第6話:猫女事件:遭遇編③

「猫女って知ってる?」

 この男の深淵のような目は、本当に心の奥底まで見透かしているのではないだろうか。にたりと笑う口元は、ぼくの表情を視て何かを確信したようにも見える。

「知ってるようだね」

「はい。昨日噂で聞きました……」

 この男に嘘ごまかしは通用しないだろう。しかし、話しすぎるのも御免だ。聞かれたことを素直に答えるのがいい良いだろう。下手に嘘をついても、今の僕ならばすんなり表情から読み取れてしまうだろうから。

「うん、夜道で猫の叫び声が聞こえる。そこには猫の皮を剥いで自分に縫い付けてる女がいた。その女は『あなたも猫になりましょう』と問いかけてきて、それにはいと答えると猫女にされる。概ねこんな内容だね」

 無言で肯定する。僕が聞いた怪談話も多少脚色なんかはあったと思うが、そういった内容だった。

「うん、それで、実際ここ最近、皮を剥がされた猫の死骸が多く発見されててね。不審者の通報もあるからぼくらは猫女事件って呼んでる」

「はぁ……」

 だからなんだというのだ。話せることはもう無い。聞かれない限りは、だが。

「実はね、都市伝説には語られてない、警察内部だけで留めてる情報があるんだよね。だからここからは内緒話。ぼくの独り言、偶然会話になっちゃうかもしれないけど、ね?」

 柔らかい口調と裏腹に、巨大な鋼板で上下から押しつぶされるような圧迫感に襲われる。この男は多分、魔術師か何かだ。そうでないとしても、外法か何かを使うに違いない。

「実はね、今まで見つかってる猫の死体。なくなってるのは皮だけじゃないんだよね」

「どういう意味です?」

「一部が食われてるんだ」

 オブラートに包まない、直球の言葉がしたたかに胸を打ち据えた。おそらく、傍目から見ても動揺しているのだろう。手の震えが止まらない。これは人間のやることではない。もはやそれは、人間ではないのではないか?

「歯型はどれも一致しているから同一犯だろうと思う。見た感じ君よりは小さな口だから、安心して」

 なにを安心しろというのだ、そんな狂った人間の魔の手がすぐそこまで伸びていたかもしれないというのに。犯人から外れたといいたいのだろうか。僕は無意識に大聖寺を睨みつけていた。

「ここまでは証拠もある事実。ここからはぼくの想像」

 ぱん、と一つ手を打って、大聖寺は懐からボロボロの手帳を取り出した。よく使い込まれていると言うよりは、扱いが雑すぎるようにも見える。

「猫女事件の犯人が、都市伝説の猫女だとすると、皮は猫女が持ち歩いてるか、マジで縫い付けてる可能性がある。一部を食ったのは、多分同化したいからなんじゃないかな」

「同化……ですか?」

食人カニバリズムって知ってるかな。いや、知ってそうな顔だな。」

 知ってるが、何かいやな含みが感じられる。

「食べた人と同一になりたいから食べるという考えもあるらしい。キリスト教でいうパンとワインをキリストの肉と血に見立てているようなもんだな。だから……」

 それに何の関係があるんですか、とは言えなかった。内心、少し理解仕掛けていたが、あえて放棄した。放棄すべきだった。僕が人間でなくなる前に。

やっこさん。猫になるために一部を食ってるんじゃねぇかってね」

 答えることはしなかった。せっかく放棄したのに無理やり手中にねじ込まれた気分だ。大聖寺の口角がさらに鋭く上がる。

「それで、それと僕に何の関係が……」

「お礼だよ。猫の死骸あれは」

 大聖寺は手帳から一枚の写真を取り出した、古臭い色あせた写真だ。可愛らしい三毛猫が写っている。一緒に写っているのは大聖寺だろうか、随分と顔色がよく、同一人物だと判断するのに時間が必要だった。

「ぼくが昔飼ってた猫はね、たまに虫とかネズミとかを狩ってくることがあったんだよ日頃のお礼をしてくれてるみたいにね」

「だから、僕に猫の死骸を持ってきたと?」

「そういうこと……君、猫女に会ってるだろ」

 話を飛ばしすぎている。言いたいことは全部すでに知っているとでもいいたげに。事実、言いたいことがすべてわかるのだから、たちが悪い。この男はほぼ確信している。猫女にとって、僕がなにか重大な意味を持っている存在ではないかということを。そして僕にはその心当たりが存在している。

「関連性があるとは、思えないのですが……」

「それでいい。とくになら大当たりだ」

 あぁ、ならばだ。彼岸と此岸の端境で揺れ動く者だ。自覚している分、この男は踏みとどまっているのだろう。辛うじて、ではあるのだろうが。である以上、この男に隠しても無意味だ。あのときの出来事を、洗いざらい話すことにした。無関係だと思いたいのに、無関係だと思えないあの出来事を。

「数日前のことです……」

 大聖寺はひたすらに興味深そうな表情で僕の短い話を聞いていた。このときばかりは、確かに生きているような表情をしていた。猫女のこと、学校で聞いた話のこと、時折大聖寺は細かいところまで詳細に、重箱の隅を楊枝でほじくるように聞き出してきた。あまりいい気分ではない。

「なるほど、つまりその女が猫女になるきっかけを担ってしまったのかもしれないと」

 いいにくいことをすっぱりという人だ。考えないようにしてきたことだったのに。心に碇を結ばれたかのように気分がどんどん沈んでいく。今ならあの木場という男の言動が、体面よりも優しさを見せていたのではないかと思えてくる。畜生、気分が悪い。

「まぁ、辻褄は合う。」

 猫女という都市伝説が実在するという前程有りきではあるが、まぁ辻褄はあっているのだろう。少なくとも彼の中では。

「君はまさに謝礼を受けた。猫になる切っ掛けをくれた人物に、お前も猫になろうとまだ手を付けてない猫の死骸を差し出してきたというわけだ……しかし、皮は剥がされていたのか……」

「あの、大聖寺警部、今日はここまでに……」

「静かに」

 木場は一つ割り込んでみたものの、たった一言で黙ってしまった。なんと頼りないのだろうか。それとも大聖寺になにか弱みでも握られているのだろうか。それともこの彼岸と此岸の間で彷徨う男に対して苦手意識を持っているのだろうか。おそらく後者なのだろう。僕だってこんな男は苦手だ。

「うーん、多分、中身はともかく、外はまだ完成してないのかもしれない」

 よし、と大きく手を打って、突然立ち上がった大聖寺は天井から垂れ下がる電灯に頭をぶつけそうになったことも気にせずに意気揚々としている。

「ちょっと現場を見てみようか」

 有無を言わせない圧力はやめてほしかった。

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