#6自由

 7月上旬 9時半 1階スタジオ


 鳳さんの後を追い、事務所を出て廊下を覗くとニコニコと締まりのない笑みを浮かべた鳳さんが、霧島さんに見せてもらった資料に写っていた女性、旭美希さんと男性を連れ応接室に案内していた。

 電話の終わった金剛さんも俺の横を通り向け、応接室へと入って行った。俺も扉の開け放たれた応接室に静かに入り、邪魔にならないであろう部屋の隅で仕事を見学させてもらうことにした。


「本日、撮影を担当させていただきますカメラマンの鳳榛名です」

「社長の金剛です」

「旭美希です。よろしくお願いします」

「マネージャーのせきです」


 それぞれの名刺交換が終わり、席に着くと今日の撮影内容のミーティングが開始された。


「本日は…ブランドPRのための洋服の撮影でしたね。そちらのデザイナーさんからいただいた企画書に書かれている構図をメインに撮影していきます。その他、何かあればその都度おっしゃってください」


 金剛さんの向かいに座る旭さんは写真で見た通りの美人で、綺麗な顔をしている。背筋もまっすぐに伸ばされ、艶のあるセミロングの黒髪は相槌を打つたびにパサパサと肩を滑り落ちている。旭さんの横に座るマネージャーの関さんはくたびれた40代のおじさんと言う印象しかない。グレーのスーツに身を包んだ関さんはカバンから取り出した資料を指でめくりながら、旭さんと同じ様に相槌を打っている。


「で、洋服は?」

「メイク担当の者と下で待機させています」

「そうですか、では早速始めましょうか」


 金剛さんが立ち上がると、鳳さん、旭さん、最後に関さんの順で立ち上がり、鳳さんに下に案内する様指示を出した金剛さんは部屋の隅で話を聞いていた俺に手招きをした。


「下に行って、洋服の運搬を手伝ってあげて。ついでに、下のスタジオがどんなものか見ておいで」

「わかりました」


 金剛さんはそう言うと事務所に戻って行った。

 俺は金剛さんに指示された通り、鳳さんたちの後を追い1階のスタジオ前に止まっている白いバンから荷物を下ろす帽子の男性に声をかけた。


「荷物の運搬を手伝います」

「あ、ありがとうございます」


 帽子の男性に頼まれた衣装ケースを持ち、ガラスの自動ドアが開くと入ってすぐ右側のスペースではすでに撮影の準備が進められているようで、つなぎ服に着替えた霧島さんがデザイナーやメイクスタッフと話をしている。


「では、メイクルームは部屋の右奥にありますので、そちらを使用してください。更衣室はその隣に、衣装はそちらのハンガーラックを使ってください」


 いつもの広島弁ではないことに違和感を感じながらも、てきぱきとスタジオ内の案内をする霧島さんは、衣装ケースを運ぶ俺に気づき指でハンガーラックの位置を指す。霧島さんの指の指す方向に目を向けると、霧島さんたちのいる反対側には小さな受付があり、その横にはドレスを中心に七五三や成人式用の着物が多くかけられたハンガーラックがある。その近くに衣装ケースを置き、帽子の男性に続き再度外へ出て衣装ケースを運ぶ。


「車は駐車場があるので、そこに止めてください。」

「私が案内します。比叡くんも連れて行きますね」

「じゃぁ、八重ちゃんよろしく」


 ちょうど荷物の運搬が終わると、金剛さんが外階段から声をかけてきた。

 街中にあるお店はだいたい公共交通機関でお越しくださいとホームページに書いてあることが多いため、駐車場まで完備されているとは思わなかった。

 駐車場はサンドリヨンの隣の建物の横にあり、小さいが4台は止められるスペースにはすでに1台車が止められている。


「あ、この車は社用車だよ。これに乗って外に撮影しに行くこともあるから」


 確か名前はクーパー。ミニクーパー。

 ペッパーホワイトのボディが目を惹くその車は、金剛さんのように…低い。これが社用車と言うことは、身長の高い霧島さんや鳳さんは乗り降りに苦労しそうだな。と思いながら、クーパーを見つめていると、衣装を積んでいた白いバンが1つスペースを空けて停まった。

 帽子の男性は金剛さんにお礼を言うと、サンドリヨンとは反対方向へと歩いて行った。その背中を見送り、金剛さんはサンドリヨンへと戻っていた。俺はその後を追い、気を引き締め直した。


 スタジオ内に戻ると、さっき運んだ衣装ケースの中から取り出されたパステルカラーの衣装たちは新しく用意されたハンガーラックに次々とかけられている。いっぱいになったハンガーラックは奥のメイクルームに運ばれて行く。そんな奥の撮影ブースからは鳳さんの大きな声が聞こえている。

 俺は金剛さんに許可をもらい、奥の撮影ブースを覗いた。


「なるほどねー。小物は少なめってことは…バック紙のみの方がいいっすね…」

「そうですね。切り抜いたりして使うものが多いので、シンプルな背景だと助かります」

「オッケー!任せてください!」


 デザイナーの方と写真について話をしている鳳さんは、丸メガネを頭の上に置き、手で四角を作り上に下に斜めにと様々な角度に手を動かし、どんな写真を撮るかイメージをしている。大体のイメージが固まったのか、納得したように一度縦に首を振ると俺の方に歩いてきた。


「ちょっとどいてー」


 強い力で肩を横に押され、何事か。と鳳さんの方を見ると、さっきまで俺が立っていた場所にある、壁に取り付けられたロールバック紙を操作するボタンを押していた。もっとかける言葉があったのではないかと思ったが、その思いはグッと飲み込むことにした。

 鳳さんがボタンを押すと、キュルキュルと滑車の回る音をたてながら白色のバック紙が天井から降りてくる。降りてきたバック紙を一旦床まで伸ばすと端を持ち、2メートル近くまで引き延ばす。バック紙の端には重りがついているようで、鳳さんが手を離しても丸々ことなく綺麗に床に接着している。降下のボタンを止め、鳳さんは左右のアールをチェックしズボンのポケットからカラフルなマスキングテープを取り出した。

 マスキングテープを適当な長さで切り、バック紙の前と左右の床に十字のマークを作っていく。それが終わると、部屋の隅に置かれていたスタンドライトを移動させ、光が交差するように設置させた。


「よし、こっちはいつでもオッケー」

「ハルちゃんカメラ置いとくねー。他に欲しいレンズがあったら持ってくるよ」

「八重ちゃんありがとー!」


 撮影ブースに顔を覗かせた金剛さんの両肩にはカメラレンズの入ったレンズバッグと一眼レフカメラの入ったカメラバッグが下げられており、操作ボタンの下に置かれた。

 鳳さんはレンズバッグを開き、中に入っているレンズを確認する。

 カバンの中には広角レンズや望遠レンズ、変わった形をしたレンズなどパッと見ただけでも10本は入っている。そのままカメラバッグも確認し、グッと親指を立て金剛さんに笑顔を向けた。金剛さんも同じように親指を立て鳳さんに笑い返した。

 その横で、俺は一人驚いていた。

 レンズが少なくとも10本、カメラ本体は3台だがどちらのカバンも持つと、なかなかの重さになるだろうことは想像できる。いくら2階からエレベーターを使い持ってきたとはいえ、小柄な金剛さんがこれだけの重さのものを持ってきたと言うことに衝撃を受けた。


「金剛さんって意外に力持ちなんですね」

「えーそんなことないよ。比叡くんなら余裕で持てる重さだよ」


 そう言うと、金剛さんはバックのチャックを閉じ、まずはレンズの入っているバッグ、次に一眼レフカメラの入ったバッグを俺の肩にかけた。

 素直な感想は重い。

 本当に下手をしたら落としてしまいそうなほどに重く、既に肩が悲鳴をあげている。

 そんな俺の様子を見ている金剛さんと鳳さんは、何がそんな面白いのかと言うほどに腹を抱えて笑っている。


「笑ってないで受け取ってください。落としちゃいますよ!?」

「それはシンプルに許されないな」


 流石に焦ったのか、鳳さんは俺の両肩に掛けられたバックを最も簡単に、軽々と持ち上げた。

 もしかしたら、俺が非力なのか?少し悔しくなり背中を丸めると、背中を力一杯叩かれた。


「しゃんとして!持てるようになるから」

「そうだぞ!決してお前が非力なわけじゃないぞ」


 と慰めてくれるが、口元は笑いを抑えきれず二人ともプルプルと唇を震わせている。


「何を笑っとるん?外まで聞こえとるよ?」

「お!美希ちゃんの準備できた?」


 撮影ブースに顔を覗かせた霧島さんは呆れたようにため息をつきながらメイクルームを指差した。そこには、パステルカラーの洋服に身を包み艶のある黒髪の毛先を緩くカールさせた旭さんが立っていた。

 メイクを施した顔は、先ほどの綺麗系な印象とは違いパステルカラーの洋服が馴染むようなかわいらしい顔になっている。

 俺の横では、金剛さんと鳳さんが感激したような声をあげている。


「どうぞ、こちらに」

「比叡くんはこっち」


 鳳さんは手早くカメラの準備を済ませ、旭さんをマスキングテープの目印が交差するバック紙の中心あたりに案内する。その後ろからは関さんやメイク担当の女性、デザイナーが「失礼します」と撮影ブースに入ってくる。

 俺は霧島さんと部屋の隅に移動し、鳳さんの撮影の様子を見学させてもらうことになった。金剛さんは鳳さんと共に旭さんの横に2メートルはありそうなレフ板を置いたりと、アシスタント業務をこなしている。


「じゃぁ、撮影始めまーす。よろしくお願いします」

「お願いしまーす」


 鳳さんの掛け声とともに、撮影が開始された。


 ▽


 撮影が始まり1時間は経っただろうか、旭さんはまるで着せ替え人形のように淡々と用意された衣装を着てはメイクを変え、髪型を変え、鳳さんの構えるカメラの前でポーズを取る。

 鳳さんもデザイナーに提案されたポージングを指示しライティングを変え淡々とカメラのシャッターをきっている。撮影された写真はリアルタイムでデザイナーの操作するパソコンに転送されており、何か要望があれば横に待機している金剛さんに声をかけている。金剛さんはその要望を鳳さんに伝えながら、レフ板の配置やスタンドライトの調節を行っている。


「うちでの商用の撮影は結構バタバタするんよ。今みたいに八重ちゃんがデザイナーさんの要望を聞いて榛名に伝えてセッティングして…」

「他のところは違うんですか?」

「詳しくは知らんけど、テレビとかで時々見ん?モデルさんのドキュメンタリーで撮影しとる様子を撮っとるのとか。あんな感じなんじゃない?」


 霧島さんは撮影の邪魔にならない程度の声量で俺に説明をしてくれる。

 確かに、思っていた感じとは違うなと思った。霧島さんの言った通り、テレビで見るモデルさんが自分でポーズを取り、カメラマンが撮影を行うというのを想像していた。

 撮影が始まった直後は同じようにデザイナーさんの要望通りのポーズを撮影していたが、今は鳳さんがポージングを変更する度にまず自身がお手本を見せ、その通りにポーズを取るよう旭さんに指示している。


「美希ちゃんさ、何でモデルやってんの?」

「美希ちゃん…えっと…小さい頃からファッション雑誌をいつも読んでいて、興味があったんです」

「ふーん。模範解答だねー」

「旭さん美人さんだからパステル系の服よりもシックな大人っぽい洋服の方が似合うと思うなー」

「俺も思った!」


 挙げ句の果てに、カメラのシャッターを押す事もカメラを構えることも無く、鳳さんと金剛さんは旭さんと話しを始めた。ヘラヘラと笑いながら会話をする鳳さんはまるで街で見かけたかわいい子にナンパをしている様で、鳳さんの少し後ろで会話に参加する金剛さんも、近所の話し好きなおばさんのようになっている。そんな二人に旭さんは戸惑いながらも会話をしている。


「じゃぁ、次は暗めの服があればそれに着替えてきてよ!」

「え?わ、わかりました」

「セット変えまーす」


 勝手に話を進める二人に周りの関係者も戸惑いながらも、旭さんをメイクルームへと誘導して行った。


「周りの人達、戸惑ってましたけどこんな感じでいいんですか?」

「いつものことじゃし、契約書にも書いてあって事前の打ち合わせで話しもしとるけん問題はないよ」


 特に焦った様子のない霧島さんは、黙々とセットを変更する金剛さんと鳳さんに目を向けた。俺もつられて目を向けると、金剛さんは白いロングシャツの裾を黒いつなぎ服の中に押し込み、腰に巻いていたつなぎ服の袖を解き腕を通し前をチャックでしっかりと閉める。鳳さんも首にかけていた一眼レフカメラを一旦床に置き、金剛さんと同じようにつなぎ服をしっかりと上まで着る。


「明るい写真を撮るときは自分がレフ板になるように白い服を着て、逆に暗めの写真を撮る時は反射せんように黒い服を着る。今から暗めの写真を撮るけん、二人はつなぎに変えたんよ」


 不思議そうな顔をしていたのか、霧島さんが説明をしてくれた。

 そんな俺たちを他所に、バック紙は滑車の回る音を響かせながら天上へと上げられ、次に天井から降りてきたバック紙はグレーの色をしている。降りてきたバック紙を金剛さんは最初に鳳さんがセッティングした手順と同じように作業を進めていく。

 セッティングの最中も二人は休むことなく口を動かしている。


「美希ちゃん美人だねー。でも、このブランドって感じじゃない」

「絶対頼むモデルさん間違えてるよね?もう一人の美希さんの方がぴったりな気がする」

「本当のモデルの美希ちゃんはもう一人の美希ちゃんだったんかもね」


 また分からない会話をしている。

 もう一人の美希ちゃんとは一体何なのか。霧島さんに聞こうとしたが、それは新しい洋服に着替えた旭さんの登場によって話を聞くことはできなかった。

 旭さんは淡いクリーム色のトップスにダークグレーのワイドパンツを着ていて、さっきまでの可愛いが何か違うと印象ではなく、綺麗目な顔をした旭さんにとてもあっている気がする。同じブランドの服でもここまで印象が違うのかと驚いた。


「おぉ!美希ちゃん良いよ!」

「持って帰りたい!」

「やっぱりそっちの方が似合ってるよー」


 口々に歓声を上げる二人は半ば強引に旭さんをバック紙の上に連れて行き、鳳さんがポーズの見本を見せる。

 鳳さんの指示したポージングに苦戦している旭さんに、早く早くと興奮を抑えられない様子で鳳さんは忙しなく体を動かしている。


「そうそう!そのまま動かないでねー」


 やっとカメラのシャッターが押され、撮影された写真がデザイナーの持つパソコンに転送される。ちらりと画面を見ると、少し影の入った旭さんの顔が印象的な全身写真となっていた。片足を軽く上げこちらに歩いてくるようなポージングになっており、先まで撮影していたパステルカラーの写真とはまるで正反対のその写真は、ブランドイメージを一瞬で変えてしまうほどに目を惹いた。


「次はこんな感じで…」


 と数枚撮影するとポーズを変えるために鳳さんが旭さんの横でお手本を見せる。まるで普段からモデルをやっているような動きに俺は少しだけ鳳さんに興味が湧いた。が、やはり第一印象というものは大切で、興味なんてものは遥か遠くに追いやった。


「きーやんさん、時間はあとどれくらいですか?」

「あと1時間弱かな」

「服は何着残ってる?」

「色んな組み合わせを考えると10パターンはあります」

「きーやん大変!終わらねぇかもー!」

「じゃぁ、喋らずテキパキやりんさい。一回カメラ置いたじゃろ、話ししたいなら喋りながらも撮るんよ!」


 旭さんが次の衣装に着替えに行っている間に、関さんを交え残りの撮影時間と衣装の数を確認する。

 衣装を着替えメイクや髪型のセットに掛かる時間、撮影セットの準備の時間、荷物の運搬などの時間を考えると、どうやら時間がギリギリのようで、霧島さんが腕を組み鳳さんに「時間配分!」と声を荒げた。霧島さんに怒鳴られ萎縮している鳳さんの隣で金剛さんも思い当たる節があるのか目を泳がせていた。

 着替えの終わった旭さんが再びバック紙の中心に立つと、行って来い。と言わんばかりに、虫を追い払う要領で手をしっしっと振った。

 バック紙でポーズを取る旭さんの衣装はパステルカラーの可愛いものに戻っていた。

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