第10話

「やあ、間に合った」

「遅かったわね」

「そう、日本橋のどら焼き買うのに手間取って一本乗り遅れた」

「美味しそうなどら焼き、これは鎌倉にはないのよ、このアンコの重さがたまらない。鰻注文しておいたわよ 出て来るのに時間かかるから、ここ」

「鎌倉も相変わらず混んでいるね、駅から人が溢れていたよ」

「そうね週末はもう大変よ、外人の方が特に増えたみたいね」

「でも別荘の周りなんかは相変わらずとても静かよ」

「どうだい、別荘暮らしは」

「とても快適、何も不自由ないわ。それよりそっちはどう、いつもいつも加代子がいるのでは何かと大変ではない。あの子家事は全くダメだから」

「確かに、家事はしていないよ。尤も俺のことだけだから、週一回の家政婦さんで十分賄えているけれど」

「この鰻。いつ来ても美味しいわね、このタレの甘くないところが最高だわ」

「確かに、米の炊き方も固すぎずでふわふわ感をうまく出している」

「あなた」

「うん、何」

「最近鰻をよく食べるの」

「いや、滅多に行かないよ、行くのはいつも決まっているところだけだし。特に鎌倉には来なくなったからとても久しぶりだ」

「そう、変わっていないのね」

「うん、何が」

「いや、別に、なんか結構若返っているから鰻いっぱい食べているのかなと思ったの」

「そんなことはないけど鰻で若返るか、本当に」

「でもほら 睫毛の白髪がなくなっている。もみ上げも黒々よ」

「そうか、でもそれは良いことだ。確かに風邪なんか引かないよ最近は」

「確かにみなぎっている男は若いわね、ちょっと鼻につくけれど」

「そうかな」

「まあいいわ、あなたは結構幸せそうで。私も悠々自適しているから。それよりちょっと気になることがあるのよ、昨日平塚から電話があって先月から美佳が寝込んでいるのだって。しばらく下痢が続いてそのうち吐き出して、ほとんど何も食べられないそう、五キロも痩せたって電話があったの」

「はあ。それはどういうことかな、折り合いでも悪いのかい。恋人と実際に住んでみるのとは大違いということはよくあるからな」

「まあ、それはないと思うのよね、電話してきたのが旦那さんで、とても困っているようだったから」

「まさかもうできたということは」

「そう私も多分そうだと思うの。だから、来週産婦人科について行くことにしたわ」

「まあでも早いよな、式を挙げたのは先々月だったじゃないか」

「早くもないわよ、まあできちゃった婚でないだけでも良しとしなければ」

「そうなると色々準備も大変になるな、お前もとても忙しくなるだろう」

「うん、そうなの、だからあなたは当分一人でよろしく、まあ加代子さんがいるからいいかもしれないけれど」

「別に加代子さんは関係ないよ、何かしてくれるわけでもないし、あの人はしばらくすれば出て行くだろう」

「まあ、昔の加代子は結構お盛んだったけれど今はもう歳だし、それに日本にいなかったからお友達もいないわけだし」

「ああうまかった」

「そうね、今日のはとりわけ美味しかったわよ、最近の中では」

「よく来るのか、ここ」

「よく来るわよ、週に一回は来るかな」

「じゃあ俺より食べているじゃないか、鰻。どうりで元気だと思った、肌がツヤツヤしているからな」

「そうよ、あなたも同じくらいとてもツヤツヤしているからやはりたくさん食べているのかなと思ったわけ、そうでないとしたら何かしらね、その原因」

「さあ何かね、そんなにつやつやしているかい、俺」

「十分お若いわよ、ついでに支払いしてください、もう行くから」

 やれやれこの辺は何も変わっていないな。店から出ると先に出ていた智子が振り向いて

「では私はこれからお友達の舞の発表会を見に行くからね、またそのうち品川へ行くわ」

「え、そうなの、これから別荘へ行こうと思っていたのに」

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