第13話:猫女事件:調査編④

 この女はもはや人間ではなくなっていた。僕にはそれが猫であるなどとは微塵も思えなかったが、しかしその猫は完全にそれを受け入れているようだった。これまでその身を覆い尽くすほどに猫を殺めてきたそれを、同族だと受け入れているようだった。僕にはそれが心底理解できなかった。幾人も人間を殺し、その皮を身に着けたエイリアンを同族として受け入れる人があり得るだろうか。否、断じて否だ。どこまで擁護しようが覆らない嫌悪と怒りがそこにあるはずだ。ならばなぜそうしていられる、そういった作用が働いているのか?考えても何も出てこない。僕がない脳で考えるよりも、少しは知ってるかもしれない二人に聞くのが建設的だ。

「あのこれ……」

「なんだ引きつった顔して、猫の集会じゃないか。やたら数が多いな」

「散らしてしまいましょう。邪魔だわ」

 二人の言葉に耳を疑った。そこにいるものが見えていないのか?ここに悠然と顔を洗う猫女が見えないのか?そもそもおかしいのは僕なのか?わからない。わからないというのは、怖い。怖いから、怖いからこそ僕は動いた。動かずに向こうからなにかされる方がよっぽど恐ろしかったからだ。


「うわああああああああ!!!!!!!」


「七尾くん!?」


 これまでにない大声を出して猫女に迫る。急に空気の流量が多くなった喉が悲鳴を上げている音のようにも思えた。たぶん、上ずってたりひっくり返ってたりするんだと思うが、僕は気にしないことにした。あの加賀さんが声を荒げた気がしたが、僕はそれを無視した。猫女はカッと目を見開いて飛び退くが、僕のほうが少しばかり早かい。ろくに喧嘩なんかもしてこなかったひ弱な拳が見事(主観だ)に猫女に打ち付けられた。

「は?」

 灯台笹の呆れと困惑を入り混ぜたような声が後ろから聞こえた。だが気にしているヒマはない。これをなんとかする必要がある。なんとかと言ってももう殴る以外に思いつく手段が出ない。僕はもう一度殴りかかろうとしたが、後ろからしっかりと羽交い締めにされた。灯台笹だ。

「離して!やつは猫女だ!」

「俺たちにも見えた!落ち着け!やつは逃げた!」

 僕ははっとして猫の集会の場所を見る。もうそこには猫も、猫女も居なくなっていて、ただ血溜まりの跡のような一箇所だけ色の変わったコンクリートの地面があった。僕は肺がひっくり返りそうになるほど荒い息をなんとか押し鎮めて、そこでやっと灯台笹から開放された。

「猫女は猫の群れに紛れると見えなくなるっていう噂が流れてるらしいわ」

「先に言え」

「今調べたのよ」

 加賀さんは思ったより可愛らしいカバーのついた携帯の画面を見せて言う。どうやら都市伝説を専門に扱う掲示板か何かのようで、今は猫女についての噂が飛び交っているようだった。見せられても文字が細かいのでこの距離だとよく読めないが。

「都市伝説ってのは後付でいろいろと要素が増えるだろう。ああいう存在はその設定がフィードバックされる事が多いんだ。今の猫の群れに紛れると見えなくなるってのがそれだろう。」

 なんて面倒くさいんだと思った。だが、言われてみればあの口裂け女だってあとから設定が付け足されていった一つでもある。とんでもない速さで走るだとか、ポマードが弱点だとか、そういうことだろう。噂ならいいのだが、明らかに弊害が出ている。厄介極まりない。

「猫女は猫からは同族として見られるとか、たくさんの猫の皮で体を包んでいるから猫の群れに紛れると見えなくなるってのも最近の噂ね」

 掲示板を遡っているのか、あるいは追っているのかは不明だが、ついついと画面をなぞっている。

「それにしてもなんでお前は見えたんだ?」

 それがわかれば苦労しない。わからないから今は返答に苦労している。わからないことを考え続けるのも無駄なので。結局僕はそのまま答えることにした。

「それがわかれば苦労はしません」

「だろうな」

 わからないだろうという目処が付いてるなら聞かないでほしいものだ。嫌味も交えて冗談の一つでも言ってやろうかと思って口を開こうとしたところで加賀さんが口を挟んだ。

「そ、ん、な、こ、と、よ、り、も」

 わざとらしく注意を惹きつけるような物言いだが、それは僕たちにとってひどく効果的だった。僕たちの視線は視線は彼女の掲げたモノにひどく集中していた。まるで餌をちらつかせた飼い主を見る猫かなにかにでもなった気分だった。

「これ、調べてみるわよ」

 ひどく汚れて血に塗れ、元がどんなだったかよくわからないが、それは確かに鞄だった。よくもまぁそんなものを何でもないように引っ掴むものだ。灯台笹を見るとどこから取り出したのか手袋を嵌めている。多数決で言えば、僕の認識が正しいらしい。

「なによ」

「いや、よくそんな物が触れるな」

「ただの鞄じゃない。このくらい普通に触れるわよ。よく見るとカバに似てるわね」

 そうだろうか。まさかつまらない駄洒落なのだろうか。

「面白くなかったかしら」

「あえて無視したんだろうに。貸したまえ、俺が見よう」

加賀さんから鞄をひったくった灯台笹がその中身をあらため始める。横から見る様子だと、財布に携帯、手帳、小さなポーチは化粧道具だろうか、それはよくわからない、それに、とても大きな……。

裁鋏たちばさみねぇ……」

「今朝、大聖寺さんに見せられたやつと同じものに見えます」

 わかることならば、聞かれるまでもなく自ら話す。僕はあえて見せられたと強調してみせたが、灯台笹は有無を言わさずにそれを僕に差し出してきた。何をしてほしいかなんて言わずともわかる。

「せめて手袋を貸してくださいよ」

「もうない」

「片方だけでいいですから」

「次からはそうしよう」

 しばらく睨み合ってた(つもりだ)が、結局僕が根負けしてハンカチ越しに血まみれの裁鋏を受け取った。身だしなみを整えておけと、母から嫌というほどしつけられた結果がこんな形で実を結ぶなんて考えもしなかった。僕はハンカチ越しに意識を集中させた。

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