第18話:猫女事件:解決編③

 僕は、生まれて二回目の暴力を奮った。しかも女性にだ。恥ずべきことだと、自分でも思うし、これは責められても仕方のないことだったと思う。しかし、娘の願いも、夢も、全部踏みにじった愛情は、悪意と何ら変わらない。

 その悪意のせいで、彼女は、猫女は、猫女に成り果ててしまった。だから、これだけはやっておかなければならないと思った。少なくとも、猫女の痛みはこんなものではない。

「なにをするの!」

「あなたは!自分しか見ちゃいない!」

 僕は婦人の言葉を聞くこともなくまくし立てた。

「子供はペットじゃないんだぞ!自分の思い通りにならないから見捨てるなんて、ペットにする行為ですら無いだろ!」

「でも、わたくしは娘のためを……」

「思っちゃいない!あなたが見ているのは自分にとって都合のいい娘だ!旦那さんが亡くなったらすぐに猫を集めるのだってそうだ!違うのか!世間体のために、娘さんの夢も、将来も捨てさせて、助けを請われても無碍に捨て去る人が!娘のためを思ってるなんてよく言えたな!」

 言葉が思いつかない。感情で頭が煮えたぎっている。顔が暑い、多分真っ赤になっているだろう。僕には、紛いなりにも猫女の経験が流れ込んできている。それは、ペットに対するしつけよりもひどいものだった。ともすれば、世間のしがらみのぶんだけ彼女のほうが縛り付けられていたようにすら思った。

「七尾君、君の気持ちはわかるが、とりあえず落ち着いてくれ」

「すいません……」

 頭に登った血液が重力に引き戻されていく。冷静になればなるほどに、僕は自己嫌悪の渦に飲み込まれていくようだった。結局の所、僕だってそうだ。自分しか見ちゃいない。猫女を生み出してしまった責任の一端は、たしかに僕にもある。僕は、それを棚の上に上げて、独りよがりに叫んでいただけだ。

 僕と彼女と、何が違うというんだ。

「大丈夫?」

「……大丈夫に見えるか?」

 精一杯の皮肉だった。

「そう見えないから聞いているのよ」

「……大丈夫じゃないに決まってるだろ」

「そう言えるうちはまだ大丈夫ね」

 そう言って笑う彼女に、なんだか腹が立ったが、その一方でなんだか救われた気分になった。なぜだかはよくわからないが、気にかけてくれる人がいるというだけで、そう思える気がした。

「金石さん。うちのがすいません。それで、娘さんのことなんですが……」

「何も知らないわ!あの子とはろくに連絡も取れないんですもの!」

 だろうな、と思った。彼女の鞄には、私用の携帯電話の類がなかった。会社から支給されたであろう携帯電話はあったが、そういうものは監視されているようなものだと、車の中で灯台笹が教えてくれた。

 壊して捨てたのでもなければ、いまどき携帯電話を持っていない理由は、経済的理由で買えなかったというのが妥当だろう。とにかく、生活に困っていたのは間違いない。

「……娘さんが、あの猫を殺したのかもしれません」

「灯台笹さん!」

 それは言ってはいけないことではないのか。少なくとも僕は、加賀さんは、婦人と猫女を和解させるつもりでいた、とおもう。加賀さんを振り向いてみても、その表情は今は人形のようでわからない。

「……そう、ですか」

 目が揺れなくなった。こちらに居る目ではない、あちらに行ってしまったようだった。伏せがちだった彼女が視線を上げ、目があった。その瞬間だった。悪寒が脳髄を駆け巡る。


 気がつけば、猫が全て、こちらを見つめていた。


 背中が汗で冷たい。震えて歯が鳴っている。おまけに鳥肌まみれだ。これは、ぶつけられているのは純粋な敵意だ。殺意や嫌悪、嫉妬や害意なんかを煮詰めて固めて固形にしたものを投げつけられているようだった。威嚇の声の大合唱が鳴り響いている。一刻も早くここから離れたい。

「これでいい、一旦逃げるぞ」

 灯台笹は僕たちの手を引いて駆け出した。押し込まれるようにして車に乗り込み、ドアを締める。すぐそこまで猫は迫っていた。爪が塗装を引っ剥がす甲高い嫌な音が外から聞こえてくる。

「どういうつもりですか!灯台笹さん!」

「とりあえず、一旦娘さんを完全に切り離す」

「どういうことです?」

 灯台笹はエンジンに火を入れ、思い切りアクセルを踏み込んだ。急な加速感がシートに体を押し付ける。幸い、婦人は猫を傷つけるつもりはないようで、道は空いていた。思ったよりもあっさりと逃げることができた。

「正直、賭けだ」

「え?」

「金石さんは、娘さんを強く拒絶しているのは、アレでわかっただろ?」

 和解は不可能だということは良くわかった。正攻法ではうまく行こうはずもないことも、良くわかった。

「だから、徹底的に拒絶させるために手っ取り早い方法を選んだ」

「なるほどね……」

「どういうことだ?」

 まだ混乱しているのか、うまく頭が回らない。

「徹底的に拒絶すると、もうそれを認識できなくなるって場合がある」

「本当ですか?」

「知らん。そう思い込め」

 もう怪異と成り果てたものには、思い込みが強く効くということを思い出した。つまり、そういうこともある。そういう事がある。そういうものだ。と自分に暗示をかけるように言い聞かせる。あの婦人は、もはや人ではないと灯台笹が遠回しで行っていることに気がついたが、あえて思考の外に追いやった。

「つまり、強い拒絶のあまり、娘を認識できなくなる、というわけね」

「なるほど……、そういうもの、なんでしょうか」

「そういうものだ」

 ふむ、そういうものなのだろう。

「そうすると、もう猫女は娘と認識できなくなる。だから、猫になって帰ってきた娘を、猫として迎え入れる、かもしれない」

 かもしれない、かもしれないだ。だからこそ、賭けなのだろう。人の思いによって姿や性質を買えるなら、とことん思うこと、意志の強さ、それが大事だ。今は、とことん思い込め。

「一応、SNSにも拡散しておくわ」

「デマを広めるのはよくないと思う」

「あら、デマだからこそ広がるのよ。それよりも失敗した時のリカバリを考えておきなさい」

 僕はいろいろな感情の混じったため息を吐きながら、もうすっかり冷たくなってしまった缶を手の中で転がしていた。もはや、いきあたりばったりだが。できるできないではなく、やるしかない段階に居るのだと思った。

 

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