここからは、私がやるわ」
そう言うと、加賀さんは僕の隣にしゃがみ込んで、血まみれのガードレールに躊躇なく触れた。そういえば、灯台笹さんが言ってたっけ。彼女もまた、僕のような力を持っているのだと。実際にそれを行使しているところを見るのは初めてだ。それよりも、ああいった追体験をしているところを傍目から見るとどう見えるのかも、少し気になっていた。
「あなたの過去視ほどに神経をすり減らせるわけではないけれど、私は、怪異の痕跡を辿ることが出来るの」
そう言って一度閉じられた目が開かれるのは比喩でもなく瞬きする程度だったが、しかし、その一瞬で彼女の目は変わり果てたものになっていた。白目は黒く染まり、瞳は逆に白く、怪しく光っている。どう見ても人間の其れではない。まるでそこだけがネガポジ反転されているかのようだった。
「どうだ?」
「唐突に消えてるわけではなさそうね、実体があるタイプよ」
実体があるタイプということは、ないタイプもあるのだろうか。思い込みの強さで触れることもできそうだが、そういうものなのだろうか。
「この前の猫女みたいなものか?」
「そうともいえないわ」
違うようだ。
「猫女は比較的新しい怪異だったからね、まだ死体が残ってた。だから死体が動いているようなもんだった」
「ゾンビみたいなものでしょうか」
「そう、でも、死体は現実のものだから、いつしか腐るし風化して消える。でも怪異自体が実体として残るのさ」
あくまで怪異の元になったものと、怪異そのものは別物ということなのだろうか。なんだか不気味だ。あの狼ライダーの中にも、腐りかけた死体が入っているのだとしたらと考えると悪寒が止まらない。そんなもの、死者への冒涜のようなものではないか。死んだ跡も、呪いとして動き続け、肉体がすり減り消え去ってもなお、存在し続けなければならないなど、そんなこと、あってはならない。
「ともかく、実体があるタイプは往々にして『住処』に戻るものさ、ほら、加賀君、追いかけるよ」
半分呆然としていた僕は車に押し込められ、シートベルトもままならないまま、車は走り出した。何人もの人間を葬ってきた、狼の住処へ向けて。
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