第13話

 おそらく傍目には誰も何も気が付いていないだろう。これが俺の最大の欠点だ。普通のことは普通にこなしている、会議にも出ているし社長としてそれなりの発言もして決断もしている。会社は今まで通り回っており何も変わっていない。智子のようにもう少し気兼ねなく自分の気持ちを表せたらどんなに楽なのだろうかと思うが、というかそれができる人のことを羨ましく思う。日々の普通のことを普通にこなしていくことが、それ以外はありえないという固定観念が、どうしても払われないこの俺の体質は如何とも仕様が無い。確かに日々をこなして初めて今の日常が保てる訳ではあるがそれを壊すとどうなるのか、端的にいえば智子とキッパリ別れてしまえばスッキリとても楽なのだろうがそんな勇気は全くない。本音はとても憶病なので、自分が努力をすることで対応できる限りにおいては波風立てないようにこなしていく、またそうできてしまうことがよくないのだろうけれど。

 美佳はとにかく体調の維持が最優先ということで先週から病院に入院した。食事ができないので二四時間点滴で栄養の補給を行いつつ体に優しい薬からトライしている。俺の会社からは近いので夜見舞いに行くといつも泣いてばかりいる。現実が現実だけに慰めの言葉も見つからない。それで手持ち無沙汰に隣にいるとあなたは何も元気付ける言葉はないのかと智子から叱責される。それでも関係各方面に連絡してドナー検査に行ってもらっていることは話しているけれど、それらの人の近況を話したところで何にもならない。この話、ここまできたら適当なお慰めはかえって害悪だ。真にできることはまだ他に何かないか必死に頭をふりしぼっている。

 毎週のように台風の嵐に晒された東京の九月だった。自分の中が嵐なので外も嵐の方が気が落ち着く。台風一過の晴天などと言うのがあると無性にイライラする。それでも一つ変わったことと言えば智子だ。話していてもすぐには怒らなくなった。百人からの人々にドナー検査をお願いしているので、およそすることが山のようにある。細かいことでいちいち引っかかっていたらなにも進まない。会社でもそうだが忙しいということは結構まとまりを良くする。智子と平和的に話が終われるのはとても救いだった。

 十月の遅ればせの台風の後、雲が激しく流れている月曜日に病院の先生から電話があった。

「水島さん、おめでとうございます、やりましたね、ドナーが見つかりました」

「本当ですか、誰なのですか。それでは美佳は助かるのですか」

「長崎の人です、あなたの精力的な努力の結果ですよ、それも稀に見る一致でパーフェクトドナーですよ」

「先生、ありがとうございます。良かった、本当に良かった」

 涙が止まらなかった。

 それは智子の従兄弟の又従兄弟になる郷里の長崎の学校の先生、大学までは東京にいて智子もそばに住んでいたのでよく休みの日など一緒に出かけたりしていた。東京の大学を卒業後郷里の学校の先生になっていたのだが、私が最後の伝手だと思って電話をし、最初はなかなか渋っていたのをなんとかお願いして長崎で採血をしてその血液を東京に送ってもらったのだった。

 良かった、本当に良かった、これで美佳は治るのだ。

 俺は直ちに長崎に飛んでドナーとはどういうものか、どんな手術をするのか、どれほどのリスクがかかるか、とにかくこのチャンスしかないので必死にお願いをした。智子はドナーが見つかったことは本当に同じように喜んでくれたが、でも何故だか長崎にお願いに行くのは渋って私だけが行った。

 速攻日帰りの長崎行きだったがなんとか了承を取り付けることに成功した。帰りの飛行機では機内のワインを飲んでひたすら眠ってしまった。着陸したのも全くわからずみんな降りてしまっていてキャビンアテンダントに起こされる始末だった。久しぶりによく寝た。

 次の週、細かい手はずの相談のため先生に会いに行った。

「水島さん、診察室三番にお入りください」

 夕方の外来診察室はもう誰もいない。病院特有の消毒の匂いと何か物悲しいというより重い空気が支配している。外来看護師の田中さんがにこやかに迎えてくれた。まだ若いのだけれどとても機転が効く優しい女性だ。

「水島さん、先生がお話しする予定だったのですけれど、今病棟で緊急の処置に呼ばれてしまったのでそこの椅子におかけになって少しお待ちください」

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