狼ライダー事件:遭遇編

第5話:狼ライダー事件:遭遇編①

 焼けたステンレスのマフラーのような群青と紅蓮のグラデーションが空を彩る美しい夕暮れだった。目線を前に戻せば、山に広がるのは一日を終える太陽の最も強いその紅蓮を受けて更に紅々と炎のように輝く紅葉の山肌だ。これだけで、来てよかったとも思えるほどに美しい光景だった。興味はないと思っていたが、これほどに感動することが出来るなんて、それこそ思いもしなかった。

「来てよかった……」

 分厚いライダースジャケットやフルフェイスのヘルメットに守られてなお、冷たい外気が容赦なく肌を突き刺す。これは、狼ライダーの記憶ではないことだけはしっかりと分かる。おそらく、被害者の記憶だろう。

「龍明クン、ほんとに大丈夫なんスか?」

 後ろから声がかかる。エンジンの相応ンにかき消されないような大きな声だ。この視点はどうやら龍也の兄、龍明のものであるらしい。振り向こうとしたが、できない。視界は完全に龍明のものから抜け出すことができなかった。かろうじて、バックミラーから後続する二台のバイクが見て取れた。もう二人の被害者、滝尾と久枝だろう。

「なに怯えてるんだよ雄一!狼ライダーなんて都市伝説だって!」

 また後ろから声がする。内容からするとこの声の主が久枝だろうか、なんだかキンキンと甲高い声だ。僕が好むタイプの人種ではない。

「そうだ!ほら、ペース上げるぞ!」

 そういってさらに速度を速める。前傾姿勢を取り、視線はしっかり前を見据えている。僕ではとても耐えられない。すこしのミスで、大怪我をするかもしれない、死ぬかもしれない、しかし、そんなスリルに身を置くことを至上とする人間もやはりいるのだ。彼はそういう人間だったのだろう。速度計には目も向けず、ただ前だけを見据えて飛び去る景色を横目にただ突き進む。

 僕の記憶では、もうそろそろ、大聖寺さん達と合流したあの休憩スペースに差し掛かる頃だ。つまり、もうすぐで狼ライダーが出現するということでもある。

 悲惨な結末だとわかっている出来事を追体験するというのは、とてもつらいことだと聞いたことがある。航空機事故のボイスレコーダーを精査するようなものだ。手出しすることも、忠告することもできない、まさにただ見ているだけ。しかも僕はその当事者の目線にいる。もう泣きそうだった。

「あ?」

 暫く走っていると、彼も、僕も、酷く静かになっていることに気がついた。複数台で走っているはずなのに、自分が跨っているバイクの音しか聞こえてこない。速度を緩めて振り返ってみると、そこには誰も居なくなっていた。路肩に寄せて停車し、ヘルメットを脱ぐ。こもった熱気が夜風にさらわれ、汗が引っ込むようだ。いや、それ以上、なぜか背筋にまで冷たいものが走っていた。

 そして、周囲に漂う異質な臭い。僕は、これに近いものを知っていた。猫屋敷で感じたあの独特の臭い、獣臭だ。彼もその独特の悪寒を感じたのか、慌ててバイクに跨った、その時だった。


「アオーーーーーーーーーーーーーン」


 遠吠え。いや、違う。そうも聞こえるのだが、それはバイクの駆動音に混じっているようだった。背後から迫りくるヘッドライトの明かりに、思いっきりスロットルを回した。ヘルメットを投げ出し、急加速。それでも遠吠えのようなエンジン音が迫ってくる。それに伴って強くなる獣臭と、血の臭い。思わず吐き出しそうになるのをこらえてバイクにしがみつく。

 距離はどれほどだろうか、どんどん近づいてくる。もう十メートルもないだろう。五メートル、三メートル、一メートル、そして、ついに並んだ。僕たちはもうそれから目をそらすことができない。


「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ…………」


 エンジン音に混ざり絶え間なく聞こえる呼吸音、まさしく犬のそれだ。いや、この場合は狼だろう。横目に見えたのは、まさに異形だった。

 ちぎり取った首を無理やりすげ替えたかのような、狼の頭部を持つライダーが並走していた。黒いジャケットの首元は、血液の影響だろうか変色しているようだ。持ち主も異形ならバイクもまた異形だ。大型バイクと狼を混ぜ合わせたような、いや、狼のパーツで無理やりバイクを組み上げたようなそんなモノに跨っている。

 その生気のないとしか言いようがない瞳はしっかりと此方を見据えており、振りかぶった釘バットを、タイヤめがけて振り下ろした。とっさに距離を取ろうとするが、まるでへばりつくように並走され逃げられない。無残、釘の先や頭でズタボロにされたタイヤは空気を吐き捨て、バランスを崩して横転してしまう。

 どれだけ転がっただろうか、ガードレールに抱きかかえられるようにして止まった。そう、あのガードレールだ。なんとか上体を持ち上げ、ガードレールを背もたれにするように起き上がった。


「おい」


 おどろおどろしい、地の底から響くような声だった。見上げると、そこには鮮血に染まった満月を背負う狼ライダーの姿があった。満月に照らされ、やたら明るい。舞う紅葉吹雪は血吹雪のようで、周囲を取り巻くように渦を巻いている。


「今夜の月は、何色だ」


 その声は、やはり狼ライダーから離れてていた。僕にはそれが、死刑宣告のようにも思えた。答えてはいけないと、本能が警告している。ろくなことにならないと、警告している。しかし、彼はそうではない。見えるままを答えるだろう。だめだ、だめだ、だめだ、だめだ……。

「あ、赤だ!」

 答えてしまった。あぁ、ろくでもないことになる。狼ライダーは再び釘バットを振りかぶった。そこには、彼のではない血液や、皮膚や、ともすれば肉の欠片までがこびりついているようだった。後ろに居た彼らのものだろうか、考えたくもない。やめろ、やめろ、やめろ、しかし、声は出ない、出したところで彼にも狼ライダーにも聴こえないだろう。

 狼ライダー無言でその致命的な凶器を力のままの振り下ろした。

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