猫女事件
猫女事件:プロローグ
第1話:猫女事件:プロローグ
ある日の登校中、通学路の脇にある駐車場に猫がいるのに気がついた。野良なのだろう、首輪はなく、どことなく汚れの目立つ灰色の猫だった。しかし、肉付きや毛並みは良いと言える。誰かが餌をい与えているのだろうか。日当たりの良い場所に陣取って欠伸をしている。
それは良い。問題は、道路の反対側からその様子をただじっと見つめる会社員と思しきビジネススーツの女性だ。目の隈が化粧で隠しきれていない彼女は、焦点が定まっているかも怪しい目でただ猫をじっと見つめていた。ひと目見て、危険であると悟った。通り過ぎる列車かトラックに身を委ねそうな、彼岸と此岸の境目で揺れているような、極めて危うい状態だと素人目にもわかる風貌だ。
僕はその前を横切らなければならない。回り道なんて便利なものはない。
決して目を合わせないように、猫にも、女性にも関心がないのを装わなければならない。万が一にでも関わってしまえば向こう側に引きずり込まれそうだった。伏目がちに、急いでいるのを語るかのように早足で、さっさと過ぎ去ってしまいたい。
「ねぇ」
無駄な努力だった。ここには女性と猫と、そして僕しかいなかい。頼むから猫に語りかけていてくれと信じてもいない神や仏に祈った。
「猫はいいわよね、ね?」
あぁ、僕に言っている。走り去ってしまいたいが、どこまでも付いてきそうだ。嫌だ、億劫だ、怖い。そんな感情ばかりが脳内を渦巻いている。
「羨ましいわよ、ね?」
適当に答えて、さっさと逃げてしまおう。
「えぇ、叶うならば、僕も猫になりたいですよ」
あぁ、答えてしまった。余計なことを言わずさっさと逃げるのが正解だったか。できるだけ目は合わせない。深淵を覗くとき、また深淵もこちらを覗いているとかいう言葉を思い出した。そんなもの、覗きたくも覗かれたくもない。だが女性の視線はこちらを捉えて離さない。ゴルゴンに見つめられて石になったようだ。いや、石になったほうが随分とマシだ。
「そう」
顔は見ようと思わなかったが、口元が目に入った。
あぁ、笑っている。
制服の襟元から氷水を流し込んだかと思う程の悪寒が走った。腕時計をみてわざとらしく駆け出す。逃げたのだ。逃げて何が悪い。あんなものにこれ以上関わると、私まで人間じゃなくなりそうだと思ったのだ。走って、走って、気がつけば校門だった。始業にはまだ早く、生徒も疎らで、不可思議なものを見る目が突き刺さった。日常に帰還したのだと思った。
翌日、猫はいなくなっていた。
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