第17話:猫女事件:解決編②
慣れてきたとは思っていたのだが、急ぐとなると流石に車が揺れる。再び尻を痛めながら(勿論二人して愚痴の十や二十はこぼしつつ)僕たちは猫女の実家、
「こっちもこっちで大変なことになってるわね」
「一歩手前、という感じだな」
車を降りて、というかドアをあけてまずするべきことは、鼻を摘むことだった。
臭いが酷い。獣臭と言うのだろうか、そういった強い臭いがそこかしこから漂ってくる。その原因は嫌でもよく分かる。猫だ。
塀の上、庭先、屋根の上、軒下、駐車場、玄関ポーチ、、見渡す限り至るところに猫がいた。この家を視界に入れている限りは確実に一匹は視界に入るのではないかと言うほどだ。閑静な住宅街ではあるが、ここだけは猫の鳴き声だけで埋め尽くされている。まるでこの街の猫全てがここに集まっているようだった。
その反面、何故か、近隣住民の気配はない。干された洗濯物や、放置されたままのおもちゃ、下手くそに止められた自動車など、生活感は見て取れるのに、なぜか人だけがすっぱり消え去ったような妙な雰囲気だった。もしや、猫に置き換わったのではあるまいか。そう思えて仕方がなかった。
「これも、猫女の影響でしょうか」
「わからん、こっちはこっちで猫屋敷っていう怪異になっているのかもしれない」
とにかく、行かなければならない。そういって一歩踏み出そうとしたとき、玄関の引き戸が開いた。そこに、家中のすべての猫がそこに注視している。異様な光景だった。
「ほおら、みんな、餌の時間よ」
玄関から出てきたのはあの婦人だった。この異常とも言える状況の中で、ごく不通に振る舞う姿は、逆に不気味であすらあった。まるで、彼女だけが異常に気づかずに振る舞っているのか、時間のループにとらわれているのか、どちらかであるように思える。いや、僕が勝手にそうであってほしいと思いこんでいるだけだ。
しかし、僕の懇願にも似た予測はすぐに打ちのめされる。彼女が玄関から持ち出したのは、猫の餌をたっぷりと載せた台車だった。
受け入れているのだろうか。いや、違う。それは、彼女の目を見てひと目でわかった。
あぁ、揺れている。彼岸と此岸の端境で揺れている。そういう輩の目だ。猫女や、大聖寺や、灯台笹もちらりと見せたあの目と同じような目をしていた。
誰かの唾を飲み込み音が聞こえた。僕だろうか、それすらも曖昧なほど緊張している。
「まずいことになったかもしれないわよ」
「あぁ、例の噂か」
猫女が猫の群れに紛れると、見えなくなるというやつだ。こんなに大量に猫がいると、あの継ぎ接ぎが迷彩になって見えなくなるかもしれない。猫女に対して手を上げた僕も、もう見えないかもしれない。
そうなると、この状況は最悪に近い。どうにかして猫を散らせれば良いのだけれど、この数を追い払うのは、正直言って不可能に近い。なんらかの怪異が猫を呼び寄せているとなると追い払った側から戻ってきてしまい、それこそいたちごっこになってしまうだろう。
「どうしましょう。ペットボトル一本の水でどうにかできるとは思えないわね」
「大丈夫だ、手はある」
灯台笹は何事もないようなふうに言ったが、僕は手の汗をズボンで拭う様子を見逃さなかった。彼はもう一度手を握りしめると、一歩を踏み出す。
「やぁ、金石さん、お久しぶりです」
「あら、灯台笹さん。どうかなさいましたか?」
お互いに、世間話でもするような気軽さだった。彼も、彼女も、加賀さんも、特に何事もない様子だった。僕も、努めてそうあるようにした。
「いえ、進展が合ったもので……猫を飼い始めたのですか?」
「えぇ……」
表情がすこし曇った。そういえば、彼女の旦那は、猫アレルギーではなかっただろうか。
「旦那が、先日亡くなりまして……」
先日?僕が昨日の帰りに通りがかったときは、まだ生きているような口ぶりだった。あの後に亡くなったのだろうか。偶然だろう、偶然に違いない、偶然であってほしい、偶然なのか?わからない。もしかしたら、猫女の影響なのかもしれないという考えが、僕の脳を支配している。。
もしそうなら、猫女の元凶の一つは紛れもない僕だ。僕が誰かの死に関わっているかもしれない。そう考えるだけで今にも吐き出しそうだった。
そんな僕の手を、暖かなものが包んだ。見てみると、加賀さんが僕の手を握っていた。
「大丈夫よ。まずはひどい顔をどうにかしなさい」
「あ、ありがとう……」
ポケットのハンカチで、顔を拭う。涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになっていたのか、ハンカチはすぐに重くなった。何だがひどく自分が情けなくなって、なんだかひどく恥ずかしくなって、振り払うようにして彼女の手を離した。
「そうですか……ご愁傷様です。それで、娘さんのことを伺いたいんですが……」
灯台笹がそう切り出した途端、彼女の表情が一変した。まるで威嚇をする肉食獣のようだった。
「娘ですか?あの親不孝者のことなんて知りません」
「……事情を聞かせていただいても?」
婦人はすこし押し黙った後、ひとつ、ため息を吐いて、呪詛でも紡いでいるかのような口ぶりで話し始めた。
「あの子には、期待していたのです……」
一言口にすれば、あとは堰を切ったようだった。ダムの放流のごとく、娘に対しての思いが、期待が、溢れ出している。
「あの子は、怠惰な子でした。いくら勉強しろと言っても聞かず、せっかく取り付けてきた有名校の入試も蹴って、ぬいぐるみを作りたいと我儘ばかり。そんなものよりも立派な大学へ行って、良いところへ就いていい旦那を迎えたほうがよっぽど良いと、何度も何度も言い聞かせたのですが、結局ずっと子供みたいなことを言っていましたよ。就職先も紹介してやったのに、辛い苦しいだの我儘ばっかり、我慢の一つも覚えやしない。もううんざりです」
そこには、たしかに愛情があった。しかし、僕にはそれが独りよがりにしか見えなかった。僕は、なんだか亡くなった母のことを思い出して。気がつけば、思い切り婦人の頬を叩いていた。
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