第8話:猫女事件:遭遇編⑤

 名刺の住所を頼りに、最寄り駅の改札を通る。平日の昼間だというのにも関わらず、そこは廃墟と見紛うばかりに閑散としていた。

 竜涎市は大きい都市だが、それに不釣り合いなほどに人がまばらなように見える。一番大きなこの竜涎駅がそうなのだ、当然市電の駅の前は時間帯を考慮したとしても人が少ない。暫く歩いて見えてきたオフィス街の込み具合に少し安心を覚えるが、平日の昼間なので当然といえば当然なのか、正直良くわからない。

 しかし、ビル街から一歩入った路地裏は、一転して猫の子一匹いないほどに、やはり閑散としていた。今の状況で猫の子一匹いないというのは冗談にもならないのだが、それほどに人気がない。

 新しく背の高いビルの間をすり抜けるように歩いていくと、気がつけばその中に埋もれるような背の低いオフィスビルが見えた。一階が喫茶店になっているようで、建物の端に2階以上へと通じるエレベーターがあるようだ。

 そのビルの足元へ立って、掲げられた看板と、もらった名刺と地図とを見比べる。竜涎市鯉ヶ渕コイガフチ町四丁目一二八番地、鯉ヶ渕第三ビルディング一階、で間違いないはずなのだが、一階はどう見ても喫茶店だ。同贔屓目に見ても探偵事務所には見えない。

 このまま見ていたところで喫茶店が探偵事務所に返信するわけでもなし、意を決してその扉を開いた。カランコロンとベルが鳴り、僕の来店を店主に伝えている。とても静かで落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。レトロ調の家具にふさわしい、ふるめかしいレコードプレーヤーから流れるジャズと、本をめくる小さな音だけが空間を支配していた。それも良く言えばの話で、率直に言うならば客が一人も居なかった。赤い首輪の着いた白い猫がカウンターの椅子の一つを占拠しているが、客と呼ぶべきではないだろう。

 カウンターの奥に座り、退屈そうに小さな文庫本を眺めている店主らしい男がただ一人で店番をしていた。扉が揺らすベルの音に気付いて視線を向ける彼は、老人のような真っ白な髪に反して、顔立ちはまだ三十代後半ほどにみえる。彼もまた店に合わせたレトロ調の、おそらく半世紀ほど前にアメリカだかヨーロッパだかで流行ったのだろうか、店の雰囲気に合わせた今風ではない服装をしている。

「おや、珍しい」

 どの意味だろう。学生が珍しいのならばわかるが、そもそも客が珍しいならなんでこの店はやっていけるのかもよくわからないので、前者だと信じたい。

「あの、大聖寺さんという方から……」

 紹介されたんですがと言おうとしたが、とたんに嫌そうな表情をされたので思わず押し黙った。

「あぁ、悪い。ちょっと最近立て込んでてね……」

「猫女ですか?」

「やっぱりか……」

 名刺によると喫茶店のマスター兼、な事件専門の探偵だという胡散臭い肩書の男、灯台笹とだしの将五しょうごは名前もよく知らない機械を操作しはじめる。コーヒーの香りが強く漂ってきたので、おそらくコーヒーを淹れるマシンかなにかなのだろう。

「まぁ、あのクソ野郎……大聖寺の紹介なら無下にも出来ないし、とりあえず好きな席に座りたまえよ」

「はぁ……」

 どれもこれも、椅子は空いている。少し迷ったが、無難にカウンターを選ぶことにした。こういう席は常連の客が好むのだろうが、そもそもこの店に常連客がいるのだろうか、客すらいない店内なので、疑問ではある。

「ニャア」

 いや、猫がいたか。こちらをじっと見つめて己の存在を主張している。首輪のプレートにある『Suzano』というのは名前だろうか。スザノと読めばいいのか、灯台笹といい分かりづらい。そういえば猫はまぶたをゆっくりと閉じるのが信頼の合図だというような話を聞いたことがあるので試そうとしたが、目をそらされてしまった。

「大聖寺からどう紹介されたかは知らないが、俺はまぁオカルト専門の探偵だ。そういった不可思議なものをどうにかするのが俺の役目でね。これはサービスだ。遠慮せず飲みたまえ」

 差し出されたコーヒーに、やはり無遠慮に砂糖を入れる。この人には悪いが、コーヒーの苦味がどうも苦手だ。あるならばミルクもたっぷりと入れたいと思うほどに。それでもなんだか美味しくない。珈琲の味なんかわかったものじゃないし、市販のコーヒー牛乳とかカフェラテくらいしか飲んだことがないが、それでもなんだか美味しくない。このせいで客がいないのではないだろうか。後で口コミを調べてみよう。

「実に無遠慮だな」

 遠慮せずと言ったのは彼だ。僕はあえて無視して、こっちから切り込んでみた。まずいなどとは言えないというのもあったが。

「なんか、退魔師みたいですね」

 露骨な話題転換をした。

「いや、違う。オカルト専門の探偵だよ」

「どう違うんです?」

「わかりやすいように暴力で例えてみよう」

 物腰の割に物騒なことを言う人だ。

「退魔師がやるような祝詞や呪文なんかは、ロードローラーで全身をまんべんなく轢き潰すようなもので、俺のやってることは心臓や脳をピンポイントで撃ち抜くようなものだ」

「はぁ……」

 正直ピンとこない。弱点どうこうの問題なのだろうか。

「それでなんで探偵なんです?」

「心臓や脳の場所を調べるためさ」

 なるほど、退魔師というのは心臓や脳もまとめて轢き潰すようなものなのか。楽といえば楽なのだろうが、相応の技術がいるのかもしれない。逆に弱点さえ知ってしまえば退魔師のような特殊な技術なんて必要なくなるのかもしれない。

「さて、次は此方が聞く番だね」

 灯台笹はとても美味しそうに重油色の液体を呷る。何も入れずに、だ。香りがいいのは分かるが、味がいいとはとても思えない。客は僕しかいないので比較しようもないのが残念だ。

「君の身に降り掛かったことをとりあえず順番に話したまえ」

 僕は何度かわからない説明を始めた。奇妙な女のこと、学校での噂話のこと、ベランダに投げ込まれた猫の死骸のこと、そして大聖寺にやらされたサイコメトリーまがいのこと。その話を聞いているときの灯台笹は、彼岸と此岸を揺れ動く、あの独特な雰囲気を纏っていた。

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