第19話 後日談

灼熱のコンクリートジャングル。照り返しもきつく、車を降りた瞬間から瞬く間に汗が噴き出してくる。今年は本当に暑い。ひんやりとしていた車内がもう恋しくなってきた。


「霧島さん、大丈夫ですかぁ……ここ終わったら飲み物買って帰りましょうねぇ……」

「佐々木こそ大丈夫か、へろへろだぞ、声も形も」


だ、大丈夫っす……そう言う佐々木の顔は見るからに赤い。その上呂律が上手く回っていない。——これはまずい、思い当たるのは熱中症、ただ一つ。……すぐに手当てをしなければ! 営業先だが、構うものか。すぐに佐々木を引っ張って店内に入った。真っ先に出会ったレジ担当の男性に声をかける。


「あ、申し訳ありません、いつもの棚の手入れに参りました霧島です。すみませんが、この佐々木が熱中症のようで……少し、倉庫の隅とかでいいので貸していただけないでしょうか。」

「え、あ、はい、すぐに社員呼ぶので少々お待ちください! 」


どうやらレジにいたのはバイト君だったらしい。すぐに店内放送をかけてくれ、社員らしき白衣を着た人物が二名ほどバックヤードから出てきた。そのうち一人は、よく見知った顔。


「藤木さん! 」

「霧島さん。え、景人さん⁉ まさか、す、すぐに冷やしましょう! 」


休憩室に案内しますから、どうぞという声に従いバックヤードを通り抜け休憩室へ。ここは一度も足を踏み入れたことが無く、少し気後れもするが仕方がない。遠慮なく使わせてもらうことにして入室した。


すると藤木さんは流石、見事な手さばきで手当てをしていく。いつだったか佐々木が「万桜さんは勤勉で、知識量が凄いんですよ」と話していたっけな……などと一瞬回顧した。


その間にも藤木さんは冷凍庫の氷を使って氷枕を作り、足の付け根と首元、わきの下を冷やす。自身で総勢五つの氷枕を作って霧島に渡していく間、後輩とみられる男子社員に経口補水液持ってきて、今日中に払うから! と指示を飛ばす。


少しして男子社員くんが帰ってきて、水分補給を終えるとぐらぐら感も治まってきたのか、「万桜さん、霧島さん、すみません……」と呟き始めたものだから、そんなこと気にするな、と答えたら見事に藤木さんと声がダブってしまった。三人で苦笑いをこぼしつつ、しばし休憩をとらせてもらう。


と、落ち着いて気が緩み始めたその瞬間、扉が荒々しく開けられる。蹴破りにきたのかと思われたそれはあながち間違ってはいなかった。この店の敏腕ビューティアドバイザー、確か、芳賀さんと言ったと思う。その人が幼い子ども二人とその母親らしき女性を担いで


「ふっちゃん! 応急処置! 」


と叫んだのだった。まさかこの短時間に軽症とはいえ二人……いや四人も熱中症患者がでるなど誰も予想できなかっただろう。慌てて椅子を引っ張り出し母親をそこに寝かせる。赤ちゃん二人はテーブルの上へ。どうやら双子のようで、年の感じも見た目もそっくりだ。


またもや藤木さんが氷枕を作り今度は芳賀さんが経口補水液を取りに行った。小さな赤ちゃんは随分辛そうで、泣き声をあげることもしない。

——これって、もしかして相当やばい状態なんじゃないか。

そう思い藤木さんを振り返り指示を仰ぐ。


「これ、赤ちゃん限界じゃないですか、救急車っ……」


そういうと藤木さんは一目見て目を見開く。


「救急車呼びましょう! 」


即決だった。藤木さんの作る氷枕を赤ちゃんに二つずつ、母親に佐々木と同様五つ添えながら救急車を呼ぶ。頑張ってくれよ……そう思いながら経口補水液を少しずつ慎重に飲ませる。すると一人、目をパチリと開けてぽつりと


「て、えつや? 」


とこの歳ではまず喋れないようなしっかりした発音で名前を呼んできた。半ば呆然としながら、「みやこ……? 」と呟く。その時、後ろから母親が


「みやこと菜々は、どこ……? ふたりは、無事なの……? 」


とか細く呟いた。みやこと菜々。「てつや」と名前を言い当てた「みやこ」。するとすぐに救急車の音が聞こえてきた。もうすぐ到着のようで、どんどん音が近づいてくる。

とっさに母親の方に向き直り、


「みやこちゃんと菜々ちゃんは絶対守りますっお母さんも頑張って! 」


と気が付いたら叫んでいた。自分でもびっくりするような行動だったが、それでも母親の精神安定剤にはなったようで、ほっとした顔で目を閉じた。バタバタと忙しない足音が響く。


「通報で来ました、患者さんはこのお三方でいいんですね⁉ 」

「はい、この親子三人をお願いします。」

「このもう一人の方は? 」

「あ、俺がこの後連れていくのでまずはこの子たちを……っ」

「わかりました。絶対後々受診をお願いしますね。担架! 」


そこからはスピーディだった。あっという間に救急車に乗り込んでいく。——あの子どもたちは、本当にみやこと菜々なんだろうか。そんなことあり得ないとわかっていながらも、気にかかってしまう。


「霧島さん! 」

「あ、はいっ、どうしました」

「どうしましたじゃないです、同乗してください! 」

「え、あの親子に、俺が? 」

「早く、行っちゃいますよ! 景人さんは任せて、赤ちゃんの方へ同乗して! 後悔しますよ! 」

「……ありがとう! 」


藤木さんの言葉に甘え、佐々木には悪いが放って親子の行く末を見守ることにした。救急隊員に同乗する旨伝えて車内に滑り込む。未だぐったりとしている二人が並んで目を閉じていた。


……頼む、頑張ってくれ。


そう願いを込めて見つめる。席に座った時に尻に何かが刺さった気がして、こんな時になんだ、と思いながら原因を探った。すると、携帯のストラップにしているお守りが——みやことともに安産祈願に行った時のお守りだ——珍しく存在を主張していた。


揺れる車内で思い出す。そういえば、あの時は神社にきちんと祈願もして、安産を祈ったんだっけ。それで最後に——……そうだ、最後に。一緒にお参りした時に。何を願ったの? と聞いたら、みやこはああ言ったじゃないか!


「これからずっと、親子三人来世まで一緒に居られますように、ってお願いしたの」



結果として、母子ともに何とか無事。点滴を行い、熱中症はぶり返したりもするのでそれだけ注意するよう言われてその日のうちに全員帰路に就くことができたのだった。


「本当に、ありがとうございました。この子たちも、あなた方がいなかったらどうなっていたのか……。」

「いえ、そうおっしゃらず。ご無事で何よりでした。そういえば、旦那さんは? 連絡して迎えに来てもらわないと——」

「いえ、旦那は、いないんです。」

「——それは失礼をしました。すみません。」

「いえ、気にしないでください。旦那さんがいれば、こうして二人無理やり連れて出歩くこともしないで済む時もあるんでしょうけど……あいにく、ですね。」

「そうだったんですか……。それで、あの灼熱地獄の中をふたり抱えて歩いていらしたんですね。」

「そうなんです。」

「じゃあ……」


懐を探る。枚数はギリギリだったが、まだあと何枚かあったはずだ。——ビンゴ。内ポケットに三枚入っていた。そのうち一枚を取り出して渡す。


「え? 」

「これ、私の名刺です。連絡先が載っていますので、困ったことがあればいってください。これも何かの縁です、ご助力しますよ。」

「え、でも、奥さんとか……。」

「あいにく、私も妻子は……。」

「——そうですか……。じゃあ、頼りにしても良いですか? 」

「ええ、勿論です。気兼ねなく頼ってください。仕事が休みの日もそこに書いてありますから。こき使ってやってください」


二人、笑いあう。するとその声に反応したのか、すうすうと寝息を立てていた子どもが一人、目を覚ます。


「お、起きた。この子は、菜々ちゃんの方かな? 」

「ええ、よく見分けられましたね。」

「いや、ただの勘ですよ。……それにしても、無事でよかった。」


二人してこどもを見守っていると、そのこどもが呟く。


「——パパ! 」


パパ、パパと言いながらきゃっきゃと手を伸ばしてくるのを優しく握って、嬉しさと涙を歯を食いしばって耐える。目を丸くしている母親に、こう覗き込んでいたからですかね。と話を振ってみた。すると母親は「いえ、それはありえません。」ときっぱり言い切る。何故? と疑問に思っているとそれが顔に出ていたのか、説明してくれた。


「私は、当時付き合っていた男性との間にこの子たちを儲けました。しかし責任逃れからか、その彼は逃げてしまったんです。だから、私女手一つで育てていて……。滅多に男の人と話すこともないし、私の父にはじーじ、って呼ぶんです。……いきなりパパと呼ぶのは、なんだか変です。」

「——そう、ですか……。」

「……なにかありました? 」

「……お話することじゃないかもしれないんですけど。先ほど救急車が来て搬送される前に、みやこちゃん、私の事をみて、てつや、って呼んだんです。私の名前を、見事に言い当てた。」

「え、それって……」

「しかも、それだけじゃないんです。私には妻子がいましたが、どちらも亡くしていまして。——その妻を、みやこ。子どもを、菜々という名前だったんです。」

「…………まさか……」

「びっくりしましたよ。本当に。なので、今回こうして会ったのも偶然と思えなくなってきて。だから、遠慮なく頼ってください。決して害は与えませんから。」

「……それなら、そうですね、安心してお任せできそうです。」


その時、ロータリーにタクシーが滑り込んできた。ここで一旦お別れだ。


「それじゃあ、これで失礼しますね。」

「ええ。お気をつけて。」


ばたんとドアが閉まる。ドアの窓から、小さい頭と手が覗いている。名残惜しいまま、三人を見送ったのだった。



それから五年後。

みやこと菜々も、もう小学校入学間近となったころ、母親——幹に呼びだされ霧島はカフェに向かった。席を確保してドリンクを飲んでいる幹の下へ行き、注文を済ませてから話を始める。


「私ね、最近考えていたの。すっごく悩んで、出した結論。聞いてくれない? 」

「もちろん。何を悩んでいたの」

「…………えぇと……あの……」


なかなか言いにくそうなのを、じっとこらえて待つ。頼んでいたアイスコーヒーが提供され、乾いた喉を潤してくれた。


「っええい! 」

「っわあ、びっくりした! 」

「いいわ、腹を括る! 哲也さん、結婚前提でお付き合いしてください! 」

「…………は、」


周りからかなりの視線が集まっている。恥ずかしいことには恥ずかしいが、それが何だというのだと自分を鼓舞する。幹に比べれば随分小さい声になるが、返答を。


「……すぐに結婚でも、いいんだけど。」

「‼‼ 」


そう言うと、周りからわっと拍手が巻き起こった。皆して聞き耳を立てていたらしい。恥ずかしくもあり嬉しくもあり。幹も同じようで、口に手をあててこちらを一心に見つめている。

「……答えは? 」と聞くと、満面の笑みで「結婚してください! 」と帰ってきた。

思わずテーブル越しにハグをする。背中に周る手が温かい。


さて、もうすぐ幼稚園のお迎えの時間になる。二人で一緒に迎えに行こうか。その後は、久しぶりに手料理でも振舞おうか。らしくもなく浮かれているのが自分でもわかるが、仕方がないというものだろう。身体を離して、周りにぺこぺこと頭を下げながら着席した。今更ながら大胆なことをしたものだと思う。幹も同じようで、少しそわそわとして落ち着かない様子だ。


「……幼稚園、今日一緒に迎えに行ってもいいかな? 」

「……もちろん。あの子たちにも話しましょ。察しが良いから、話さずとも伝わるかもだけど。」

「……ふふ、そうだね。」


さあ、新しい一歩を踏み出そう。新しい家庭を築こう。君たちと俺の四人で手を取って。これから何があるのかな。何をしてあげられるのかな。これからの人生、五本の指に入るくらいに楽しみで仕方がない——。

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