第3章 血の契約

 樹上に配置された俊介の不利は、射点の変更ができないことであり、敵に発見された場合において回避行動が限られることだった。

 そして、ホブゴブリンを予定ポイントに誘導できなかった時点で、攻撃の機会を失っていた俊介にとっては、この時点での細かな理屈や計算は存在しなかった。

 とにかく反撃と援護をしなくては、という焦りから感情はヒートアップしていき、無策、無謀な特攻へと繋がっただけだった。

 飛び降りざまに射角を得てのフルオート射撃だったが、その反動が落下時の姿勢を崩した。4メートルからの着地の衝撃で、足裏から脳天までを落雷のように激痛が貫き、思考を白く焼いた。

 

( バカが、せめて・・・1発ぐらい当てろ )


 カルは心中で吐き捨てるのも道理で、俊介の乱射に命中弾はなく、無謀な特攻が局面を打開することもなかった。

 成果といえば、ホブゴブリンの動揺を誘ったことで、ほんの一瞬だけカルへの追撃を止めたことだった。ただし、ソレが有利に作用するのは実力が拮抗している場合であり、ホブゴブリンの身体能力に対する人間の能力の差からすれば、アドバンテージを埋める要因にもならない。本来ならば・・・


「ギアッ」


 続いたフルオート射撃が、ホブゴブリンの漆黒のマントを縫うように着弾した。

 冬華の片手での射撃は精密さに欠けたモノだったが、連射による銃口の跳ね上がりが、この場合は吉となっていた。

 命中弾が身体のどこにヒットしたかは判らなかったが、カルは脇の下から脇腹にかけての激痛を意識から切り離し、転がりながらショットガンを片手撃ちする。

 

 ドンッ

 

 カルの舌打ちは、バック宙で射撃を躱されたことではなく、その回避行動と同時に、冬華へ向けて火球が放たれたゆえだった。

 無理な姿勢からの魔法投擲が精密さを欠くのはホブゴブリンも同様で、火球は冬華が遮蔽物にしている大岩へ着弾した。ただし、冬華も無傷とはいかなかった。その威力は爆風だけで冬華を吹き飛ばし、背中から樹木に叩きつけていた。


「おおおぉっ」


( バカがっ )


 俊介の怒号がカルの内心の舌打ちに重なる。

 冬華の惨状に激怒し、感情のままに突進を敢行した俊介だが、しかし、カルが危惧するほどの無策でもなかった。

 相手は銃弾を避ける身体能力なのだ。その動作を封じるには、不慣れな銃火器に頼っていては後手にまわる。その瞬時の判断は「格闘」一直線の行動となり、着地したホブゴブリンの虚を突いていた。

 ホブゴブリンにとって、ソレは確かにスキではあったが、突進してくるのは人間1人にすぎない。愚鈍な人間が相手なのだ。反撃するには充分な時間があった。

 とはいえ、魔力を指先に凝縮させる時間はないので、両手で短剣を抜きだすことにした。指先への魔力集中と並行しつつ、その2本の短剣を連続してアンダースローで投擲する。

 自分への攻撃を予期していた俊介は、両腕をクロスして心臓と首、顔面をガードしつつ、飛来する短剣を肩で受けた。

 元々が無傷ですむとは考えていなかったし、冬華が吹き飛ばされた光景を見たことで、アドレナリンが爆発してもいた。

 受けてしのぐ。そして反撃。怒りで灼熱する思考は、それだけを考えていた。

 左の二の腕と肩口に「ドドッ」という衝撃と共に短剣が突き刺さった直後、俊介は跳躍するように、一気に加速した。


( だからナンだってんだっ! )


 身体の痛みを脳が認識した後、気絶、もしくは行動不能。この流れが来るまでには、一瞬の猶予がある。そして、沸騰するアドレナリンが、その時間を、その激痛を緩和してくれることを、俊介は経験から知っている。

 マントから突きだされたホブゴブリンの左手が赤く発光しているのは確認したが、その光量はいまだ投射するには充分ではないと判断する。その俊介の読みは的中していた。

 ホブゴブリンは驚く、というよりも混乱していた。矢のような速度で短剣を、それも2本も突き刺さっている人間が、むしろ速度を上げて突っ込んでくるのだ。即座に魔力集中をやめ、右手で新たな短剣を抜きだした。自らも俊介へと跳躍し、顔面への刺突を狙って突きだす。

 冬華やカル、俊介の側にとっては未知の武器となる「魔法」は脅威であったが、未知が脅威となるのはホブゴブリンも同様だった。

 俊介は突きだされた刃が眼球の外側を掠め、左耳と頭皮を薙いでいく感覚を意識する。


( まだだ、まだ痛くねぇっ! )


 上半身を旋回させつつ、短剣を持つ右手首を掴むと、そのまま背負い投げを打った。

 大地へと叩きつける確かな感触だったが、ホブゴブリンの反応も尋常ではなかった。叩きつけられると同時にバネのように身体を弾き、俊介から逃れようとする。


( いいやダメだ。お前は死んでも逃がさねぇ )


 ホブゴブリンの動揺は激しかった。人間サイドでいうところの、打撃技やナイフ術に近い技術の習得はしているが、「柔術」という格闘術は、この世界には存在しないのだ。しかも、俊介の技は合気道の影響をも受けている。

 膂力ではなく、相手の強さを逆に利用するという格闘術は、ソレを知らない者にとっては、まさに魔法のような驚愕を与える。理解不能の展開と続く窮地によって、ホブゴブリンは未知への恐怖を感じていた。


( 公僕をぉ舐めるんじゃねぇぞ )


 俊介は霞み始める視界や失われていく筋力とも闘っていた。ただひたすらに「根性」と念じ、気力だけで関節技を維持する。

 他の武道の例にもれず、合気道においても複数の敵や、武器を所持した相手との戦闘が考慮されている。幼少時から警察官を志していた俊介は、小中学校の7年間を合気道の鍛錬に費やしていた。以降、高校からは空手を。大学からは並行して柔道も取り入れており、これらの経緯が、独自の技の組み立てを可能にしているのだ。


 ギアッ シャァァァ


 唸りとも叫びとも訊こえるホブゴブリンの咆哮。フードがはだけ、産毛に覆われたカエルのような顔が露わになる。

 出鱈目に暴れる身体を無視し、俊介は逆間接をきめたまま、身体ごと倒れこんでいく。不快な骨の外れる感触と、森を引き裂くような悲鳴に、俊介は初めて技の成果を実感していた。

 激痛と共に肩間接が外れたことで、逆に動作の制約が解かれたホブゴブリンは、さらに脳を貫く激痛を無視しながら、地面からすくい上げるように俊介を蹴り剝がした。

 結果として俊介は意識を消失して戦闘不能となったが、その代償はさらなる激痛となり、ホブゴブリンは再度の絶叫を上げた。


 ドンッ ドンッ


 立ち上がったカルのショットガンが連続して火を吹き、ホブゴブリンの胸に、腹に、散弾が無慈悲な破壊を与える。なおも悲鳴をあげるホブゴブリンへ、やや慎重に、その顔面へと狙いをつける。


 ドンッ 


 カルは上半身がミンチとなったカエル人間を見おろした。

 兵士の習慣で絶命を確信していても、銃口はホブゴブリンへ向けつつ、周囲への警戒も怠らない。

 数秒後、脅威の消失を確認したカルは、ショットガンへ補弾しながら俊介へと駆け寄った。

 草の上で大の字に倒れている俊介。左腕に2本の短剣が突き刺さり、左側頭部は耳ごと切り裂かれている。ソノ顔面は流血の朱に染まっていた。


「バカなやり方だったが、おかげで助かった」


 異国の警察官とはいえ、その無謀なガッツが自分の存命につながっているのは理解している。だから、カルは死者への最低限の礼のつもりで語りかけていた。


「バカは、よけいだろ。・・・もっと、ちゃんと感謝、しろ」


 右目だけを開けた俊介は、親指を立てて右手を突きだした。その唇は無理をして笑いの形を作っている。


「・・・頑丈だな。驚いたぞ、日本人」


「先輩は、無事、なんだよな?」


 俊介のタフネスぶりに素直に感嘆したカルだったが、即座に冬華の身を案じる態度にも、意識せずに好感を抱いた。


「無傷とはいかないが、生きてるはずだ。見てくるから、待っていろ」


「なぁ、カル?」


「なんだ?」


「いま、お前、笑っただろ」


 その指摘は奇襲となり、カルはドキリとした表情を隠せなかった。直後、血まみれの顔面に好奇心の瞳を認め、俊介を睨みつける。


「ワタシも負傷しててな。痛みで表情が、歪むんだ」


「沢山、仲間を、失ったのに、・・・助けて、くれて、あり、がとう、な」


 思いがけない俊介の礼に、カルは表情を強張らせた。

 俊介の指摘する喪失の痛みならば、それば警察も同様のはずだった。今の状況はあくまでも休戦状態にすぎず、この戦闘も警察のためではなかった。

 全ては成り行きにすぎなかった。思考では反目しながら、それでも無意識に表情が緩みそうになり、カルは俊介から視線をそらした。


「逃げたもう1匹が気になる。巨乳の無事を確認したら、ガキどもの所へ戻るぞ」


「すまねぇ。宜しく、たのむ」


 再びの礼を背中で受け、カルは冬華がいるであろう大岩へと歩いた。内心に沸いた不可解な感情に戸惑いながら。





 肺が潰れ、呼吸が停止した理沙は、それでも無理をして瞼を開いた。弘樹を探そうとしてめぐらした視界に、アノ白銀の犬とも狼とも見える獣が飛び込んでくる。

 花蓮による傷口の縫合が終わり、理沙の眼前に来ていたのだ。


「人間、もはや時がない。我と契約するのだ。浮かんだ言葉を発し、我の血を飲み、お前の血を我に与えよ」


 その獣の説明は意味不明だったが、理沙の思考に割り込むように、確かに、言葉が流れてきた。ソレを表現するとしたら、歌が聴こえるような、でも他人には聴こえない。そんな状態だった。

 状況に戸惑いながらも、理沙の唇は自然にフレーズを追うように、ソノ言葉を発していた。


「い、・・・」


 声に詰まったが、潰れた肺がようやく空気を取り込めるようになった。全身に走る激痛を堪えつつ、理沙は詠唱を再開する。


「古の、盟約に従い、血と生命を対価に、我の、眷属となれ。その死が、互いを、分かつ、まで・・・」


 その瞬間、凪いだ水面のように精神が平静となり、ホブゴブリンに蹴られた痛みも和らいでいく。


「我の傷口にある血でよい、ソレを口に含め」


 普段なら断固拒否する提案だったが、精神が凪いだ理沙は不思議と嫌悪もなく、抵抗する思考もなかった。縫われたばかりの傷口から流れでる血を指先ですくってから、ほんの一瞬だけ躊躇した。それから意を決し、指先を濡らす血を口に含み、嚥下した。


「次はお前の血だ。唾でもよいが、人間の女は嫌なのだろ?」


( 当たり前でしょ、ファーストキスなのに )


 そうは思ったが、適当な刃物もなく、切り傷もなかった。


( まあイイや。犬は大好きだし )


 倒れた姿勢のまま、理沙は獣の首に左手を回した。獣は意図を理解したように、理沙の口元へと顔を寄せた。


「唾を含んで、舌をだせ」


( イヤよ、そんなの! )


 反射的に思ったが、獣の要求に邪な響きはなかった。むしろ荘厳な響きだとも感じさせる。結局は言われるがまま、理沙は舌を伸ばし、差しだした。

 獣は躊躇なく理沙の舌をぱくりと含み、唾液を嚥下した。


「なに、何なの?」


 理沙に起こった変化は劇的だった。脳内の思考がフラッシュしたように白濁し、爪先から脳天までを電流が走ったような感覚が貫く。


「盟約に従い、我は眷属とならん」


 獣の中性的な、やや女性的でもある声を、理沙は脳内に響く音として訊いていた。




 弘樹は考える。アノ炎の短剣に焼かれた場合、どの程度動けるのだろうかと。

 どれだけ灼熱であっても、一刀ぐらいは耐えられる。そう仮定してみた。そもそもが、その一刀が耐えられなければ策など立たないので、ソレは無理であっても、そういう前提で挑むしかないのが現状だった。


( 魔法とかって、はっきり言ってチートだよな )


 最短最速ではあっても、突きは躱される公算が高い。実際、全ての突きが躱されている。かといって、灼熱の刀身を受けながら、繋ぎや誘いの技を組み入れての渾身の一刀など、もっと実現不可能だろう。

 自分の意識や根性がどうであれ、炭と化した腕では、根本的に技など繰りだせないのだ。アノ短剣は、そういうマグマのような高熱を持っている。


(しかも、 鉄パイプだしな )


 絶望的な状況すぎて、逆に苦笑が浮かんだ。

 コレが、せめて刃のついた日本刀であったならば、起死回生の技がないでもない。しかし、刺突に鈍く、殴打の威力しかない鉄パイプでは、どの道仕掛ける技がないのが実情だ。


( 待つ。しかないな )


 それは、ただの消去法だった。相手の斬撃を躱しての一刀という、ほぼ不可能な選択しか残らなかった。

 これを最期にと選んだ構えは、やはり右正眼だった。


( 試しに、目を閉じてみるか? )


 その選択を、本気で迷った。相手は、このホブゴブリンと自分では、武士と百姓以上の差がある。

 そして次の刹那。瞬間移動のように距離を詰めたホブゴブリンが、眼前から炎の一刀を振り下ろすのを知覚する。よりも先に、身体は反応していた。

 見切っていたわけではない。技量の差を考えれば、見切れる相手ではない。だから、弘樹は意図的に構えにスキを作っていた。わざとらしくない程度の、僅かな誘い水であり、乗ってくると信じての博打であった。1歩間違えば、フライングとなったかもしれない回避行動が、たまたま当選した結果にすぎなかった。


 ボンッ


 大気を切り裂く炎の音と、顔面を打つ熱風。続いて、跳ね返るような下段からの切り上げを、鉄パイプでいなす。

 初太刀の軌道さえ把握すれば、自分を追撃する2の太刀は読み易い。千載一遇の好機に、渾身の1刀は裂迫の気合と重なった。


( 浅いっ! )


 側頭部を狙った一刀は、フードの布を裂き、横に飛びだした尖った耳を吹き飛ばす。だが、成果はソレだけだった。

 捨て身で作った機会が不発に終わり、さすがの弘樹も観念した。

 思えばハンデの大き過ぎる、少しズルい相手だと、内心の愚痴が零れた。


 キィィィィン


 余韻を引く美しい鋼の音は、疾風が弘樹の頬を叩いた瞬間に上がった。

 弘樹の視界に飛び込んできた白銀の閃光は、炎の短剣を弾き、停止した瞬間に刃だと判った。それほどに早い斬撃だった。


( ウソだろ! )


 飛びのくホブゴブリンと自分の間に割って入る姿。陽光を浴びて、自らも輝くような刀身を操っているのは、作業着姿の理沙だった。


「女子を足蹴にしたうえ、弘樹まで痛ぶってくれたわね」


 訊き慣れた凛とした口上に、弘樹は幼少期の理沙を重ねた。

 小学2年になって、理沙が新入生として1年生にいた。その当時から美少女だった理沙と仲が良かった弘樹は、嫉妬と冷やかしの対象にされ、その後の頻繁なイジメにさらされることになる。

 イジメや暴行を受ける現場には、いつも理沙が割って入り、弘樹の窮地を救ってくれた。だが、ソノ好意が逆に反感へと連鎖し、弘樹へのイジメは加速していった。


「女に守られてるヤセ男」


 というレッテルは、6年生になるまで続いたのだ。

 道場に通い、心身を鍛えた弘樹は6年生になってから反撃するようになった。やがて、その弘樹の強さゆえにイジメは激減していく。

 本来の誠実な性格も手伝い、やがてクラスでも人気者となった弘樹だが、そうなれたのは理沙へのコンプレックスからでもあった。

 自分は理沙のような「シャチョー」にはなれない。だからこそ理沙の言う「社長より強い男」を目指した。自分の大好きなシャチョーを守れるぐらいの、そんな強い男を目指していた。

 今、目の前にいる理沙は、アノ小学校から飛び出したように、弘樹を庇う位置に立ち、同じように口上をしている。しかも、自分の足で立っているのだ。意識せずに、弘樹の視界が涙で滲んだ。


「オマケに魔法だの炎だのと、卑怯なことばっかり。かかってきなさい。思い知らせてあげる」


 宣言すると、理沙は正眼から下段脇構えへと構えを変更した。


( よせっ、露骨すぎる )


 ホブゴブリンの俊敏さを理解する弘樹にとっては、あまりに無謀な選択に見えた。しかし、胸中の叫びが声になる前に、ホブゴブリンは理沙に肉迫していた。

 その後の攻防は、弘樹の視力では捉えきれなかった。とにかく、次の瞬間にはホブゴブリンの胴体は切断されていた。

 血飛沫を上げる下半身が膝を折って崩れる前で、理沙は刀身についた血のりを一振りして払っていた。


「大丈夫、ヒロキ。きゃっ」


 弘樹を案じて振り返った理沙の手元で、手にした剣が白く発光する。刀は直後にアノ白銀の獣へと姿を変える。


「剣化の限界は20秒程度だと伝えたぞ。遊びすぎだ」


「ゴメン。でも、助かったよ」


 獣の文句に悪びれた様子もなく理沙が謝罪したが、弘樹にとっては全てが意味不明な成り行きだった。


「どうなってんだ、コレは?」


「よく判んない。なんか、こうなっちゃった」


 理沙の返答は、弘樹の質問の答えになっていなかった。


「でもぉ、よかったですぅぅぅ」


 嗚咽しながら喜ぶ花蓮の指摘は、弘樹にとっても同感であり、この際理屈などどうでもいいような気がしてくる。ただ、生死を分けた窮地から解放された脱力感から、笑みは自然と零れた。


「だよね。私、歩けてる。自分で、自分の足でだよ」


「・・・ああ、そうだよな。マジで、よかった。スゲーよかった」


 理沙は泣いていた。悲しみ、絶望の涙ではない。弘樹が望んで叶わなかった時ではない。医療に絶望し、現実を憎んでいた時とも違う。

 弘樹にとって、すでに他のことはどうでも良かった。危険な場所であっても、自分が死ぬような思いをしようとも、理沙が治ったのだ。


「その犬の、お陰なんだろ?

 マジで大サンキューだ。チョー凄いワン子だ」


「そーなの。契約したの」


「ケイヤク?」


 弘樹と花蓮の疑問の声が重なった。


「うん。血のナントカって契約」


「何だよ血って?」


「何かぁ、悪い条件とかぁありそうなぁ」


 花蓮の指摘に、弘樹もゾッとする思いが込みあげる。ネーミングの具合からも、良い契約というイメージは湧かなかった。


「どうなんだよワン子。悪い事とかあるのかよ?」


「やめなよヒロキ。助けられたんだよ、私たち」


「話してもいいが、ココに人間が来る。お前らの仲間であろう」


 獣の言葉は、すぐに裏付けられた。

 響き渡った銃声に異変を察知し、犬塚とザジィが、それぞれ2人の部下を連れ、3人がいる河原に降りてきた。

 

「何があった。その狼はなんだ?」


 状況を知らない犬塚は、当然のように獣へと自動小銃をポイントしつつ、質問した。斬殺された死体や、周囲への警戒の視線を流しつつだった。

 その背後でザジィが部下へ散開しての警戒配置を指示している。


「待ってください。撃ったらダメです」


「俺達、助けられたんです」


「この子はぁ、話せるんですよぉ」


「待て待て、一斉に言われても判らんだろ」


 犬塚も多少以上に混乱していた。立て続けの銃撃音に異変を確信して来てみれば、フード付きマントの死体が2つ転がっている。オマケに巨大な狼だ。どうやら理沙になついてるようだが、発砲の経緯はコノ狼が原因だと考えていた。


「このワン子と契約したんです。それで、足が治りました」


「コレのどこがワン子なんだ?」


 理沙は理解を早めるべく、端的な説明をしたが、それが裏目にでていた。犬塚の表情は、あきらかに何も理解してなかった。


「確かに、我はワンコではない」


「話すのか、コイツは?」


「そう言いましたよぉ」


 緊張感の漲る状況で、花蓮のおっとりした声は良い意味で潤滑効果があった。

 毒気が抜けたように、犬塚は銃のポイントを獣から外した。


「それよりも、カルはどこにいる?

 他の2人もだが、無事なのか?」


「ソノ森の奥にいる。ゆっくりとだが、ココを目指して移動してるようだ。死んではいない」


 その感知能力を疑うこともなく、ザジィは部下と共に森に入っていく。弘樹のような素人目で見ても、互いをカバーしあう見事な陣形で消えていく姿に、事態の収束と、それに伴う安堵を感じた。

 その後、事態の解説は棚上げし、犬塚とSAT隊員に護衛してもらいながら、体育館へと戻った。 

 獣は腹部の傷のせいなのか、ゆっくりとした歩調しかとれなかったが、「死ぬわけではない」とコメントし、自分で歩いていた。

 弘樹達が体育館に戻った後、引き返した犬塚らとザジィとその部下が、冬華と俊介、カルの3人を運んできた。樹木と衣服で作った即席のタンカでの搬送だった。

 全員の怪我が酷く、特に俊介の容態は重症だった。

 医薬品などがゼロの状況下においては、冬華の刃傷もカルの火傷も致命になりかねないが、特に大量の出血をしている俊介においては、すでに意識不明の状態である。




「なあワン子。俊介さんは友達なんだ。

 無理いって悪いんだけど、リサみたいに治せたりとか、しないかな?」


 その弘樹の願いは切実な響きがあった。別に冬華やカルなら大丈夫というわけではないが、救命処置が不可能な状況であり、このままでは数時間で俊介は死ぬことになる。


「完全な回復はできない。だが、延命だけなら可能だろう」


「マジか!」


 そのやり取りには弘樹だけではなく、犬塚やザジィ、他の全員が注目した。

 ダメもとの懇願に、まさかの解答だったのだ。当然だった。


「よかったですぅ。すぐに輸血が必要なんでぇ、どう準備すればいいですかぁ?」


「ユケツとは何だ?

 判らない」


「足りない血をですねぇ、つまりぃ・・・」


「ちょっと待って」


 花蓮の説明を、冬華が遮った。


「アナタの方法でいいわ。俊介君を治してほしいの」


 昨夜のゴブリンの夜襲と、今日のホブゴブリンとの戦闘。話す狼と歩けるようになった理沙。しかも、理沙の足は治療不可能な難病だったという。

 すでに超常的な状況であり、自分たちの理屈が通じないことを受け入れなければならない。最も堅物であろう冬華だったが、その彼女が、最も早く状況を受け入れていた。


「我のヒーリングは、この怪我では無理だ」


( 何よソレ? )


 冬華は内心の苛立ちを表情にださないように努めた。


「だが、その人間が、ライトヒールを使えるはずだ」


 その人間。つまり理沙は、一同の視線を浴びて困惑した。


「いいわ。じゃあ理沙さん、さっそくやってもらえる?」


「あのぅ、・・・ワン子君、それって本当なの?」


「無論だ」


 あまりに簡単な断言だが、理沙にとっては魔法の使い方など判るはずもなかった。そもそもが、説明が足りなさすぎるのだ。


「スゲーじゃん。やろうぜリサ」


 だから、それがどう凄いのかも判らないのだ。理沙は弘樹の馬鹿さ加減を呪う思いだった。

 その様子を見ていた冬華は、全ての発想を転換する作業を行っていた。

 要するに、コノ狼にとってはライターで火を点けろというくらいに、当然の提案をしているのだろうと仮定していた。

 そして、自分達はライターを見たことがない異邦人なのだ。


「だから、・・・魔法って言われても・・・」


「狼さん。理沙さんにやり方を教えてあげて。ヒーリングが判らない人、初心者を指導する要領でお願いします」


 思えば簡単な要望だったが、困難な発想でもある。指1本で火が点くことを知らない者が、ソレを可能という前提で要求するのだ。しかも、近代文明を知り尽くした現代人が、である。


「そうであったな。『漂着』したばかりの人間には、勝手の判らぬことばかりだったな」


「そうだよ。キミには親切が足りないよ」


 理沙の指摘を受け、獣は本来の姿に相応しい唸りを上げた。その反応に驚いた冬華や犬塚は咄嗟にホルスターに手を伸ばしたが、次の瞬間には、ソレが獣の笑い声なのだと理解していた。

 風貌は獰猛そのものだが、よく眼を見ていれば、柔らかい眼差しなのが判るのだ。


「まずは対象の前に座り、印を結べ。まあ、好きなように手を組めばいい。座るのも、印も、精神を統一しやすくするためだ。

 それから、対象の回復をイメージするのだ。対象を見て回復をイメージ。それを繰り返しながら、一気に集中しろ。

 慣れないうちは、声にだすことも助けになろう。

 成功すれば、即座に血が止まり、深い傷は浅くなり、浅い傷は回復しよう」


「うーん、判ったよ。俊介さんの回復をイメージだね」


 理沙本人ですら未だマユツバだったが、自身に起こった奇跡を信じないわけにもいかない。弘樹と視線を交わしたが、楽観的な笑みが返ってくるだけだった。


「大丈夫みたいに笑わないでよ、マジで、チョームズいかもしれないんだから」


「リサなら大丈夫だよ。俺よりも、気持ち、強いじゃん」


 その余りに簡単な論法は、このタイミングでは理沙の癇癪に触れた。

 まさに怒りが噴火寸前のタイミングで、犬塚が声をかけた。


「理沙、負担ばかりかけてすまない。だが、お前さんに可能なら、コノ馬鹿を助けてくれ。なんとか、頑張ってみてくれ」


「イエイエ、・・・その、頑張ってみますから。と、とにかく、やってみますね」


 理沙は意を決し、跳び箱や平均台を使用するさいに使うマットの上に寝かされた俊介の傍らで、膝を突いて座った。


「保護者も板についてきたわね」


 その様子を見守りながら、冬華は傍らの犬塚を称賛した。


「よしてくれ。俺がどうこう言わずとも、アノ娘はやってくれたさ」


「そうかもしれないけど、気づいてるの?」


「何をだ?」


「史郎君は、良い父親になれるわ」


「良くはないだろう。結局のところ、子供を利用してる」


「でも、良い指導者だわ。育てるという意味では、大事な素養よ。私にも、アレくらい優しくしてほしいわね」


 鼻で笑って返す犬塚の態度に、冬華は皮肉のない笑みを浮かべた。その態度が照れ隠しだと知っている冬華は、それ以上の追及を控えた。


「ヒロキ、俊介さんの毛布を、外してもらえる?」


「おう、今やるからな」


 毛布といっても、暗幕を切り取っただけの布だったが、弘樹は嬉々として、ゆっくりと毛布をたたみながら、俊介の身体を露出させた。

 傷口の一部は花蓮が縫合したが、消毒は水で洗う程度しかできず、針はライターで炙って消毒とした。それでも、糸が足りず、縫えたのは左腕にある傷のひとつだけだった。そんなことをしても、切断された血管からの流血は止まらないし、ザジィの指示で遺体から集めてあったタバコが止血帯として利用されたが、ソノ止血効果も気休めにすぎなかった。

 使い古され、黒ずんだマットには、流れ落ちた血液がベットリと染み込んでいる。もはや、今死んでも不思議ではない状況だった。


( まずは、俊介さんの傷を見て、・・・治るのをイメージ )


 見るだけで肌が泡立つ惨状だが、理沙に過剰な恐怖心はなかった。弘樹との雑談でも、やはり、恐怖心が少ないという互いの感想があったのを思いだす。


  ( 違う違う、今はイメージ。治療をイメージしないと )


 俊介の前で祈りを捧げるような少女を、スメイル解放戦線の兵士が、警察官とその特殊部隊が、そして、暴力団員の5人が見守った。

 理沙は奥歯を噛みしめて全身に力を入れた。そして、次の瞬間。


「治って!」


 叫ぶように声を上げ、理沙は両目を開いた。


「どう、治ってる?」


 息を切らすような口調の理沙の問いかけに、俊介の顔を覗き込んでいた花蓮が愁眉を寄せた。


「あのぅ、治ってぇ、ないみたいですぅ」


 笑いたくなってきた。まるでコントだった。理沙は頭髪を掻きむしって、苛立ちを紛らわせた。


「待て待て、力み過ぎなんじゃねえか?

 なんていうかさ、もっと肩の力を抜いてだな。リラックスしていこうぜ」


「力みが足んないのかもしれないじゃない。

 判んないのよ、こんなのはっ」


 この場合、弘樹のアドバイスは逆効果だった。全員に注目され、無様な1人芝居に終わったのだ。死ぬほど恥ずかしかった。何もかも否定しないと、気が済まない心理状態になっていたのだ。


「いやいや、そこは落ち着いてだな」


「だから、焦ったほうが良いのかもしれないでしょ」


「でもよぅ、ホブゴブリンは、焦ってる感じじゃなかったぜ」


「あんなミドリと一緒にしないでよ。そもそも、アレの感情って、人のと一緒なの?」


「それは判らない」


「バカじゃないの?

 ちょっと待ってなさいよ。

 ワン子君、ちょっと訊きたいんだけど」

 

 立ち上がった理沙は、弘樹を切って捨てるように獣へと駆け寄っていた。

 この間、誰も突っ込めずに見守る羽目になった。

 有能な警察官も、歴戦の兵士達も、暴力で鳴らしたヤクザでさえもが、コミックのようなやり取りを、沈黙のまま見守っていた。


「必要なのは肉体的な力ではない。精神の波動だ」


「それって、イメージっていうか、想像力でいいの?」


 静寂の中、今ではソレが笑いだと判っている獣の唸り声が上がる。


「前に、姫の近衛兵が村の子供に木片の玩具を作っていた。お前達の遊びに使うヤツだ」


「えーとっ、ジェンガ、かな?」


「積み木、じゃないのか?」


 次第を見守っていた犬塚が、たまらずに口を挟んだ。


「ソレだな。

 回復魔法。お前の使おうとしている『ライトヒール』の波動は、ツミキを組むのに似ている。

 バラバラの木片を、イメージの中で組み上げる。それを人間で行うイメージを持つのだ」


「ありがとう。今のは親切な説明だったよ。

 じゃあ、やってみるね」


「そうだな。何度でも、試すべきだろう」


 見守っている大人達にしてみれば「もういいの?」という気持ちもあったが、この快活な少女には、確かな誠実さと努力を感じさせるものがあった。


「若さ、だな」


「どういうこと?」


 犬塚の呟きに、冬華が反応した。


「若さってのは、未熟さの代名詞じゃないのさ。挑むこと、恐れないこと、挫けないこと。

 だから成長が早い。だから怖ろしいんだ。それが他の惑星だろうと、異世界だろうと、貪欲に適応できるのさ」


 冬華は理沙へと視線を戻した。

 時としてはすっぱな口調の目立つ少女だが、祈りを捧げるようなソノ姿は、洗練された聖職者のような荘厳さを感じさせる。


( お願い、俊介君を治してあげて。

 無茶なことばかりして、それでも、私を助けてくれた。次こそは、そんな無茶はさせない。しっかり怒って、言い訊かせるから )


 祈ることには無縁だったような冬華だが、ここ最近は祈ってばかりにも思う。通じるならばいくらでも祈るし、今は願いが通じてほしい最終局面だった。

 冬華は両手を組んだまま、固く瞼を閉じた。


「治れ、ライトヒール」


 理沙の声に気負いはなかった。

 しかし、冬華は信じられない奇跡を目撃する。

 仄かに白い光が負傷した俊介を包み、その身体に溶け込むように吸い込まれていくと、出血が止まり、傷口がふさがっていった。

 痣だらけの上半身の体色も回復し、続いて咳き込むと、呼吸が大きく回復する。


「やりましたぁ。リサちゃん、治りましたぁ。凄いですぅ!」


「よっしゃあっ、ナイスだぜ、リサ」


「当然でしょ!」


 もはや敵対関係も恨みつらみもなかった。一同全員が喝采の声をあげ、理沙の奮闘を称賛していた。


「アレっ」


 何かのポージングでもするつもりだった理沙だが、立ち上がった瞬間、立ち眩みのような脱力感を受け、全身が弛緩した。

 そのまま頭から転倒する直前、その肢体を犬塚が抱きとめた。

 賛辞の声が沈黙する中、犬塚は獣へと燃えるような視線を向けた。


「ある程度の予想はしていたが、何かしらの代償があるようだな。

 答えてもらおうか。この娘はどうなる?」


 厳しい口調で獣を問い詰めつつ、理沙の身体は左手だけで抱え、右手はホルスターへと延びていた。


「人間に限らず、精神の流れ、波動の中には『気』もしくは『オド』と呼ばれるモノがある。

 その人間は過剰な気の喪失により、活力を失っているのだ」


「どうやって治す?」


「治す方法などない」


 元々がそうだったが、ソノ声には一切の人間的な感情が感じられなかった。犬塚は拳銃のグリップを握り、弘樹は鉄パイプを手にとっていた。


「時が流れ、自然に回復するだろう。別の方法もあるが、ほおっておくのが、その人間にはよかろう」


「回復に要する時間は?」


「半日といったところか。

 魔法はライトヒールだったが、強い魔力を消費した。怪我の回復も全開に近いはずだ。この人間の魔力は、かなりの強さだ」


「待ってくれワン子。魔力が強いなら、1発ぐらいで倒れたりしないんじゃないのか?」


 問い質す弘樹は、すでに鉄パイプを下ろしていた。純粋に理沙の容態だけが心配事として残っていた。


「『気』は強いようだ。初めてとはいえ、ライトヒールでここまで回復させたのだからな。しかし、魔力を増やすには修行が必要だ」


「つまり、電力みたいな理屈なのね」


 冬華の的確な表現に、犬塚も概要を想像できた。


「っていうと、アレか?

 放電量は高いけど、蓄電量は少ない。言ってみりゃあ、カメラのフラッシュみたいだってことか?」


 冬華の指摘を、結果的に犬塚が補足していた。


「狼さんの解説を推理すると。って意味では。近いと思うわ。

 狼さんの表情を見る限り、電力もカメラもご存じないみたいだから、裏はとれないでしょうけどね」


「最後に訊きたい。この娘は死なないんだな?」


「たとえ、魔力を使い切ったとしても、ライトヒールで術者が死ぬことはない」


「判った。粗い問い詰め方をしたが、許してくれ。すまなかった」


 犬塚の謝罪に対して、獣は無言で応えた。苛立ちや怒りという雰囲気ではない。それは、興味がないといった態度だった。


「シローさん。大丈夫ですよ、こんのぐらい」


 犬塚の腕の中で、理沙はニコリと笑い、そのまま座り込んだ。


「私もワン子君に訊きたいんだけど、今のライトヒール。もう1発やっても、私は死んだりしないって、ホントだよネ?」


「待てよリサっ」


 理沙の無謀な質問の意図を即座に理解し、弘樹は怒鳴るように声を上げた。


「ヒロキには訊いてないでしょ。カルちゃんだって重傷なんだよ。他にも怪我人がいるんだから」


 その恐れを知らない口調に、今度はザジィが理沙の前で片膝を突き、視線を合わせた。


「カルを、気遣ってくれるのか?」


「私達を守るために大怪我したんだし、私も死ぬわけじゃないなら、当然です。」


 そうなのだ。考えてみれば、弘樹の思考こそがエゴだった。そして、理沙がカルを気にしないわけがないのだ。

 体育館に収容されたカルは最初こそ気丈に振舞っていたが、発熱して意識不明に陥っている。

 今は濡れたタオルで上半身をグルグル巻きにしているが、花蓮の見立てでは、魔法攻撃による炎症は内臓にまで届いてるらしい。仮にジャングルにペニシリンに似た効能を持つ薬草などがあったとしても、外科手術をしない限り、回復は見込めないということだった。

 そして、そんな薬草の存在など、誰も知るはずがなかった。


「お前は意識を失い、眠り続けるだろう」


「期間は?」


 これは、冬華が質問した。


「人間の強さ、回復力によって違ってくる。2日なのか、10日なのか、というあたりだろう」


「10日って、・・・待ってくれワン子、そんなに寝てたら飯も食えないぞ。死んじゃうんじゃないか?」


「明日には我が回復する。その人間へは、我が魔法で延命をしよう」


 弘樹の疑問に答える口調も淡々とした響きであり、やはり感情は存在しないように訊こえた。

 冬華の思考回路がフル回転するが、明確な解答は得られなかった。そもそもが、この獣は言葉を解するだけで、その感情は人のソレとは異質な可能性が高い。

 根本的に、人間という立ち位置の尺度を変えて考えるべきなのだろう。例えば、人類は地球上のあらゆる生物を殺し、食している。生態系において、これほど凶悪なモンスターは存在しない。

 そのモンスターが道徳心を持ちだしても、この狼にとってはヘソで茶が沸くネタになる。化け物の同族意識と捉えられても、不思議ではないのだ。


「と、いうことで。問題は解決だね」


「待てよリサ。もっとちゃんと・・・」


「いちいちヒロキはうるさいのよ。大丈夫だよね、ワン子君」


「契約に従い、お前を守ろう。死が分かつまで」


「そうだよ、そのケイヤクってのは・・・」


「もう。マジで、うるさい」


( まるで婚姻の誓いね )


 冬華が2人と獣のやり取りに対して、ふと思った例えだった。確かに、弘樹の指摘する契約内容には興味があったが、他にも訊きたいことは山ほどある。

 弘樹には悪いが、死ぬわけではないのなら、理沙には少しの間、眠ってもらったほうがいい。その間に、情報収集も進むだろうとも考えていた。


「と、いうわけで、冬華さんも大怪我なのに、治せなくてすいません。

 私、寝ちゃうみたいなんで」


「気にしないで。それと、ありがとう理沙さん。俊介君には、後できつく言っておくわ」


「いえいえ、守ってもらったんで、お礼を伝えといてください」


「判ったわ。必ず伝えておくから」


( 私も、すっかりタヌキになったわね )


 冬華は自身の策謀を隠して笑顔で理沙に答える自分に対して、微かな痛みを感じていた。犬塚の指摘ではないが、「若さ」が発散する矛盾のない行動原理が、棘のように思考回路に撃ち込まれるのだ。

 ザジィの再度の感謝を受けつつ、理沙は再びのライトヒールを発動し、意識を失った。その効果はやはり絶大で、赤黒く焼けただれていた皮膚はみるみる人肌に戻っていき、カルの呼吸も俊介と同様で、即座に回復した。


( まるで、キリストの再来ね。女性だから、マリアと呼ぶべきかしら )


 この強力な治癒の力も、この世界のスタンダードの一つであることを思うと、冬華の危惧は尽きなかった。ザジィとの交渉がそうだったように、安全を確保する盟約は、戦力が拮抗しているからこそ結べるのだ。対して、自分達現代人は、この世界では最弱の部類である可能性が高い。

 考えるほどに先行きの暗雲は深く、濃いものとなった。

 冬華は内心の不安を打ち消すように、犬塚とザジィへ、緊急の打ち合わせを申しでた。内容は、コノ狼を交えての会議の開催についてだった。






「まずは、最初に教えて欲しいんだけど、この世界は何なの?」


「そんな質問のし仕方があるのか?

 この世界は『この世界』だ」


 獣の解答に、冬華は怒る気持ちにもならなかった。要するに、「地球とはなんだ?」という問いへ、「地球だよ」と答えただけなのだろう。予想した範囲の展開でもあったが、複数あるアプローチから、どれを選ぶべきなのかを再考する。

 ここは取調室ではないし、相手は容疑者でもなければ、人間ですらないのだ。

 見張り要員と負傷者を除いた全員が注視している中、輪の中央に鎮座する狼モドキは、緊張感とは無縁な風情で四肢を投げだして寝転がっていた。


「質問を変えるわ。アナタは、どういう存在なのですか?

 私達と敵対してないのは理解してるけど、味方というには、投げやりな態度に見えるわ。何か、目的があるのかしら?」


「我は我だが、ソレは、お前ら人間のいう『神』という存在だ」


 一同全員、例外なく衝撃を受けていた。その発言に対する動揺は大きく。特にスメイル解放戦線の兵士からは、異教の神への否定的な発言も上がってくる。

 弘樹が獣の「神」発言でイメージしたのは、神社の狛犬だった。それを花蓮に耳打ちすると、吹きだすのを我慢した笑顔を返され、口をつぐんだ。


( 多分、アホだと思ってるよな。オレのこと )


「静まらんか、貴様らは兵士だろう。英雄の亡骸を前に、うろたえるんじゃない」


 ザジィの部下への一喝は、冬華にとっても有り難い援護射撃だった。

 この会議の開催にあたり、質問者は冬華一人という要求を承諾してもらっている。全体に関わる性急な問題への質問を、効率よく行うために承諾してもらったのだ。


「判ったわ。では神サマ、御名を伺いたいのですが」


「我に名はない。ただ、『ヒノカミ』『カシン』などと呼ばれておる」


 仮にも「神」と名乗った相手なのだ。言葉遣いにも配慮したが、このままでは会話に不便だからと思い、名前を尋ねてみた。しかし、この解答は名前ではなく、称号とか尊称の類なのだろう。

 冬華は、この獣を神とする文化は、古来の日本にも近いのではないかと考えていた。「八百万の神」がそうであるように、生きとし生けるもの全て、岩や樹木、自然現象にまで神が宿っているという考え方だ。

 加えて、狼は信仰の対象でもある。狼の信仰地域では「大神」と表記し、崇めているのだ。


「では神サマ。この世界の成り立ちと、アナタの役割を教えてくださるかしら?」


「この世界は太古より、我も判らないほど昔から存在している。

 異種族が喰いあい、争い、滅び、生まれながら。

 お前達のような漂着者の功績によって、ソレが『コノ世界』へと変わったのだ」


 その一言一言が騒乱の火種だったが、冬華は理解だけに努めた。連日、知恵熱がでるほど脳を酷使してるが、今日のはメガトン級の難題だった。


「世界を変えた?

 私達のような、『漂着者』と呼ばれる存在は、頻繁にこの世界に流れてくるの?」


「漂着者と契約し、世界の安寧を保つ。それが我の役割だ」


「その『安寧』の内訳を教えてくださる?」


「およそ7000回の年の過去、世界は今の理となった。ソノ『漂着者』は強大強力な魔力を有しており、コノ世界全てを魔法で包んだ。

 全ての争いの根源を取り除くべく、行使された巨大魔法。その名を『リビルド』という。

 狩猟や農耕の促進。種族間の争いをなくそうという試みだな。魔法の効果は多岐にわたり、気候や時間軸、風土、効能といった理を全て変更した。

 南は温暖、北は寒冷。地域の気候とは別に、4つの季節が巡る。1秒を60回で1分とした刻限で、60分を24回で1日とする。そして、1日の365回を1年とする。もっと続けるかな?」


「お願いするわ」


 答えながら、冬華の驚愕は最高潮に達していた。コノ神を名乗る狼は、この世界を変える力を「漂着者」が有してると語り。ここまでは地球と同一の条件を並べているのだ。


「他には、言語を統一。恐怖心を緩和。傷の治癒を早めるといった効果も、この世界にもたらされた恩恵だ。それと、コレは魔法ではないが、領土、領地、国境という線引きを明確にし、法律や条約、同盟などの約束事も、お前達漂着者の知恵なのだろ?

 それらによって、異種族間での会話を可能とし、恐怖心の緩和によって、衝動的な争いも減っていった。コノ状態を、我は『安寧』と呼んでいる」


 他人事のような説明が気にはなったが、冬華は今解説された条件が存在しない世界を想像して、背筋に悪寒が走った。

 争いとは、その根源とは、互いの認識の不足、無理解や恐怖心が原因となりやすい。常識や法律といった線引きが存在しない世界では、曖昧な縄張り争いが頻発し、種族存続のために、互いが抱いた恐怖心は、執拗な職滅戦へと発展することになる。


「だから、俺の怪我も治ったんだな。リサの足も、ワン子が治してくれたんだな」


 弘樹は「神」に対して失礼かとも思ったが、すでに犬へ対するような言動をしている手前、急に態度を変化させるのも可笑しいだろうと結論していた。多少横柄でも、重ねてお礼を伝えたくて、獣へ問うていた。

 冬華も同じ事を考えていた。弘樹が漂着前に藤の暴行によって受けた怪我はあり得ないほど回復していた。銃撃戦で負傷した俊介やSAT隊員が軽傷で済んでいることや、もしかしたら、SAT隊長の木崎の即死までも、この世界の治癒効果がケアしていたのではないか。と。


「この世界へ漂着するさいに、ヒーリングの壁を抜けるけることになる。軽い怪我ならば、治癒されてから漂着するのだ。

 それとアノ人間の足だが、使えるようになった。というだけだぞ」


 後半の説明、「使えるだけ」という指摘に、弘樹は嫌な予感が炸裂した。言葉を探す思考がもつれ、声に詰まった。代役するように、冬華が質問を引き継ぐ。


「つまり、根本的な治療というわけではないのね」


「ソレの意味は判らないが、余命という意味ならば、アノ人間は4~5年で死ぬだろう」


「待てよワン子・・・」


「弘樹君。私が質問するわ」


「でも、だったら・・・」


「信用して。必要な情報は、得てみせるから」


 酷く不服そうな弘樹を、傍らの犬塚とSAT隊員の村木がなだめていた。多人数による追及は支離滅裂になりやすい。特定の場合を除き、取り調べでは1人の捜査員が担当する理由だった。


「アナタの『契約者』が短命だということで、心配だったりしますか?」


「心配とは?」


「理沙さんは、安寧を維持する裁定者なのでしょ?

 その期間は、長いほどいいのではなくて?」


「我には意味が判らない。余命とは、運命なのではないか?」


「私たちの世界では、少し事情が変わってくるの。『医療』という技術で、運命に抗ってるわ。

 この世界における魔法は、理沙さんの運命を変えられないのかしら?」


「ならば、より強力な術者。『賢者』と呼ばれる者の魔法ならば、死を取り除き、余命を大きく伸ばせるだろう」


「マジかよワン子」


「弘樹君」


 歓喜に声をだした弘樹を制した冬華だったが、内心の驚愕は弘樹と大差がなかった。そのような事が可能ならば、ガンや白血病でさえも治療可能なのではないか?

 そのような能力は、まさに「賢者」の称号に相応しいし、大変な資産価値を持っている。


「骨格や臓腑の不具合の補正。寿命の延長、若返りなどが可能だ」


 冬華の女性としての性(さが)でもあったが、「若返り」という部分に、思わず反応してしまう。脳内で深呼吸を繰り返し、なんとか欲望を抑え込んだ。


「その『賢者』にお会いする方法はあるかしら?

 例えば、神サマの紹介とかで」


「我が目指していた地、『エルフ』の村にいるはずだ」


 その回答を訊き、弘樹の感情は平静を取り戻しつつあった。何やら天国から地獄という展開だったが、解決策があるのなら、それならば、やはりこのワン子は神サマだ。いくらでも崇めるし、敬語も使う。

 弘樹は全てを訊き逃すまいと、聴覚に集中した。


「ソノ賢者さんに理沙さんの治療や、負傷者の手当てをお願いできるかしら?」


「アノ人間は『姫』、もしくは『巫女』と呼ばれる存在だ。願いでたならば、賢者は拒否しない。だから可能だろう。しかし・・・」


 即座に冬華の思考がフラッシュする。この「しかし」に続く内容が重要だと、勘が知らせてくるのだ。


「・・・本来ならば、賢者に相当する能力は、すでに獲得しているはずだ。アノ人間は、得た能力としては小さいということだな」


「でも、理沙さんこそが、神サマが選ばれた巫女なのでしょ?」


「判らない」


「どういう意味の『判らない』なのか、教えていただけるかしら?」


「2日の前、我の契約者である『姫』が儀式を行った。志が絶たれたおりに、命と引き換え、次の漂着者を召喚するのも『姫』の務めとなる。

 お前達が姫の召喚者なのかもしれないが、違うようにも思えた。

 統制されておらず、弱く、少ない」


 端的にすぎた指摘だが、おそらくは資質を感じない。あるいは適正に思えないという意味なのだろう。ここまでの解説においても、漂着者の能力は絶大なのだと推測できる。


「確かに、私達は敵対関係にある集団が集まってるし、魔法と戦う術を持ってもいないわ。こういった漂着者は珍しいのかしら?」


「理が変わるならば、漂着者の質も変わる。世界が求める漂着者は、時に異端な存在ともなる。世界を戦火に包んだ漂着者も存在したのでな。

 加えて、火急の状況でもあった。選択の幅もなかったのでな。アノ人間と契約した」


「ちょっと待って。ソレって、『世界征服』とかを実行した漂着者もいたってことかしら?」


 人の欲望は際限がない。当然、力を得た漂着者の中には、我欲に暴走した存在もいたはずだと想像できる。


「契約の力をどのように行使するかは巫女に委ねている。使い方は漂着者次第だが、刻の流れの先においては、やはり安寧がもたらされた。

 先の姫も、一時的ではあったが、安寧をもたらす存在であった」


 我欲による支配であっても、ソレは安寧の一種という意味だろうか。獣の流儀ならば「運命」という理屈でまとめられそうだった。

 冬華は質問の矛先を変えた。


「私たちは、ソノお姫様の『儀式』で、コノ世界に漂着したの?」


「このように素早い漂着は異例だが、そのはずだ」


 獣は肯定したが、冬華は疑問に思う。自分達は「次元爆弾」の影響で漂着したはずなのだ。さり気なく視線を犬塚とザジィへ振り向け、「次元爆弾」の情報を封印するようアイコンタクトした。

 犬塚も即座に意図を理解し、ザジィも歴戦の指揮官に相応しい洞察力で、冬華の意向を理解する。


「神サマと理沙さんの契約だけど、他の者と切り替えることはできるのかしら?」


「死が分かつまでは無理だ。それに、お前達は小さすぎる」


 何が小さいのかは不明だったが、犬塚やザジィでは、ソノ器になれないという意味なのだろう。その言質は、この集団にとっては極めて重要だった。


「先ほど話題にでた『エルフの村』だけど、ここから徒歩で向かうとしたら、どれくらいの時間がかかるのかしら?」


「川を下っていくことになる。人間の、お前達の足では2日かからない。というところだろう」


「ザジィ、負傷者と補給の問題もある。『エルフ』の協力を要請するべきだと判断しますが、意見があるかしら?」


「賛成しよう。それと、神に問いたい」


 ザジィは神を名乗った獣へ、それが敬意なのか、胸に右手を当てながら質問を申しでる。


「なにかな?」


「我らは御身とは別の神を信仰する身だが、それは問題となるのか?」


「おまえの神の意向によるだろう。我はかまわない」


「ならば、寛容も我らの神の教え。こちらの神にも問題はない」


「そうか」


 その回答で、大筋での行動は決定したも同然だった。


「『エルフ』の領域まで、神サマに道案内を頼めるかしら?」


「いいだろう。ただ、先ほどの川を下っていけばいいだけだがな。

 それと、出立は急いだほうがいい」


「もしかして、追っ手がさらに来るということ?」


「可能性はある。我の必殺が望みであろうからな」


「神サマの敵とは、何者なのですか?」


「世界の安寧を乱す者だ」


 答えと呼ぶには曖昧にすぎたが、獣は疲れたと言わんばかりに、そっぽを向いて眼を閉じた。

 平気な口調ではあっても、この獣も重傷者なのだ。過度に無理をさせるわけにもいかないだろう。冬華は犬塚へと終了の意味を込めて視線を送り、受けた犬塚も頷いた。




 拠点の撤収に関しては警察の発想力よりも、軍人の行動力のほうが合理的だった。ザジィは積極的に計画を立案し、犬塚や冬華に協力を仰いだ。


「川の段差は低い。目的地まで、車両での移動が可能かもしれない。選抜した偵察隊をだして調査しようと思ってるんだが、どうだ?」


「リスクが高すぎるわ。もしもホブクラスの相手と会敵した場合、相当な被害を覚悟しないといけない」


「けどよ、ザジィの懸念ってのは、負傷者の搬送だけじゃないんだろ?」


 意図を察したように、犬塚がザジィの意向を援護する。


「そうだな。糧食はないが、武器弾薬がある。ここに残して行くくらいなら焼き払うが、良質な武器は、通貨の代わりにもなる。

 車両での運搬が可能なら、全て運びだしたい」


「いいわ。ソレが、私達の財産だものね」


 冬華は解放されたコンテナからだされた武器の山を見つめながら、切迫した状況と利害を天秤にかけて、結果、同意した。

 理沙という御威光が存在するにせよ、無一文というのは今後の不便や窮地の原因になるだろう。また、コノ世界においても銃が有効な武器である以上、運びだせない銃火器は使用不能にしておかなくてはならない。

 敵対勢力を増強させるくらいならば、ザジィの提案通り、焼き払ったほうが戦略的にも正しい判断だった。


「偵察隊の編成はどうする?

 SATからも何名かだすか?」


「指揮系統が違うから、返って混乱しやすくなる。デルに3名ほどつけて、ヤクザを2人連れていく」


「ザジィさんよ、やっとオレらを頼ってくれるってかい?」


 上機嫌な藤が、旧知の友人のようにザジィの肩に手を置いた。


「カルが死にかけるような化け物が相手だ。不足の事態では、ヤクザをエサにして撤退させる」


 旧知の友人ではないザジィは、冷淡にオトリ役を告げた。


「エサって、おいおい。マジかよザジィ」


「武器も持たせてやる。俊介や弘樹のように、お前も日本人なのだろ?」


 和解したように見えても、取引を裏切っている屠龍組への、ザジィの態度は辛辣だった。その反面、確かに俊介と弘樹はよく戦ったといえる。ただし、どちらのケースも生命と引き換えるような、明確には勝利とは呼べない結果だった。

 この状況において、現在までで死亡者ゼロという状況は、望外の幸運だとも言える。だからこそ、犬塚は部下のリスク削減を優先するザジィの判断に、反対しようとも思わなかった。

 指揮官が有能な部下を大事にするのは、過酷な状況であるほどに当然の配慮となる。治癒能力を獲得した理沙は最重要人物だし、医療の知識を持つ花蓮や、最後は理沙に助けられてはいるが、弘樹の戦力も重要となる。

 強者や有能者優先がサバイバルの鉄則であり、生命の優先順位は経験則と戦闘力から考えても、屠龍組が最下位となるのは仕方のないことだった。


「そうだな、一致団結が大事だ。皆でがんばろうぜ、ヤクザの兄貴さん」


「まぁよ、そうなんだけどよぉ」


 万人が嘘と判る発言で犬塚からも突き放され、藤は沈んだ表情で同意した。それは、あきらかに不満そうな声だった。


「徒歩で2日ということは、距離にして30キロ前後。遠くても50はいかないだろう。稼働する車両は7台。燃料も充分にある」


 捨て石を宣告されたヤクザの不平など、それこそチリのような扱いで、打ち合わせは進行していた。


「翌早朝の出発を予定ってことだな。今日中に偵察を終わらせるって段取りになりそうだが、会敵した際の交戦規定については、どう決めておくんだ?」


 犬塚の指摘は、誰を敵とし、どの段階で戦闘に踏み切るかというガイドラインへの質問である。

 例えば警察の発砲許可などは、対象 ( この場合は容疑者、もしくは犯人となる ) の凶器の有無とその種別。対象の性格や精神状態を含めた総合的な危険度、脅威度を考慮しての発砲、あるいは射殺許可の通知となる。

 軍に近い存在として自衛隊を例に挙げるならば、明確に「専守防衛」が規定されており、定められた侵略行為が確認されないと、交戦できないようになっている。

 これらの仕組みは、一読すると難解な手順を介するせいで、状況への即応を阻害しているようにも思えるが、交戦中や戦闘後に発生する2次的被害をなくすための配慮でもある。

 第1次世界大戦が、1人の少年が放った1発の銃弾で開始されたとの説もある。個人の判断が戦乱の原因になりかねないという意味では、異邦人である近代人類、つまり自分たちは、簡単に世界を敵にできる宇宙人的な存在でもあるのだ。

 対して、戦闘を日常の本文とするザジィの解答は明確だった。


「理沙の契約者。そこの神が敵を教えてくれるだろう。

 敵の存在は最短最速で無力化する。最小人数を捕らえて情報を引きだす」


「敵が、チョー強大だったらどうする?

 例えば、ホブが100匹とか、1000匹とかだ」


「逃げて隠れる。そして、スキを見て殺す」


 脅威を無視しない徹底した考えに、犬塚はソレ以上の質問をしなかった。




 


 弘樹はコンテナから搬出された武器の、整備点検や目録の作成を手伝っていた。


「コイツが9mmパラ。一般的な拳銃弾だ。本来なら1箱に200発収まってる」


 SATの村木の指導で弾薬の種類を分けていたが、それぞれの特徴さえ理解すれば、難しい作業ではなかった。ただし、重機関銃で粉砕された木箱から飛び散った弾薬は、無差別にホウキとチリトリで集めてあったので、その量はバケツ4杯分にもなる。

 簡単な作業だけに、肩がこるような飽きと戦う羽目になっていた。


「そういえば、シローさんからコレを預かってるんですけど」


 弘樹は借りている野戦服のベルトにはさんでいたナンブリボルバーを抜きだし、村木へと差しだした。


「それは、木崎さんのナンブだな。なら、君が持っているといい」


「いいんですか、こんなのを持っていても」


 弘樹の疑問に、村木の精悍な表情が緩んだ。

 法律という意味では違法だし、規則という意味では違反だった。日本ならば、である。


「ナンブは警察のシンボルだ。しかもソレは木崎さんの形見だしな。主任は、君に持ってほしかったんだよ」


 村木は少し遠い視線を宙へとめぐらし、淡々と説明した。


「木崎さんって、アノ隊長さんですよね?」


「ああ、君も看取ってくれたアノ人だ」


「残念でした。酷く、辛そうな最期で」


 弘樹は、最期に犬塚を引き寄せて「信じた道を、突き進め」という言葉を残した無骨な隊長の姿を思いだしていた。


「オレも、ソノ姿を見ていた。次の世代へ気持ちを託す、立派な指揮官だと感じた」


 対面でAK47自動小銃を分解、整備していたガマトが、淡々とした口調で賛辞する。

 村木には未だ簡単には割り切れない思いが、スメイル人に対して存在していた。しかし、心底からの賛辞は控えめな口調ではあっても、確かな称賛として伝わってくる。


「恨みは消えない、互いにな。だが、称賛すべき者は敵であったとしても忘れはしない。お前達にとって、父や兄のような存在だったのだろ?

 冥福を祈る。心から」


 法治国家である日本に比べれば、紛争の絶えないスメイルでは、人の生命も数多と散っていくのだろう。ガマトがそんな国で解放戦線に参加している兵士だと考慮してみれば、極めて過大な賛辞を送ったのだと推察できる。

 誤解を恐れず推測を述べるなら、極めて人間の命が安い国の常識としては、敵兵の命など、路上の石ころだと判断するものだと考えていたのだ。

 だが、ソレは違うのだ。村木は羞恥に耳が赤くなるのを意識する。

 ガマトのような兵士は、常に木崎のような人物を失っている。生き残った年月だけ、何度も失っているのだ。


「いや、睨んですまなかった。

 ガマトさん、だったな。こちらこそ、礼をいう」


「ガマトでいい。ザジィからは、同志と同格だと訊いている」


「オレは道武だが、言いにくいよな?

 ミッチーでいい。そう呼んでくれ」


「了解した。ミッチー」


 弘樹にも火花のように緊張が発火したのは感じられたが、不愛想に見えるガマトの発言は誠実であり、理屈抜きで感動する響きがあった。

 村木との理解も深まったようで、内心でため息をつく。


「ニイちゃん。じゃねえよな、アンタ。ヒロキくん」


 弘樹にとってはトラウマになりそうな、藤の声だった。


「なんですか?」


「仕事の邪魔だ。殺すぞ」


 弘樹の素っ気ない返答に、ガマトの恫喝が重なった。村木も射るような視線を藤へと向ける。


「別によぉ、オレは邪魔しようってんじゃねぇんだ。ちょっとだけ、ニイちゃんと、ヒロキくんと話してぇんだよ。

 なぁ、ちょっとだけでいい。休憩がてら、ちょっとだけ、オレに付き合ってくれねぇか?」


 軽く困惑したが、確かに藤は低姿勢で、悪意がないようにも思えた。ただし、過剰な暴力を受けた弘樹にしてみれば、理沙への虐待も含めて、この場で滅多打ちにしてやりたい相手でもある。

 判断に迷った弘樹は、村木へと視線を移した。

 その村木の瞳は「君が判断しろ」と語っていた。


「判りました。村木さん、ちょっと休憩してきます」


「いいだろう。それと、もしもの時はためらうなよ」


 村木の助言は、携帯するナンブリボルバーの使用も含めているのだろう。少し大袈裟な気もしたが、弘樹は素直に頷いた。


「もうちょい待ってくれよぉ」


 藤は弘樹をセダン車まで連れてくると、トランクを開けてから、改造してあるらしい2重底を開放する。

 ソノ仕掛けを見た弘樹は、バズーカ砲でも出てくるのかと期待したが、中には金属バットや木刀が収められているだけだった。この程度の凶器でも、職務質問で発見されれば逮捕されるのが暴力団の実情なのだが、ソレは弘樹の知ったことではなかった。


「この奥にあったはずだからぁよぉ」


さらに顔まで突っ込んで内部を探る藤を、弘樹は乾いた態度で見守った。


「オレはこの後でよぉ、偵察で死んじまうかもしれねぇんだ」


「そうですか」


「まぁ、しかたねぇよな。若い奴ばかり行かせるわけにもいかねぇしよ。オレが行くことにしたんだけどよ。

 ニイちゃんに酷いことして、ハイ死にましたってぇのも、何だかしまらねぇしな」


「別に、俺はいいですよ。もう、どうでも」


 それも弘樹の本心だった。藤の命も含めてという意味でだ。


「オォっ、あったあった。コレだよ」


 何やら丁寧に風呂敷で包まれた物を、藤が取りだした。


「コイツを見てくれ」


 風呂敷を外すと、ソレは漆で仕上げた見事な鞘であり、黒い鍔と茶の柄だった。


( 小太刀、というより脇差だな )


「どうだい。持ってみてくれ」


 弘樹は差しだされた脇差を受け取り、鯉口を切った柄を握ると、一気に鞘を払った。

 刀身は1尺6寸。脇差としては長めな刀身であり、適度な反りがあった。その刃には美しい刃紋が浮かんでいる。


「凄くねぇか?

 自慢じゃねぇが、高級品なんだぜぇ」


 弘樹が上段に構え、振り下ろすと、空を裂く「シュンッ」という音が上がる。


「スゴイ」


「やっぱよぉ、達人が振ると、音も違うよなぁ」


 弘樹は、腕を伸ばして刀身を立て、その姿をまじまじと見つめた。

 細身の刀身に適度な反りと厚みが、日本刀の強みである。銘には「無」の一文字が刻まれていて、重量のバランスも素晴らしかった。


「さっきも言ったが、オレはこれまでかも知れねぇ。

 まぁ、コレはニイちゃんへの詫びがわりだ。オレらを許せねぇだろうけどよ。コイツを納めてくれぇや」


「いいんですか。これは、凄い刀だ」


「リサちゃんだよな。あんな凄い怪我を治しちまうんだ。スゲー彼女だよな。

 そいつで、ニイちゃんが守ってやんな」


「別に、彼女ってわけじゃ」


「まあまあ、それはいーじゃねぇか。とにかくよ、ニイちゃんにも、イイ道具が必要だ。そのヤッパを使ってくれぇや」


「ありがとうございます」


 弘樹は、心底から礼を言った。


「まあよ、その、悪かったな」


 照れたように笑みを浮かべた藤は、軽く右手を振ってから弘樹に背を向け、その場を去った。先ほどの村木とガマトではないが、争ったり和解したり、人はその距離によって変われるのだと実感していた。




 デルを隊長とした偵察隊を送りだした後、今度は犬塚が冬華とザジィを集めた。

 3角布で腕を釣った冬華も戦闘不能な状態であり、俊介とカルの戦線離脱は総数27名の1割強の損失という事態だった。

 負傷者の早急な回復と安全の確保は焦眉の急となっている。


「色々と進んで結構な状態なんだが、今後の犬神サマとの関係について、決めておきたくてな」


「そうだな。仮にも神を名乗る存在を欺いているのだからな」


 ザジィの指摘が自分の目配せを指しているのは理解している。だから、冬華は考えていた推論を具体的に組み立てながら、ザジィへと質問する。


「ザジィの考えを訊かせて。私たちはお姫様の『儀式』で呼ばれた『漂着者』ではないのかしら?」


「その可能性が高いだろう。我々は『次元爆弾』の効果で漂着したのだからな」


「その場合、本来の『漂着者』は、儀式によって別に現れることになるわね」


「そうなると、『契約』が問題ってことになるな」


 犬塚が表情を歪める。


「世界の安寧を優先するなら、本来の『漂着者』と再契約するべきでしょうけど、契約はどちらかの死亡まで有効で、中途での解約はできないという説明だったわ」


「待ってくれ。トーカの考えが、何となく判ったんだがな。そんなことは許可できないぞ」


「オプションのひとつとして、考慮すべきよ」


 2人のやり取りで、ザジィにも想像がついた。


「再契約には対象の死亡が必要。最悪の場合、理沙さんは、あの神サマに殺されることになるわ」


「だからって、正式な『漂着者』を殺すのか?」


 冬華はオプションのひとつと表現したが、実行可能な状況であれば、ためらわずに発動するだろうことは、容易に想像できた。

 その行動力も、異界でのサバイバルにとっては必要な要素かもしれない。しかし、あまりにも非情であり、リスキーな選択だった。犬塚は唾を吐きたい衝動を我慢した。


「これもザジィに訊きたいのだけれど。殺人を悪とするには、どういったプロセスが必要かしら?」


「それを悪とする倫理観が必要だろうな。もちろん、自己保身も含めてだが」


 犬塚も感じていたことだが、このザジィという指揮官は、全てにおいて聡明で博識だった。軍人というよりも、教師や研究者のような側面がある。

 その認識は冬華も同様で、ザジィの聡明さは頼りになる武器だった。


「見事な見解だと思うわ。だったら世界の安寧と引き換えた場合、下される判断は

どうなるかしら?」


「神に相応しい洞察力があるならば、理沙だけではすまない。我々全員を抹殺するだろうな」


「そうでしょうね。なにせ、世界平和の邪魔をして、本家の抹殺を企むような不穏分子なんだから、そうなるでしょうね」


 それこそが、犬塚の考えるリスクだった。冬華もソノことを理解しているようだが、ザジィの表情は厳しい。信心という意味では、小国や部族の集合体であるスメイル共和国は、イスラム教徒とキリスト教徒が人口の5割と3割を占めている。ギリシャ神話の影響を受けた地域もあり、ソレが異教であろうとも「神」への配慮は慎重になる。


「早期に犬神サマと和解するべきじゃないか。それから、俺達総出で本当の『漂着者』を支援するべきだろ」


 犬塚の正論に、冬華は胸の痛みを覚える。その場合においても、残酷な結末が存在するからだ。


「その場合、犠牲は理沙さん1人で済むわ。弘樹君との対立は避けられないでしょうけど」


 そうなのだ。そんな条件を弘樹が承服するはずがないのだ。


「契約変更のために、理沙の命が必要だからか」


 犬塚は唾を吐くかわりにタバコをくわえた。冬華の指摘に、スキはなかった。その分析力の高さは、誰よりも理解している。ソレが、今は苛立たしかった。


「そんな事態となれば、我々も弘樹の側で戦わせてもらう」


 冬華の懸念が的中した瞬間だった。


「また殺し合うってのか?」


「俺が反対しても、カルが理沙を守るだろう。

 そうなれば、我々は仲間を見捨てない。警察に加え、たとえ神が相手でもだ」


 敢然と宣言できるザジィが、この時の犬塚には羨ましく思えた。そして、冬華はこの展開まで予想していたのだろう。アノ時、目配せして情報を隠蔽した理由がよく判った。


「なぁトーカ。代案とか取引とかは無理なのか?」


「世界の安寧とかに、釣り合うモノが私たちにあるのかしら?」


 あるわけがなかった。しかし、犬塚は別の意味でも冬華をよく知っていた。こういった絶望的な最悪論は、その後のプランを採用させるための、冬華の交渉術でもあるのだ。本命の計画があるはずだった。


「いいわ、そんな顔しないでよ」


「そうだよな。『神眼』の本領発揮、待ってたぜ」


「断っておくけど、ココからは推論を交えるしかないわ。それでも訊く?」


「当然だろ」


「私もだ。他の道があるなら、教えてくれ」


 犬塚とザジィの同意を受け、冬華は軽く息を吸い込んだ。


「唐突かもしれないけれど、『パラレルワールド』という発想を、理解しているかしら?」


「可能性の世界、という程度の認識だ」


 ザジィが答えたが、犬塚にとっては、どうもこういった超常的な話題は苦手だった。


「いいわ。私も専門外だけど、簡単に説明するわね」


 冬華は自身でも情報を整理しながら、解説を始める。


「時の流れ、歴史といってもいいわね。ソコには数多の可能性が存在している。

 例えば、スメイル共和国が貿易大国として大成し、紛争の存在しない先進国になる未来とか、日本が世界大戦でアメリカに勝利する未来。という具合にね」


「世界大戦って・・・」


「何も国家的なスケールだけではないわ。個人の可能性だって無限にある中で、1つの解答が集合して、私たちはココで話しをしているとも言えるの。

 ザジィが教授になっている可能性、史郎君が大学に浪人する可能性、私が家庭に納まる可能性だってある。ソノ場合、私達は知り合えないし、今日、ココにもいなかったはずよ」


「なんで俺だけが、不幸な可能性なんだ?」


 その犬塚の愚痴は無視された。


「私達が知らない歴史を辿った、異なる世界は無限に存在するし、異世界もココだけではないはずよ」


「根拠は?」


「解決できない行方不明事件や失踪事件は、ザジィの国にもあるのでしょ?」


「確かにある」


 日本では「神隠し」などと呼ばれる失踪、蒸発事件は、警察が把握しているだけでも年間500人以上となる。すべて未解決であり、日本一国だけの人数でそれだけの人数だった。


「私は、全ての受け皿がコノ世界だとは思えないのよ」


「文句ではないが、確かに推論だな」


 ザジィの指摘がなくとも、冬華自身でさえ、行方不明者の全てが召喚による転移だというのは強引な理屈だと思っている。ただし、今は推論で補足しなければ状況の整理もできない状況だった。

 その認識において、ザジィも反論するつもりはないようだった。


「ザジィが使った『次元爆弾』だけど、アレの効果は鍵のような物だと考えてるの」


「異世界への扉を開く、という意味か?」


 犬塚は黙って訊いていた。概要は理解できるが、意図すること、着地点が不明だった。物理の講義が目的でないならば、冬華なりの解答があるはずだった。ただ、ソレを待つことにしているのだ。


「開く扉の選択肢は無限だったはずよ。チェルネンコレポートでは『空間の新設』において、その可能性が記載されてる。

 他の天体へのワープ、他の時代へのタイムスリップ。他の可能性を獲得したパラレルワールド。ってね。

 そして、ココ以外の異世界だってあったはず」


「しかし、その解説では、現状に繋がる路線としては・・・だからか?」


 ザジィが何かに気づき、冬華の表情に笑みが浮かんだ。


「本来、無限にある可能性の中から、無作為にひとつの鍵を開けるのが『次元爆弾』なのだと仮定するの。そして、1番手近にある扉は、最有力候補になり得る」


そこまで訊いてから、犬塚の思考がフラッシュした。


「そうか。ソレが、お姫様の『儀式』か。ソレで、扉が目の前にあったってことか」


「推論だけど、現状での矛盾もないわ。

 儀式のお陰で、私たちの目の前に扉があった。その鍵を次元爆弾が開いた。

 コレを神サマが納得してくれるなら」


「情状酌量の余地が認められるってわけだな」


「もしくは未失の故意ってところね。しかも、この推理が正しければ、他の漂着者は召喚されない。「儀式」の道は私達が通って、使ってしまったんだから。

 そうなると、神サマは、当座の役割を私達に託すしかないはずよ」


 犬塚とザジィは大きくため息をついた。冬華の推論は、判明している事象との矛盾もなく、事実と大きくは違わないようにも思えた。ただし、歓喜の感情は直後の懸念に打ち消される。


「バレたかしら?」


「そうだな。ソレって、結局は、俺たちが本来の席に割り込んだっていう事になるんだよな」


「そうなるわね」


「しかも、ソノ推測が正しかった場合、神にとっては、正当な漂着者のアテも消えたことになる」


 続く言葉が見つからない沈黙は、犬塚の妥協案で締めくくられた。


「仮にも、相手は神サマなんだ。あの犬神サマに、誠意をもって説明と謝罪をしようぜ。意外に寛容なタイプかもしれんしな」


「結局は、神の御心しだいというわけか」


「そうかもしれないけど、少なくとも理沙さんが殺されるってことには、ならないはずよ」


 それすらも推論だったが、それ以上の打開策があるはずもなかった。

 結局、全てを保留したまま、その打ち合わせは終了した。  




 翌早朝、推定午前6時。各車両はエンジンの咆哮をあげ、体育館を後にした。

 予想時刻となったのは、正確な時間が各自の腕時計が指す時刻が違うために不明であり、臨時に統一された時間を基準に、コノ集団の標準時刻が定められている事情ゆえである。

 稼働可能な車両7台のうち、大型のボックス車やワゴン車が優先的に銃火器や負傷者の輸送にあてがわれ、高い走破力を持つ4輪駆動車と、荷台での視界が良好な軽トラックが、斥候となる先頭車両とされた。

 残った車両に3~4人が分乗し、各車両には無線機が配られていた。

 この無線機も屠龍組の処刑に繋がった粗悪品のひとつで、有効距離は500メーターほどしかなかったが、通信手段の確保という最低限の用途はまかなえた。とはいえ、この装備の粗悪さは、そのまま生存率に繋がる要因にもなる。ザジィの憤りが再燃するが、物資不足には慣れてもいたし、当座の目的が明確になっていることも、前向きな思考を助けていた。ゆえに、スメイル解放戦線の士気は高かった。

 先頭を行くパジェロは古い型だったが、最も走破力があり、武装したスメイル解放戦線の兵士が運用していた。ポイントマンとなる車両の指揮を執っているのはガマトである。


「フォックスよりタンゴリーダー」


「こちらタンゴリーダー、送れ」


 ザジィがハンドルを握るボックス車、ボンゴの助手席で、犬塚は先頭車両のガマトからの無線連絡を受けた。

 100メートル先を先行するパジェロと軽トラックのコールサインを、それぞれにフォックスワンとフォックスツーとし、チームフォックスと定めている。そして、物資を積載した2台がエコーのワンとツーとなり、SATの村木を指揮官にしてチームエコーが構成され、最後尾を追従していた。

 車列の中央に位置するのが3台のチームタンゴ。負傷者を中心に、人員輸送の車両となっていた。


「かなり開けた河原があります。草原に面しており、視界も良好」


「了解した。チームフォックスは草原とソノ周囲を偵察。分散警戒」


「フォックスリーダー、コピー」


 指示が終わり、了解を確認すると、ザジィは無線機を助手席の犬塚に渡した。


「ざっと15キロを超えたあたりだろう。ここまでは順調だ」


「了解した。昼休みだな。

 2時間ってことでどうだ?」


 ザジィの予測通り、河原の段差はなだらかだった。無茶な速度さえ出さなければ、商用車やセダン車でも走破可能であり、行程は順調に消化している。ザジィの表情にも自然と笑みが浮かんでいた。

 

「妥当だな」


「ようやく休憩ですね」


 なだらかとはいえ、常に揺れと振動に晒せれる環境は、ソレだけで疲労を蓄積する。未だに昏睡状態である理沙を膝枕に抱えながら、弘樹の声も素直に明るくなっていた。


「まあ、周囲の安全が確保されてからだけどな」


「周辺に殺意はない。追っ手は杞憂だったようだな」


 犬塚の説明に、獣が3列目のシートから助言した。ベンチシートを占拠した巨体は狭そうに見えたが、声に不満そうな響きはなかった。


「なぁ、犬神サマ。失礼かもしれないが教えてくれ。ソレって、やはり鼻で判断してるのかい?」


「鼻よりも、『オド』の有無、その流れで判断している」


「そうなんだな。判った」


 犬塚に判る訳がないのだが、当然のような返答に対して、当然のように返事をしていた。その様子に、弘樹の横に座る冬華の唇も緩んでいた。

 犬塚に気にした様子はなく、むしろ納得した表情で無線機を口元に当てる。


「タンゴリーダーよりオールチーム」


「フォックス、送れ」


「エコー、送れ」


「周辺警戒。安全確保の後、休憩とする」


「フォックス、コピー」


「エコー、コピー」


 通信守則はスメイル解放戦線と警察の用法、用語をチャンポンにしている。どちらにも寄らないという手法はかえって面倒な言い回しとなるが、スメイル解放戦線と警察とが同列であることを、ソレが徹底されていることを示すには必要な配慮だった。

 2分ほど走行すると、ソコには確かに草原が広がっていた。

 河原と隣接する森に囲まれていた時とは、匂いも空気も変わってくる。柔らかい風に、夏草の香りが緊張感を和らげる。

 河原に縦列で駐車された車両から降りると、弘樹は思いっきり背筋を伸ばしてストレッチをおこなう。

 ただし、気を緩めたのは弘樹だけで、チームエコーの村木を筆頭に、SAT隊員が銃器を構えて周囲に散開する。


「エコーは対岸の警戒、偵察をお願い」


「了解」


 冬華の指示に村木が答え、4人を率いてジャブジャブと水深の浅い川を渡っていく。


「俺はどうしますか?」


 チームタンゴの後続車に乗っていた真木俊介が、ハツラツとした声で冬華に尋ねた。

 治癒魔法「ライトヒール」で回復した後も、大量出血のショックで意識不明が続いたが、深夜ともいえる早朝に目を覚ましていた。

 かなり騒がしく目覚めた俊介だったが、冬華のげんこつと小言を喰らって、即座に沈黙していた。


「この休憩地を確保、周囲を警戒。できるわね?」


「了解です」


 俊介の力強い声は、昨日と変わらぬ元気な姿に見えた。弘樹は思わず座席に横たわる理沙へと視線を向ける。


( スゲーなリサ。マジで俊介さん、治ってるぜ )


 傷だらけで失血死寸前の容態だった俊介が、一晩で全開しているのだ。これこそがまさに魔法であり、奇跡だった。俊介の状態を見ると、なおさらにソノ凄さを実感する。


「カルも、周辺警戒に立てるか?」


「問題ありません」


 明快に即答するカルの姿に、ザジィも微かに口元を緩める。


「1時間だ。俊介と立て。

 まもなくフォックスが偵察から戻る。先に休ませてやりたいんでな」


「了解」


 カルの鋭い眼光、その迷いのない口調も、体調のほぼ全開を示していた。

 カルを目で追っていると視線が合い、一瞬睨まれるのを覚悟した弘樹だったが、そのカルの視線には「笑み」のようなモノが含まれていた。

 錯覚ではない。そう確信した弘樹も笑みを返したが、カルは直後に無表情に戻っていた。


( やっぱ、笑ったほうが良いぜ。カル )


 何となく距離が縮まったように思えて、弘樹は嬉しかった。普段が突き放すような態度なので、カルの笑顔には親近感が増す思いが余計に強かった。


「フォックスリーダーよりタンゴリーダー」


 唐突な無線機の声。切迫した雰囲気は、弘樹にも感じとれた。そのガマトの声には動揺と緊張が含まれていた。


「タンゴリーダー、送れ」


「アンノウン、タリホー。野営地まで200、方位2・3・0より進行。大きい。巨人です」


 ザジィの表情が鋭く一変し、即座にカルはショットガンのポンプを操作して初弾を装填した。


「総員、戦闘配置」


 ザジィの号令が上がった時には、カルは草原に踏み込み、報告された方角へ向けてショットガンを構え、片膝を突いて姿勢を低くしていた。

 サブマシンガンを構えた俊介がカルの真横に膝を突き、自動小銃を持った犬塚と冬華も横に並んで配置につく。


「おいおい、今度はなんだってんだよ?」


 藤が慌てた態度で弘樹や犬塚を見る。


「屠龍組は運転席で待機だ。アイドリングを維持しておけ。後は、静かに待っていろ」


「おっ? おう、まかせてくれ」


 犬塚は念のために屠龍組へ車内での待機を命じる。その車内に理沙を気遣う花蓮の姿も健在なのを確認しておく。


「ザジィ、コチラもタリホー。確かに巨人だ」


 ソノ報告をするカルの隣にザジィも片膝を突いた。そして、直後に目を見開く。


「馬鹿馬鹿しいが、本当に巨人だな」


 ザジィの呆れたような感想に、弘樹も共感していた。


「ああいうのって、銃で撃っても効かなかったりしませんか?」


「どうしてソウ思う?」


 弘樹の意見に、カルが間を置かずに質問する。


「いやぁ。マンガとかだと、そのパターンって、多いかな。とか思ってさ」


「アレは生きてる。だったら殺せるはずだ」


「何だかさぁ、ソレって凄すぎる発言だぞ」


 弘樹にしてみれば同い年の女子だったが、カルの残虐発言は弘樹を戦士と認めての意見だった。嚙み合わない認識に、弘樹は困惑した表情を浮かべた。


「いや、カルの認識が正しい。問題は巨人の能力だな」


 ザジィはカルの意見を支持しながら、狙撃ライフルのスコープで巨人の群れを観察した。

 腰に動物の皮らしきモノを巻いただけの姿で、身長は3メートルを軽く超えている。腕も足も丸太のように太く、全身の筋肉は怪力ぶりを誇示するように、見事な隆起を誇っていた。その巨人が7体。真っ直ぐにこちらを目指して歩いていた。

 体色は緑色だが、ゴブリンやホブゴブリンに比べればかなり薄く、その差でいえば人肌の色に近かった。


「ったく、何でもありだな。コノ世界は」


 コッキングレバーを操作して初弾を送り込んだ犬塚は、愚痴のように冬華へと呟いた。

 冬華も自分の自動小銃のグリップを握ったが、直後に負傷した右手に電撃のような痛みが走った。その激痛から、自分が射撃に耐えうる状態でないのを確信していた。


「エコーリーダー、コチラはタンゴリーダー。至急帰投せよ。繰り返す、至急帰投せよ。ドゥーユゥーコピー?」


「コチラ、エコーリーダー。送れ」


 通話状況が悪いらしく、ようやく村木の返答が帰ってきた。自分が戦力にならない以上、戦えるSAT隊員の存在は戦力の要だった。

 冬華は内心の安堵を隠して送話ボタンを押し込んだ。


「至急帰投せよ。アンノウン発見。至急帰投せよ」


「エコーリーダー。コピー」


 冬華の通信用語の選択は、ザジィと取り決めた内容も含めて、色々と間違っていたが、とにかく村木に意図は伝わった。その通信の最中から、犬塚は冬華に視線を向け、車内に待機するようアイコンタクトしていた。だが、当の冬華は視線だけで拒否を伝えていた。


「神サマ、神サマはいる?」


 事情を知らない者が訊いたなら、冬華が祈ったと勘違いしただろう。もちろん、この場に勘違いする者はいなかった。


「ここにいる」


 獣。神サマは音も気配もなく冬華の隣にいた。昨日と同様に感情を見せない口調だったが、こんな時には頼もしく訊こえるものだった。


「アレは、アノ巨人はなんなの?」


「フォックスはアンノウン側面に展開して発砲準備。コチラの射線に入るなよ」


「フォックスリーダー、コピー」


 冬華の質問の解答を待たずに、ザジィはガマトへ指示をだしていた。ただし、ザジィはギリギリまで発砲を控えるつもりでもあった。

 昨日は情報もないままに、異世界の住人と戦闘して3名が負傷している。そのうちの2名。カルと俊介は理沙の治癒魔法がなければ、死んでいたはずだった。

 今度の相手は7体の巨人である。戦闘による損害が甚大になる可能性があった。それゆえ、安易には戦端をひらけないと判断したのだ。


「アレは、『オーガ』だ」


「オー、って、アレは神サマの追っ手ですか?」


「オーガだ。あれは野生の種族で、追っ手ではない。

 奴らは群れで行動するが、知能は低い。膂力に優れるが、好戦的というわけでもない」


「では、戦う必要はないのですか?」


「いや、人間は殺して喰らう対象。というのがオーガの認識だろう。戦闘は避けられない」


( 充分好戦的じゃない )


その解説で、ザジィは無線機の送話ボタンを押し込んだ。


「タンゴリーダーよりフォックスリーダー、スタンバイ」


「フォックスリーダー、コピー」


 着々と戦闘準備が進む中で、冬華は1人唇を噛んだ。昨日から感じていたことだが、コノ神サマの思考回路は人間サイドから一歩距離を置いているような気がしている。

 容姿が狼なのだから、それも当然なのかもしれないが、理沙と契約し、共同体を宣言した神サマという立ち位置とは思えない発言ばかりだった。


「蒸し返すようで悪いんだが、確か犬神サマは『殺意』はないとかって説明じゃなかったか?」


「エサを見つけたから、食べる。原因はお前達だ」


 確かにソレは追っ手の放つ殺意ではなく、食欲の昇華による欲求なのだろう。犬塚は声を上げて笑いたいのを我慢していた。


( 要するに、俺達を美味そうだと思ってる。ってことかよ )


 そういった人類の天敵が同居する世界を想像すると、意味もなく犬塚の表情に苦笑が浮かんだのだが、事態の深刻さを思えば、笑い事ではなかった。


「急所は頭でいいのかしら?

 ライフルで殺すことは可能なの?」


「お前達の武器はコノ世界において、群を抜いて強い。

 急所となるは胸部中央の心の臓、呼吸を司る首、それと頭部だが、骨と筋肉の壁は硬く、厚く、頑丈だ。可能だが、配慮せよ」


( そして、人間は個体としては弱い。だったわね )


 道中の車内での説明では、この世界における人間種の強さが、個体としては最弱のレベルであり、保有する技術で格差を埋めているという実情が説明されていた。

 ソレは冬華の世界、現代の地球であっても似たような状況であり、生身の現代人がトラやライオン、クマやゴリラに勝つことはできないのだから、道理としては理解できた。しかし、コノ世界ではさらに事情が違ってくることも解説されていた。

 ようは人類の叡智をもってしても、超えられない存在があるということだ。1部の戦士や賢者のチームでなければ対抗できない存在もあり、また、その有能な戦士をもってしても、勝てない存在もいるのだという。

 幸いにして、オーガという存在は勝てる相手だという意味なのだろう。


「目標との距離、100を切りました」


 前方を注視するカルが報告する。

 そのオーガ7体の群れを、右側面からガマト達チームフォックスが扇状の陣形で距離を詰めていた。


「ザジィだ。フォックスリーダー、ガマト、訊いてくれ」


「コチラフォックスリーダー、ガマト。感度良好です」


「アンノウンの呼称を『オーガ』に変更、敵性勢力と断定。

 射撃時はヘッドショットを狙え。可能なら、頸椎のほうがいい」


「的はデカイですからね。ご心配なく。フォックスリーダー、コピー」


「よすのだ」


 まさにザジィが発砲命令を下そうとした瞬間。獣の、やや厳しい制止が告げられる。


「神よ、なぜ止める」


 ザジィは前方に迫る群れから、視線を外さずに問うていた。


「狩人の邪魔をすれば、恨みを買うこととなる。ソレに、狩人にライフルが当たれば、戦争になる」


「狩人?」


「コノ世界最強の狩人。エルフの戦士だ」


「エルフが?

 どこにいるの?」


 慌てたように質問したのは冬華だった。ザジィは周囲を観察しながら、黙して返答を待っている。


「もう、来ている」


 その獣の声は、元の感情がないような、淡々とした口調に戻っていた。




 ガマトは部下へ射撃セレクターを単射に変更させていた。それから頸椎、もしくは頭部脳幹への狙撃を指示した。

 扇状の横隊で、本隊から見て右側に展開したチームフォックスは、発砲の指示を待つだけの状態にあった。


「タンゴリーダーより、フォックスリーダー。スタンバイ。繰り返す、スタンバイ」


 この場合の「スタンバイ」とは、攻撃準備のまま待機、という意味になる。

 巨人の容姿は肩までかかる針金のような毛髪のせいで、表情までは窺えないが、ザジィ達本隊を目指して行軍中なのはあきらかだった。

 手にしているのは棍棒や石オノといった原始的な武器だったが、3メートルを超える巨体が繰りだせば、人間など1撃で致命にいたるだろう。

 本隊との距離は100メートルを切っている。焦燥が苛立ちに変わる前に、ガマトは無線機を口元に寄せた。


「おりこうさん。撃たずに待っててくれたんだね」


 唐突に真横から少女の声がかかり、ガマトと部下の銃口が一斉に声の主へと向けられる。

 その少女は自ら発光するするかのような美しい金髪をなびかせ、勝気そうな瞳でオーガを凝視していた。透き通るような肌も自ら発光してるかのように輝き、浮かべた愛らしい笑みが少女の美貌を引き立てていた。


「お前、・・・誰だ?」


「ワタシだよ」


 返事にはなっていないが、少女はそれで解答だという態度だった。


「アンタらは姫様の衛士かな?

 見ない顔だけど、新顔?」


 少女は手にした弓に矢をつがえながら、興味シンシンな態度でガマトやソノ部下を見回す。


「衛士、というか。その・・・」


「アッチに『カシン』もいるし、騎士サマなの?」


 突然の少女の来訪に驚いてもいたが、ソノ質問の意味も、ガマトには理解できなかった。


「まぁ、ワタシも衛士とか騎士って、違いが判らないんだけどネ」


 気配も悟らせずに接近されたことにも驚いたが、獣の尊称である「カシン」という呼び名を使ったということで、敵でないのは認識していた。

 続いて、少女の手にした弓のあまりに簡素な造作を見て、呆気にとられてしまった。しかも、どうやらソノ弓で、アノ巨人と戦うという素振りだ。それも、平然とした表情で。


「まぁ、なんにせよグッジョブだね。

 ライフルなんか使われたら死体が臭くなるし、汚れるし、見た目もグロくなるしネ」


「グロ・・・えっ?」


 ガマトが言いかけた時には少女は残像を残して移動し、オーガの目前10メートルに着地していた。


( バカなっ! )


 すでに小ぶりな弓は弾き絞られており、次の瞬間には、一直線にオーガの顔面へと矢が放たれていた。

 あまりに俊敏な動作にフォックスチーム全員が驚愕する前で、白く発光し、光の尾を引いて飛翔する矢は、オーガの前髪に覆われた奥、右目の眼球を貫いた。さらに、ソノ矢じりは脳まで届いていた。


( 早すぎる。あの子は、いったい・・・ )


 ガマトは絶句した。

 目から、耳から、鼻や口からも白色の煙を吹きだしながら、一撃でオーガが倒れる。間違いなく絶命したと思える倒れ方を確認し、再度少女を見つめ直す。


「フォックスリーダー、タンゴリーダーだ。

 ソノ少女はエルフのハンターだ。発砲中止。繰り返す、発砲を中止してコチラと合流しろ。

 ・・・フォックスリーダー、ドゥーユゥーコピー?」


 ザジィからの無線が入るが、ガマトは少女から目が離せなくなっていた。

 後続のオーガが怒号を上げ、棍棒を振り上げて少女へと殺到している。

 少女は優雅ともいえる動作でバックステップしながら、空中で素早く2連射すると、今度は3メートル後方に着地した。

 少女が着地した時には、先頭のオーガ2体は眼球を貫いた矢に脳を破壊され、地面へ滑り込むように転倒していた。後続のオーガは、転倒した仲間の死体に足を取られて、相次いで転倒していった。


「ガマト、訊いてるのか?」


「りょ、了解。フォックスリーダー、コピー」


 腰上までの長さの、森に溶け込むような新緑のマントをなびかせながら、少女が次の矢をつがえるのを確認し、ガマトは我に返った様子で返信した。


「総員、乗車。本隊と合流する」


 命令してから、自身も軽トラックの荷台に飛び乗ったガマトは、やはり少女に視線を釘付けにしていた。




 獣は銃器の使用を制止したが、エルフのハンターだという少女がオーガと戦闘を始め、その様子を確認すると、誰もが絶句して息を飲みこんだ。

 戻ってきた村木ら、SAT隊員にもハンドサインで発砲を禁止し、犬塚は改めて少女に視線を戻した。

 一般的には誤解されがちなことであるが、人体に限らず、動物を貫通した弾丸は、思わぬ方向に射出され、周囲にも被害を与える。射線、つまり射撃の弾道方向さえ避けていれば、安全だという訳ではないのだ。ソノ意味でも、少女とオーガの距離は近すぎた。


「なぁワン子。銃がダメなら、オレが加勢してもいいかな?」


「冗談じゃないわ。弘樹君、あなた何考えてるの?」


 弘樹の獣への問いに、冬華が瞬時に厳しい口調で非難した。しかし、弘樹はたじろぐこともなく冬華を見返していた。

 理屈がどうであれ、少女1人に戦わせるなど、見ていられる状況ではなかった。


「いいだろう。やってみるか?」


「待ってよ神サマ」


 冬華の非難の視線は、何故か乗り気になった獣へと向けられた。


「だったら、俺も付き合うぜ」


 犬塚が進みでて、その隣に俊介も続いた。

 2人とも自動拳銃を手にしており、至近からの銃撃戦で支援するつもりでいるのだ。2人のその言動を受けて、カルはザジィへと視線を向けた。そのザジィは軽く首を振り、待機しているように促した。

 カルを心配するというよりも、不慣れな警察官との連携からの事故を気にしての配慮だったが、カルも即座に頷き、了承していた。


「回復したとはいえ、まだ我の魔力は小さい。

 加勢はソノ人間1人だ」


「どういう意味だ?」


 どうやら弘樹以外は駄目だという意味らしいが、犬塚には理由が判らなかった。


「魔力に限りがある。

 人間、ソノ剣をだすのだ。魔法を施す」


「ニンゲンって、弘樹だぞ。ヒ、ロ、キ。

 なんとかさ、覚えてもらえないのかな」


 言われるがまま、弘樹はベルトに挟んだ鞘から、藤より贈られた脇差を抜き放つ。その不平は獣の興味ではない様子だった。意図せず溜息をつき、名前の問題は諦めた。

 獣が切っ先を注視すると、美しい刃紋の浮かんだ刀身を、視覚的にもはっきりと判る、ほのかな青白い光が包んでいった。


( 凄いな。コレが魔法なんだ )


「エルフと同じ、氷属性の魔法を付与した。くれぐれも、素手でソノ刃に触れぬことだ」


「スゲェーぞワン子。コレってば、ホブが火でやってたヤツか?」


「あの短剣は、魔法による火炎を乗せただけのモノ。魔法の付与とは、武器や装備に切れ味や補強を加える意図が強い。当然、昨日の短剣よりも強力だ」


 弘樹にしてみれば、ビジュアル的にはホブゴブリンの炎の短剣のほうが、派手で強そうなイメージだったが、どうやらそうではないらしい。


「それと・・・」


 獣の解説が始まった時には、すでに弘樹の体内に柔らかい、しかし、確かな衝撃があり、直後に体温が上がり、活力が漲っていた。


「・・・お前にも魔法を付与した。

 名を、ボディ・オブ・アクセラレーションという。一時的に、身体能力が向上するはずだ」


( スゲーぞ。なんか、自分がスゴイってのが判るぞ )


「待ってくれよ犬神サマ。俺達にも、そのボディなんたらってヤツを頼めないか?」


 犬塚がなおも食い下がったが、冬華や他の負傷者、それと理沙の回復に必要な魔力を考慮すると、これ以上の行使は無理だとのことだった。


「相手は数匹のオーガ。ソノ人間にとって、ものの数ではない」


 獣の保障に、ソノ人間、弘樹は浅く頷いた。


( 大丈夫だ。コレならいける )


 確かな活力を内面に感じ取り、弘樹は一歩踏みだした。

 大地の感触。すでに自身の体重は消失し、羽のようにふわりと身体がはずむ。

 見守っていた犬塚と冬華。俊介と村木らSAT隊員。ザジィとカルの他、車内にいる花蓮と屠龍組の面々の視線の先で、弘樹は残像を残して少女の元へ、オーガへと突進した。


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