第15話

「入院してから移植まで二週間もかかるのかい」

「だからあなたは人の話を聞いていないと言うのよ、先生がおしゃっていたのでしょ、まずは美佳の中にある病気になった骨髄の細胞を全て駆逐しないといけない、そのためには強力な放射線や抗癌剤を入れるの。それが二週間よ。この間は結構色々の副作用が出てかなり辛いということよ。そして美佳の骨髄細胞が無くなったところで新しい骨髄を移植するわけ、移植後の細胞が増えるまでは無菌室で面会謝絶よ」

全く迂闊だった。ドナー探しに夢中になっていてそのあとのことにまで頭が回っていなかった。

「面会謝絶、術後はそんなに大変なのだ、それならとにかくこの日曜日入院前に美佳に会いに行って来るよ」

「そうね、私も一緒に行くわ、その後ランチでもしましょう。移植前の前祝いよ」

「それはいいアイデアだ」

俺はそっと、気付かれないようにため息をついた。すごい進歩というか変わりようだ。こんな失言をしたら以前なら大逆鱗で最強台風の大嵐状態になるのに一緒に美佳の見舞いに行こうなどとこちらの話についてきてくれる。本当に美佳の病気のおかげでこうも家族がまとまるとは夢にも思っていなかった。白血病様様だ。

「ねえあなた、私思うのだけれど、今回のこの事件はまあ私たち家族に神様がくれた試練みたいなものよ。今まで美佳は本当にいい子だったし、あまり苦労も知らずに育ったわ。それは私たち家族全員がそうだと思うの。あなたも仕事はうまく行っているし、私もおかげでお金に困ることもなかったし、あの子もそれなりの学校に行っていい人も見つけて。だから多少は何か試練を与えなくてはと神様が思ったとしても当然かもしれない」

何かもう移植が成功したかのようなそぶりだ、まあ多分うまく行くのだろうけれど、それも何よりも長崎というドナーがいるおかげなのだ。

「まあでもこの試練、まだ終わってはいないのだよ」

「そう、でもきっとうまく行く、なぜかうまく行くという確信みたいなものが湧いて来るの、だってあなたがついていてくれるから」

「はあ、今日はまあどうしたのか、風が全く違うよ」

「何言ってるのよ、二五年も夫婦やってるのよ、あなたが何考えているかなんて手に取るようにわかるわ」

「美佳も今日は幾分か元気そうだったな、最近は少し食べられるようになったって」

「確かに、薬も効いているみたいだし、何より移植という希望が出てきたのが大きいわ」


翌十一月の木曜日、全てが予定通り進んで行った。

美佳は二週間の前処置の影響で相当衰弱していたがそれでも笑顔で手術室へ入って行った。大丈夫、これで元気になれるから。美佳の前で夫婦二人顔を揃え送り出した。あらためて家族っていいなと思う。智子も美佳もなぜかとてもいい顔している。美佳からはこれを乗り越えるのだという漲りがひしひしと伝わって来る。智子はもう全てがうまく行ったかのようにとても上機嫌だ。

長崎は前日約束通り上京して来た、我々が用意したホテルに入ってゆっくりしたようだ。挨拶をしようと思ったが前日なのでいろいろ煩わされたくないと断られてしまった。内心他人のために本当に東京までなんか来てくれるかとちょっと心配したのだけれども、それは杞憂であった。移植当日の朝長崎に会って改めて見て美佳とよく似ていると思った。他人の空似とは言うけれどでもそれでも良く似ている。今はいろいろ進歩していてドナーは日帰りが可能である。ほとんど挨拶も交わす間も無く手術室へ入ってしまった。そしてその日の夜には長崎へさっさと帰ってしまった。なぜかそれ以上の接触は避けているようで、詳しく昔を掘り起こすことはお互いしなかった。

移植後は無菌室管理で二週間は絶対安静で面会も謝絶だった。先生からはとても順調ですとの報告を受けているので心配はなく、病院にも行っても会えないし何もできないので普段と同じ仕事と家との往復が続いた。

友達周りも一段落した加代子も最近は家にいることが多くなった。俺のために食事も用意してくれて、夜は晩酌などもしている。元が下戸の私では晩酌という習慣はなかったのだが、でも食事と酒を用意して相手してくれるというのはとても気分のいい時間だ。気が安らぐ、この歳にして初めて知ったことだ。酒が回って来ると自然に饒舌になるし、気も緩む。

「加代子さんも帰って来て四ヶ月、もうすっかりこっちの人になったね、着ているものだってこっちのものだし」

「それはお兄さんのところに置いてもらったのが一番大きいと思う、こうしてお酒の相手をしていると長い間の夫婦のような感じがして来るの。ハンスのことを忘れたわけじゃないけれど、それはもちろん毎日思い出しているのだけれど、でもなぜかとても遠い昔のことに思えてしまう。人間って薄情よね、今ある現実が一番、私お兄さんのところがとても安らぐ」

 確かに酒と料理と優しい女、これで男が参らなかったら不思議だ。目の前いっぱいに加代子の目がある、唇がある、誰も止められない。

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