第12話:猫女事件:調査編③
ビルの真横にある月極駐車場の一角に、時代というか世代が二つ三つばかり離れているように見える古臭い車が下手くそにコラージュされたように停まっていた。もう製造元が部品を作っているのかも怪しい、というか製造元が残ってるのかすら怪しいその車の鍵を、灯台笹は躊躇なく開けた。やはり予想していたが、レトロ趣味の灯台笹らしいといえば聞こえが良いかもしれないが、正直古臭い。それが悪いとは言わないし、味があるというのもわからない話ではない。
それはあくまでも、僕の話で、加賀さんには関係のないことだ。
「そろそろ買い替えたらどう?」
やけに鋭いナイフのような口ぶりだ。何もそんな言い方をしなくてもと思って口を挟もうとしたが、先にナイフよりもさらに鋭い、日本等のような切れ味の視線で制されてしまった。
「いやだね」
対する灯台笹はそれをするりと受け流す。彼もやはり遠慮のない口ぶり、慣れた会話だと思った。定番と言い換えても良い。いつものやり取りなのだとなんとなく理解した。正直こういった古い車は嫌いじゃないし、使い込まれた革張りのシートも味があっていい感じだ。加賀さんは人形のような顔を不快だと言わんばかりに歪めているようだ。何がそんなの不満なのだろう。
「僕はいい車だと思うよ」
「そうね、後で同じ言葉を言えるといいわね」
それでも僕は楽観視していたが、彼女の物言いはいつだって辛辣だということを、それ以上に極めて的確であるということを僕は後に思い知ることになる。
……
…………
……………………
夕刻の道は帰宅の途に付く車でごった返している。渋滞というほどではないが、スームズに流れてるとはとても言えない程度の込具合だ。この街には人がいないという僕の印象は杞憂と言うべきか、思い込みが激しかったと判断スべきだろう。地方都市というものは、首都圏と比較すると人が疎らなだけなのだろう。それに、電車よりも自家用車での移動が原則なのかもしれない、それは別段気にするべくでもないとして、だ。
「痛っ……」
耐え難い。まったくもって耐え難い。いくら古い車とは言え、ここまでひどいとは思わなかった。段差どころではなく、小石一つ踏んだことすら尻に伝わってきてるんじゃないかと思うほどにガタガタと揺れている。加賀さんほど直球に口には出せないが、言わせてもらわなければならない。
「……灯台笹さん」
「何かね」
僕、いや、僕らの視線など意に介せず、灯台笹は軽快に車を操っている。正確に言うならば、軽快というのは、ステップを踏んで踊るように、という方が正しい。それほどに揺れるのだこの車は。おそらくサスペンションが
「サスペンションくらい新しくしませんか?」
「この揺れが良いんじゃないか」
この取り付く島のなさといったら大聖寺といい勝負なんじゃないかと思う。もしや同族嫌悪ではあるまいな。そう思っていた頃、とある公園の駐車場にハンドルを切った。そこそこ広い運動公園ではあるが、時間が時間なので人の姿は少なくなる一方だ。
夕闇に頼りない電灯の灯りが灯る公園の雰囲気は、
「ここが現場の一つだ」
やっと尻の痛みから開放された僕らは、灯台笹の後についていく。年老いた用務員が大きな熊手でやっとこさ落ち葉をかき集めているさまを横目で見ながらどんどん人気のない方向へと進んでゆく。ふと、歩を進めるに連れ、何かが聞こえてくることに気がついた。
「なんか聞こえる……ような……」
「そうか?」
「はい、なんだろう……」
その音はだんだんと大きくなる。赤ん坊の泣き声だろうか。否、鳴き声、猫の鳴き声、一匹ではない。野良猫の群れだろうか、ニャアニャアとせわしなく鳴いている。だが、不思議なことに不安感は覚えなかった。一匹ではないからだろうか、そもそも猫女が居るなら猫が逃げ出してしまうと考えているからだろうか、自分で自分がわからなくなるのにはもう慣れているので、考えないことにした。
「にゃあ」
背後から聞こえる声は、あの女のものではない。
「心臓に悪い冗談はやめてくれ」
「あら、そう?」
なぜ僕はこんなにも冷静なのだろうか。普段なら多分心臓ごと飛び跳ねるほどに驚くのだろうが、全く動じない自分がいる。これは異常なのだと思った。自己分析をしなければならない。なぜ僕はこんなにも冷静で、嫌なことが待ち構えているはずの場所に悠然と足を踏みすすめることができるのだろうか。
「変な臭いね」
臭い、たしかに臭ってくる。猫の鳴き声もどんどん大きくなるようだ。聴覚と、嗅覚が何らかの異常が起こっているのだと警告してくる。だがしかし、僕は冷酷にそれを受け入れている。そして最後に視覚でそれを確認したときにやっとこの感情を理解した。
何十匹もの猫の中央に、何かがいる。一見、何匹もの猫が固まっているようにも見えたが、それが違うことははっきりと分かった。僕たちが近づいてきたのを確認したのか、それはゆっくりと顔を上げた。
「にゃあ」
この感情は、きっと諦めと呼ぶのだ。そう理解した。僕は何をしようか考えることすらしていなかった。もうここで命が終わるのがわかりきっていたからこのたび重なる本能的な警告をすべて無視していたのだと理解した。断頭台か、あるいは絞首台に登っていく感覚があれなのだと理解した。逃れられないからすべてを諦めて前へ進むしか無いという感情というものを理解した。だが、だからこそ僕は本能を抑え込むそれのおかげで、はっきりとした理性を保てていたのだと思う。
「にゃあ」
猫女が、猫にあるまじき笑顔で鳴いた。
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