第4章 宿命

 

 俗に「風になる」という表現がある。

 バイクで疾走している時や、スカイダイビングをした経験談などで使われる表現だが、ソレを弘樹は体感していた。


( ヤベぇぞ魔法。こりゃあ、とんでもないスピードだ )


 魔法を駆使するホブゴブリンが強いのも道理と頷づける。弘樹は70メートル以上の距離を一呼吸で詰めていくハイスピードに自身で驚愕し、続いて歓喜した。


「えっ、ちょっと」


 エルフの少女が咎めるように声をあげたが、すでに弘樹は眼前に迫ったオーガへの攻撃動作に移行していた。迷うことなく大上段からの1刀を、大気を引き裂く勢いで振り下ろした。


 シュパンッ


 風切り音から斬撃。美しい音色の一刀は、水面を裂いたような抵抗感のみで振り抜かれ、オーガの右腕を切り落としていた。


( 殺れる。オレは戦えるぞ )


「今だっ。目を撃ち抜いてくれ」


「あぁぁあ、そういうことネ」


 エルフの少女は大きな瞳に宿した警戒の色を、邪気のない好意の光に変えた。屈託のない笑顔は変わらず、即座につがえた矢を放つ。

 オーガ達は知能こそ低かったが、1撃必殺のエルフの弓を警戒する程度には知恵が働く。顔面を武器と腕でガードしていたが、先頭のオーガはソノ腕を失っていた。

 切断された切り口に吹きだす血飛沫はなく、まるで表面加工されたかのような平面の切断面は、温度差による白煙を上げながら凍り付いている。

 悲鳴をあげるように ( 実際にそうだったのだろう ) 天へ向けて巨大な口腔を広げた刹那、ソノ口中へ白い光の尾をひいた矢が飛び込んでいった。

 オーガの悲鳴は脳と同時に凍り付き、目や口、その他の全ての穴からも白煙を吹きだしながら、頭部全てが氷結していった。


( スゲーぞオレ。スゲーぞ刀。魔法、マジでスゲー ) 


 弘樹は自身の強さに感動し、歓喜していた。ホブゴブリンを相手に苦戦した経験は絶望的な悪夢であり、理沙を失いかけたトラウマとして心に傷を残している。今、渇望した強さが手の中にある。湧き上がる歓喜は無限だった。

 それから、弘樹は残りのオーガを無視するように振り返ると、エルフの少女を見つめた。


「スゲーな。スゴイ弓だ」


「そぉーかなぁ?

 ただのアイシクルショットだよ」


 稚拙な称賛に対して、少女は愛らしく小首をかしげて説明する。ただし、褒められた嬉しさは満面の笑みとなり、ソノ表情は輝きを増した。それから、エルフの少女は警戒を促すように、弘樹の背後へと顎をしゃくる。

 ソノ仕草へ、弘樹は「承知」とアイコンタクトを返して、サイドステップしながら棍棒の1撃を躱した。


( 遅いっ。っと言うより、オレが速いのか )


 弘樹の元いた位置に棍棒が叩きつけられ、大地が震動して土煙が上がった。

 魔法による強化は効果絶大だ。筋力や視力の強化だけではなく、全ての感覚器官がリミッターを解除されたような、爆発的な能力を開放している。


( 判るぞ。訊こえるし、感じる。全部、見えてるみたいに判るぞ )


 オーガが草を踏む音が訊こえ、攻撃時の息吹きが伝わり、振り下ろす棍棒の風切り音を感じとる。回避行動はソレら全ての予兆を確認してからでも、充分に間に合っていた。


 シュパァァーン


 切断と凍結の音が重なり、このオーガも腕を切断される。直後の弓撃によって頭部を凍結。即死した。

 オーガの死体を飛び越え、残る2体と対峙して右正眼の構えをとった弘樹は、自分の役割が、少女に接近しようとするオーガをブロックする事だと認識していた。獣の解説によれば、狩人の獲物を横取りするのが不敬な行為だということで、意識して尊重したからだった。


「キミこそ、いい剣だね。初めて見たけど、ショートソードなの?」


「いや、日本刀っていうんだ」


 弘樹は自分の武器が褒められたことが、素直に嬉しかった。元々は藤からの贈り物なのだが、刀を扱う剣士として、一流の弓使いからの称賛は大変な栄誉に思えたからだ。

 背中を向けたままで、自然に「日本刀」という呼称を使ったが、効果は劇的だった。


「ニホントウって、ウソでしょっ!」


 激しく動揺した口調で、少女が上ずった声をあげる。


「本当さ。正確には、脇差っていうんだけどな」


 言うが早いか、弘樹は一気に踏みだした。オーガの突きだす石オノを叩き切り、続く横薙ぎの一閃で、右足を膝の位置で切断する。


( 凄い切れ味だ。骨だろうが武器だろうが、水を切るような感触しかないぞ )


 弘樹は自分の技に自分で感動していた。如何な名刀であろうと、ここまでの切れ味が日本刀にある訳がない。魔法の付与、その効果の強力さに改めて魔法の怖さを認識する。


( これが、魔法の力なんだ 。しかも、コノ世界では当たり前の武器ってことか)


 足を切断されて、姿勢を大きく崩して倒れるオーガ。その右目をアイシクルショットの正確無比な矢が貫いた。


「キミにお願いがあるんだけど」


 唐突な少女の要求に、弘樹は一瞬だけ振り返って視線だけで問うた。


「最後のソイツ、キミが斬ってみて。できれば脳天から股まで、一刀両断でさ」


 凄い発言すぎて、弘樹の喉が鳴った。それ自体も発光しているような美しい金髪をなびかせる少女が、やや高圧的な口調で、発して似合う要求ではなかった。


「平気で無茶ブリしてるけど、ソレって普通なのか?」


「ニホントウ。凄いんでしょ」


「承知!」


 僅かな逡巡の後、弘樹は呼気を切るように了承した。子供じみた理屈に苦笑さえ浮かんでくるが、無邪気なだけに断れなかった。そして、今の弘樹は絶好調に勢いに乗っている。

 構えを下段脇構えにし、最後に残ったオーガへ正対した。


( 今のオレはスピードもダンチだ。見切るのは、難しくないっ! )


 低い唸りを上げて突進してくるオーガを前に、弘樹は両目を半眼にして、全身に活力を漲らせる。

 オーガが2メートルまで接近し、棍棒を振り上げても、弘樹は脇構えを維持していた。そして、振り下ろされる棍棒を認識した刹那、柄で受けてから横へと流す。

 オーガの崩れた身体をサイドステップで見送った後、間を置かずに横薙ぎの棍棒が襲い掛かかってきた。

 この時、オーガにとっては弘樹が消失したかのように思えていた。

 驚愕と動揺で棒立ちとなるオーガ。ソノ姿は魔法強化された脚力に任せ、垂直跳びした弘樹にとっては、絶好の標的となっていた。


「うおぉぉぉっ」


 唸りを上げる刀身は落下速度を加えて閃光のように走る。

 威力が魔法で強化されているとはいえ、脳天からの袈裟斬りを完遂するには、このようにオーガを停止した状態にしなければならない。だからこそ、弘樹はオーガの動体視力を超える速度で挙を突き、この機会を生みだしたのだった。


 シュパァァァァ


 切断面を氷結させながら両断されたオーガは、浮かべた驚愕の表情まで凍りついた状態で、白煙を上げながら左右に分かれて倒れていく。


( 殺った。できたぞ )


「あんがとネ。けっこう楽しかったよ」


 エルフの感想は、まるで鑑賞した映画の評価だった。他意なく娯楽を称賛する笑顔に、弘樹は再度の苦笑を浮かべる。


「楽しいって、言われてもなぁ」


 手にした脇差を一振りしたが、切断面を氷結させる刀身に血のりは付着してなかった。ただの習慣的行動だったが、弘樹の表情が困惑しているので、どうにもサマにならない姿となる。


「ニホントウって、キレイな剣だネ」


「知ってるのか、日本刀?」


「見るのは初めてだよ。

 あっ、ワタシはノーランズ・ファラ・ヒューイ。ノーラでいいよ」


 少女がシャキッと立つと、腰までのマントがなびき、かしげた首の動きと併せて愛らしい動作となった。しかし忘れてはならない。このノーラと名乗った少女は弓の連撃で巨人を、オーガを殺しまくった存在なのだ。


「オレは弘樹だ。よろしくな」


「ヒロキだね、よっろしくぅ。

 んでさぁ、アッチに『カシン』がいるけど、姫様の剣士なんでしょ?」


 ノーラの気さくな態度に弘樹も笑みを浮かべたが、「カシン」という尊称を普通に使う少女に対して、説明できるような材料が見つからなかった。


「・・・あぁアノ、神様、だよな」


「なぁーにぃ?

 なぁーんか言い方、あやしくなぁーい?」


 ノーラの懸念ももっともなのだが、弘樹には何をどう説明すべきなのかも判らなかった。どんな時でも凛として話す冬華の凄さを実感していた。


( やっぱアレか。オレのアホな話しより、冬華さんだよな )


「とにかくさ、紹介するよ。皆のところ、行こうぜ」


「うぅぅーん、まぁいっか」


 半分は演技であり、困った弘樹をからかう意図で、ノーラは時間を置いてから了承した。ただし、残り半分は何やら要領を得ない態度を含め、警戒心を抱いているというのが、実際の心境だった。


「でもソノ前にさ、コイツらを埋めないとネ」


「埋めるって、地面にかよ。このオーガを?」


「そうだよ。ソレが栄養になって、森が元気になるんだから。

 もしかして、知らないの?」


 オーガを肥料にするという意図なのだろうが、弘樹にとってはソノ知識は問題ではない。オーガを埋めるという膨大な手間を問題視しているのだが、ノーラの口調はコンビニでの買い物のように、安易な発言だと思えていた。


「そうだな。オレは、知らないんだ」


「じゃぁワタシ、色々教えてあげるネ」


 自嘲気味に笑う弘樹に、ノーラは嬉しそうに笑みを返した。

 それからの光景は、弘樹を驚愕と絶句に追い込んだ。呟くように小さな声で詠唱を始めたノーラは、オーガの死体がへ手をかざした。続いて草原が海面のように波打ち、水面へ沈むように、オーガの死体が地面へと沈んでいった。

 範囲にして直径10メーターほどの草原が、膝の高さまであった草も失い、真円の土の地面へと変わっていた。

 魔法での土葬に度肝を抜かれた弘樹を、ノーラは面白そうに見つめた。


「もしかして、驚いてるよネ。ヒロキもアイシクルソードを使ってたから、知ってるんだと思ってたよ。

 オーガの血は、森にとっては毒なんだよ。でも、埋めると栄養になるの。だからぁ、凍らせてから埋めるの。ソレがワタシたちの法律だよ」


「なぁノーラ。ソノ法律って、違反したらどうなるんだ?」


「イハンって、破るって意味?」


「まぁ、一緒だ。破った罰って、どうなるんだ?」


「森の栄養にするんだけど、ホントに何も知らないんだネ」


 要するに違反者も埋めるという事だ。愛らしい笑顔で教えられ、弘樹の作り笑いも凍りついた。





 ソレは昼食を兼ねた休憩時間であったが、状況説明という催しのお陰で、心身を休める者もいない時間となった。

 漂着者である弘樹ら現代人類も、「姫様」なる前漂着者であり、前契約者でもある人物の、その最期の経緯は知らないのだ。

 昼寝をする者も、音楽を聴く者もいない。全員が獣の話しに耳を傾けていた。


「講和条約の締結には、側近や剣士、衛士からも陰謀論が絶えなかった。一方で、全面対決を続けるには、すでに世界が疲れ過ぎている。

 公平な条件は望めないが、世界を休ませるには、圧政であろうとも、ソレも安寧の1コマという考えだ。

 そして約束の場所は、待ち伏せの場所でもあった」


 内容は弘樹にも理解できたが、かなり詳細を省いた説明だった。事の成り行きを、その経緯を知っているノーラへの説明なのだから、ソレも当然なのだろう。必然的に、不足した部分の解説は冬華の考察に頼ることになった。

 弘樹だけがそう考えているわけではなかった。今では冬華の明晰な頭脳は、この集団の頭脳ともなっている。その冬華も、特に獣の話しに質問を交えず、訊き役に徹している。当然、後で考察するためだった。


「それで、全滅しちゃった。って事なの?」


 ノーラの声には、はっきりと判る困惑と、憤りが込められていた。


「襲撃者の陣容はゾンビ千体とスカルナイト500を先方に、オーガとオークの混成部隊が2千。衛士に抗える数ではなかった。

 衛士隊は初戦で壊滅し、姫の逗留する屋敷は別動隊のホブゴブリン2千が包囲した。ヤツらは武芸を会得し、魔法を扱える上級種。我も千匹程度を狩り殺したが、そこまでだった」


「千って、・・・」


 ノーラの絶句した様子に、弘樹もホブゴブリンの驚異的な戦闘能力を思いだす。しかし、絶句したノーラの評価が、弘樹の感想と逆の意味だとは、次の発言で思い知った。


「仮にも『カシン』のアンタが、ホブの千や万ごとき、何を寝ぼけてんのよ」


( ごときって、無茶ブリしすぎだろっ! )


 弘樹の想像の範疇では、戦力差1000対1での戦いなど、そもそもの戦闘自体が成り立たない。しかも、その倒したという1000体は、総数2千以上の中の1000匹なのだ。ソレを、ノーラは当然の不服として非難しているのだ。


「ホブゴブリンだけではない。敵には、ライフル兵もいたのでな」


 ソノ「ライフル兵」というワードが指す意味と、そのワード自体のインパクトは、常に冷静を心掛ける冬華やザジィにとっても強烈なモノだった。


「・・・そうよね、汚いヤツら。そうか、みんな、死んじゃったんだ。

 ・・・やっぱり許せない。シュメイレのヤツら」


 悲しみに震えた口調のノーラ。誰もが声を失い、見守っていたが、強烈なアッパーカットはザジィを筆頭に、特にスメイル解放戦線へとヒットした。

 日本ではスメイルと表記されるが、発音的にはシュメイレが正しい。その国名がノーラの口からでたのだ。それも、卑劣な敵としてだ。


「なんだって!?」


「今、シュメイレって」


 デルとカルの声が重なり、以後は勝手な質問、疑問が重なっていく。

 騒乱はザジィが声を張り上げて制止しても収まらず、そのザジィ本人でさえ内心の動揺は激しかった。


 「ちょっと待ってよ。アンタら、シュメイレの何なのよ?」


 座して獣の話しを訊いていたノーラだったが、コノ騒乱の中でも鋭敏な聴覚は全ての発言を詳細に訊き分けていた。加えて、彼らもライフルを所持している。姫様の衛士の生き残りとしては、奇妙な装備だった。まるで、ソレはライフル兵の姿であり、一部の発言もソレを裏付けていた。

 立ち上がったノーラは、すでに弓を構えている。矢じりは「シュメイレって、オレ達の国か?」と発言していたデルをポイントしている。


「よせっ、武器を降ろすんだ」


 ガマトが警告と同時に自動小銃をノーラにポイントした時には、カルも援護位置に立ち、自動拳銃を構えていた。他の解放戦線メンバーは挙を突かれ、銃杷を握った状態で硬直していた。


「おろすわけないでしょ。どぉーりで、シュメイレの連中に肌の色が似てるわけね」


「待てよノーラ。

 コノ人達ってさ、スメイルってトコの敵でもあるんだぜ」


「何よソレ?

 笑っちゃうんだけど」


 慌てた弘樹の説明に、ノーラは本当に鼻で笑っていた。ただし、笑みは口元だけであり、弘樹の意図とは逆に、ソノ解説を裏付けとして瞳は殺意に染まっていた。


「エルフの狩人。弘樹の話しは本当だ」


「低い声だしたってダメよ。それに、この人数なら勝てるとでも、思ってるワケ?」


 ザジィの努めて平静な釈明も、火中に油を注ぐ効果しかなかった。

 騒然とする周囲を伺いながら、冬華は犬塚の耳に口元を寄せた。


「おそらく、敵の正体はスメイル共和国陸軍ね。『姫様』なる漂着者を殺して、犬神サマに追っ手を放った敵よ」


「おいおい、スメイルって。ココは地球でもないのにか?」


 激怒するノーラからは視線を外さず、犬塚は怪訝な表情を作った。


「私も今になって気づいたの。犬神サマが気乗りしないわけだわ。

 ジガ基地の消失。ソレがコノ世界にかかわってる」


 その冬華の説明に、じわじわと犬塚の表情が固まっていく。

 冬華はSAT隊員へハンドサインで待機を指示しつつ、介入を禁止する意思を伝達する。

 冬華のような洞察力がなくとも、コノあからさまな事態を見れば、ある程度の推測はできる。今では警察とスメイル解放戦線は、同じ漂着者であり地球人だという括りにおいて共同体ともいえる。ただし、根幹の母国としての立ち位置としては、同盟国の反乱分子ということにもなる。当然のことながらソレら反社会、反政府組織と警察は懇意ではないのだ。同胞や味方という繋がりは、状況次第で簡単に消滅するのだ。


( どっちを選ぶかで、状況は一変するわね )


 冬華の判断ではザジィとの同盟を維持しても、破棄しても、別々にリスクが存在する。同盟関係にある日本の警察官である犬塚と、本国と交戦状態にある兵士のザジィ。ここに来て、水と油が浮き彫りになった心境だった。


「ソノ人間と、シュメイレの長の言は本当だ」


 獣の低い声は、場違いなほど棒読み口調だった。少なくとも、懸命に説得しているとの印象は受けなかった。


「どう本当だっていうのよ?

 姫様に感動して、祖国を裏切ったってこと?」


「祖国などではない。奴らは、略奪者だ」


「存じてらっしゃるみたいね。シュメイレ帝国は全部奪ったわ。滅茶苦茶にして、沢山殺した。仲間も、友達も」


「帝国、か。・・・奴らのやりそうな事だ」


ザジィは唇を歪めた。歯軋りが訊こえてきそうな表情を前に、ノーラが一瞬だけ怯んだが、瞳に宿った怨嗟が消えたわけではなかった。


「誤魔化さないでよ。アンタ達もシュメイレじゃない」


「一緒にするなっ!」


 さらに喰いつくノーラを、カルの憤りに満ちた否定が追い討った。

 息を吞んだノーラはカルを見つめ、何かを感じ取ったように、引き絞った弓から力を抜いた。

 そのノーラの前、真っ先に弓の標的となる位置に、ザジィが進みでた。


「俺達はスメイ・・・シュメイレの人間だが、全員が親や子供、友人を失っている。シュメイレの犬によってだ」


「だったら、アンタは・・・」


「奴らを狩る者だ。それは信じてほしい」


 ザジィの声に確かな意志を感じたノーラは、込み上げる涙を首を振って誤魔化していた。壊滅寸前の村の窮状に対して、ザジィの力強い宣言は待ち望んでいた台詞だった。頼もしい存在を前に、張りつめた緊張が緩み、涙が浮かんだ。


「詳しい話しは、評議の席でよいのではないか?」


 いつになく積極的な獣の提案に、冬華は今後の選択肢を思案した。ノーラが渋々了承した様子であることから、獣が言った「評議」というのが、文字の通り、エルフの裁定機関であるのは明白だった。


「なぁノーラ、色々話そうぜ。俺たちが戦う必要なんてないんだ」


「そう、ね。ワタシも訊きたいしね。色々と」


 結局、弘樹の説得がダメ押しとなり、ノーラは弓を収めた。


「ソノ前に、頼みたいことがある」


「珍しいじゃない。『カシン』のそんな態度」


 ノーラの返答は泣いたことへの照れ隠しから皮肉が込められているが、驚いているのも本心だった。神として存在する聖獣がノーラへ、一介のエルフに対して「頼み」という台詞を使うのは、とても異例なことだった。


「我の回復が思わしくないのでな。人間たちの治癒と、新たな契約者のリチャージをしてもらえるか」


「そんな事もできないの?

 いいわ。やったげる」


 ノーラの言う「そんな事」、回復魔法ヒールによる治療が冬華を含めた負傷者全員に施された。

 能天気に「スゲー」を連発する弘樹を尻目に、冬華は治癒された腕の具合を確認していた。倦怠感のような疲労に似た億劫さを意識したが、打撲や裂傷も含め、後遺症はゼロだった。患部には傷痕すら残っていなかった。脳内に「まるで魔法だわ」と呟いた後、意図せず自嘲が零れた。


「本当に治ってるんですねぇ。魔法みたいってぇ、言いたくなっちゃいますねぇ」


 花蓮の言葉に、冬華は内心の苦笑いを鎮めた。近代文明に囲まれていた人間にとって、魔法に対する脅威や驚愕は同一なのだ。ソレは数回とか数日の体験で慣れ親しめるレベルではなかった。


「でさぁ、ソレって何なんだ?」


「コレは『Mの実』だよ。ホントに知らないの?」


 ノーラは自分を注目する弘樹と花蓮を前に、得意げに尋ねた。


「いや、だから。知るわけないだろ。エルフと会ったのだって、ノーラが初めてなんだぞ」


 弘樹の抗議は本音だった。自分が石器人に堕ちたような不安感と、上から目線に対する不満が混じっている。


「一昨日来たばかりなんでぇ、宜しくぅ、ご教示お願い致しますぅ」


 花蓮が弘樹を補足するように丁寧にお願いすると、ソレはそれでノーラの自尊心をくすぐったようだった。


「そだったよネ。

 コレは魔力回復の魔法『リチャージ』を使うのに、媒介として必要な実なの。ケッコウ貴重品なんだから」


 胸を張るノーラの声は、やはり楽しそうだった。


「魔力の回復ってのは、ゲームのMP回復みたいなヤツか?」


「ソレってよく判んない。ゲームってなぁーに?」


 弘樹は思考回路がパンクしそうだった。当然すぎる常識を知らない相手に説明するという難しさを、初めて体感していた。


「ゲームってのは、ソノ、・・・テレビとか、スマホの画面で遊ぶヤツでさ」


「テレ、・・・ガメンってなぁーに?」


 興味津々のノーラの質問に、今度も返す説明が見つからない。ソノ弘樹の困った表情が、さらにノーラを楽しませた。

 弘樹は救いを求めるように傍らに立つ花蓮を見たが、ソノ花蓮も困ったような、楽しんでるような表情で小首をかしげていた。


「まぁ、後で色々話そうネ。

 まずはリサ、だっけ?

 リチャージすれば、目を覚ますはずよ。そこで見てなさい」


 ノーラは笑みを崩さず、弘樹に背を向けて理沙に正対した。ボンゴの後部座席に横たわる肢体に両手をかざし、詠唱を始める。

 理沙が淡いグリーンの光に包まれ、数秒後には呼吸を乱しながら身じろぎを始めた。やがて眠りから覚めるように、ゆっくりと両目を開いた。理沙の表情は寝起きの状態と等しく、置かれた状況も判らない様子で、視線を周囲に巡らしている。


「やっぱスゲーな。リサっ、気がついたか?

 俺だ、弘樹だ。判るか?」


「マジ、・・・うるさい」


 形容するなら、寝起きの不機嫌といった態度で、理沙は弘樹を非難した。


「スゲーぞ。リサが喋った」


「よかったですぅ。起きましたねぇ」


 慣れ親しんだ弘樹の能天気ボイスと花蓮の間延びした口調。それと陽光の眩しさが加わり、理沙の記憶はゆっくりと蘇ってくる。

 やがて理沙の視力が定まり、視界いっぱいに金髪の少女の笑顔が広がった。


「まだ寝たままでいるんだよ。すぐに元気になるからネ」


「スゴい。可愛い」


 理沙を気遣って額を撫でていたノーラは予期してなかった賛辞へ、素直に笑みを返した。


「ノーランズ・ファラ・ヒューイっていうの。ノーラでいいよ」


「なんか、キレイすぎて、人じゃないみたい」


「ヒトじゃないよ、エルフだよ」


 まだボンヤリとした思考に対して、ノーラの指摘は説明不足にすぎる。理解の追いつかない理沙は表情を曇らせた。


「ノーラさんがぁ、リサちゃん、助けてくれたんですよぉ」


 花蓮の説明で概略を理解した理沙は、改めてノーラを見つめた。

 可愛いなどというレベルではない。リアルフランス人形とでも表現すればいいのだろうか。ノーラは神レベルの愛くるしさだった。


「ありがとう、ノーラさん。私は角熊理沙。会えて、嬉しいよ」


「へぇーって感じ。

 姫様って、もっと高貴な感じなのにね。なんか、フツーだよね」


 ノーラの口調は嫌味ではなく、むしろ親しみの色が濃かった。本来なら「フツー」という評価は誉め言葉にはならない。ソレが不快にならないのはノーラの邪心ない性格の賜物であり、理沙の寄せる好意が作用しているからでもあった。


「だよね。私って、バカみたいに寝てたんでしょ。

 起きたら、元の世界に帰ってるんじゃないかって、そんな気がしてたの」


「アレレ、もしかして、ホントは帰りたかったりするの?」


「ううん。向こうだとすぐに死んじゃう予定だったし、ヒロキやカレンもいるし。嫌じゃないよ」


 その理沙の言葉に、弘樹は愕然となり、硬直した。理沙は歩けるようにはなったが、病気が完治したわけではない。気を失っていた理沙はソノ事をまだ知らないのだ。


( リサの時限爆弾は健在だ。だからリサは、数年で死ぬ )


 理沙の喜ぶ姿の裏には、残酷な現実が存在する。ソレは弘樹の胸を引き裂くような苦痛を生みだした。事実の露呈は理沙を再び奈落に突き落とすことになる。

 賢者の魔法が病魔を駆逐できるという事だったが、できれば解決が叶うまでは保留しておきたい話題でもあった。


「理沙、回復したようでよかったな。それとノーラ、部下の治療に深く感謝する。重ねて礼を言う。

 俺は犬塚史郎。この集団のリーダーの1人だ。シローと呼んでもらってかまわない」


「よろしくネ、シロー。ワタシもノーラで大丈夫だよ。

 リーダーの1人ってことは、衛士長とか騎士団長とかってヤツだよね」


「役職の違いって意味では、まぁ、そんなところだ。」


 犬塚には簡単に説明する言葉が見つからなかった。そして、詳しい解説を避けたい思いもあった。自身に内包する秘密主義に苛立ちながら、誠実さよりも実利を優先できる思考回路に、我ながら嫌気がさしてくる。


「シロー。アンタやヒロキとかは、シュメイレじゃないんだよね?」


「同じ世界から来たが、『村』は違う。だが、互いに協力できると思うぞ」


 ノーラの指摘、質問は肌の色や顔立ちの特徴を観察してのモノなのだろう。対して我ながらお茶を濁した説明であり、「そうだよぉ、そうなんだぜ」とノーラの肩を叩き、同意を促す弘樹の姿には口中の苦味が増す思いだった。

 冬華へ若さについて講釈した犬塚だったが、直情的で歪みのない行動理念は、やはり眩しい光景に見えてしまう。


( いかんな。俺も汚れたってことだ )


 犬塚の自嘲が、ともすれば感化されそうになる意識への抵抗だとは、本人も気づかない心理であった。




 ノーラの説明で誤算だったのは、エルフの村までの距離だった。

 川沿いを3キロも下れば村があり、犬塚やザジィの予想よりも遥かに近い位置まで進んでいた事を知った。

 ノーラ自身は村の食糧庫を襲撃した亜人を追跡している最中での、犬塚らとの邂逅だったのだという説明だった。当初からオーガの犯行だと予想していたが、村の狩人は少数であり、ノーラ単独での討伐となったらしい。

 村へは徒歩でも数時間で到着できるが、負傷者の回復、治療という最大の目的はすでに達成していた。加えて、ノーラから出発を翌早朝に変更するように要望されたことで、休憩地はキャンプ地へと変更された。

 結果、今では定例になりつつある冬華による質問タイムとなった。その対象となったローラはしかし、テロリストの指揮官や、神を名乗る聖獣よりも手強い相手となっていた。


「無知を承知で訊きたいのだけど、エルフの狩人とオーガの戦力比率って、どのくらいになるのかしら?」


「ソレって判んない。なんかメンドーな言い方だけど、どーいう意味?」


 冬華の質問に対して、ノーラの態度は尊大だった。その物言いは、まるで言葉が不慣れな相手に対するような態度だった。仕草が可愛らしいだけに、込められた非難の色は、より強い印象を与える。


「何匹のオーガなら、君と同等の戦力になるか。って意味だよ」


( 笑っちまうが、コレが若さの怖さだな )


 冬華の表情に変化はないが、ソレが表面上なのは容易に推測できる。滅多にない冬華への侮蔑的な発言に、犬塚は笑みを浮かべながら補足した。


「ソレってさぁ、なんか残念な例えじゃなぁい?」


「どうしてだ?」


「今日のオーガが100匹いたら苦戦したかもだけど、コッチが3人だったら300相手でも余裕だよ。でも、アイツらだって個体差あるし、連携だってできる。

 それに、敵はオーガだけじゃないんだよ。ワタシだって間違えたりウッカリすることもあるんだし」


「大体でいいのよ。基準となる強さを知りたかったの」


「そんなこと言われてもねぇ。そんな狩りなんて、したことないもん」


 その説明は犬塚だけではなく、弘樹や理沙、俊介といった武道経験者にとっては拍手喝采ものの正論だった。

 ノーラの指摘は戦闘時の数的不利が仲間との連携によって補えることや、不確定要素が戦況を覆すといった要因を突いている。冬華の真意とはピントのズレがあるが、コレは正当な兵法論でもあった。

 コレらの指摘からも、ノーラが机上の考察をしたがる冬華を蔑視する理由が伺えてくる。


( まあ、たしかに現実的な正論なんだがな )


 犬塚が笑みを浮かべたのは、単に冬華が馬鹿にされて面白かったからではない。得てして現場は管理職の分析力の低さ、無能さに不満を抱くモノなのだ。そういった背広組への反発は、むしろ犬塚本人が実感している。

 だからこそ、ノーラの無邪気でストレートな発言は、犬塚の琴線を刺激する爽快感があった。

 似たような思いはザジィやガマトにもあったが、今はノーラを刺激しないように、遠巻きに様子を見ている状態だった。

 

「ワタシも訊きたいんだけど、ザジィだったよね。アンタよ」


 ノーラの矛先が唐突にザジィに向いた瞬間だった。


「エルフの狩人。仮にもザジィは指揮官だぞ。女であることを除外しても、上位者や年長者への礼節は、エルフには存在しないのか?」


 カルの怨嗟に満ちた視線は、気の弱い者なら眼光だけで殺せるような迫力があった。


「よさないかカル。彼女は俺の部下ではないし、ココはエルフの領内だ」


「それでも、指揮官への侮辱は容認できない。しかも、こんな小娘に」


 カルがザジィに反発するのは珍しい光景だったが、ガマトやデルにも窘める動きはなかった。暗に支持する態度だったが、ノーラの態度には影響しなかった。


「スゴイ隊長はいるけど、隊長だったら、誰でも凄いワケじゃないよ」


「だとしてもザジィは・・・」


「ちなみにだけどぉ、そもそもザジィって何歳なのよ?」


 追及を遮られたカルはコノ質問に面食らい、言葉を失った。一方で、見守っていた弘樹や理沙、花蓮は「エルフ」と「年齢」というワードで、カルが地雷を踏んだと予感していた。


「ソレを知って何の意味がある?」


「カル、そこまでにしておけ。コレは命令だ。

 それとノーラ。年齢が信頼という文化かもしれないが、俺は41だ。若く見られるが・・・」


「たったの41だってことね」


「この小娘っ。だったら、お前は何歳なんだ?」


「今年で352歳だよ。人間の理屈だと、みんなお子ちゃまって事だけど、文句ないよネ」


 スマホゲームなどでも、エルフは不死であったり長寿という設定がされている場合がほとんどである。弘樹達のような高校生ならば、友人との雑談も含め、何かと耳に届く知識だったが、カルにしてみれば、子供の悪質な冗談にしか訊こえなかったのだろう。


「笑わそうとしても無意味だぞ」


「待ってよカルちゃん。ソレって、多分本当だと思う」


 弘樹は理沙の「カルちゃん」という、可愛い呼び方に吹きだしそうになったが、カルの形相を見ると、笑顔も凍りついた。


「どうしてソウ思う?」


「だって、エルフって妖精だとか、神様の1種だとかって言われてるんだよ」


 この時の理沙の発言は勇気があったといえる。奥歯を砕くようなカルの形相を前に、ゲームや漫画の設定を根拠に説得しているのだから。


「神って、コイツもなのか?」


 カルだけではない。ザジィを含め、大半の大人が息を飲んだ。

 狼だったり金髪少女だったり、知り合うたびに神が増える。しかも、神のカテゴリーから外れるような存在ばかりというのが、大半の感想だった。


「へぇー。ワタシって、神だったんだ」


 そして当の本人、ノーラでさえ戸惑っていた。


「お前は神ではない」


「なぁーんだ、やっぱそうなんだネ」


 獣の指摘にノーラはあっさりと納得したが、カルが拳を収める理由も保留される。


「でも、神ってる設定とかもあるらしいよ」


( いやいや、違うだろリサっ。ソレってゲームとかの話しだし )


 さすがに弘樹も理沙の言動を止めたくなってきた。本物の神を相手に、スマホゲームを根拠に反論しているのだ。しかも、カルは憤怒の形相だ。とてつもなく危険な状況に思えた。


「人間は好きなモノを神にする。時には、自らを神と名乗ったりもする」


 獣が語る理屈は多少の偏見も感じるが、おおむね真実だった。

 多くの神は人間が作り、想像した存在にすぎない。時には独裁者が自らを神と名乗り、圧政を展開する。より踏み込んで断定してしまえば、神とは信じる存在であって、会った者は存在しないというのが現代社会でもある。

 ソレらの理屈を、冬華は特にアジア地域での神格論に当てはめてみる。ドラゴンやヒドラ、四神なども含め、神の理念、真理とされる行為は実は奔放であり、気まぐれだったりもする。ソノ理由は神を自然現象に近い存在として考えているからである。

 例えば、嵐は施設や生活へ被害をもたらすが、農作物へは恵みを与える。という具合である。極論かもしれないが、こういった飴とムチが神の御業であり、八百万の神という信仰の根幹となっている。


「では、犬神サマ。この世界では、どういった基準で『神』を定義しているの?」


 冬華の質問は、この異世界におけるひとつの核心を突く内容だった。


「神とは、漂着者によって創造されし存在だ」


 その意味を考えるほどに、わけの判らない解答だった。


「ってことはだぞ、ワン子。だったら、リサも神様を作れるってことなのか?」


 弘樹の問いに、獣は頷いた。そして、冬華は眉をひそめていた。


「ソレができる可能性をもっている。という事だがな」


「神様とエルフは、古来から仲が良いのかしら?」

 

「神とは『巫女』を守護し、契約する存在。そして、古き盟約により、エルフは『巫女』の側に立つことが定められている。エルフとは、そういう存在だ」


 ソノ「巫女」が理沙であり、世界に対して大きな影響力を有するという説明は、一同に浸透するのに時間が必要だった。神を創造し、オーガ100匹と対等に戦うエルフを従える存在。ソレを理解するための時間だった。


「なんか、実感ないんだけど、スゴイんだね。ソレって契約の力って事なんでしょ?」


「いいや、お前の力だ」


 総員の視線を一身に浴びた理沙は、戸惑い、恥ずかしそうに自分の手や身体を見回した。

 痛いような沈黙の中、カルは溜息をついて、その場に座った。

 結局、質問するほどに疑問ばかりが浮上してくる。見通しの悪い夜道を歩くような不確かさは変わらず、それでも戦闘は繰り返される。


「ちょっといい?

 付き合いなさいよ」


 カルに近寄ったノーラは、他には訊こえないような小さな声で誘ってきた。その態度を受け、カルの眼光に挑むような色が復活する。

 夕暮れを迎えつつあるキャンプから離れ、森の中で2人は対峙した。


「見たところ、アンタが最強の戦士なんでしょ?」


「何をもって最強とするかによるな」


「しかも、シュメイレに仇なす戦士なんだよネ」


「だからといって、対等に戦ってこれたワケじゃない」

 

 カルの返答は本心だった。オーガの群れを容易く葬ったノーラに対し、自分はホブゴブリン1匹を相手に死にかけている。エルフの狩人を基準に考えれば、解放戦線兵士の実力などは、どんぐりの背比べに等しい。そうなると、最強などという評価も空しかった。


「多分だけど、魔法強化したアンタは一流の戦士になるよ」


「だとして、それが・・・」


「必要なのよ。強い戦士が」


 ノーラの初めて見せる真剣な表情に、カルはホルスターに収めた拳銃の重さを意識する。今の会話で敵対心が刺激されたというわけではなく、兵士としての習慣的な配慮だった。


「お前は充分に強いだろ。エルフの強さは人間の比じゃないはずだ」


「それでも、シュメイレに滅ぼされかけてる」


「そうなのか?」


 スメイル共和国の正規軍は、解放戦線と比べれば確かに近代化されている。とはいえ、カルの体験した魔法の威力は、充分に対抗できる火力を有してるはずだった。


「ヤツらに魔法は通じないのよ。

 結局、姫様や人間の戦士でないと、まともに戦えなかった」


「剣には剣。槍には槍ってことか」


 兵士であるカルはおぼろげに推測した。

 戦闘における相性問題は、現代戦ならば装備の新旧で優劣が決定しやすい。しかし、コノ世界では事情が違ってくるのだろう。武器は中世時代レベルだが、魔法や異種族という不確定要素が、数や質の有利を左右するのだろう。


「しかも、ソノ剣はすぐに必要になるの。多分だけど、明日には」


「明日、会敵するってことか?」


 カルが突然の戦闘に慌てることはない。常に待ち伏せや奇襲の危機にさらされ、兵力や装備に劣ることが当然なのがゲリラの実情だ。戦場は試合会場ではない。予定された計画通りに戦闘が勃発した例は、1度としてなかった。


「詳しく、訊かせてもらおうか」


 すでにカルの瞳は、兵士のソレに色を変えていた。

 相手はシュメイレ正規軍なのだ。殺すこと、破壊することへの欲求が高まり、殺意が体温を上昇させていた。




 ディーゼルエンジンの咆哮を響かせて、キャタピラが河原の石を踏みつける。装甲板の迷彩塗装には車体番号とは別に、2本のサーベルをXに見立てたデザインの部隊記章が描かれていた。

 場違いというよりも、むしろ慣れ親しんだ光景を前に、ガマトは速記した部隊編成と構成を記したメモを破り、デルに渡す。

 簡易無線の電波が傍受される危険性を考え、手書きのメモを伝令が運ぶという原始的な伝達方法となったが、装備品に恵まれないのは今に始まったことではない。ザジィやガマトにとっては苦慮すべき問題ではなかった。

 本隊は1キロ後方に控えており、メモを受け取ったザジィは、すぐに犬塚と冬華を呼びつけた。


「ノーラの情報通り、敵の機甲部隊はエルフの村から一旦距離を置いたようだ」


 昨日ノーラはカルにエルフの村、正式には「アキの村」の現状を明かした。

 主な内容は食糧と人材の拠出と引き換えた安全保障の存在と、不平等な取り決めによる貧困と労働力の不足についてだった。

 ノーラが村への到着を今日にさせたのは、この日が月に一度の食糧拠出の日であり、漂着者との会敵、戦闘による被害を恐れたためだった。ソノことは獣も察する所があったようで、積極的な提案に繋がっていたようでもあった。

 現状、村の食糧庫がオーガによって襲撃されたために、シュメイレに要求されている食糧の献上量は足りていない。過去の例では天候や災害による飢饉が発生した場合など、慣例として、残存する糧食を集めるために1日の猶予が与えられるのだということだった。

 機甲部隊の移動は、その猶予を与えるための移動と思われた。


「シュメイレの戦力はどうなってるんだ?」


「戦車4両と装甲車4両。運搬車6台の構成で、兵員は50名前後だろう。

 おそらく、戦車はAMX30.装甲車は水陸両用のVABだ」


 せっかくのザジィの報告だったが、後半の型式につては犬塚にも冬華にも知識がなかった。それでも、「戦車」というワードのインパクトは抜群だった。

 警察官として凶悪な犯人と対峙したり、捜査方針をめぐって政治家と対立することはあっても、戦車が犯行に使われることはないのだから、内心の絶望感は当然の帰結だった。


「戦車って、すでに無理ゲーだろ。コレは」


 犬塚の呆れた声に、冬華も1票入れたい気持ちになった。根本的に別次元の相手だと思えるのだ。


「そうか?

 こんなのは俺たちにとって、いつものことさ」


 涼しげなザジィの声に、さすがの冬華も言葉を失った。


「ザジィ、車両の偽装は完了した。コッチは準備完了だ」


 カルによって、付近の森にパジェロと軽トラ以外の車両を隠す作業の完了が報告される。カルは普段から使っているショットガンの他に、UZIサブマシンガンを携帯している。近距離射撃に特化した武装は、ポイントマンらしい選択でもあった。


「了解した。

 シロー、今なら村にシュメイレはいない。情報通りなら、明日の朝まで時間がある」


「いいだろう。今のうちに入村するとしようか。

 トーカ、それでいいな?」


 頷いたものの、冬華の懸念は晴れなかった。この先に起こる事態とは、悪い状態か、最悪の状態だと思えた。

 もちろんエルフの村における評議会の決定にも左右されるが、戦闘は回避できないだろう。ソノ中で冬華は選ばなければならない。優先するモノと切り捨てるモノをを判断しなければならない。しかも、犬塚を説得できる材料で、理沙を納得させる道理を並べる必要があるのだ。

 連日思考はフル回転しているが、それでも明るい兆しが見えることはなかった。




「スゲーぞ、マジですげー。おいリサ、アレ見てみろよ」


「私も見てるし、うるさいのよ。ヒロキってミーハーすぎ」


「ツリーハウスっていうんですかねぇ、何かぁ素敵ですぅ」


 高校生3人のはしゃぐ様子へ、族長代行という肩書でザナリス・ユア・キリンと名乗ったエルフは、柔らかい笑みを浮かべていた。

 アキの村は隣接する森よりも遥かに巨大な樹木が乱立しており、樹上に造形を活かした配置で住居や吊り橋が設置されている。

 その幻想的な威容はファンタジー世界の勇壮な景観そのもので、見るものを圧倒してくる。弘樹が興奮するのも無理はなかった。


「エルフに身を寄せるほか、道がなかった。世話をかけるな、族長」


「礼には及びません。『カシン』との約定こそ、我らの使命。

 それよりも姫様のこと、残念でしたな」


 ザナリスは穏やかな口調のまま、それが弔辞のしきたりなのか、額に右手を当てながら、深く頭を下げた。

 その風貌だけなら40代後半という印象だったが、ノーラの例もある。その実年齢は軽く1000を超えているだろうと、犬塚は予想していた。


「お初にお目にかかります。漂着者の犬塚史郎と申します。『シロー』とお呼びいただいて構いません。

 この度の急な来訪に加え、漂着直後の無知ゆえ、礼に欠けた挨拶となりますこと、ご寛容くだされば、幸運に思います」


「そのような気遣いは無用です。あなた方漂着者は、世界の安寧への執行者。お迎えできることこそ光栄のいたり。

 経緯についてはノーラより伺っております。早速評議会を招集しておりますが、まずはお食事になさいませんか?

 すでに、用意はできております」


 ザナリスの慇懃無礼な態度は変わらず、食事の提供も今の犬塚達にとっては有り難い申し出だった。即答で申し出を受けた犬塚達は、ザナリスの案内で滑車を利用したエレベーターへ案内されると、順次4~5名ずつ樹上の生活エリアへと移動した。

 村の生活は主に地上10メートルに構築された住居や各種施設によって行われているらしい。

 何度か吊り橋を渡り、食堂というよりも公園のような区画にたどり着いた。

 それぞれが好きな場所に座ったが、自然と日本人とスメイル人とに分かれて着席していた。

 実際の年齢は別として、子供のような容姿のエルフ達が、満面の笑みで木製の食器とスプーンを運んでくれる。


「ありがとうな。エルフって、スプーンとか使うんだな。知らない食器だと、使い方判んないしさ、ちょっと安心したぜ」


 弘樹の直球な礼に対して、快晴の空のような水色の髪を持つ男の子が、白い歯を見せて喜んでいた。ノーラの顔立ちがそうだったように、端正な顔立ちが奇跡的な愛らしい笑顔を演出している。


「ヒロキってさ、そういうトコがバカっぽいよね」


「でもよぉ、テーブルマナーとかって、国によって違ったりするんだぜ」


「知ってるわよ。そうやってさぁ、ズケズケ言えるところがヒクんじゃん」


「そうかな?」


「あのぅ。わたしもぉ、少しだけそう思いますぅ」


 花蓮の声は変わらず控えめだったが、理沙の指摘に同意していた。


「マジかよ」


 弘樹達の会話は、漂着者にとっては共通の問題でもあった。事実、スプーンを見た犬塚も、内心ではホっとしていたのだ。異文化との交流はテレビ番組で観賞するならば楽しくスリリングでもあるが、体験するとなれば、常に緊張感と背中合わせになる。


「アイツらのこと、大目にみてやってください。この世界では、自分らは赤子同然の知識しかありませんので」


 犬塚は隣に座るザナリスへ、恐縮した態度で謝罪した。


「お気になさらず。

 漂着者がこのような反応を見せるのは、存じておりますよ」


 ザナリスの説明では、過去何千年にも渡り、エルフは漂着者の指導や教育を受け持ってきたのだという。この世界の理を教え、安寧への道を補佐するのがエルフの役割だとのことだった。

 やがてエルフの子供たちによって大鍋が運ばれ、料理が配られた。

 運ばれた料理は豆類や果実を加熱調理したものであり、多少酸味の強いことを除けば、美味だという感想が多かった。

 加えて、ボウルに注がれた果実水は渋みのないほのかな甘みで、喉の渇きを潤してくれる。漂着以降、缶詰めと携帯食が続いた胃袋が、久し振りに活気を取り戻していた。


「ザナリス様。失礼ですが、現状、アキの村はシュメイレの接収によって、食料が不足していると訊いております。

 ご迷惑では、なかったですか?」


 冬華の指摘に、犬塚もスプーンを持つ手が止まった。


「ご心配なく。むしろ、このような用意しかできず、心苦しいかぎりです」


「ですが、村の規模に対して、人口が少ないように思います。ソレも、シュメイレによる影響ですか?」


 犬塚の質問で、ザナリスの表情が初めて陰った。


「当時は5000名以上のエルフがおりましたが、族長アキを含め、多くがこの世を去りました。今では、村の民も200人ほどです」


「しかも、残った者のほとんどが子供だという事ですね」


「そうですな。老人と子供ばかりが残りました。ですから、ノーラのような子供にも、狩人をしてもらってます」


 犬塚は大体の事情を理解した。戦火の影響は有能な労働力を失い、人口の減少に拍車をかける。戦死だけでなく、人員の搾取によっても労働力を失い、糧食の拠出も拍車をかけているのだろう。


( ザジィ達は、コレを身近に見てきた。ってことか? )


 彼らの母国スメイル共和国は、戦争と侵略によって現在の国土を有している。併合に積極的な地域もあったが、多くの血が流れたのは事実だ。圧政と搾取は現在も続いており、多くの国民が大切な家族を失っている。

 新たな建国が多大な犠牲を生み出す例は、枚挙にいとまがない。それは事実だ。そうは思うが、その犬塚にも反社会活動や、テロ行為を肯定することはできなかった。


( だけどよ、本当にそうなのか? )


 胸中に沸いた疑念は浮かんでは消えていく。

 全ての政府、あらゆる社会が公正であったならば、戦争や犯罪は起きないのだろうか?

 犬塚は否定する。社会が公正中立であっても、人の欲求は多岐にわたり、争いや怨恨の種は生まれてくる。だが、一方で貧困や圧政が犯罪の原因となることも事実なのだ。そうなると正しさの定義、この場合、正義と呼んでもいいソレは、何を基準としているのか。


( 国が犯罪者だった場合、善行をする国民が犯罪者となる。というわけか )


「我々にしてみれば、ノーラの力は圧倒的です。ですが、ソレ以上に明るく元気な姿に、勇気づけられてます。平和な、いい村だったのでしょうね」


「ハハハッ。

 ノーラが訊いたら喜びます。そうですな。確かに、よく思い出します。まだ族長が存命の頃、多くの狩人が森を守護していました。明るく、平和な村でしたな」


 言い終わると、ザナリスのほうから視線を外してきた。犬塚は古傷に触れてしまった自身の言動に舌打ちしたくなった。それから、ふと、離れたテーブルで食事するザジィ達を見つめた。

 給仕するエルフ達と笑顔で話す姿に、歴戦の兵士の無骨さは存在しなかった。兵士たちの優しい表情を前に、子供たちは身を乗りだして笑っている。

 犬塚の信念が揺らぎかける。ソノ光景を悪の姿と呼ぶことはできなかった。


「食事が済みましたら、評議の間へ案内いたします。もう、全員集まってるようですので」


 評議の間へは巫女である理沙の希望が採用され、弘樹も同行することになっていた。他に犬塚とザジィ、冬華の3名がリーダーとして参加することになっている。その道中も巨大な枝の道と吊橋を通ることになった。

 理沙の隣を歩く獣は、体調や身体の後遺症について詳しく様子を確認していた。


「ううん。ホントに身体は大丈夫だよ。

 それよりさ、『ワン子』っていうのも、そろそろヘンじゃないかなって思うんだよネ。キミって、何か名前とかってないの?」


「好きに呼べばいい」


「でもね、名前がないのって不便だよ」


「そうだよな。それと、俺らのことも『人間』だしな」


 理沙の指摘に弘樹も同調したし、自分達が名前で呼ばれた事がなかったのも、ついでに非難した。


「そうそう。アレってやっぱりヘンだよ。『人間』とか『お前』だもんね。

 やっぱり、名前って大事だよ」


「我はペットというヤツではない」


 2人への返答は素っ気なかったが、理沙には不快感を持ったという態度には思えなかった。


「ソレは判ってるよ。でもね、仲良くなるにはさ、互いに呼び合う名前ってのが大事だと思うのですよ。

 そーねぇ、私が考えるとすれば」


「一応っていうか、神様なんだしよ。あんまり萌えぇな名前は、ダメだと思うぞ」


「大丈夫だよ、ちゃんとカッコイイの思いついたからさ」


「へぇぇ。さすが。っていうか、準備してたってことか?」


 その弘樹の質問には答えず、理沙は獣を見つめた。


「ねえねえ。ワン子君って、この展開に文句も言わないじゃない?」


「言って欲しいのか?」


 獣の無感動な返事に、理沙はニッコリと笑った。


「どんな名前か訊きたいって気持ちもあるでしょ?」


「マジか、そうなのかワン子?」


 理沙の指摘に弘樹は驚いたが、獣を見てみると、とても興味があるようには思えなかった。だが、理沙は自分の考えを確信している様子だ。ソノことは、幼馴染の弘樹は態度で見抜けるのだが、やはり首をかしげてしまう。


( 興味なさそうだぞ。マジで )


「ノーラとかが呼ぶカシンって、火の神って意味だよね。だから、『カガミ』って読み方を変えるの。そうすれば、あんまり失礼じゃないでしょ」


 漢字とは象形文字でもある。だから形にも意味があり、理由がある。それを崩さずに、それでいて自分達だけの特別な呼び方がしたかった理沙には、このアイデアはさすがの発想との自信を持っていた。


「おぉ。確かにカガミって、ちょっと渋い響きだよな」


「でしょでしょ、ナイスでしょ」


 はしゃぐ2人のやり取りに、肉食獣の唸り声が重なった。ソレが笑い声だと知っていても、人間が生理的に恐怖を感じる声であり、犬塚とザジィ、冬華にとっては肌が泡立つ迫力があった。一方で、弘樹と理沙の2人は獣の頭を撫でながら喜んでいる。


「今から君は『カガミ』だよ。呼んだら、ソレが君の名前だからね」


 理沙の提案に獣、カガミは笑いを抑えられなかった。脳裏に浮かびかける顔がある。しかし、ソノ顔はどうしても思いだせなかった。古い彼方の記憶へ意識を傾けたが、やはり顔を思い出すことはできなかった。しかし、ソノ声だけは脳裏に蘇る。


『今日からお前はカガミだ。ソレが、お前の名だ』


 男らしい錆を含んだ声は、優しく親しみの込められた余韻を残して、カガミの耳に蘇った。


「確かに、・・・いや、いいだろう。ソレが我の名だ」


 了承の返事は訊いていた冬華にとっても、意外だった。これまでの経緯からすれば、無視するだろうと思っていたのだ。


「それと、私の事はちゃんと『リサ』って呼ぶんだよ」


『いいかカガミ、俺の名前は・・・』


 耳に響く記憶の中の声は、そこで途切れていた。カガミは自分が仏頂面になった理由が理解できず、なぜか淋しさも感じていた。




 評議の間は村にある樹木の中でも一際巨大な大樹をくりぬいた空間だった。、その広間の大きさは20畳ほどもあり、すでに3名の初老エルフとノーラが座して待っていた。


「お初にお目にかかります。私、評議に名を連ねます、ガナル・ウド・ナラックと申します」


「お会いできて光栄に存じます。評議のパシュナール・テト・ストラです」


「ようこそお越し下さいました。私はナシタルト・デラン・スクレイルです。」


 自己紹介を訊きながら、犬塚は名刺交換という風習が偉大な発明なのだと実感した。絵のように浮かび上がる漢字と違い、カタカナで脳内に飛び込んでくる名前は、即座に固有名詞として浮かばない可能性があった。ソレは、このような会談においては、極めて失礼なことになる。

 一瞥した限りでは、3人ともザナリスよりも年長者である。エルフの社会にも年功序列の考えがあるならば、評議の裁定者としても重鎮ということになるだろう。

 犬塚は訊いたばかりのエルフの名前を、慎重に脳内で反芻していった。


「私とノーラの紹介は不要ですね。

 本来なら7名の評議がいるのですが、族長のアキを含め、他界した者もおりますゆえ、どうかご容赦ください」


 ザナリスの説明の後、漂着者サイドの自己紹介となり、すぐに弘樹の順番もめぐってきた。


「庄司弘樹です。高校生っていうか、学生です。それと特技は剣道です。その、剣術なんですけど、判りますかね?」


「ソノ人間は巫女の戦士だ。魔法強化なしで、ホブゴブリンと戦える技量を持っている」


 カガミの補足に、評議の面々が動揺を見せた。


「すばらしい戦士ですな。ただの剣で、魔法の援護もなく。ですか」


「それは、シュメイレの追っ手のホブですかな?」


「武術と魔法を駆使するホブゴブリンを相手に、剣ではなく、棒切れで戦っていた」


 棒読みに近い口調だったが、カガミの説明に評議のエルフ達はさらに目を丸くしていた。


「ワタシが追ってたオーガも、一刀両断してたよネ」


( いやいや、お前がさせたんだろ ) 


 ノーラの評価へは、弘樹は無意識に頭を掻いた。

 質問したパシュナールとガナルだけではなく、ザナリスとナシタルトまでもが息を飲んで見つめ合っており、ソノ動揺ぶりに、弘樹は恥ずかしくなってきた。


「でも、実際には理沙と、そこのカガミに助けられたんです、よ。実は」


「こちらの巫女様も、さっそく戦われたのですな。頼もしいかぎりです」


 パシュナールの称賛は、評議のエルフ共通の称賛でもあった。これには弘樹に加えて、理沙も慌てていた。


「あのぅ、それはですね。剣術っていうか、ヒロキと同じ道場に通ってたって、だけなんですよ」


「そこの人間の配下も含め、4名で3匹のホブゴブリンと対等に戦い、倒している。その巫女も剣術に長けた異端な巫女であるが、我は契約を交わした」


「剣術、なのですか?

 魔法ではないのですな」


 エルフの驚愕とカガミの今の説明を含めると、理沙への評価は高いというよりも、特殊に思われているのが判った。


「失礼いたします。理沙さんが『異端』とのことですが、どういった評価なのか、教えていただけませんか?」


 冬華はコノ評議における理沙の価値が、本来の巫女よりも下がっているのを感じていた。ソノことは今後の交渉に不利に作用しかねない。質問は慎重にすべきだが、コレは訊かないわけにはいかなかった。


「コチラこそ失礼いたしました。過去の例にならえば、巫女とは魔法に特化した存在であり、戦士を鼓舞し、強化、守護する存在であったものですから、驚いたのですよ」


 ザナリスの説明で弘樹も評議の動揺を理解したが、変わらぬ残念そうな口調が気になってはいた。


「と、言うより。私は剣術に長けた巫女というのを、訊いたことがないです」


 ナシタルトの補足にも、失望が見え隠れしている。


「カシンよ、アナタはどう考えているのですか?」


 パシュナールの問いに、カガミは隣に座る理沙の顔を見つめた。

 その気配に、理沙もカガミを見つめ返した。ソノ深い夜空のような紺色の瞳に伺える感情はなかったが、何故か慈愛のような波動を感じてもいた。気のせいかもと思いつつ、やはりカガミの風貌からは暖かさを感じた。ソレは人間の抱く感情とは異質な気配だったが、理沙を思う優しい波動なのは判っていた。


「巫女は安寧への裁定者。我は巫女と契約し、守護するモノだ。因果は縁となり、この世界をめぐる。死が分かつまで」


 人間に例えればカガミの声は中性的だった。それゆえか、響きは荘厳であり、評議の間に浸透していった。

 理沙には詳細な意味までは判らない。だが、カガミが擁護に近い感情で発言しているのが嬉しく思えた。


「そうでしたな。神の裁定に、我らが口を挟むべきではありません。巫女様、無礼をお許しください」


「いえいえ。私なんて、ただの女子高生なんですから。なんか、すいません。期待外れ、なんですよね?」


 ザナリスの謝罪に、理沙は激しく慌てた。巫女だの裁定者だのと言われても、さっぱり実感が湧かなかった。ライトヒールに成功した時は嬉しかったが、世界の安寧などというスケールに、思考が追い付かないでいた。そもそも、コノ世界の広さすら知らないのだ。当然だった。


「待てよリサ」


 低く絞りだしたような声は、弘樹のものだった。


「なんか、みんなが大変だってのは判るけどさ、なんでリサなんだよ?」


 弘樹の純粋な怒りは抑えた声色となり、評議の間に再度の沈黙を落とした。


「リサは子供で、女の子なんだぞ。こんなに強くて、魔法まで使えるエルフが、どうしてリサを担ぎ上げるんだよ?

 そんなの、ズルくないですか?」


 良いの悪いのと始まり、挙句に「巫女様」へと着地したようだが、弘樹はどうにもやるせなかった。あきらかに理沙を祭り上げて、最前線へ送り込む手順のように思えていた。


「ちょっとヒロキ。ソレって私のこと、バカにしすぎでしょ」


「そんなんじゃねぇだろ。だってリサ、お前は巫女とかってヤツになって、軍隊とかと戦うのかよ?」


「判んないし、判りたいからココまで来たんでしょ。

 私だって巫女とかって、そんなのは判らないよ。でも、私は誰かを助けたいって思ってる。だって、カガミのおかげで、私だって生きてるんだもん」


「なんで、そんなふうに頑固なんだよ。いつもいつもだ」


「人を救えるのって、嬉しいんだよ。私、スゴイ嬉しかった。

 もう、絶対に死ぬ人生じゃない。誰かを救えるなら、ココが私の世界なら、私はココで生きていくんだって、そう決めたの」


 コノ世界に漂着し、理沙は初めて人生を取り戻した。近代社会でもなく、学生生活も失い、両親もいない世界だが、生きる未来が存在している。それは神への信仰にも似た感情だった。そして、ソノ信仰は他者の救済への喜びに相乗した。死の恐怖を知るからこそ、理沙は救命に喜びを見いだしたのだ。

 弘樹にも、ソレは理解できる。判りすぎるくらいに感じている。だからこそ、矛盾した状況には我慢ができなかった。


「違うんだよ、お前は治ってなんかいないんだ」


「弘樹っ」


 犬塚の制止よりも先に、弘樹は失言を悟っていた。


「どういう、意味よ」


「どうって、だからソレは・・・」


 興奮から失言し、混乱した弘樹は言葉に詰まってしまった。


「安心しろ理沙。エルフの賢者っていう魔術師に頼めば、完全に治療してもらえるそうだ。犬神サマ、っていうか、カガミ、そうなんだよな?」


「完全って、ナニよ?」


 理沙の視線は弘樹から犬塚に移り、最後は隣りのカガミに注がれた。


「見たところ。評議の席に、賢者がいないようだが」


「ええ、それは・・・」


 理沙を無視したカガミの問いに、今度はザナリスが声を詰まらせる。その隣に座るナシタルトが、後を引き継ぐように口を開いた。


「賢者ラバンですが、現在はシュメイレ帝国の保護下におります。ですから、すでにコノ村にはおりません」


「待ってくれよ。それって、じゃあ・・・」


「落ち着くんだ弘樹。理沙もだ。別に弘樹が悪いわけじゃない。

 ナシタルトさん。理沙は数年で死に至る病に侵されてる。治療できる賢者は、他にはいないのですか?」


「巫女様が病気、なのですか?」


「そうだ。ソレがエルフを頼りたかった理由の一つになる。できれば、他の賢者の情報が欲しい」


「コノ世界で賢者と呼ばれる魔術師は3名。1人はシュメイレ帝国のレブナス・シュターゼン。2人目がエルフのラバン・フロー・テュカリス。3人目は伝承や噂話しで伝え訊こえるだけで、存在すら確定してません」


「じゃあ、シュメイレは賢者を独占してるってわけか?」


「賢者ラバンが率いる狩人達は、先の漂着者、姫様と共闘してきた部隊です。残存する総力を結集する予定でしたが、講和条約締結のおり、姫様の部隊と分かれたラバン殿は、シュメイレの奇襲によって惨敗いたしました」


「戦力の分散を突き、各個撃破された。ということか」


 ザジィの初めての言葉は、絶望を補足する説明となった。


「待ってくれ。だったらリサは、病気の治療は・・・」


 弘樹の見つめる先で、理沙の頬を涙が伝った。


「泣くな理沙。戦う理由が、ひとつ増えただけだ」


 強く優しく、それでいて断固としたザジィの声は、理沙の涙を止めていた。


「評議のエルフ達よ。俺の話しはノーラから訊いてるだろうが、親子3代に渡ってシュメイレに仇名す者だ。エルフと同様の迫害を受け、親や子を失いながら闘ってきた。

 今も戦う意思があるならば、どうか、その力を貸して欲しい」


 突然のザジィの宣言は、悲壮感が漂う評議の間において、唯一の決意漲る声となっていた。


「だって、でも、それは・・・」


 ザジィを見つめる理沙は、震える声で疑問を口にする


「大丈夫、簡単な事だ。シュメイレから賢者を奪還し、お前を治療する。

 俺達は理沙に救われている。お前のためなら、俺達は喜んで命を賭ける。何度でもな」


その力強い響き、訊く者を鼓舞する声に、弘樹は一気に血流が上昇するのを意識する。


( そうだよ、そうなんだよ。オレはなにを勝手に諦めている。リサを守る、そのためだったら )


 犬塚も血潮がたぎるのを意識した。目の前では安っぽい三文芝居が繰り広げられている。野心も打算もない、直情だけの特攻精神なのに、笑う気にもなれなかった。


( 笑えるわけがねぇわな。俺は望んでいた。ずっと昔から、力の限り、思う存分、戦いたいと。そう望んでいたんだ )


「待ちなさいザジィ。そんな無謀は、許可できないわ」


 凛とした否定は、冬華の声だった。

 ザジィの戦力はノーラのヒーリングで治療され、回復した2名を加えて10名に増強されている。ただし、ソレは一国を相手にした戦争において、無意味に等しい戦力なのは変わらなかった。歩兵のみの構成で、中隊にも満たない部隊など、数日と生存できない戦力だろう。

 戦力という意味では、魔術の要である賢者を奪われ、子供と老人ばかりとなったエルフも同様で、武力という意味ではザジィと状況に大差はない。

 対して、賢者と称されるラバンなるエルフを、シュメイレ帝国が殺さずに確保した理由は明白だった。軍隊を殲滅する魔力を持ち、不治の病すら治療する賢者の存在は国宝に匹敵する価値を有している。その魔術の独占は覇権への道標となり、一国一強すら実現するだろう。今の状況は、すでにそうなっているともいえるのだ。

 そのシュメイレ帝国と戦うなどという選択肢は、冬華の思考回路が最優先で排除する項目だった。


「無謀とはいえ、選択の余地もないだろう。何より理沙のことがある。」


「だからこそよ。戦争だけが解決策じゃない」


 犬塚の言を否定した冬華に、一同の視線が殺到する。理沙も泣くのをやめ、弘樹も冬華を注目した。


「 漂着者として、シュメイレ帝国に対し、政府への参加希望を打診します」


「バカなっ。無理に決まっている」


 提案ですらなく、確固とした宣言に、ザジィは吠えるように反対した。


「アンタは姫様がなんで殺されたのか、訊いてなかったワケ?」


 ノーラの非難も、遠慮のない言葉で吐きだされた。

 更に続く批判を、冬華は涼しい表情で受け止めていた。そして、ひとしきり発言が静まるのを待つと、再び口を開いた。


「私たちは新規の漂着者であり、シュメイレ帝国との敵対関係には至ってないわ。カガミの追っ手、ホブゴブリンを殺しはしたけど、漂着直後の事故でもあるし、謝罪で和解できる範囲だと思う。

 それよりも、漂着者の迎合には破格のメリットがあるわ。例えば、漂着者という強力な戦力の独占と、ソレに伴い、巫女の後ろ盾を得たという大義の獲得。以降のシュメイレ帝国は、安寧への理を追い風に、スムーズな世界統治の進行も可能になる。もしかしたら、無血で統治できる地域だって、でてくるかもしれない」


「それを独裁と呼ぶんだ」


「そうね。その通りよ」


 冬華はザジィの指摘を肯定した。そのザジィは奥歯を砕くような表情で、冬華を睨み返した。


「見損なったぞ。この期に及んで、君の結論は権力への身売りとなるのか?」


「巨大な国家を相手に、例え局地戦でいくらかの勝利を納めたとしても、大勢への影響はないわ。100歩譲って、巫女と漂着者がシュメイレ帝国と対等に戦えたとしても、甚大な被害、多くの命が犠牲になる」


「君は統治と言うが、ソノ侵略においても多大な犠牲、多くの血が流れる」


「その通りよ」


 またしても、冬華はザジィの発言を肯定した。憤るザジィに、普段の冷静さは微塵もなかった。


「君の狙いは、独裁政権への加入。特権階級の構築だとでもいうのか?」


「全てを救うことはできない。でも、仲間とエルフだけなら救うことができる」


「ソレの、どこに救いがあると言うんだ」


「よく訊いて、ザジィ。

 組織にさえ入れば、それがシュメイレ帝国の政府であろうと、私なら内部から改革することができる。戦争は統治後の治安の維持、法の運用、権利の制定などで、大変な労力を必要とするはず。

 だからこそ、権力の確立には多くの障害が残る。私はそのシステムの中央に立って、政府を、政策を変えてみせるわ」


「無理だ。君は知らないから言えるんだ。奴らをコントロールすることなどできない。それどころか、理沙やカガミの抹殺すら画策するだろう。それこそ、奴らの常套手段だぞ」


「できるわ。組織改革こそが私の常套手段なのよ。そのフィールドなら、私は誰にも負けない。

 ザジィ、アナタこそ死を避難場所にしないで。

 戦争は憎しみの連鎖しか生みださない。死ぬことではなく、生きて、他の者を守る戦いをすべきよ。今日までの犠牲に報いることは、こういう戦いでも実現できる」


 ザジィは吐きだしかけた言葉を飲み込んだ。冬華の有能さは理解しているし、好んで戦闘を選ばないことへも好感を持っていた。しかし、コノ提案だけは受け入れることはできない。だが、ソレは個人的な意地なのではないか。固執して猛進する遺伝子の指示だとはいえないだろうか。そうも考えてみる。そうして脳内では思案と拒絶が繰り返された。


「トーカ、俺も訊きたい事がある」


 犬塚の冬華へ向けた視線は同僚や部下へ対するというよりも、取り調べの容疑者へのソレに近かった。その様子を見て、理沙は初めて犬塚を怖いと感じていた。


「どうぞ。何でも答えるわ」


「お前の戦略ってのは、ココにいる者以外は、全て切り捨てるような作戦なんだよな?」


「その通りよ」


「国が悪党ならば、善人が犯罪者になる。ソレに加担するっていうんだな」


「改革までの短期間、確かにソノ状態になるわね。

 でも、私が大切に思うのは目の前にいる仲間と、知り合えた友人達なの。命に優先順位をつけるなら、私が大事にできるのは、そういった存在になるわ。

 そして史郎君。アナタは知りもしない化け物まで、犠牲を覚悟で救いたいっていうわけなの?」


 冬華の言質を受け、犬塚は評議のエルフへと視線を移した。


「評議のエルフへ問いたい。理における安寧として、この方針は適正だといえるのか?」


 犬塚の問いに、ザナリスは真っ先に視線を床に落とした。パシュナールとナシタルトは顔を見合わせ、最後はガナルへと視線を向ける。

 対する犬塚も、最も口数の少ないガナルこそが、この評議における重鎮だろうと予想してはいた。


「申し訳ないが、ソノ議題はエルフの評議で裁定することはできないでしょう。

 我々は神が契約せし姫様、巫女殿を補佐し、従う存在。安寧への道を示すのは、評議の役割ではないと判断いたします」


「待ってよ。もしもラバン様だったら、そんなふうに投げだしたりしないでしょ」


「しかしノーラ、そのラバンはシュメイレの捕虜となった。全てが縁というのなら、コレも因果となるのだろう。新たな漂着者、新たな道へ進言する存在とは、神にのみ許された行為ではないかね?」


 今度はガナルの視線の先、カガミへと注目が集まった。


「我の知るところではないな。巫女であるお前が決めろ」


 カガミの無責任極まりないキラーパスに、理沙は脳天に岩石を落とされた気分になっていた。


「そんなの、だって、私は・・・」


 言葉に詰まる理沙。痛いほど周囲の視線を感じるが、答えられる問題ではなかった。その沈黙を破ったのは、弘樹だった。


「待ってください。カガミもだ。お前って、ちょっと酷いぞ」


 無感情のようなカガミは、返事すらせずに弘樹を凝視した。


( 違う違う、今はリサのことだ。それが1番だ )


 弘樹はカガミへの非難を中断し、冬華へ矛先を変えた。


「冬華さん。そもそも、理沙の治療はどうなるんですか?」


「シュメイレ帝国は、理沙さんを国賓待遇で迎えることになる。当然、自国の賢者に命じて、治療を行うはずよ」


 この部分において、初めて冬華は噓をついた。協力関係を維持するためには、もっと言えば、主従関係とするためには、なるべくご褒美は先送りにしてくるだろう。反旗への保険としても、早急な治療は行わない可能性が高いと推測していた。


「その保証が、どこにあるっ」


 成り行きを見守っていたザジィは、しかし、この甘い推測には拒絶反応が炸裂した。対して、玲瓏たる冬華の表情は、その一点すら曇らなかった。


「戦争を選ぶより、遥かに可能性が高いはずよ」


「全てが、ただの推測にすぎない。それで可能性を語るというのか?」


「理沙さんの命にかかわる問題よ。安易な義憤よりも、可能性を追求するのは当然ではなくて?

 私の実現可能なプランに対して、ザジィのは、命をベットしたギャンブルに等しいわ。アナタ、理沙の命を何だと思ってるの?」


 冬華はザジィの切り捨てを決めていた。元より同調するはずがないと確信している。狙い通りの展開であり、ザジィという存在は、すでに破滅的なタカ派という印象操作に成功している。この程度の人心掌握術は、冬華にとっては初級技術にすぎなかった。


「君こそ、理沙の存在を取引材料にしているだけではないのか?」


「交渉とは取引よ。理沙が巫女として戦えば、和解の好機は2度とめぐってこない。ソレこそ姫様が暗殺されたように、国家の敵として認識されてしまう。

 そうなれば、凄惨な職滅戦に発展するわ」


「取り込まれた奴隷が、生きているといえるのか」


「ソノ状況を改革してみせると言ってるの。奴隷なんて、有り得ないわ」


 繰り返される反論に、弘樹は議論の裁定を放棄した。理沙の前に立ち、膝を突いて視線を合わせた。


( 大丈夫だ。いつだって、俺がそばにいる )


 瞳に込められた意志は、自然と理沙に伝わった。不安は消えず、それでも慣れ親しんだ弘樹の視線に、理沙は自分の感情が見えてくる。


「どうする、リサ?」


「私、・・・ゴメンねヒロキ」


「大丈夫だ。言ってみろよ」


 冬華とザジィも口論を中断し、理沙の答えを待っっていた。


「やっぱり私、死にたくないよ。走れる身体で、生きていたい」


 ソレを誰が非難できるだろうか。世界の安寧や道理や摂理は問題ではない。生きていることは、それだけで偉大な財産なのだ。


「そうだよな。ソレでいいんだぜ。オレだってそう思う。当たり前だよな」


 相変わらず弘樹のボキャブラリーは馬鹿みたいな繰り返しだった。だが、今の理沙には心強い支援でもあった。

 こんな時、理沙はいつも泣きたくなる。弘樹はそんな理沙をいつも見守ってくれている。嬉しかった。心から、理沙は弘樹に感謝していた。

 理沙は微かに弘樹へ頷き、冬華を見据えた。


「冬華さん。本当に、できますか?」


「任せておいて。必ず改革してみせる」


 冬華は自身のソノ声と笑顔が、信頼に満ちて訊こえる事を充分に計算していた。


「なぁザジィ、俺達は戦争屋じゃないが、治安維持のプロだ。中でもトーカは飛び抜けて優秀だ。トーカができると言うなら、必ず実現するだろう。

 そういう戦い方もある。奴らを内部から切り崩し、乗っ取ってやろうぜ。

 ソレを落とし所ってことに、できはしないか?」


「シロー。悪いが、それはできない。無理なんだ」


「戦争がどうこうじゃない。俺は、お前を友だと思ってる。こんなことで、道を分かたないでくれ」


 犬塚の言葉に、ザジィは久しぶりの笑顔を見せた。邪心なく、旧知の友へ向けるような、柔らかい笑みだった。


「俺も同じことを考えていた。だが、今後の解放戦線は、独自の行動をとらせてもらう。すまない、シロー」


「ザジィ、アナタは解放戦線と呼ぶけれど、そんなモノは実質、壊滅しているわ。アナタの幻想にすぎないのよ」


「俺は生きている、お前の目の前で。だったら、俺が解放戦線だ」


 ザジィは冬華の策略を感じ取っていた。冬華を「お前」と指し、憤りを隠すつもりもなかった。冬華のプランが保身や野心に起因するもモノだとしても、理沙を重要視しているのは確実だった。そして、シュメイレ帝国と敵対関係にある自分の存在は邪魔にしか思えないことも理解していた。

 それでも脳裏をよぎるのは、なぜか弘樹の言葉だった。


( ソレでいいんだ。か )


 感情に従うことは正しいことだ。事実、ザジィは理沙の発言に感動していた。失う苦しみを知るからこそ、生きる価値を知ってもいる。


( 恨みも憎しみもない。お前達には、な )


「シロー、それと弘樹。幸運を祈る」


 ザジィの言葉に、弘樹は込み上げる感情を意識した。

 弘樹が立ち上がりかけた瞬間、「ソレ」は音もなく天井から舞い降りた。

 瞬きする間に舞い降りた影は、腰までのフードマントとなり、美しいグリーンやブルーの髪をなびかせた、エルフの狩人の姿となった。

 その中の1人、青い髪を持つエルフの狩人が、ザジィの喉元に短剣を突きつけていた。電光石火の挙動に、ザジィは一切の反応ができなかった。


「巫女様をはじめ、他の方へは誠に失礼いたしました。ですが、方針が決まった以上、反乱分子はこの場にて拘束いたします」


 ガナルの慇懃無礼な態度はそのままに、声だけは楽しむような響きが含まれていた。ザジィの鋭い眼光を浴びても、その慢心した笑みは揺らがなかった。


「まさかとは思うが、最初から帝国に寝返る算段だったのか?」


「いえいえ。まさか、ですな。ただ、我々も座して滅ぶ訳にはいきませんのでな。アナタは善き手土産になりそうですしね」


 区長が紳士的なだけで、瞳の奥には陰惨な影が宿っている。ソノさまは、ザジィにとってはむしろ見慣れた売国奴の姿だった。




 周辺警戒として、ガマトとソマの2人はそれぞれ5メーターの距離を置き、茂みに潜伏していた。

 ガマトはマークスマンライフル ( 一般的には、狙撃も可能にしてるアサルトライフルを指す ) としても使用できるM14のスコープから目を離すと、ソマの潜伏場所へと視線を向けた。小鳥がさえずるような声が、ソマの口笛だと了解しているからだった。

 ソマはガマトが反応した事を悟り、ハンドサインを送ってきた。


( ヤクザが何かを見つけたのか? )


 内容を理解したガマトは、返信として了解を示すハンドサインを返した。

 2人から100メーター後方に、最低限の弾薬を積んだパジェロと軽トラが隠されており、そこから鏡の反射を利用した合図が送られているのだ。

 車両付近には屠龍組の5人が潜伏しており、鏡を利用した伝達も、ガマトが指示したことだった。

 シュメイレ軍に傍受されることを警戒し、ここでも無線の使用は禁止しており、このタイミングで敵に補足されるのも避けたかった。

 ガマトは詳細を確認するよう、再度ソマへハンドサインを送る。それから、念のため手元に置いていた手榴弾を詰めたバッグを背負った。

 ソマは即座に移動を開始する。樹木や茂みを活かし、隠密性を損なわないように車両を隠してある場所を目指していた。

 ソマは32才になる古参メンバーだった。柔軟な思考の持ち主であり、観察力に優れたポイントマンでもある。その技量は近接格闘術以外ではカルを上回る兵士でもある。

 数分後、ガマトは遠くに響く異音を感知した。微かな音は対象の接近でボリュームアップし、やがて訊き馴染んだディーゼルエンジンの咆哮だと認識する。


( 随分と早いな。ザジィ、何が始まった? )


 アキの村を偵察したさいに確認したフランス製標準戦車、AMX30を先頭とした機甲部隊が戻ってきたのだ。


「タンクが戻ってきた」


 気配も悟らせず、隣に伏せたソマが低い声で報告する。慣れているガマトが驚くことはないが、同志としての頼もしさに、意図せず笑みが零れた。


( 相変わらず、猫みたいな奴だな )


「数は?」


「タンク4、ACPが4、トラック6」


「今朝確認した全軍だな」


「ランチタイムとも思えない。一応、準備しておくか?」


「そうだな。まずはヤクザと合流しよう」


 ガマトとソマは草木すら揺らさずに移動を始め、車両を目指した。



 短剣を突きつける青い髪の青年エルフは、他のエルフの例にもれず、端正な顔立ちだった。ソノ冷徹な瞳には、殺しを躊躇わない兵士の色があった。

 ザジィはその瞳を一瞥してから、ガナルに視線を戻した。


「全て予定通りというわけか?

 いつから裏切っていた?」


 ザジィは喉元にある短剣を意識していなかった。ガナルの浮かべた笑みは、過去に何度も見てきた裏切りの嘲笑だった。保身と目先の利益に手を伸ばし、民衆を欺き、生贄として差しだす権力者のソレだ。


「まぁさかぁ、不測の事態に備えての警備でございます。

 今後の巫女様の御身を思えばこそ、アナタ様を放置するわけにはいかないのですよ」


「噓が下手だな。俺の世界では、悪党はもっと上手い噓をつく。

 お前は、悪党としても小物だ」


 あてがわれた短剣が首筋に食い込むが、ザジィは怯まなかった。


「心外ですな。

 この男を縛り上げておけ。

 すぐにシュメイレが来る。奴らにも、ソノ減らず口を叩いてみるがいい」

 

青髪は動かず、緑髪のエルフがザジィの背後に回った。ご丁寧にソノ手には蔓のような素材のロープを持っている。


「待ってくれ。何もいきなりこんなこと・・・」


「やめなさい、史郎君。仕方のないことよ」


 動揺する犬塚を窘める冬華の姿。ザジィはソノ女狐ぶりを、思わず笑いたくなってきた。

 緑髪のエルフによって、両手を後ろ手に誘導されながら、反撃の手順を思案する。このようなポジションからの攻撃は比較的簡単だ。だが、ソレにはエルフの身体能力がネックとなる。

 有する身体能力の差は、大人と幼児に等しいのだろう。

 ザジィは考える。戦闘を意識した大人を相手に、どうすれば幼児が一撃を入れられるかを。結果は、不可能だった。例え油断していたとしても、大人ならば幼児の攻撃態勢を確認してからでも、迎撃が間に合うだろう。油断では足りない。ソレ以上の好機が必要になる。そして、この青髪エルフは決して油断しないタイプだと確信していた。

 後ろ手にされた右手首が掴まれ、ザジィは縛られるのを予想した。しかし、縛られることはなく、手の平に硬い感触が押し付けられた。


「しっかり、握ってるのよ」


 ソノ女性の声には、楽しむような響きが含まれていた。


「おまっ」


 続いて青髪の動揺した声が終わらぬまま、ザジィの耳元を突風が走り抜け、青髪の姿が消える。ザジィは突風を感じた瞬間から、渡されたモノを強く握りしめていた。そして、青髪が瞬間移動のような速度で何らかの攻撃を回避したのだと悟っていた。


「さぁて、逃げるわよ。ノーラっ」


「お姉ちゃん」


 それまでは消えるような速度に視力が追い付かなかったが、今は違っていた。ザジィの前にでた緑髪のエルフが弓を構え、呼応するように座った姿勢からジャンプしたノーラも、空中で弓を構えるのが確認できた。

 2人の狙いは、広間の中央付近の床に向けられている。


「ファイヤーショット」


「アイシクルショット」


 2人の矢がそれぞれ赤と白の光を閃かせて同時に床に突き立った。

 2本の矢に込められた炎と氷の魔法は、相反する性質が反作用となり、炸裂し、唸りを上げる爆風を生みだした。

 鼓膜と視力がバカになりそうな爆発音と閃光だったが、ザジィの目と耳には、予想したような被害はなかった。続いて身体がとてつもない力で引っ張り上げられる感触を意識した時には、高所から落下する時の浮遊感に変わっていた。内臓が縮むような浮遊感から、着地する衝撃を感じ、ようやく視力が回復した。

 緑髪のエルフの肩から降ろされたザジィは周囲を確認して、ツリーハウスを見上げる地面に立っているのを理解した。


「上手くいったわネ。名前はザジィよね、渡したモノを首にかけておいてちょうだい」


 よく見ると、緑の短髪エルフは女だった。凛々しい顔立ちだが、口元がセクシーで、綺麗な鼻筋をしている。ノーラよりも身長があるものの、この女性が自分を担いで10メーター以上の高さから飛び降りるなど、夢でも見ない光景だったが、ソレが実際に行われたのだった。


「コイツのお陰で無事だったんだな?

 もしかして、コレが魔法なのか?」


 右手に持った銀の鈍く光るチェーンネックレスを見つめ、改めて魔法の凄さを実感した。


「そーいうこと。じゃあさ、とにかく逃げるよ」


 すぐ隣に着地していたノーラが嬉しそうに笑みを浮かべ、ザジィの手を取った。

 手を引かれるままにザジィも走ったが、今度は自分の走力に自分で驚くことになった。


「凄い」


「オーガと戦ったヒロキも、こんな感じで魔法強化されてたんだよ」


 ザジィは無限のスタミナと脚力を意識した。倒木を飛び越えるのに軽々と3メーターの高さをジャンプし、着地の衝撃を筋肉が受け止め、停滞なくトップスピードに加速して森を駆け抜ける。ソノ強化がコノ世界におけるスタンダードな能力ならば、生身の人間の脆弱さはあきらかだった。

 先程の青髪エルフへの反撃などは、自殺にも等しい愚行だったのだろう。エルフとの能力差に戦慄しながら、改めて幸運の女神である2人のエルフを見つめた。


「どうかして?

 あぁ、名前ですね。ワタシはネルミエーラ・スレイ・ヒューイ。ネルって呼んでくださいネ。ちなみに、ノーラの姉ですよ」


 確かに名前は訊きたかったが、ソレ以上に、村の最高機関であろう評議に反逆したうえ、悲壮感すらないことに、ザジィは驚いていた。


「ありがとう。俺はザジィツ・ハメル・ジージス・・・」


「ですから、ザジィでよいのですよね?」


 ネルはからかうように被せ、笑みで応える。


「助けてもらって、なんなんだが、君達は大丈夫なのか?

 族長代行のザナリスや、評議に対しても反逆したことになるだろう」


「あぁ、ガナルのことネ。ラバン様がいなくなれば、絶対身売りするって思ってたのよネ」


「そうね。ガナルって、最低だとは思ってましたが、酷いですネ。パシュナールも、だけどネ」


 まるで芸能人や映画を批判するような口調だったが、予期しなかったエルフの協力は、感謝以上に頼もしく思えていた。


「この先で、ザジィの仲間も待ってるわよ」


「仲間というと、カル達か?」


「そうそう。末の妹が避難させたんだよ。

 ねぇねぇザジィ。本当にシュメイレを、やっつけるんだよネ」


 ネルとノーラのはしゃぐような声に、ザジィは不敵な笑みを浮かべた。


「当然だ。任せておけ」




 ルクサッド・ソル・トブレ大尉は、満面の笑みで無線機のマイクを手に取った。


「キツネ狩りの時間だ。全車警戒態勢のまま前進」


 ルクサッドの指令がくだり、輸送車両を除く8両の戦闘車両が一斉にディーゼルエンジンエンジンの咆哮を上げる。

 先陣を行く戦車2両がコヨーテ1、続く2両をコヨーテ2とし、VAB装甲車3両でパンサーのコールサインを与えている。

 ルクサッドの騎乗するVAB装甲車はグレイパンサーと呼称され、指揮車型ではないものの、他の装甲車よりも強力な20mm機関砲をキャビン上部に備えている。

 最後部から各チームが綺麗に散開するのを確認したルクサッドは、久しぶりの興奮にマイクを握る手に力が入るのを意識していた。


「これはチャンスだ。今日ほど幸運に恵まれた日はないぞ」


 ルクサッドの浮かべた笑みは軍人の名誉というよりも、俗物の欲望を剥きだしにした表情だった。

 火器管制を担当している副官のズマルにしても、この武勲が好待遇に繋がる予感があった。ルクサッドほどではないにしろ、欲望に頬が緩むのを抑えられなかった。


「すでに手土産は確保しておりますし、後は気楽なものですな」


「そうだろうな。だが、相手が解放戦線というのは目障りだ。できれば、まとめて処分しておきたい」


 ガナルの使いであるエルフから、村に新たな漂着者が来訪したとの報告を受けた時は恐怖心で全身が硬直したし、増援要請も考慮していた。

 しかし、人数が20名前後であることや、漂着直後で魔法装備も皆無な現状は絶好の機会と判断し、村に乗り込んできたのだった。

 すると、村のザナリスやガナルの紹介で、東洋人の漂着者からは保護の要請をされるハメになった。ソレはいい。手間が省けて大変結構な申しでだった。

 3日前の作戦にルクサッドの部隊は参加していないが、投入戦力の大半を失いながら、辛くも姫を含む漂着者を殺害したと訊いている。失った戦力のほとんどが使役している亜人なので、被害は軽微ともいえるが、漂着者の力は自分達の経験も含め、嫌というほど思い知っている。

 神として知られるカシンもいたし、東洋の少女は新しい姫だという。輸送隊に拘束させたが、本当に抵抗すらしなかった。有頂天になるのも当然の幸運に色めき立った後、離反した仲間がいる事が判明した。しかも、ソイツらはシュメイレ解放戦線だというのだ。

 ルクサッドは小躍りしたい気分だった。即座の索敵行動は兵士の義務感というよりも、殊勲目当ての野心的欲求からだった。


「コレが上手くいけば、俺も将軍の仲間入りだ。

 ラバンもカスタルの隊が捕らえたし、他のエルフなんぞ、何匹殺したところで手柄にもならん」


「はははっ。隊長の功績は軽くカスタルを凌ぐでしょうな。なにせ『姫』と漂着者を恭順させたのですから」


「だろうともよ。だがもっとだ。解放戦線の殲滅で俺の未来は決定的になるからな」


 糧食輸送など、所詮は日陰の仕事だった。たまに捕らえたエルフを犯して遊べるが、役得もソノ程度でしかない使い走りなのだ。死ぬ危険がないのは有り難いが、昇進とも無縁な生活であり、佐官のように複数の愛人を囲うような生活も望めない。

 怠惰な日々に鬱積したストレスは飛び込んできた幸運を前に、一気にタガが外れていた。


「確かに姫とカシンの手土産だけでも、俺の佐官昇進は確実だ。最低でもだ。

 それが将軍ともなれば、副官のお前も俺が取り立ててやるぞ」


「ありがたき幸せです。そうなれば、いよいよ青臭いエルフともお別れですな」


 副官のズマルの歓喜も、ルクサッドの興奮を助長した。しかも相手は忌々しい解放戦線で、その数も10人かそこらである。対してルクサッドには一個中隊の機甲部隊がある。その圧倒的な戦力差はシュメイレ帝国軍兵士から緊張感を霧散させ、言葉通りのキツネ狩りという認識を定着させていた。


「しかし、なまじ少人数すぎて、探すのも一苦労ですな」


 ズマルの不安は、ルクサッドにとっては問題ではなかった。


「リーダーはザジィツだぞ。あのお人好し指揮官が相手なら、方法はいくらでもあるじゃないか」


「と、言いますと。・・・いや、ですが、それでは本国の叱責を受けるのではありませんか?」


「構うものか。虫けら風情に手間などかけてられん」


 吐き捨てるたルクサッドは表情を曇らせるズマルの前で、再びマイクを握った。


「コヨーテ1、こちらグレイパンサーだ。そこら辺のエルフハウスを適当に砲撃しろ。奴らをおびきだす」


「コヨーテ1よりグレイパンサー。再送願います」


 命令は明瞭に伝わってるはずだったが、コヨーテ1にしてみれば内容が暴挙であるため、再確認するための返信だったのだろう。

 受けたルクサッドにしてみれば愚問も甚だしい通信だった。


「お前らに判るように言ってやる。

 魔火弾を装填。村を火の海にしろ」


「コヨーテ1、コピー」


 慌てるズマルに対し、ルクサッドは尊大な態度で虫を払うように手を振った。

 魔火弾とは火属性の魔法を付与した砲弾であり、現代兵器でならナパーム弾に相当する特性と威力を持っている。


「いつものお人好し部隊なら、コレで尻尾をだすだろう。逃げたとしても、そこら辺で野垂れ死ぬのが関の山だ」


 逃走したところで、解放戦線などは所詮は貧乏テロリストの集団にすぎない。漂着直後で魔法防御の加護もない部隊など、一晩と生きてはいけないだろう。

 ルクサッドは残忍な笑みを浮かべ、ソレを見ていたズマルも背筋に悪寒が走るのを意識した。




 小川に隣接する樹上から機甲部隊を監視していたカルは、隊形を組み直しながら散開する様子を確認しながら、事前の打ち合わせを思いだす。

 赤髪のパル ( パルネルフ・ラット・ヒューイ ) と名乗るエルフに案内されるままに小川まで戻ってきたカル達は、当初罠や策略も疑ったものの、村での小規模な爆発と、その後に合流したガマトの報告で、難を逃れた僥倖を確認していた。

 続いてパルの姉だというノーラと緑髪のエルフ、ネルに案内されて、ザジィも合流し、事の顛末を知ることとなった。


「ネル、オレはガマトという。奴らについて、いくつか教えてもらえないか?」


「何が知りたいのかしら?」


 長女だというネルは、やはりノーラよりも落ち着いた雰囲気があり、丁寧な言葉遣いだった。対して、ガマトも戦闘前の兵士としては過ぎるほどに冷静な態度だった。

 ガマトは経験豊富なザジィの副官である。すでに裏切りに対する憤りや復讐心を思考から除外していた。激怒するよりも先に、状況分析と戦術案作成へと思考回路を切り替えているのだ。


「奴らの部隊には補給車や燃料輸送車がいない。どうやって兵站を確保してるのか、知っていたら教えてくれ」


「ソレって知らない言葉ですけど、センシャっていうのは、魔法で動かしてるはずですよ」


「そんなことが出来るのか?」


 ザジィの驚きは全員に共通した衝撃だった。


「火炎とか爆発の魔法を使ってるんじゃないかって、ラバン様が言ってたの。

 だから、武器にも魔法が使われてるはずです。外側も防御魔法でシールドされてるの。だから、アイツらには魔法攻撃は無意味だそうです」


 ザジィとガマトが唸る前で、カルにも事情が見えてきた。AMX30は現代では旧式の戦車に入るものの、強力な兵器には違いない。とはいえ、俊敏に動き、魔法を有するエルフが苦戦する相手だとは思えなった。

 シュメイレ帝国は異世界における戦闘に適したカスタマイズを、魔法によって行っているという事が疑問の答えだったのだ。同時に備蓄に制限がある弾薬や燃料の問題も魔法で解決し、圧倒的有利を確保しているのだろう。


「そのシールドというのは、魔法以外も防ぐのか?

 たとえば、魔力を付与してない弓矢でも弾いたりできるか?」


「そんなの当てても意味ないと思うけど。元から矢なんて弾くだろうし。

 まぁ、ザジィもさっき見たでしょ。違う魔法同士は、とくに攻撃魔法はミックスなんてできないんだよ。お互いに反発して暴れるから、結局爆発したり、蒸発しちゃうんだよね。

 だから、魔法防御と刺突防御は両立が難しいんだ。まぁ、できないわけじゃないんだけど」


 相変わらずノーラの解説は馬鹿に叩き込む、という態度だった。ただし、ガマトは怒っている場合ではないとばかり、冷静な態度を維持している。


「つまり、装甲の耐性は物理防御、ぶん殴るのを防ぐって事でいいのか?」


 ガマトにしてみれば表現を工夫したつもりだったが、エルフの3姉妹は揃って吹きだして笑っていた。


「ごめんなさい。判るお話しだけど、可笑しくて」


「それはいい。何か有効な攻撃があれば知りたかったんでな」


 ネルの謝罪に対して、ガマトの内心には怒りや焦りすらなかった。この3姉妹はザジィの恩人であり、解放戦線の大切な協力者であり、情報源でもある。理沙に対する敬意と同様、解放戦線のメンバーに、恩人に怒りをぶつける者はいなかった。


「ガマトの想像で正しいと思います。身体の外側に見えない鎧を着てるような状態ですね。それと、センシャの防御魔法は『刺突防御』ではなくて、『魔法無効化』が施されてるはずです』


「それは、つまり、全ての魔法に対して効果があるのか?」


「術者は帝国の賢者、レブナスでしょうから、ほぼ全ての魔法に対して有効だと思います。現に、今までも多くの狩人が土に帰りましたから」


「悪いことを訊いたな。すまなかった」


 暗い表情を浮かべたネルに対して、ガマトは自らの配慮のなさを詫びた。そのネルは首を振ってニコリと笑うと、俯いて思案を続けていた。


「そうねぇ。有効かどうかは別として、その場合、殴打や刺突の力が大きいなら、例えば体重を超えた威力であったなら、吹き飛ばされる事に変わりはないですね」


「どういう事だ?」


 なにやら光明の気配を感じとり、ザジィとガマトが身を乗りだした。


「使ったことはないけど、ライフルって、金属を爆発で飛ばすんですよね?」


「まあ、その理解で大丈夫だ」


「仮に火とか爆発だと、ソレが魔法ではなくても防御されてしまうけど、金属の殴打は防御できないはずです」


( それだっ )


 ガマトの脳裏に閃光のようにプランが浮上してくる。まだ明確な形になってはいないが、はっきりと音を立てて競り上がってきていた。


「そうだよ。だからラバン様は破城槌まで作ってたんだし」


 パルの言う破城槌とは、地球では中世ヨーロッパで使用された攻城兵器である。そのワードによって、ガマトのプランは明確な形を成した。


「その破城槌だが、効果があったのか?」


「センシャを壊せたらしいけど、犠牲が多すぎたという理由で、ラバン様も2度と作ってないですけどね」


 ネルは悲壮な表情で説明したが、惨状は解放戦線のメンバーにも想像できた。近代兵器の申し子である戦車を破城槌で仕留めるなど、想像を絶する犠牲を伴うだろう。見合う戦果とならないのは容易に想像できる。

 一方で、ガマトの思考回路は出来上がった作戦を再確認する作業を始めていた。やがて全てを理解した表情で、ガマトが全員を見回した。


「これより作戦を示達する。それと、カルとソマはいつも通りの貧乏くじになるが、やってくれるな?」


 すでに悲壮な表情はエルフの3姉妹だけだった。3女にあたるパルにしてみれば、ガマトの一声で全員が不敵な笑みを浮かべたことの方が、よっぽど魔法のように見えていた。


 


 唐突に森を激震させる砲撃音を耳にして、カルは意識を機甲部隊へと戻した。

 見ると、樹上に構築された幻想的ともいえるエルフの居住エリアが燃え上がり、続く砲撃によって爆散していた。

 火属性魔法を付与された105mm戦車砲の砲弾による成果だったが、その無慈悲な光景に、カルは一瞬呆然となった。


( バカな。なんてことを・・・ )


 魔法強化された砲弾は通常なら有り得ない破壊力で樹上の施設を粉砕していった。いくつもの人影が樹上から飛び降り、逃げ惑っている。

 装甲車の7,62mm機銃が狂ったように銃撃を開始し、難を逃れたエルフを撃ち倒していく。砲撃と銃声が交差する中、泣き声や悲鳴はカルの耳まで届いていた。


( よくもっ。コイツらぁぁっ )


 カルの奥歯が「カリッ」と音を立て、以降、身体は勝手に動いていた。腰のポウチから魔化アイテムのネックレスを取りだすと、首にかけた時には樹上から飛び降りていた。

 ソマの制止のハンドサインには目もくれず、着地と同時に初めて体験する疾風のダッシュで装甲車へと肉薄した。

 キャビン上部の銃座で機銃を乱射していた兵士は、背後に何者かの着地を悟った時には、ナイフによって喉元をかき切られていた。吹き出す血飛沫を呆気に取られて見ていると、景色が反転し、自分が車外の地面に放り出されたのを知った。

 兵士はパニックを自覚する暇もなく、出血と衝撃により意識を失っていた。

 銃座から車内へ侵入したカルは、運転席の兵士を一呼吸で刺し殺し、即座に車外へと飛びだした。

 異変を察知した他の2両は即座にカルの姿を確認し、敵兵発見を報告しつつ、機銃掃射を始めた。

 カルはジグザグに走りながら射線を躱していたが、外部発射筒から投擲されたグレネードの爆風に吹き飛ばされた。顔面から地面に叩きつけられたものの、魔法アイテムのおかげで意識は失っておらず、重症も免れていたが、肺が潰れて呼吸を失っていた。


( ふざけるなよ。こんなことで、死ねるかぁぁぁっ )


 全身を走る激痛を無視して跳ね起きると、即座に残像を残すような加速でダッシュを再開する。

 追撃する装甲車の射手は、必殺を確信して発砲した直後、残像を残して消えたカルを、視線を回して探していた。


「やはり魔法強化だ。FCS、エルフモードでグレを頼む」


 機銃手の指示を受けた操縦手は火器管制装置を対エルフ用モードに設定し、グレネードランチャーを自動照準で起動した。


「ランチャースタンバイ」


 相手がエルフ並みの俊敏さであろうと、コレで必殺を確信した操縦手は、陰惨な笑みを浮かべていた。

 カルの知るはずもないことだったが、このグレネードは爆破魔法の弾頭に加えてセミホーミング ( 半自動追尾 ) の能力まで魔法で付与されている。発射された弾頭は高速で移動しているカルを確実に追いかけることになる。

 先ほどの砲撃は無誘導だったお陰で至近弾で済んでいたが、直撃もしくは、より至近での爆発となれば、さすがの魔法防御も役に立たない威力を持っている。


 パシュッ


 余韻を引かない乾いた音でグレネードが発射された。

 カルは魔法によって強化された視力で、自分を目指して軌道を変える弾頭を正確に捕らえていた。


( 殺られるっ )


 なぜにエルフが大敗を続けているかを悟りつつ、死の予感に怒りが炸裂する。


「アイシクルショットっ」


 カルへと迫る弾頭は「チィィィーン」と音を立てて白色に光った。

 全力疾走を続けるカルの足元に着弾したグレネードは霜を立てて凍っており、起爆することはなかった。

 

「お迎えだよん」


 理解できない状況のまま、カルは自分が担がれていることを知った。ジェット推進のように一気に樹上に跳躍し、追尾してくる機銃掃射を遮蔽する位置について、始めて降ろされた。


「カルちゃんに真っ直ぐ飛んでくるから、逆に当てるのは簡単だったけどさぁ、もう無茶はダメだよ」


「お前・・・ありがとう」


 状況にそぐわない朗らかなノーラへ、カルは興奮の冷めない表情で礼を告げた。

 どうやら、飛来する弾頭を氷の矢で狙撃したらしいとは、それから理解した。車体と違い、砲弾はシールドがないので魔法も有効なのだろう。凍てついた信管は作動せず、不発となったわけだ。


「枝をジャンプして逃げるけど、できる?」


「・・・ああ、大丈夫だ。やってみる」


 少し心配そうなノーラに、カルは全ての雑念を払って頷いた。作戦から逸脱した行動をとった以上、今は疑問や不安に費やす時間がないのは充分に理解していた。


「クソッ、エルフもいるぞ。近接警戒」


 帝国軍兵士は、こんな現象に一々驚きはしなかった。小賢しいエルフの俊敏さはよく知っているのだ。操縦手へ報告しながら、すでに樹上を跳躍する深緑のフードマントと兵士の姿を発見していた。


「2時方向、樹上にエルフだ。追ってくれ」


 報告しながら、機銃手は機銃のトリガーを絞り、追い立てるように掃射を始めた。不意を突かれて2号車はやられたが、こっちも魔法強化は乗員へも施されている。運動能力だけではなく、動体視力も強化されているのだ。奇襲さえ防いでいれば、エルフを撃ち殺すのは容易い作業だった。

 真横に3号車が並走しているのを確認して、ハンドサインで牽制射撃を指示した。3号車がエルフの跳躍を妨害、もしくは足止めをしている間隙に自分が仕留める算段なのだ。

 対エルフへの射撃法として確立されている手順の進行に、機銃手は次こその必殺を確信していた。

 3号車の射撃が始まり、機銃手はエルフの未来位置を予測して機銃をポイントする。その直後、ソレは起こった。


「今度はなんだっ?」


 車体は激しく揺れ、バランスを崩した機銃手は機銃にしがみついて姿勢を保持していた。


( そうか。バカめ、アースフォールだと? )


 機銃手は水面のように波打つ地面を見て、ソノ魔法を理解した。ソレはエルフが廃棄物や狩りの遺体を埋めるのに使用する魔法で、大地を水のように変質させる魔法だった。

 初期の戦闘では落し穴のようにトラップとして使われ、シュメイレ軍へ相当な被害を与えたが、現在では対抗策もあり、脅威となる魔法ではなかった。加えて、このVAB装甲車は水陸両用であり、地面に沈む心配もないのだ。格納されたスクリューを展開すれば、このまま渡河する能力まで持っている。


「所詮はこの程度か」


 機銃を構え直し、不敵な笑みのまま周囲へ視線を戻すと、正面に薄汚れた小型トラックが停車しているのを確認する。その荷台には銃架に据えられたM2重機関銃の威容があった。


( やはりバカだな。コッチは魔法防御されてるんだ。そんなモノが・・・ ) 


 轟く咆哮で連射された12,7mm徹甲弾は、射手の頭を吹き飛ばし、装甲車の防弾パネルを粉砕しながら操縦士の身体もズタボロに破壊する。

 1号車の惨状に慌てた3号車は、即座にスクリュー起動の手順を開始したが、操作を終了することなく、徹甲弾の直撃で肉塊へと変身した。


( 思った通りだったな )


 ガマトの考察は極めてシンプルだった。魔法が防御されるなら、魔法以外で戦えばいい。だから自分達の銃器は魔法強化しなかった。

 そもそも、シュメイレ帝国自体がコノ世界では現用兵器と闘ってはいない。全てのカスタムはエルフを含めた亜人や怪物退治に特化している。通常弾が刺突特性となる事実を知らない可能性が高かった。

 今まではソレで一方的な勝利を手にしてきただろうが、相手が現代の軍隊となると、理屈は変わってくる。皮肉なことに、通常弾の威力が本来の殺傷力をそのまま発揮できるのだ。


( ハイテクに対して、アナログの勝利ってわけだ。俺達らしいが、確かに皮肉なもんだ )


 とはいえ、帝国軍兵士も身体を魔法強化しているだろう。通常の拳銃弾や小銃弾では殺傷できない可能性 ( 現にカルはグレネードランチャーの至近弾でも死ななかった ) もある。ただし、本来の用途が対装甲車両としても想定されているM2重機関銃となれば、威力と連射で効果が見込めた。結果、ガマトの推測は吉となった。

 カルの行動は蛮行だったが、ノーラによる救助と陽動によって、予定ポイントへの誘導は成功した。

 結果オーライともいえるが、ここまでの戦果は奇襲により取らせてもらったようなモノだ。ここからは奇襲のアドバンテージもない状況で、しかも戦車を相手にしなければならない。


「フジ、すぐにだせっ」


「あいよぉ、ボスっ」


 藤は軽快な返事と同時にアクセルを踏み込んだ。直後に車体後方に砲撃による爆炎が上がり、揺れる車体の中で首をすくめる。コヨーテ1の戦車2両が、100メートルの距離まで迫っていた。

 車体が魔法防御されているとはいえ、衝撃の全てを無効化するわけではない。むしろ、装甲とも呼べない軽トラックなど、気持ち程度の恩恵しかないのだろう。

 樹幹を縫うように走行する軽トラックを、容赦のない砲撃と20mm同軸機関銃の猛打が追跡する。銃弾のサイズも20mmという巨弾となれば、ソレはもう銃という表現には収まらない破壊力となる。数発が車体を擦過し、その度に車体が大きく揺れた。


「車体は気にするな。ただし、絶対に止めるな。ポイントまで走りきれ」


 ガマトは銃架からM2を外しつつ、藤へと怒鳴った。


「オーケイボスっ」


 藤も怒鳴り返し、不整地の段差に苦慮しながら軽トラックを操る。やがてスロープのように盛り上がった場所に差し掛かり、その勢いのまま車体がダイブした。


「撃ってくるぞ、伏せろぉっ」


 浮揚した車体の位置は絶好の標的となり、20mm機銃の銃弾が吸い込まれるように車体へと殺到した。

 例えるなら宙に浮いたピンポン玉が弾かれるように、車体は慣性とは違う角度に飛ばされ、半回転しながら河原へ飛びだし、横転する。

 魔法防御によって宙に浮いた車体が弾かれた結果だが、車外へ投げだされたガマトよりも、藤の負傷は深刻だった。

 呻きながら上半身をよじった藤は、落雷を受けたような激痛に、自分の左腕の骨折を知った。

 ソノ光景を見ていた先頭のコヨーテ1の2号車は戦果を確信し、次弾装填を完了してから、軽トラックがジャンプした段差を登った。車体が頂上に差し掛かり、車両前部が振り子のように浮き出した瞬間、樹上から舞い降りたノーラとネルが、車両後方に着地した。

 その様子を見ていた1号車は、2号車が射線上にいるため発砲はできず、無線で警告を伝えるくらいしかできなかった。

 当の2号車は頂を超え、振り子が前に傾くタイミングだった。


「せーのっ、ファイヤーショット」


「アイシクルショット」


 2人の矢が天秤が傾くように重心移動する車体の後部下面で交差し、大音響の炸裂を生みだした。爆裂の勢いのまま重心を前に傾けていた車体は、キャタピラの先端を軸にしてジャックナイフのように後部を跳ね上げる。

 爆風を回避するために跳躍したネルとノーラは、空中で再度の弓撃をおこない、剝きだしになった後部下面装甲へ、再度の炸裂を発生させる。

 ダメ押しの一撃を喰らった2号車は、そのままひっくり返えった。


「スゴっ。ホントにできたよ」


「ノーラ、逃げるわよ」


「ハイハーイっ」


 ネルとノーラは自分達の戦果に満足の微笑を浮かべながら、互いに交差しながら跳躍して逃走を開始した。

 追従していた1号車の機銃が空中の姉妹を狙って掃射される。轟然と吐きだされた銃弾は、しかし、姉妹の残像を貫いただけだった。砲手の報告を受けた車長は、操縦手へ段差を迂回するように指示をする。


「お姉ちゃん、ホントーにダイジョーび?」


 この3姉妹の末子であるパルは、ノーラに輪をかけて天真爛漫な雰囲気だったが、この時のカルには友軍である3姉妹に対する頼もしさの方が強かった。


「心配するな。この程度、問題ないよ」


 カルの介護をパルに任せたノーラは、すでにこの場を去っており、陽動のために飛び回っているはずだった。

 自分とは違い、弾けるような笑顔で少女の愛嬌を発散する笑顔に、カルの表情も緩んでいた。そのパルはライトヒールを申しでたが、治癒後の脱力感を嫌って、辞退していた。

 知らなければふざけた問いかけに訊こえるのだろうが、パルが不安視する負傷など、カルにとっては擦り傷程度のモノでしかない。


「ワタシが言えた台詞じゃないが、お前は、姉貴みたいな無茶をするんじゃないぞ」


 カルはパルの頭をひと撫でし、その笑顔に頷くと、ショットガンを握りしめて走りだした。

 一方、迂回路をとった1号車はまとわりつくエルフへ機銃を掃射しながらグレイパンサーへの状況報告をする最中だった。

 ルクサッドの罵詈雑言は長く、車長は相槌も打てずに監視モニターを注視し、エルフの残像を追いかけていた。


「・・・その上戦車まで無力化されたというのか。どうなんだ、お前の言葉で釈明してみろ」


「申し訳ございません。ですが現在・・・」


 ようやく自分が話せると思い、吐きだした台詞は車体に伝わる連続した衝撃音で途切れた。舌打ちした車長が監視モニターを操作すると、樹上の太い枝から重機関銃を撃ち降ろす姿が確認できた。


「馬鹿が。魔法防御も知らんのか」


 むしろ呆れたような表情で、車長は砲塔旋回を指示したが、その動作が終わらぬうちに車両は走行を停止し、車内には焼け焦げたような異臭が漂よった。

 車長は全てを失念していた。戦車の装甲は全てに均一ではない。エンジンが設置された車両後部を斜め上方から撃ち降ろすガマトは、絶好の位置から射撃しているのだ。しかも、その銃弾はただの徹甲弾であり、魔法強化が無意味だということを失念していたのだ。

 シールドを無視して貫通した徹甲弾は、つるべ撃ちされることでエンジンまで届き、ついには魔法による燃焼で作動するエンジン本体をも破壊したのだった。

 慌てた車長は、無線もそっちのけで火器管制装置をチェックし、武装が健在なのを確かめる。ただし、足を失った戦車など固定砲台にすぎなかった。下手に動かず、増援のコヨーテ2を待つべきかと思案をめぐらせる。


 ドンドンッ


 その銃声は足元で起こり、操縦手が覗き窓から差し込まれた銃で撃たれたということを、即座に理解した。パニックに襲われた車長にはブーツに付いた血飛沫など気にしてる余裕もなかった。せりあがる恐怖を払うようにハッチを開放すると、外へと躍りでた。次の瞬間、下顎を蹴り上げられて、宙を舞って地面に叩きつけられる。


「カヘァッ」


 身につけた魔法アイテムの恩恵によりダメージは少ないものの、潰れた肺が空気を求め、喉が鳴った。苦しさから首元のボタンを外そうと手をかけた時、轟然と響く銃声と同時に、右手がひじ関節の位置で吹き飛ばされる。

 激痛に絶叫し、涙で滲んだ視界がぼんやりと兵士の姿を捕らえた時、口腔内へ、灼熱したショトガンの銃口が突っ込まれた。


「むしろ安心した。お前らが、ちゃんとした悪党でよかったよ」


 怨嗟に満ちたカルの声。その意味を考える前にショットガンは火を吹き、車長の頭を吹き飛ばしていた。

 ポンプを操作して次弾を装填したカルは、笑みすら浮かべず戦車内に残った乗員を射殺する同志の作業を見守った。


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閃火の犬 タイガー長谷川 @tiger_hasegawa

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