第19話:猫女事件:解決編④
街を一周して、もう一度同じ場所に戻ってきた。猫はより増えており、道路まで溢れかえっていた。通行すら危うい状況ではあるが、相変わらず人が通る気配すらない。それに、今はもう加賀さんの言っていることもよく分かる。ここはもう、人間が住むような領域ではないと、本能がそう言っている。
「私が言ってたこと、わかった?」
「わかったよ」
「ふふふ……」
「僕が教えたことなんだけどねぇ……」
まるでこの空間だけが世界から切り離されているようだった。
「隔離されてるみたいでしょ。だから幽世っていうのよ」
言うと思っていたので、あえて無視した。
「聴こえなかったかしら」
「聴こえないふりをしているんだ」
それはあえて言うことにした。
「幽世、幽霊の世とも書くし、また隠す世とも書く。こういった異常事態なのに、世間では全然話題にならないのは、この『領域』に踏み込める人間が限られているからじゃないか、と僕は思っている。つまり、世界から隠されているんだね」
そういうものなのだろうか、いや、そういうものなのだろう。曖昧なものは、曖昧なままにしておいたほうがいいこともあるのかもしれない。
「そして、幽世はまた常世とも言う。永久に変わらない、時間が止まったままの世界。だから外からは認識されないのかもね」
そう言われて、僕は携帯の時計を見ようとしたけれど、灯台笹はそれを見越していたかのように「見るな」と低く、鋭く言った。途端にそれが怖くなって。取り出しにくいような尻のポケットに携帯を突っ込んだ。
「さて、こんなんじゃあ、猫女はみつからない。どうしよっか」
ともあれ、策はない。僕らが用意していた道具や作戦は、あくまでも、普通の家で猫女を迎え撃つためのものだ。このような怪異同士がぶつかり合う状況ではない。
「普段、こういうときはどうしてるんですか?」
「漁夫の利を狙う」
化け物には化け物をぶつける、というわけか。あの映画は割と理にかなっていたのだろうか。でも最終的に混ざり合ってた気もするが……。
「ぶつかって、混じって一つになったら。戦うべき怪異は一つになる。そうすればまぁ、ちょっとだけ今よりは楽だ」
「そういうものなんですか?」
「そう思い込むんだ。ここでは意志の強さが重要だよ」
そうだった、そういうものだった。何度も言われたではないか。意思を強く保て、異常に飲み込まれるな。
「安心しろ、僕らは三人、向こうは二人だ」
味方がついている。経験豊富な人間がいる。隣に立ってくれる人がいる。それのなんと心強いことか。ふぅ、と一息ついて、冷めてしまった飲料缶を開けようとして、やめた。これは、使えるかもしれない。
「もし、猫屋敷が負けて、猫女が勝った場合なんですけど」
もはや、これを正しく成仏できるとは思えないと、加賀さんには申し訳ないが僕はすでに心の中で確信していた。ならば、せめて、確実に有効打を与えられる方法を考えるべきだ。
「なんだ?」
その時だった。猫の鳴き声がばっさりと途絶えた。外を見てみるとすべての猫が一方向を見つめていた。
「何があったっていうんだ?」
直後、濁流である。我先にと言わんばかりに逃げ出す猫の濁流に僕たちは巻き込まれた。車を駆け上がる音、立てられた爪が鋼板の塗装を削る嫌な音と猫の鳴き声が混じった騒音がが全方位から反響を伴って押し寄せる。
わずか数秒の出来事だっただろうが、一生分の時間を過ごしたようにも思えた。しかし、そう思っていると本当に一生分の時間が過ぎるかもしれないので、数秒の出来事のはずだ、と思い込むことにした。爪痕でくもりガラスのようにもなった窓の、傷の少ない部分から外を見てみると、そこには二つの人影があった。
「猫女が勝ったのかしら、いきましょう」
「あぁ、いこう」
「あ、待って……」
シートベルトに四苦八苦しながら車を飛び出す。案の定というか、外見は大変なことになっていた。フロントライトのカバーは砕け、ボディは凹み塗装や窓は傷だらけ、こんな古い車だ、修理にどれほどかかるやら。
「僕の車……」
「買い替え時だったのよ」
「加賀くん?七尾くんもそう思うかい!?」
「ノーコメントで」
他意はない。
「それよりも、向こうが先ですよ、行きましょう」
大切なものが失われるのは、たしかに辛いことだが、今注意をそらさなければ永遠に傷だらけのボディをなでてそうな灯台笹を強引に連れていく。もはやそこには猫は一匹も存在しておらず、ただ残り香や毛が存在していた証拠として散らばっている。
そして、玄関先にそれはいた。
「にゃあ」
口からこぼれ落ちているのは、自身のものではない血液。それが猫女のものではないのは、その足元に転がっているものですぐに分かった。頸動脈を食いちぎられた、いや、それどころでなく、首の骨もまとめてぐちゃぐちゃに噛み散らかされている、金石婦人の死体だ。
文字通り首の皮一枚でつながっているかのように、へたり込む胴体から頭がぶら下がっている。飛び散った血液で、あたり一面が赤のスプレーを乱雑に巻き散らかしたかのような鮮血で染まっており、鼻につく鉄錆の臭いが獣臭に負けない強さで数メートル離れたここまで漂ってくる。 しかし、なぜだかその表情は、家族を迎え入れるかのように朗らかなものだった。
僕は反射的に胃の中のものを路上に撒き散らした。昼に作ったカレーが喉を逆流して、むせ返るような、いや、事実むせ返る胃酸で喉が焼けている。情報を脳が拒絶して、情報を吐き出そうにも吐き出す手段がないから胃の中をひっくり返しているようだった。
袖で口元を拭って猫女を見やる。ゆっくり、ゆっくりと此方に近づいてきている。手札を確認しろ。今僕らには何がある。水に、ロープに(どこにあったんだろうか)、猫が怖がるもの、嫌がるものはないか確認しろ。
猫女の瞳は夜闇の中で黄金のように輝き、しっかりと此方を見据えている。頼りなさげに明滅する街頭に照らされたその姿は。まだら模様の獣人と言った様相だった。全身に毛並みの異なる猫の皮がまんべんなく張り付いている。中には顔の形がはっきりわかるものまであった。いくつものそれをつなぎ合わされて作られた尻尾は神経が通ってないはずなのになぜだか揺れている。まさにパッチワークのぬいぐるみだ。それが、大きく身をかがめたかと思えば此方に飛びかかってきた。
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