第7話:猫女事件:遭遇編④

 まだ昼間だが、相変わらず人気のない現場だ。月極なのだろうか、看板は錆で汚れていてよく読めない。車止めの名前には空欄があって舗装も割れて草が飛び出ている。あらためて見るとろくに経営ができているとは思えないみすぼらしい駐車場だ。清潔で閑静な住宅街なのに、そこだけ異彩を放っている。

「ここにはかつて、お堂かほこらみたいなのがあったそうだ」

 たたりとでもいいたいのだろうか。大聖寺は胡乱な顔を笑みに見えるように歪めている。目を合わせたくない一心で顔をそらした。あの猫がうずくまっていた日向は今は太陽の位置の関係で影がさしているが、なんだか血を拭い去ったようなあとがある気がする。そこで死んでいたのは嫌でもわかる。あの婦人が手向けた花が秋風に揺れていた。今日も来たのだろう、その色は違うものだった。

「ちょっと試してほしいことがあってね」

「はぁ……」

 試してほしいと言われても、私には何技術も能力もない。そもそも、ここに残っているもので警察が調べていないものなどあろうはずもない。個人的にはすぐにでも離れたい気分ではあるのだが、大聖寺のプレッシャーに逆らえるとは到底思えない。

「君が猫女の話を聞いたときに、まるで自分が猫女になったかのような錯覚に陥ったそうだね」

「あぁ……はい……」

 そういえば、根掘り葉掘り聞かれたときにそんな話をした気もするが、それがどうかしたというのだろうか。できるならばさっさと忘れてしまいたい記憶だった。だが端的に言うならば、だから何だ、と言わざるを得ない。

「共感能力!」

 大聖寺は今までで一番高いテンションで、一番大きな声で叫ぶように言った。

「君は猫女の主観に立って物事を経験した。つまり、条件さえ整えば君は猫女を追体験できる。で、あるならば、猫女の行動方針が分かるというわけだ」

 納得できようはずもない。荒唐無稽だ。論理の飛躍にもほどがある。私は助けを求めるように木場に目を向けるが、やはり頼りない。大人の男なんだから羽交い締めにするなりしてこの哀れな青少年を守って欲しいものだ。

「じゃあ、この場所で発見できた証拠から猫女の行動を想像して欲しい。それで何を思ったかをぼくに説明してくれ」

「……はい」

 嫌だとは言えなかった。言わせるつもりもないのだろう。私は示されるがままに若干色が違うように見える地面のそばにしゃがみ込まされる。そして血が着いていた跡に手を触れさせられる。乾いたアスファルトのはずだが、一瞬液体に触れた錯覚があって、一瞬手を引っ込めた。

「まず、ご婦人の話では……」

 大聖寺の話を参考に、それの想像を始める。


……


…………


……………………


 猫が眠っている。人懐っこい猫なのだろう、警戒することもなく、近寄っても目をさますことはない。はその猫の首をひっつかんで仰向けにした。やっと目を覚ましたのか、ジタバタと暴れている。なぜか、酷く羨ましいと思っていた。

「ありがとう、ごめんね」

 口から滑り出たのは、まず感謝だった。猫の首に私の指が深くめり込み、体重をかける。爪が皮膚に食い込むのも、そのまま皮膚が裂けるのも気にならない。更に体重をかけて喉を潰す。本当は一思いに首の骨でも折ってしまいたいが。力が足りないのか、うまくいかない。そのうち、待ちきれなくなってきた。

「ごめんね」

 思ってもない謝罪が漏れ出す。私は裁鋏たちばさみを振りかぶり、猫の腹に突き刺した。本当は毛皮はできるだけ傷つけたくないが、仕方がないと思った。刃が肉を引き裂き、かき回すたびに猫はなにか声を上げているのだろうが、全く耳に入ってこない。


 何度も、何度も鋏を打ち付ける。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 気がつけば猫は息絶えていた。肝心の毛皮もズタズタだ。もったいないことをした。次からは気をつけなくてはいけない。人間の体はあまりにも大きい。だからできるだけ大きな毛皮がいるのに、毎回これではいつまで経っても終わらないだろう。

 しかし、学習した。人間が猫より優れている数少ない部分だ。次はもっとうまくやれる。とりあえず、この毛皮を切り取って、身に纏う必要がある。鋏を皮と肉の隙間に滑り込ませようとする。うまくいかない。鋏ではだめなのだろうか、包丁やナイフでも試してみよう。

 使えそうな部分を切り取って、それを手に当てる。そしてかばんから取り出した糸と針で、それを縫い付けるために、躊躇なく手に突き刺した。


……


…………


……………………


「うわああああああああっ!」

 やっと帰還できた。僕はやはり何も入ってない胃の中からなにかを吐き出そうとしている。咳き込み、悶え、多分白目をむいていたかもしれない。非常に気分が悪い。このまま眠ってしまいたい。気がつけばぼくの体はアスファルトに横たわっていた。

「どうだった?」

 心底愉快そうに大聖寺が顔を覗き込んでくる。僕は思わずその頬を思い切り殴りつけた。つもりだったが、体勢を崩すことも出来なかった。

「ふ、ふざけるな……」

 大声を上げたつもりだが、今さっき胃の中も灰の中も全て投げ捨てたぼくの体はうまく声を出してくれない。そんな状態で殴りつけたところで、やはり大聖寺は何事もなかったかのように笑っている。

「で、どうだった?」

 木場め、見ていないでなにか言ったらどうなんだ。お前の相棒だろうが。なんとかしてくれよ。僕は目を伏せて、吐き捨てるように言った。

「鋏だ。裁縫で使うでっかい裁鋏」

「正解だ」

 あぁ畜生、わかってしまった。こんなサイコメトリーみたいな能力でこんな狂ったものを見せられたくなんてなかった。こんなことになるなら下手に答えるべきじゃなかったんだ。公開しても遅い、今からでも逃げ出すべきだ。しかし、僕はこの男に捕まってしまった。

「でも、今日はここまでにしよう。部屋には帰らないほうがいいよ」

「猫女がまた僕の部屋に来るとでも?」

「あぁ、そっちはぼくがなんとかしよう。君はここを尋ねるといい」

 大聖寺は折れ曲がった名刺をよこしてきた。

「きっとうまく扱ってくれるさ」

 それは、あの婦人から渡された、探偵の名刺と同じものだった。

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