幕間の話①

幕間:お夜食の話

 猫女事件の解決からしばらくもせず、僕等は日常への帰還をしなければならなかった。世間というのは僕がどれだけの修羅場であろうが無関係に動き続けている。そして僕は学生だ。つまり、何が言いたいかと言うと、明日は定期考査が控えているということだ。

 元々持ち物が少なく、自分の部屋に勉強を妨げるものが置いてあるとは言えないが、なんとなく喫茶店のテーブルを借りることにした。コーヒーの入れ方も教えてもらったし、常に温かいコーヒーを飲めるのは、勉強する環境としては意外と悪くないんじゃなかろうか。

「ただし電気は節約っと」

 香り立つコーヒーを手にカウンター席へ座る。初めてこの店に来たときから、なんとなく定位置になりつつある。足元に小型のヒーターを置いて、肩には厚手の半纏を羽織って……なんだか持ち物が増えてきた気がする。僕も、『普通』の暮らしに片足を突っ込んでいるのかもしれない。

「十二時くらいまでにしよう、しっかり寝ないと……」

 時計を置いて、問題集とノートを開く。予習復習は日課だから、苦手な場所や些細なミスを犯さないようにするのが課題だ。

 アナログ時計の針と、シャープペンシルの芯が紙を擦る音が暗い店内に静かに溶けていく。気がつけば、コーヒーもなくなっていて、もう一杯入れようとしたときだった。

「あら、なにかとおもったら。七尾くんじゃない」

「加賀さん」

 パジャマ姿に一枚カーディガンを羽織っただけの、彼女が普段見せない格好になんだか胸が締め付けられるようで、言い訳をするように視線を問題集に戻した。彼女、眼鏡だったんだ。普段はコンタクトなのだろうか。

「明日のテストに備えて、勉強」

「へぇ、偉いのね」

「加賀さんは?」

「私もよ。お夜食を作りに来たの」

「へぇ」

 ちょっと意外だった。あまり間食などもするイメージではないのに。

「以外って思ったでしょ」

 やはり彼女は心が読める気がする。

「ま、まぁ……普段そんな食べないみたいだし」

「少しずつ、なんどもがダイエットの基本よ」

 そうなのだろうか。よくわからないが、そうなのだろう。しかし、夜食と聞けば、なんだかお腹が空いてきた。

「僕もなにか食べようかな」

「あぁ、そう?じゃあ任せるわね」

 丸投げされてしまった。彼女はカウンター席に腰掛け、待機の姿勢をとっている。完全に任されてしまったようだ。

 しかし、何が良いだろう。暖かくて、そこそこお腹に溜まって……。たしかご飯がまだ残ってたな。

「お茶漬けでいいかな」

「あら、お茶漬け」

「うん」

「悪くないわ」

 悪くないようだ。電気ケトルにペットボトルのお茶(僕は麦茶派だ)を流し込んでスイッチを入れる。こういう使い方をして良いのかは知らないが、できる楽はしたい。後できちんと洗えばまぁ大丈夫だろう。

 お茶が湧くまでの間に、ご飯をよそって、刻み海苔、塩昆布、せんべいを砕いてぶぶあられ代わりに、ちょっと塩味が濃くなるだろうか?まぁその時は諦めて怒られよう。香り付けに大葉もあれば良いのだけれど、刻んだりすると洗い物が増えるし面倒だ。あとは……。

「加賀さん、梅干しのせる?」

「あら、いいわね、お願いするわ」

 灯台笹さんがお土産で買ってきた梅干しを一つのせると、ちょうどよくお茶が湧いた。熱々のお茶を上から注いで出来上がり。手早くて楽でいい。洗い物も少ないし。

「おまちどうさま」

「ありがとう」

 冷める前に持っていかなければ。こういうものは、寒い中熱々のうちに食べるのが一番美味しいんだ。

「「いただきます」」

 声が重なって、すこし気恥ずかしい。向こうはどうなのだろうか、やはり表情が読めない。いちいち人の顔をして食事をするようになるなんて少し前の僕には考えられない出来事だ。

 それより、冷めないうちに食べてしまおう。とりあえずお茶を一口、塩気は悪くない。そのまま流し込むように食べる。熱い、でもそれが良い。冷えてきた体に芯から熱が行き渡るようだ。

「ふぅ……」

「うん、思ったより良いわね、これ」

 評価は上々のようだ。こんな適当なものだが、なんだか嬉しくなった。

「ねぇ」

「何かな」

「明日のテスト、勝負しない?」

「いいけど……」

「私が勝ったら。一つお願いを聞いてもらうわよ」

 そういって、ごく自然に笑う彼女のせいか、僕は味がわからなくなってしまった。きっと、勉強も手がつかないだろう。なんだか、してやられた気がしてならない。僕は、彼女の想像もつかない願い事に、戦々恐々としておくしかなかった。

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