#8 疑問

 休憩後は会社のことや俺の業務内容などを詳しく教えてもらった。

 鳳さんは昼休憩が終わると同時に応接室に消えて行き、霧島さんはイヤフォンをして動画の編集作業をしているようで、正直、業務内容よりも気になってしまう。残った金剛さんはノートパソコンを立ち上げ、デスクトップにあるフォルダをクリックし、その中にある「会社説明」と書かれたファイルを開いた。会社概要が記載されたテキストが開かれ、見やすい大きさに調整される。


「まず、うちの営業時間は9時30分から18時30分までです。スタッフの始業時間は9時からで定時は18時30分。休憩時間はお昼の1時間と15時くらいから各々好きなように30分の休憩があります。次に定休日についてだけど…月曜日はスタジオもここの事務所もお休み。で、水曜日は午前中だけスタジオ営業して午後からは事務所で編集作業をします。この日は午前中だけだから三人のうち誰かはお休みしてていないと思ってね」

「わかりました」

「で、今度は比叡くんの業務内容について話をするね」


 続いて、「アルバイト」と書かれたファイルを開いた。会社概要と同様にテキストが開かれ、大きさを調節される。どうやら、面接の時に見せてもらったものと同じようだ。


「個人的に面接で話した覚えがないけど、話してたら言ってね。比叡くんにはカメラアシと編集の他に商用の物撮りをしてもらいます」

「商用というのは、今日のような…?」

「そうそう!今日の商用はモデルさんだけだったんだけど、普段はお菓子メーカーの商品だったり化粧品メーカーの新商品だったりをそこの応接室の中にある撮影スペースで撮影します。今、ちょうどハルちゃんが撮影してるから、後で見に行ってみなよ」


 そういえば、面接の時にパーテーションで区切られたスペースがあるなとは思っていた。奥にはもう一組、商談スペースがあるのかと勝手に思っていたが、違っていたようだ。

 そして、仕事内容の多さに驚愕した。俺のではなく、このスタジオのだ。

 スタジオがメインの仕事かと思えば、スタジオ写真の他にも商用の人物撮影に物撮り、編集、SNS投稿、訪れたお客の対応。日によっては撮影件数に差はあるだろうが、全ての仕事をこの三人だけでしていたのかと思うと、驚かずにはいられない。


「すごいですね…」

「ん?何が?」

「いえ…」


 金剛さんは少し不思議そうな顔をしながら、話を続けた。


「比叡くんに出勤してもらいたい日は基本土日です。まぁ、撮影件数によっては休んで良いよってなる時もあると思います。」

「平日は良いんですか?」

「学生だから平日は難しくない?」

「授業が午前中で終わったり、早く帰れる日もあります」


 俺の言葉に金剛さんはそこらへんにあった紙とペンを引き寄せ、俺の前に置いた。「その曜日を書いて」と紙を指差し立ち上がると、スピーカーの横に置かれた卓上カレンダーを手に椅子に座った。

 俺は言われた通り、紙に授業の大まかな時間と曜日を書いた。火曜日は午後の授業が一時間少なく、木曜日は午前中にドローイングの授業のため午後からはバイトに出れる。その他、講師の都合により授業がなくなったりするため、その時は連絡することにした。


「私がいた頃と時間割は変わらないね。じゃぁ、火曜日と木曜日は学校が終わり次第で良いから来てもらって、こっちがどうしても来て欲しいときは昼ぐらいに連絡するから。うちのグループに入ってもらうか…」


 金剛さんはスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開くと「サンドリヨン」と名前のつけられたグループを表示させた。俺もスマートフォンを取り出し、同じメッセージアプリを開く。グループに参加し、俺を含めグループの参加人数は五人。


「授業がなくなったりして来れるときはここに連絡してね。三人いれば誰かは見れると思うから」

「わかりました。」

「たぶん、きーやんさんが一番気づいてくれるかな。私とハルちゃんは撮影したりしてて返事返せないかも」


 撮影中はお客様に失礼だからと、スマートフォンではなくインカムを使用し会話をしているようで、一応携帯はしているがスマートフォンへの連絡には気づかないらしい。マナーモードに設定していてもバイブレーションの音でさえ失礼に当たるため、そもそもスタジオ内に持って入ることの方が少ないらしい。

「スマホが行方不明なんてあるあるだね」と言うレベルらしく、誰からも返事がなかった時のために、事務所の電話番号も教えて貰った。だが、この番号も誰か出る可能性は低いらしい。撮影中ならば尚更。


「とりあえずはこんなもんかな…また伝え忘れてることがあったらその都度言います」

「俺は、この後何をすれば良いですか?」

「うーん…特に何とはないかな…ハルちゃんの物撮り見てくる?」


 金剛さんは立ち上がると軽く体を左右に捻り、事務所を出て応接室の扉を開いた。俺もそのあとを追い応接室に入る。

 パーテーションで区切られた奥からはパシャパシャとシャッターを切る音が聞こえている。シャッターの音に合わせ、撮影台の左右に置かれたスタンドライトが点灯していて、少し目がチカチカする。撮影台の前に置かれた三脚には一眼レフカメラがセットされていて、鳳さんが腰を曲げファインダーを覗き込んでいる。


「ハルちゃん、良い感じかね?」

「腰が痛い…動きたい…」

「やっぱりハルちゃんはサメなんだろうね…」


 金剛さんの声に顔を上げた鳳さんは、上体を起こし腰に手を当てると後ろに体を逸らした。背の高い鳳さんが体を曲げて撮影することは、相当腰に負担がかかっているだろうな。と思っていると、金剛さんは「じゃ、よろしく」と言って応接室から出て行ってしまった。

 残された俺は、ひたすらに気まずかった。俺は鳳さんが苦手だ。


「今度から物撮りしてくれるんだって?」

「はい。それで、どんな感じかを見せてもらおうと…」

「物撮りはわりと楽。人じゃないから機嫌なんて取らなくて良いし、ただパシャパシャしてれば良いよ」


 撮影台には黒を基調としたパッケージの化粧品が数個置かれている。女性ではないため、それぞれが何なのかは分からないがここで撮影しているということは新商品なのだろう。


「こんな感じ」


 鳳さんはサイドテーブに置かれたノートパソコンに先まで撮影していた写真を表示させた。一つ一つ撮影したものや、いくつかの化粧品をパターン的に並べたものなど様々な構図で撮影されている。


「これはカメラの設定も自分でするんですか」

「当たり前。もしかしてできないとかねぇよな?」

「細かい設定は…」

「じゃぁ、疲れたから変わる?どうせやることないでしょ?俺が撮るべきものは終わったから色々弄って好きなように撮りなよ。何かあったら声かけてねー」


 ノートパソコンで何やら操作をした後、化粧品で汚れた手を振りながら鳳さんは応接室から出て行ってしまった。

 好きなように使って良いと言われても、何も分からない。カメラの設定については授業で少し教わった程度だ。もちろん目の前にある機材は、学校で使っているものよりも高価ということは言わずもがな。下手に設定を弄ってしまって壊したらどうしよう。そんなことしか考えられない。

 こんな俺がいきなり一人でカメラに触れられるわけがない。


 ▽


「あれ?比叡くんは?」

「置いてきた。自由に撮っていいよーって」

「そっか、何かあったら言いに来るよね」

「そうそう問題なし!てことで、俺はこの塗料たちを落とす」

「塗料とは失礼な!私の顔もその塗料で成り立っとるというのに…」


 鳳は手や腕に着けた真っ赤な口紅や、ラメの入ったアイシャドウを金剛に見せると、自身のデスクの引き出しからハンドタオルを取り出した。


「ハルちゃんが化粧品の撮影する時、毎回思うけど…なんか…エロいよね」

「は?どの辺が?」

「この…口紅とか?」


 金剛は鳳の手の甲に一直線に引かれた赤色を指差した。鳳がその赤色に目を向けると、金剛はデスクに置いていたスマートフォンを掴み、カメラアプリを起動させた。

 パシャりと一枚撮影すると、金剛は気に入らなかったのか首を傾げ、口をへの字に曲げた。


「八重ちゃん、撮るならちゃんと撮ってよ?」


 首を傾げる金剛を他所に、鳳は事務所の隅にあるキッチンのシンクで手を洗った。吊り下げ収納に置いてあるメイク落としを手の甲に数滴落とし、口紅やアイシャドウに馴染むように反対の指でくるくるとメイクを落としていく。


「今回の化粧品、すごい馴染みが良かったよ」

「なんと!アイシャドウを新調しようかな…」

「個人的には口紅が一番可愛い色してるし、じわーって感じでうるうるしてるからおすすめ」


 撮影に使用した化粧品のことを思い出しながら、鳳は口紅によって赤くなってしまったメイク落としを水で流した。

 深紅という言葉が似合う程に濃い色をした口紅は、童顔な金剛には似合わないと思った。逆に、今日撮影を行ったモデルの旭美希にはぴったりだな。と鳳は鼻歌を歌い出しそうなほどに頬を緩ませた。


「ハルちゃん、かっこいい顔が台無しになってるよ…」

「美希ちゃんのこと考えてたら自然とねー」

「どっちの美希ちゃん?」

「モデルの方。旭の美希ちゃん」

「美人さんだったもんね」

「この化粧品…似合いそうだなって思って」


 手を洗い終わると、鳳は自身のデスクトップパソコンを起動させ検索サイトを開くと先程撮影した化粧品について検索した。

 化粧品会社の名前は「Divaディーバ」。

 ホームページは白や水色などシンデレラを思わせるような色を基調としたシンプルなもので、おすすめと表示される化粧品のラインナップも白いパッケージのものが多く、アイシャドウやグロスの色も淡い色のものがメインとなっている。「歌姫」や「主役」という意味を持つ英単語を会社の名前にしているだけあって、会社のコンセプトはそのままプリンセス。


「えー…八重ちゃん、今回の化粧品の会社…本当にここ?」

「どれどれー…うん。そこだよ?もらった資料のURLを検索したらハルちゃんが開いてるサイトが開くから」

「新しい試みなのかねぇ…」

「プリンセスじゃなくてヴィランだね!」

「悪役イメージの化粧品…だから全体的に黒くて色が濃いのか」


 ホームページの下部には運営しているSNSのアカウントが紹介されている。鳳はSNSのアイコンをクリックし、投稿を遡る。

 今回、鳳が撮影した化粧品の告知投稿や、最新アイテムの入荷情報などが投稿されている。


「んー?きーやん…ねぇ、ねぇねぇ!」

「はい…はい。なに?」


 鳳はあるひとつの投稿で手を止めた。そのまま隣で編集作業をしていた霧島の肩を揺さぶる。霧島は耳に嵌めていたイヤフォンを外し、編集中だった動画を一旦停止させ、鳳の方に目を向けるとデスクトップパソコンに表示された投稿を指さされ目線を移動させる。

 その投稿は先月発売された新商品の広告投稿で、新商品であるオレンジ色のアイシャドウを紹介している画像にはイメージモデルの可愛らしい女性の目元をアップに写した写真が使われている。女性の目元にはもちろん、オレンジ色のアイシャドウが塗られており、女性の周りに散りばめられた無数の花弁もヒマワリやガーベラ、マリーゴールドなどオレンジ色の花が使われている。


「これがどうかしたん?」

「わかんねぇの?ちょっと、八重ちゃんも見て」

「なんだなんだ!」

「問題です。このモデルさんは誰でしょーか!」


 鳳の突然の問題に金剛と霧島は画面を凝視するが、心当たりはない。


「嘘でしょ?」

「わからん…モデルは全部同じに見える」

「右に同じく…」

「八重ちゃんが分からんのはダメだと思う。だって、撮ったの八重ちゃんだもん…」

「撮った?この写真撮った覚えないよ?」

「これじゃなくて…こっち」


 新しくブラウザを開き、サンドリヨンのSNSアカウントを表示させる。

 同じように投稿を遡り、目的の投稿を見つけると添付されている画像を大きく表示させ、インプレッションとエンゲージメントを纏めた表も一緒に表示させた。


「こ、これは!」

「おぉ…気づかんかった」

「田中美希ちゃんでーす!」

「なんで田中美希さんがDivaのモデルやっとるん?」


 霧島の最もな質問に金剛も鳳も何も言えなかった。

 妄想の中では「本当のモデルは田中美希さん」なんてことを話していたが、それは三人の頭の中の事。田中美希が本当のモデルだという事など知りもしなかった。


「でも…これを見る限り、売れなかったんだろうな」

「有名で売れてたらもっとバズってたね」


 表を見ながら霧島はスマートフォンを取り出し、自身のアカウントで田中美希について検索をかける。数件の投稿はあるもののモデル仲間や友人の祝福メッセージといった投稿しか見当たらない。

 人気モデルやそこそこ有名なモデルならば、Divaを愛用している女性やゴシップ好きな雑誌記者の目に止まってもおかしくないが、SNSで話題になっていることも、ネットニュースになっている様子はない。


「田中美希って…本当の名前なん?」

「少なからず、美希は彼女の名前みたいですよ」

「芸名か…偽名か…」

「考えれば考えるほど何者か気になる…」


 パソコン画面に表示された『田中美希』を見つめ、鳳は胸の前で腕を組みうーんと唸り声を上げた。

 画面の中で変わらず田中美希が微笑んでいた。

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橙色の妄想 狗条 @thukao0710

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