#5 妄想
4日前 photostudio Cendorill☺︎n
冷蔵庫から一口サイズのチョコレートを取り出した霧島は、自身のデスクトップパソコンを操作し、午前中に撮影した夫婦の映像を表示させた。金剛も横から画面を覗き込んできた為、お気に入りのブルーライトカットのメガネを掛け、再生ボタンをクリックする。
「戻ったー!」
「あ、ハルちゃんお帰り」
「あっつい!天気が良いのは良いけど、ムシムシして肉饅とか焼売とか蒸し物の気持ちがわかる気がする!」
外の蒸し暑い空気とともに息を切らした鳳が額から大量の汗を流しながら、倒れこむように事務所の扉を勢いよく開けた。
再生させていた映像を一旦停止させ、丸メガネを放り投げ事務所の床に突っ伏している鳳に目を向けた霧島は、冷蔵庫からミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出し、頭の形が丸い鳳の後頭部にペットボトルを置いた。倒れることなく立っているペットボトルと土台となっている鳳の姿を金剛は笑いを堪えながらスマートフォンで撮影した。
「熱中症って頭がゆで卵みたいになるって言うよね」
「暑いのによく走るね。僕には榛名の気持ちが分からんわ」
「暑いから走るの!晴れの日が俺を呼んでいる!」
突っ伏したままの鳳は頭の上に置かれたペットボトルをゆっくりと床におろし、まだ息の整わない体を仰向けに変え、今度は額にペットボトルをおいた。
大雨にでも打たれたかのように、大汗を流す鳳の髪からは汗の雫が止まることなく事務所の床へポタポタと落ちており、真っ赤な顔からは外の気温と湿度がどれだけ高いかが窺える。
「とりあえず、その汗をどうにかしてきんさい」
「ハルちゃんが戻ってきたら続きやりましょうか」
「え、もしかしてお得いの妄想タイム?すぐ戻ってくる!」
ようやく立ち上がった鳳はさっきまでの様子とは打って変わって、軽やかな足取りで自身のデスクの引き出しからスポーツタオルとつなぎ服を取り出し、シャワールームのある洗面所へと走って行った。
数秒後にはシャワーから水の流れる音がした。
「あいつはサメか何かなんかな?止まったら死ぬんじゃないん?」
「それは困りましたね。ちゃんと止まって編集作業してくれないと私が死にます」
金剛はやれやれと両手を横に広げ、首を横に振ると大きなため息をついた。霧島は開け放たれたままになっている事務所の扉を閉め、デスクに置いたコーヒーを一口飲み、チョコレートの包み紙を開けた。金剛もつられて冷蔵庫からチョコレートを取り出し、口に含む。
しばしチョコレートの甘味に浸りながら、鳳がシャワーから戻ってくるのを待つ。
「このチョコ美味しいですね」
「どこにでも売っとるやつじゃけどね」
「このチョコが1粒500円って言われても信じる気がします。逆にすごく高級なチョコを100円って言われても信じる気がします」
「八重ちゃんとは高級なお寿司とかも食べに行けんね」
「俺とは行ってくれる?八重ちゃんよりは味の違い分かると思うよ!」
スポーツタオルで濡れた頭を拭きながら、つなぎ服に着替えた鳳がペットボトルの蓋を開け、ミネラルウォーターを飲みながらミーティングテーブルに座った。
「ハルちゃん帰ってきたから再開しますか!」
「俺、すごい久々な気がするー!」
テーブルに座ったまま鳳は体を少し前のめりにし、霧島のデスクトップパソコンに表示されている動画に目を向けた。金剛と霧島も画面に目を向け一時停止させていた動画を再生させた。
「このお嫁さんの名前は美希さんで、年齢が20前半でしたっけ?」
「そう。で、旦那さんは聡さんで30後半」
「今流行りの年の差婚ってやつだな」
金剛は自身のデスクトップパソコンに写真を一覧で表示させ、一番最初に撮影した写真を画面いっぱいに拡大した。
どこかぎこちなく見つめ合う二人の表情はこわばり、美希の腰に回された聡の手も触れているのかいないのか、不自然に空を掴んでいる。
最初の写真だからこんなものかと思いながら、金剛はテンポ良く写真を進めて行く。隣の画面ではポージングを指示する金剛の声に混じり、美希と聡の笑い声が聞こえる。
「二人の笑い方ぎこちないねー」
「まだ最初だから緊張してるのかもよ?こっちの写真も緊張した顔してる」
「特に旦那さんの方がガッチガチに緊張しとるね」
霧島の言うように写真と映像のどちらにも映っている聡の表情は固く、口は横一文字に結ばれ瞳は飛び出るのではないかという程に見開かれている。
そんな聡とは対照的に美希の表情は映像が進むにつれだんだんと和らいでいるように感じる。
「美希さんは撮ってても表情豊かで、ノリノリでしたよ」
「俺はこの時いなかったからなんとも言えないけど、美希ちゃんめっちゃかわいいじゃん。幸せオーラが画面からでも伝わる」
「なんでこんなに年の差があるんじゃろうね?」
映像は撮影中常に回しているため、二人の表情の変わり方や緊張の解け方などが鮮明にわかる。
金剛の画面には二人の手元のみの写真が写っている。
聡と美希が握った左拳をカメラの前に突き出しており、二人のつけている指輪のみを大きく切り取った写真となっている。
「この二人の指輪、美希ちゃんのはだいぶ綺麗だね。なんの職業なんだろ」
「確かに…旦那さんのは結構年季が入ってるっていうか…何年もつけてます!って感じがする」
「一般的に指輪は女性の方がずっとつけとるイメージあるけん、ちっちゃい傷とか年季の入り具合だったら美希さんの方があってもいい気がするけどね」
「新しそうだね」
カメラのピントを二人の指輪に合わせているため、ある程度写真を拡大しても鮮明に映し出されている指輪は、傷やくすみなども綺麗に写っている。
霧島はデスクに置いたまま少し冷めてしまったコーヒーを啜り、左手を目の前で広げ平と甲を交互に見た。すると、スッと自身よりも少し大きな手が伸びてきて、指を絡ませるように握られた。その手の主はニヤニヤと締まりのない顔を霧島に向けている。
「やだー榛名のエッチー」
霧島は握られた手を振り払い、汚い物にでも触れたかのようにズボンで手を拭い、イタズラが成功した子供のように笑みを浮かべる鳳の顔をめがけチョコレートを投げた。
「いって!きーやんが凶暴だよー!社長代理ーなんとかしてよー」
「今のはハルちゃんが悪いと思うな。いつかきーやんさんにセクハラで訴えられるんじゃない?」
「そんなんじゃけん、警察のお世話になるんよ」
何か言い返そうと口をモゴモゴと動かしている鳳を他所に、霧島は動画の流れる画面へと目を向けた。
動画の中では、美希と聡が背中合わせになり聡は視線を上に、美希は聡とは逆に視線を下に向けるようにポーズを決めていた。
「どんなに色んなポーズを決めとっても、僕は一番これがしっくりきとるんじゃけど」
「それは私の写真センスが出てますね」
霧島は金剛のデスクトップパソコンを操作し、自身の画面で流れている映像と同じ、二人が背中合わせになっている写真を探した。
金剛が撮影した写真は二人が仲睦まじく向き合っているものが多く、一般的なウェディングフォトと変わらない中、唯一一枚だけ残されていたその写真はライティングも暗く設定されていることから、どこか異彩を放っている。
「あ、じゃぁ私から発表します!」
金剛は勢いよく手を上げ、霧島と鳳を交互に見ると目をキラキラと輝かせた。
「思うに、これはカモフラージュです!」
「カモフラージュ?」
「そう、旦那さんの聡さんには同性の恋人がいる!」
そういうと、金剛は指輪のみを写した写真を表示させた。
「聡さんには別の恋人がいて、その人との恋は周りに秘密にしてる。でも、年齢も年齢だから親に早く結婚してくれ。みたいなことを言われて理解のある友人の美希さんに恋人のフリをしてもらっている。聡さんの両親に納得してもらうためにわざわざここでウェディングフォトを撮影した。この指輪はこの撮影のためにわざわざ買ったから、美希さんの指輪だけ新しいんだよ」
画面に表示させた写真を見ながら、金剛は一人納得したように鼻を鳴らした。
その様子を霧島と鳳は顔を見合わせ苦笑した。
「八重ちゃんは毎回その話を持ってくるけん、ぶれんね」
「仮に八重ちゃんの話が当たってたとして、聡さんの指輪の説明は?」
画面に映る指輪の写真を指差した鳳に霧島も確かにと軽く頷いた。
金剛は自信ありげな顔のまま鳳の方を向き、写真と同じように左拳を突き出した。
「聡さんの指輪はまだ見ぬ恋人とのものだよ!」
「あー…なるほど」
「聡さんと美希さんの指輪はよくよく見たら少しデザインが違うんだよね。似たようなのを選んでるけど…まぁ、ただ単にデザインの違うペアのかもしれないけど」
「でも、その指輪の話はありかもしれんね。じゃあ、次は僕が話してもいい?」
霧島は再生されたままの動画のシークバーを操作し、さっき気になった向かい合わせの写真を撮影している場面まで戻り、停止させた。
「僕はシンプルに本当の夫婦だと思うな」
「その心は?」
「どちらも撮影を楽しんでいたでしょう」
キーボードのスペースキーを高らかに鳴らし、停止させていた動画を再生させる。
再生させた動画からは聡と美希の楽しそうな、恥ずかしそうな会話が聞こえている。『恥ずかしいね』『まだ撮るのかよ』『こんな機会滅多にないんだから』と、そんな会話を繰り広げる二人は何度もお互いを見つめ合いながら幸せそうな笑みを浮かべている様に見える。
『では、次は奥様のみの撮影を行います』という金剛の声に、美希は聡から視線を外しドレスの前裾を持ち上げ次の撮影スペースへと案内する金剛に続く。
移動し終えた美希の後ろから大きなため息が聞こえた。
「楽しそうな本当の夫婦なんじゃけど、訳ありとだと思う」
「訳あり?」
「例えば、先生と生徒とか。美希さんは20歳過ぎてるからどうなのかはわからんけど、大学の先生とその大学に通う生徒で、もちろん周りには内緒の関係」
「私と同じじゃないですかー内緒の関係って…ニヤニヤしますよね」
霧島は締まりのない顔を向けキャスターを転がしながら近づく金剛を無視し、金剛のデスクトップパソコンに背中合わせになっている写真を表示させた。
「僕がこの写真が気になったのは、美希さんは下を向いて悲しそうにしとるけど、聡さんは逆に上を向いて安心しとる様に見えるけん。美希さんはこの撮影が終わったら、また何事もなかったかの様に先生と生徒に戻ってします。聡さんはやっと終わる。こんなところをどちらかの知り合いにでも見られてしまったら大変だ。って、二人の真逆の心情を表しとるみたいに思えたんよね。美希さんの指輪が綺麗なのは、単純に学生だから普段してないだけ」
「めっちゃ切ない!美希ちゃん切ない!」
泣き真似の様に両手で顔を覆い、首を横に振る鳳の頭から髪を拭いていたスポーツタオルが肩に落ちた。
再生されたままの動画では、次の衣装に着替えた二人が小道具の置いてある撮影スペースで変わらず撮影を行っていた。
「だから、外での撮影はしないって言ってたんですかね…」
「まぁ、真実は分からんけどね」
泣き真似をやめた鳳は机から下り、自身のデスクからキャスター付きの椅子を引っ張り出し金剛と霧島の間に割り込む様にして椅子に座った。そのまま、両方のデスクトップパソコンを操作し、うーんと唸りながらゆっくりと写真一枚一枚に目を通す。
「私よりもきーやんさんの考えの方が当たってる気がしてきました…なんか、少女漫画みたいですね」
「そう?少女漫画なんて読まんけん、分からんのんじゃけど」
鳳の後ろでは、霧島に向けた金剛の少女漫画講座が始まっていた。
最近の少女漫画は髪の毛に食べ物がついている。だの、身長差があり過ぎて男性の体が異常な体制になっている。とスマートフォンまで取り出しその画像を検索している。よっぽど面白かったのか、霧島は口元を抑え控えめに笑った。
「それに比べたら、私が好きな趣味本は絵も綺麗で話も良いですし…」
「理解はあって否定もせんけど見ようとは思わん」
少女漫画の表示されてる画面を金剛の趣味の画像に切り替えると、霧島はスマートフォンを遠ざける様に手を伸ばし画面を隠しながら椅子を後退させる。
そんなやりとりは鳳の悩ましげな声によって一時中断される。
「うーん…これは…緊張かぁ…」
鳳は胸の前で腕を組み、謎が解けたと言わんばかりに首を縦に振り口角を上げた。
「おぉ!じゃあ、ハルちゃんの考えを聞こうじゃないか!」
「俺の考えはズバリ、禁断の関係だ!」
「みんな似た様な感じになっとるじゃん」
「まぁまぁきーやん、聞いてくれたまえよ…ブランクを感じさせないこの俺の超推理を!」
呆れた様に背もたれに体を預ける霧島に親指を立てパチリとウィンクをした鳳は、画面に向き直り話を始めた。
「聡さんは他の別の人と結婚してて、只今絶賛美希ちゃんと不倫中ー」
「えー、そんな不倫してる人がわざわざ写真なんて、証拠の残る物撮りにくる?」
「証拠が残るから撮るんだよ」
「あぁ、思い出か」
「そう、思い出!もしくは…当て付け?」
鳳はカラーレンズサングラスのブリッジを押し上げ、薄い色のついたレンズ越しに目を細めた。
「この人はもう私のモノ。っていう証拠を作りたくて、美希ちゃんはバレるの覚悟でここに写真を撮りに来た。逆に聡さんは絶対にバレたくないだろうね。不倫なんてバレたら社会的に終わる」
写真の表示された画面を操作し、撮影前のメイクをしている聡の写真をクリックした。緊張という言葉を具現化した様なその写真は、その場にいた全員がただ単に撮影に対する緊張を前面に出していると思うだろう。だが、鳳はこの緊張は違うものだと言う。
「どうか、俺の愚かな行為が誰にも気づかれませんように。って思ってる緊張だね!」
「なんかそれっぽい!」
「ブランク明けの榛名にしてはいい線いっとるんじゃない?」
「きーやんが褒めてくれる…今日はこの後雨か!?」
「あ、でも、それだったらなんでSNSに写真使って良いって、申込書にサインしたんだろ?」
「それが当て付けだよ。SNSは今や誰もがやってる。うちのホームページにただ写真を載せるだけだと、うちのホームページを見ない限りそこまで拡散力はないけど、SNSだと投稿した瞬間に、それこそ一瞬の間に広がっていく」
鳳は拡大した写真を閉じ、サンドリヨンでも宣伝のために使用しているSNSを開く。サンドリヨンのアカウントには今までに撮影した写真とその写真とともに短い文章が記載された投稿が多く、観覧数を意味するインプレッションは悪くない数字だと思う。
SNSを担当している霧島はその拡散力をよく知っている。
「それは嫌でも目に入るね」
「まぁ、真実はわかんないけどね!受け渡しの時に美希ちゃんが一人できたら決まりじゃない?」
軽く笑う鳳は霧島に投げつけられたチョコレートの包み紙を開き、取り出した黒く甘いチョコレートを見つめ、口の中に放り込む。
「このチョコめっちゃうまい!500円って言われても納得する!」
「だよね!」
「どっちとも一緒にご飯は行けんわ」
そう呟いた霧島は少し嬉しそうに見えた。
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