♯7真実

 商用の撮影も無事に終わり、更衣室では旭さんが着替えをしている。その間に、鳳さんは待合スペースで関さんとデザイナーを交え、何やら話をしている。受付では金剛さんが若いカップルの対応をしている。おそらく、ウェディングフォト の撮影の方だろう。

 俺は次の指示が出されていないので、何をするべきなのか分からず、とりあえず、邪魔にならない部屋の隅に立っていた。こんなにも長い時間立っていることもないので、そろそろ足が限界だ。


「比叡くん」

「はい」

「今から八重ちゃんと榛名はウェディングの撮影で、僕は上の事務所に戻って写真とか動画の編集するんじゃけど、スタジオにおる?」


 正直に言ってしまえば、霧島さんと上に戻って動画の編集を見ていたい。

 どうしようかと悩んでいると、受付の対応をしていた金剛さんが霧島さんにSDカードを手渡した。


「さっきのデータです」

「分かった。比叡くんはどうする?このデータとか見てもらう?」

「そうですね!ついでにお昼も取ってきてください」


 そう言うと、金剛さんは着替えを終え更衣室から戻ってきた旭さんや待合スペースで談笑をしていた三人に声をかけている。

 どうやら、本当にこれで終わりらしい。


「お昼ご飯持ってきた?」

「いえ…」

「じゃぁ、買いに行こうか」


 ▽


「金剛さんと鳳さんがお話しされてたことって…どう言うことなんですか?」

「どの話?」

「本当の美希ちゃんがなんとか…」

「あぁ…その話ね」


 昼食を買い、事務所に戻った俺と霧島さんはミーティングテーブルで雑談をしながら休憩を取っていた。せっかく時間もあるので、ずっと気になっていた話を聞いてみることにした。

 霧島さんはノートパソコンを起動させ、一枚の写真を表示させた。


「もう、編集が終わった写真なんじゃけど…このウェディングドレスを着てる花嫁さんの名前が今日のモデルと同じ美希さん」

「この方がどうかしたんですか?」

「比叡くんはこの写真、どう思う?」


 画面に表示された写真は、美希さんというウェディングドレスに身を包んだ女性とタキシードに身を包んだ男性が向かい合っているシンプルな写真だった。

 どうと聞かれても綺麗で、撮影を楽しんでいる夫婦にしか見えない。


「綺麗な写真だと思います。仲睦まじい夫婦の写真って感じですね」

「僕もそう思う。でも、訳あり」

「訳あり?」

「うん。先生と生徒の関係」


 あまりに突拍子のない話に、食べていたおにぎりを吹き出しそうになった。一番まともだと思っていた人の口から発せられた言葉に驚きながらも、もう一度写真に目を向けた。

 確かに二人には歳の差がある気がした。

 だが、先生と生徒だとは思わない。なぜその考えに至ったのか、霧島さんの考えがわからない。


「そんなことない。って思ったじゃろ?でも、僕の考えはまだマシなんよね」


 霧島さんはノートパソコンを操作し、指輪のみを写した写真を表示させた。


「この旦那さん聡さんって言うんじゃけどね…八重ちゃんは聡さんには同性の恋人がおって、それをカモフラージュするために友人の美希さんとここに写真を撮りに来た。って言っとるんよね」

「なんですか、その話…」

「で、榛名は禁断の関係じゃないかって」


 次々と語られる信じられない話に、ただ黙って聞くことしかできない。

 霧島さんは再びノートパソコンを操作し、聡さんのメイク中と思われる写真を表示させた。


「聡さんは別の人と結婚してて、この美希さんと不倫中なんじゃないかって。根拠もないバカみたいな話なんじゃけど、僕と八重ちゃんはそれが一番気に入ってね」


 分からない。話が見えてこないと言うのが素直な感想だ。

 戸惑った顔をしている俺を見て、霧島さんは鼻で笑った。そのまま立ち上がり、キッチンでコーヒーを淹れると冷蔵庫から一口サイズのチョコレートを取り出し、俺の前に置いた。お礼を言うと「それ、一つ500円だから」と真剣な顔をされた。ギョッとしたオレに「冗談だよ」とまた笑った。


「名前とか身分の確認しないんだ」


 熱々のコーヒーを啜った霧島さんは旭さんの顔写真とプロフィールの書かれた紙を机に置いた。それは朝、俺が見せてもらった資料で変わらず旭さんは綺麗な顔をしている。

 ノートパソコンに一枚のSDカードを挿入し、中のデータを移した霧島さんは中の写真を一覧で表示させた。その写真は午前中に撮影された旭さんのもので、霧島さんはその中から適当に選んだ写真を拡大させた。パステルカラーの洋服に身を包んだ旭さんが可愛らしくポーズをとっている。


「似合わないよね」

「え?」

「榛名たちが撮影中に言っとったこと覚えとる?」

「シックな服の方が似合う。ですか?」

「そう、旭さんにはパステルカラーは似合わんのんよね。どちらかと言えばこっちの美希さんの方が似合うと思わん?」


 旭さんの写真の横にウェディングドレス姿の美希さんの写真を並べ、霧島さんはどう?と言わんばかりの視線を俺に向けた。その視線から逃げるように視線をノートパソコンに移し、二人の女性の顔を見比べた。

 確かに、霧島さんの言う通り美希さんの方が年齢も若く可愛いという雰囲気が似合うような気がした。反対に、旭さんがウエディングドレスを着て聡さんの横に立つと本当にお似合いな夫婦に見えた。


「だから、本当の美希ちゃん…」


 一応納得はしたと思う。

 だが、なぜ二人は変わる必要があったのか。本当に鳳さんの考えたとおり、不倫中なのであれば本当の奥さんにはバレないようにしようと努めるはずだ。もし仮に、彼女たち二人が知り合いで共犯者なのであれば変わる理由も分からなくもない。


「深く考えたらダメだよ?」


 霧島さんの声で現実に引き戻される。変わらずコーヒーを啜る霧島さんは楽しそうに口角を上げた。

 すると、事務所の扉が勢い良く開いた。


「ご飯だー!」

「昼飯だー!」

「うるさいんじゃけど…」

「お疲れ様です」


 撮影を終えた金剛さんと鳳さんはそれぞれレンズバッグとカメラバッグを肩に掛け、手にはコンビニ袋が握られている。

 コンビニ袋を置いた金剛さんは鳳さんからカメラバッグを受け取り、カメラの置かれた収納棚に一個ずつ丁寧に片付けている。その横で、鳳さんは電子レンジを使い、昼食を温めている。


「ハルちゃん、今日は走らないの?」

「今日は朝走って来たから良いかな」

「どのくらい走ったの?」

「家からここまで」

「うわぁ…ハルちゃん横川だったよね?4キロちょっと?」


 鳳さんは「そうそう」とコーヒーを淹れながら相槌を打った。ちょうど電子レンジから温め終了の合図が鳴り、自身の昼食を取り出すと、今度は金剛さんのミートドリアを電子レンジに入れ、温め始めた。鳳さんは霧島さんの横に座り手を合わせ、温まった焼きそばを啜った。


「榛名はカメラマンじゃなくて陸上選手とかになった方が良かったんじゃないん?」

「ですよね!きーやんさん、一緒に応援行きましょう!」

「いやいや…俺の場合走るのは趣味なの!これを本業にしたら絶対走らねぇ」


 カメラを片付け終わった金剛さんは、ケトルでお湯を沸かしながら紅茶のパックを開け、ターコイズブルーのマグカップにティーパックを入れると、まだ温まりきっていないケトルからお湯を注いだ。アップルティーのいい匂いが鼻に届く。

 マグカップを手に、金剛さんは俺の横に座った。


「お、ダブル美希さん」

「比叡くんが、二人の謎の会話について気になっとったよ」

「謎の会話?」

「本当の美希ちゃんがどうのこうのって話ししとったじゃん」


 思い出したかのように「あぁ、その話」と鳳さんは焼きそばを啜る手を止め、コーヒーを一口飲むとノートパソコンに目を向けた。


「今日ので結構確信に迫ってない?」

「あれじゃろ?榛名が聞いとった、なんでモデルやっとるかじゃろ?」

「そうそう!その答えで確信したね…」


 鳳さんは胸の前で腕を組み、うんうんと首を縦に振った。

 鳳さんが撮影の合間に旭さんに対してした質問に旭さんは「小さい頃からファッション雑誌をいつも読んでいて、興味があったんです」と答えていた。解答としてはおかしくはないと思う。


「小さい頃から興味あったなら、もっと早いうちからやらない?どう見ても美希ちゃん30手前でしょ?どう頑張っても28歳!」

「女性のこと何も分かってないね…これだからハルちゃんは…」


 金剛さんは呆れたような視線を鳳さんに向け、「ねぇ?比叡くんも思うでしょう?」と俺に同意を求めてきた。鳳さんからの視線が痛いのでやめて欲しい。

 だが、俺も年齢には違和感を感じていた。モデルと言えば10代の高校生や俺と同じ年代や、20代前半の若い人が多いイメージがある。もちろん、ブランドによっては年配モデルの方が良い場合もあると思う。だが、今回は違うと思う。


「どう見ても、今回のモデルはブランドのイメージに合ってないね」

「絶対美希ちゃん違い」

「美希さん替え玉事件?」

「事件ってわけでもないじゃろ。それをうちに持ち込まれても困るし」

「もし、美希ちゃんが入れ替わってるとしたら、マネージャーの関さんとかデザイナーとか気づくでしょ?」

「確かに、そこまで二人の顔が似てるわけでもないしね…」


 金剛さんはノートパソコンの画面に表示された二人の美希さんに目を向けた。

「どちらも可愛いし綺麗だし…二人ともモデルできるよ」と少々投げやりに呟くと、電子レンジに入れたままになっていたミートドリアを取りに行った。


「新しい説ができたかも…」

「あ、私も!」

「たぶん、僕も思っとることは一緒だと思う」


 鳳さんは残りの焼きそばを啜ると、空になった容器をビニール袋に入れ近くのゴミ箱に投げ入れた。そして、嬉々として話を始めた。


「今回の本当のモデルはウェディングこっちの美希ちゃんで、聡さんの奥さんは今日モデルをした旭美希ちゃん。この二人は友人で、共犯者」

「二人の目的は聡さん!」


 鳳さんの言葉に続き、金剛さんは犯人に真実を突きつける名探偵のようにビシリとノートパソコンを指差した。得意げに片頬を吊り上げた金剛さんに「食事中」と霧島さんが注意をすると、金剛さんは少し悲しそうに食事に戻った。

 解決しそうだった問題が、またもやオレの中で迷宮入りしようとしている。


「まったくお話が掴めないのですが…」

「簡潔に言えば、ダブル美希ちゃんが聡さんを貶めようとしたって話」

「何で…そんな話になるんですか?本当の美希さんが…と言う話は?」


 俺の言葉に鳳さんは大きなため息を吐いた。その横で霧島さんが鳳さんの背中を力いっぱい叩いた。音的にも、鳳さんの背中には大きな紅葉ができているだろう。

 叩かれた背中をさすりながら、鳳さんはコーヒーを啜った。


「そもそも、私たちがしてた話はこっちの写真のことなのよ。田中さん夫婦の写真」


 そう言うと、金剛さんは画面にウェディングドレスを着た美希さんと聡さんの写真を表示させた。霧島さんに見せてもらった写真とは違うものだった。


「この夫婦はどう思う?って話から色々考えて、最終的にハルちゃんの不倫論になったって言うのはきーやんさんから聞いた?」

「はい。皆さん突拍子もない話をされるな。と…」

「まぁ、妄想だからね。どんな突拍子もない話でも笑って済まされるよ」


 ケラケラと笑う金剛さんは俺の前に置かれた旭美希さんの資料を手に取った。


「そんな話をしてる時にこの商用の撮影を頼まれたんだよ」

「まさか、名前が同じ『美希』とは思わんかったよね」

「で、今日実際に撮影したら美希ちゃん違いなのでは?って思って説が変わった」

「まず前提として、ハルちゃんの言う通り美希ちゃんは入れ替わってる。ややこしいから、整理すると…今日のモデルで聡さんの本当(仮)の奥さんの旭美希ちゃん。ウェディングドレス着てる美希さんがモデルの田中美希さんね。旭美希さんは夫の聡さんの何かしらの不祥事を知って、友人の田中美希さんにそのことを相談した。それを聞いた田中美希さんが、聡さんのことをぎゃふんと言わせてやろうって旭美希さんに持ちかけた。ここまでは良いかな?」

「はい」


 正直良くはない。が、ここで話を折るのも申し訳なく最後まで黙っていることにした。


「不祥事は…まぁ浮気とか不倫とかの女性関係?で、田中美希さんは聡さんに近づいて親しくなったタイミングでここに写真を撮りに来た。その理由は、周りの人にバレるように」

「うちがSNSやっとるのは知っとる?」

「はい。俺もその投稿を見てアルバイトの応募をしましたので」

「きーやんさん、やってるかいありましたね!」


 満面の笑みを向けた金剛さんを無視し、霧島さんはノートパソコンの画面をサンドリヨンのSNSに変えた。そこには田中さん夫婦の写真も投稿されていた。

 横から画面を覗き込んだ鳳さんは、何かを纏めた表を画面の端に表示させた。


「インプレッションも悪くないな…」

「今頃、聡さん焦ってるかもねぇ」

「焦っとったら二人の作戦は成功じゃね」

「女性関係なんて社会的に終わるわなー」


 二人の女性の目的は分かった。

 友人である旭美希さんを助けようとした田中美希さんの行動力には驚く。だが、一つ気になることがある。


「わざわざ旭美希さんがモデルをする必要はなかったんじゃないですか?」

「女の子は誰だって、一度はモデルというものをやって見たいものなんだよ」

「そう言うものですか…?」

「そうそう。女の子だから」

「マネージャーの方とかは何も言わなかったんですかね?」

「田中美希ちゃんが話しをしたんじゃない。「この子、私の友人なんですけどーモデルやりたいらしいんですー」って」

「でも、田中美希さんはちゃんとしたモデルさんですよね?男性と一緒に写った写真をSNSに投稿して大丈夫だったんでしょうか?」


 俺の質問に返ってきたのは、返答ではなく笑いだった。

 金剛さんと鳳さんは腹を抱え、後ろに倒れるのではないかというほどに体を仰け反らせ爆笑している。霧島さんは顔を背け、何とか堪えているが肩が小刻みに震えている。

 一頻り笑い終わると、金剛さんは目尻に滲んだ涙を指で拭い落ち着こうと飲みかけのアップルティーを口に含んだ。


「これは、私たち第三者が勝手に考えた妄想。深く考えてはいけないし、肯定もしてはいけない。いくら考えても答えなんて出ないし、正解は本人達に聞かないと分からないんだから」


 妄想。だから「同性の恋人がいる」や、「先生と生徒の関係」など、突拍子も無い話をしたのかと一人納得していると、机をバンバンと叩きながら未だに笑っている鳳さんが、俺を見て吹き出すと机に突っ伏した。本当に失礼な人だと思った。

 だが、もし仮にこの話が本当だとするならば、どうしていただろう。


「どうもしねぇよ」


 腕の中から顔を覗かせた鳳さんは、上体を起こすと顔を手で扇いだ。


「俺たちはカメラマン。探偵でも弁護士でもないからこの話が本当だとしても何もできない。俺たちの仕事は写真を撮ってくれって頼まれたら、どんな人でもどんな事情があろうと撮る。それだけ…」


 鳳さんの真剣な表情に何も言い返せなかった。

 今の俺にはこの夫婦が本当の夫婦であることを願うしかない。


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