第3話

「それで君は鎌倉でどうするの」

「べつに、ゆっくり生活するわ、鎌倉には友達の吉岡夫妻もいるし。それに美佳の新居は平塚よ、向こうのご実家は藤沢。新婚当初は何かと手助けが必要なことも多いわ。平塚と藤沢では近すぎる、私が鎌倉ぐらいにいて援軍になってあげなければ。まあ美佳は結婚したけれど私の母親としての役目が終わってしまったわけではないから」

「そんなもんかな、それって結構でしゃばりにならないか」

「そんなもんよ、私たちだって結婚当初は私の実家のそばのアパート借りていたじゃない」

「それはそうだけど、俺の場合は特別何も気にしなかったしありがたかったよ。仕事で遅くなることもあったから君がお母さんのところにいるなら安心だ、いろいろの意味で。そして俺も帰りに寄って毎日君のお母さんのご飯を食べていたよな」

「そう、だから私が鎌倉にいて陣地を作ってあげるの」

「それでは戦みたいではないか」

「そうよ、戦。これからは美佳たちがどっちになびくか、藤沢か鎌倉か」

「やめなさい 今日はおめでたい日、戦のことを考える日ではない」

「いいえ、人生は戦いの連続よ、あなただって今まで一生懸命戦ってきたではないの。確かに先方のご両親はとてもいい人だわ、それは本当にそう思う。であるがゆえによ、であるがゆえに戦いは大変なの。このあと美佳夫婦が基本どっちになびくか、どっちがその輪の中に入っていられるか。藤沢のお父さんは大院長、いい人だけれどそれほど細かいことへの配慮はあるかしら。これってお金とか住む場所とか何か基本的なところに問題があったらもっと簡単なの、それを解決するように動けばいいだけだから。でも今回基本はどっちもOK、 だからとりわけ細かい配慮機微が大事なの。そういうことあなたは不得意でしょ。だからあなたは東京でしっかり好きなお仕事をしてください」

「まあいいよ、そろそろ帰ろうか、今日は疲れただろう、そういう話はまたゆっくりでいいじゃないか」

「いいえ 確かに今日は疲れたわ、でもこの区切りのタイミングは大事よ。いいわね、あなたは品川へ、タクシーがすぐ来るから。私は歩いて東京駅に行く」

「え じゃ 今から鎌倉行くのか」

「そう そして当分帰らない」

「え そう まあ わかったよ、じゃ俺も鎌倉行こうかな、久しく行ってないし」

「いいえ 今日は私一人で鎌倉へ行きます。あなた、今日までご苦労様。あなたも肩の荷が下りたのだから品川で何気兼ねなくゆっくりしたら」

「そういうことか」

「ええ そういうこと」

結局披露宴の着物のままで智子は鎌倉に行ってしまった。後ろ姿を追いながらとめどのない無力感が襲ってきた。結構こういう時に鈍感なのだろうか、吐きそうとか目眩とかそんなに自分を見失うことにはならない、逆にそんな自分を冷静に見ている自分がいる。肩の荷が降りたら智子も降りただ。結局何だったのだろうか俺たちって。また同じことの蒸し返しだ。会社は順調で上場もした。その見返りに鎌倉に別荘を建てた。家に温泉を引いて極楽天国だ。そこまでは良かった。でも別荘って何なのだ、人は同時には一箇所にしか住めない。当たり前すぎること、品川からの鎌倉はとても近い、近すぎる。気が向いたら簡単に一時間ちょっとで行ける。

今まで何回やっただろうか。何か気に触ったことがあると、「あなた今日は鎌倉に行って」だ。最終のこだま号に何回乗っただろうか。

 鎌倉は楽しい街、あの駅を降りて感ずる緩い空気。リゾート感覚、これはとても貴重だ、人間を取り戻した気になる。でもリゾートの町はカップルばかり、どんなレストランでも週末は楽しげなさざめきで満員、一人ではどこへも入れない。スーパーの弁当買うのが精一杯だ。

 別荘を買って五年だ。この間に二人で一緒にレストランに入ったのは何回あっただろうか。思い出すのはとても簡単だ、合計三回のみ。一回目は買ったお祝いの時、次はその一ヶ月後に美味しいフレンチを見つけたと行った。そして三ヶ月後にそのフレンチで全く些細なことで大げんか。単に携帯の受信メールを見るのが遅かったということで、以後無し、これが現実だ。 

 品川では美佳のこともあるし、仕事のこともあるし、他にもいろいろな人との関係がある。鎌倉では純粋に二人だけのことだけだ。ところがそれが一日も持たない。結局別荘を作ってもそれは時々の避難所になってしまい、共に遊ぶということはなかった。

 品川の自宅に着いた、今朝までの騒ぎが嘘のように火が消えている。どこにも電気がついていない、闇の塊だ。

 茶をいれて結婚式のケーキを食べるか。

 啓一、よくお前今ケーキなんか食べられるよな。

 別に食べたいわけではないけれどほかに何もないしほかに何もすることもないだろう。

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