第14話:猫女事件:調査編⑤

 意識が鋏に吸い込まれていく感覚。意識は空気か水のような流体で、流し込んで混ぜ合わせると別の意識を読み取ることができるのだと直感で理解していた。最も、水と油を混ぜてドレッシングにするような作業が必要になる。僕はその方法を本能的に知っているのだと、やはり直感で理解していた。鋏を媒介にして僕の意識と猫女の意識を混ぜ合わせる。水と油が溶け合って一つの液体になっていく。深層心理や残留思念などという小難しい常識を地平線の彼方へ投げ捨てて、ただ本能的に理解しているが故に言葉にできない事象に従う。そのうち僕は猫女になっていた。


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 やはり、灰色の猫を切り裂く光景を見つめている。しかし今度は酷く客観的にそれを見ている気分だった。第三者の目線に立っていると言い換えても良い。たぶん、コツを掴んだのだと思った。以前ほどの一体化しすぎた嫌悪感はない。一度見た光景だからかもしれないが、僕は猫女を完璧に受け入れていた。

 必要なのは、行動原理を探ることだ。なぜそれを行っているかを理解すれば、その根源を解決すればこの胸糞悪い悪夢のような事件は終わる。猫が好きというわけじゃないが、知らないところで猫が死んでいくのは死ぬほど嫌いだ。むしろその一端が自分にあるのだという感覚があればなおさらだ。僕は猫女の意識から、それを汲み取ろうとする。できるだけ共感はしないようにする。理解と共感は別だ。理解はしても共感はしない。共感してしまえ僕は同じことをしだすだろう。

 客観的に理解する。そうやって自分に言い聞かせながら僕は猫女の脳を本のように読むイメージを持つことにした。僕が見下ろすのも気にせずに一心不乱に猫を突き刺す女の頭を開くように閲覧する。毛髪をかき分け、皮膚を開いて、頭蓋を取り除き、やがて脳へと至る。僕はその真ん中に躊躇なく指を突き入れて、本を開くようにガバっと開いてみた。イメージが広がる。

 中央にあるのは、逃避と義務感の二律背反。いわゆるブラック企業に勤めていたのだろう。過剰な労働、高圧的な上司、顧客は自分勝手で同僚はその環境に順応するかすでに逃げ出してしまった後、一人暮らしで相談できる家族はおらず、親に相談してももう少し我慢してみろと理解されない。逃げ出したいのに逃げ出せない、抜け出したいのに抜け出せない、わかっているのにそれが出来ないという矛盾に苛まれている。これが彼女を崖際にまで追いやった原因と見て間違いないだろう。あとは背中を押したなにかがある。僕はそう考えた。

 手っ取り早く、過去を当たることにした、記憶をたどるように僕は凶行に走る前に遡るようにページを戻していく。すると、唐突に見知った存在が現れた。見知ったというのは語弊がある。なぜならばそれは僕だったからだ。

「僕も猫になりたいですよ」

 目も合わせずそう言い放ったぶっきらぼうな言葉だ。突き放していると言っても良い。しかし、女は奇妙なまでの高揚感と確信と、そしてパズルのピースがすべて綺麗に嵌ったかのような清々しさを覚えていた。僕は共感を覚える前にページを読み飛ばす。パズルのピースを一個一個吟味するように、それを分解していく。そのなかで重要な、パズルで言えば角や縁に当たる部分を探していく。僕の言葉は、最後に嵌った完成の一手、ピラミッドの頂点に置かれた飾り石でしか無い。必要なのはそこに至る要素。基礎や土台になった底辺の石だ。

 自由気まま、現実逃避、そういった言葉に混じって、愛情の枯渇が見て取れた。そう言えば理解のない親が居たはずだ。僕の中でパズルのピースが組み上がっていく感覚を理解した。最終的に猫になることを決意したきっかけの一つである愛情の枯渇。自身に注がれない愛情の、注がれている先にあったのが猫だったのではないか?

 女の記憶をたどり、拾い上げたピースを組み上げていく。そして必要なピースは僕と出会う直前にあった。女は一度、実家に立ち寄っていた。あの駐車場の直ぐ側の実家。まずはじめに殺された灰色の猫に愛情を注いでいた人物。



 



 パズルの全景が見えてくる。日に日に衰弱していく自分のことなどまるで気にかけず、猫に愛情を注ぐ母親。もう電話越しではどうにもならないと直談判しにいったその日に向けられた言葉。

「もう少し我慢しなさい。わたくしはあの子の世話で忙しいのよ」

 致命的かつ効果的に心が崩れ去る。自分よりも猫が大事なのだ。もはや拠り所など無く、会社へ向かう道すがら、おそらくどこかで命を絶っていただろう。そんな心中など全く気にせず、日向で何も縛られずに眠る、母の愛した猫が眠っているのに見とれていた。そこに僕が現れる。女は反射的に言葉に出していた。

「猫はいいわよね、ね?」

 羨ましい、猫が羨ましい、会社に縛られ、母に見捨てられた《私》と対象的に、猫は何にも縛られず、母の愛情を受けている。そこに、崩れ去った心を歪な形状で立て直すに十分な言葉を、《あの子》からたしかに受け取った。

「えぇ、叶うならば、僕も猫になりたいですよ」

 あぁ、なるほど、猫になればいい。猫になれば何にも縛られず、母の愛情を受けることができるではないか。一石二鳥だ、善は急げとも言う。気づけばあの子は居なくなっていた、あとでお礼を言わなきゃいけないが、まずはやることがある。あの猫の皮を剥いで着るのだ。裁縫の心得はある。猫の皮を着よう、そして猫になろう。そうすればきっと母も愛情を注いでくれるはずだ。母が愛しているあの子の皮を着ればきっと母も愛してくれるはずだ。


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 現実へと帰ってきた。水中に何時間も閉じ込められたたかのような窒息感に喘ぐように過呼吸に極めて近い呼吸で酸素を体中に循環させる。精神的な負担は軽減されているのかよくわからないが、僕の体は中秋にあって真夏の昼間に晒されていたかのような汗に包まれていた。

「灯台笹さん……」

「大丈夫か?何が見えた」

「猫女の正体がわかりました。駐車場の近くに住んでるご婦人の娘さんです」

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