第20話:猫女事件:解決編⑤

 とっさに動いたのは灯台笹だった。僕らを守るようにして立ちはだかると、ロープを大きく広げた。そのまま猫女の攻撃を受け止める。かと思いきやするりと緩めてしまう。

「灯台笹さ……」

 なんて言おうとしたのだろうか、危ない、何やってるんだ、にげて、だろうか、しかし、それを言う必要などなかった。何をどうやったのだろうか、猫女の右の手首にはロープがしっかりと巻かれていた。

 そして次の瞬間、瞬きする間にそのまま胴体に結び付けるように拘束し、固く結んで片腕を封じてしまう。一瞬の出来事でなにをどうやったのか認識することすらできなかった。熟達した技術は魔法とは区別がつかないという言葉を思い出すほどに鮮やかな手際だった。

「ほら、おとなしくしろ!」

 そのまま暴れる犬(猫だが)を抑え込むようにして手綱を操る。しかし、まだ左腕が自由だ、なんとか引き剥がそうとロープに爪を立てている。鋭い爪がロープに食い込むが、ちょっとやそっとではびくともしない。しかし、確実に削れていっているのも事実だった。

「抑え込みます!加賀さん!これを!」

 僕はポケットから飲料缶を取り出して加賀さんへ返すように放り投げた。正直、投擲には自身がなかったが、うまく渡すことができてよかった。

「これって……」

「猫ならカカオが毒になるはずだ!」

 加賀さんに買ってもらったミルクココア。今はすっかり冷え切っているそれに、どれほどの効果があるかはわからない。ただ猫である以上、猫に対して毒物になるものには効果があるはずだ。致死量がどうとか、どれほどで『効きめ』が出てくるかは関係ない。要は意思の強さだ。

「ごめんなさい!」

 何に対してだろうか、僕は謝罪をした。灯台笹がロープを一瞬緩めてバランスを崩したところに飛びかかり、左腕を押さえつける。爪が腕に食い込んで熱い痛みが流れているが、それもすぐに消えてしまう。アドレナリンだろうか。よくわからないが今は好都合だ。

「加賀さん!速く!」

 抑え込んでしまえばあとは飲ませるだけだ。プシュッというプルタブを引く音が聞こえた。加賀さんが猫女に馬乗りになって、喉を押さえつける。

「あなたの気持ちは、ちょっとだけ分かるわ」

「加賀さん?」

 一瞬見えたその表情は、人形のようなそれとは打って変わって、悲しみや情愛に満ちていたように見えた。

「でも、私は人間をやめるほど、弱くはないのよ」

 そうしてココアを口の中に流し込む。抑え込んでいてよく見えないが、溺れるような息の音が聴こえてきた。これは、猫女にとって強力な毒になるんだ、と必死で思い込む。必死で考える。食い込んだ爪のことなど忘れろ。今は、それに注力するんだ。しかし、暴れる力は時間が立つに連れ強くなる。拒絶反応だろうか。僕はたまらずついにその手を離してしまった。

 転がるようにして距離をとって、なんとか立ち上がる事ができた。腕の傷は……思ったより大したことはない。出血は流石にあるが、太い血管は避けられてたようだ。

「大丈夫か!」

「なんとか……」

 猫女の方を見ると、喉をかきむしるようにして暴れていた。ごめんなさい。でも、猫女の噂が拡散して人に被害を与える前に、これ以上猫が死なないために。今、あなたには死んでもらいます。

 僕の軽率な一言が原因だったのか、最後の引き金だったのか、それはもうわからないし、僕には知る勇気がない。しかし、僕はその責任から逃げるつもりはない。もし、この異常事態に現行法が適用されるとして、僕に降りかかる罰には応じなければならないだろう。

 この傷は、その罰の一つだ。脳内麻薬の分泌が抑えられてきたのか、鋭く突き刺さるように痛む。

 気がつけば、ロープもほどかれていた。力なく這いずるように逃げようとしているのだろうか。いや、違う。猫女は、母親の下へ帰ろうとしている。自ら首を食いちぎって殺した母親の膝下に、まさに猫のように顔を擦り付ける。

 なぜだろうか。もはや息絶えていたはずの金石婦人の顔が、笑っているように見えたのは。

 静寂に包まれていた周囲に音が返ってきた。隣の家から聞こえるテレビの音、団欒の声、室外機の回る音、遠くを走る車の音。終わったのだろうか。

「終わったな」

 僕の疑問に答えるように、灯台笹が言った。あぁ、終わったのか。自分で思うよりも、誰かに言われたほうがなんだか安心感がある。だから、僕もそれに答えなければならない。

「終わりましたね」

 僕は、横たわる二人の『人間』の遺体に手を合わせた。

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