Violent violet <バイオレント バイオレット>

もげ

Violent violet

「すみません」

 とん、と肩先に当たった感触で反射的に謝罪が口をつく。

 言ったそばからしまったと後悔が押し寄せてきたが、時すでに遅しだった。

 早足に歩み去ろうとする私の肩を、男は悪態をつきながら乱暴につかむ。その拍子に目深にかぶったフードが外れ、中からたくしこんだ黄金の髪が滝のように肩へと流れた。

 男が瞬時に怒りを忘れて息を飲むのが手に取るように分かる。

 私は思わず舌打ちをし、さっと身を引いて大地を蹴り、男が反応するよりも速くその場から逃げだした。

 一拍置いて背後から喚き声が聞こえ、その声を聞きつけて集まってくる群衆を思って男の喉を潰してやりたいと本気で思った。


 細い路地に入ってしばらく身を潜め、計画を台無しにした先の男を心の中で罵倒した。

 まったく、ついてないったら。

 しかしいつまでも後悔し続けないのが私の美点でもあるので、上がった息を整えるとけろりとその計画を諦めた。

 もうしばらくはこのルートは使えないな。

 私は髪を後ろでまとめてねじり上げ、またフードの中にしまいこんだ。輝く金色の髪も陶器のように滑らかで白い肌も宝石のように輝く紫の瞳も、それですっぽりと覆い隠す。

 美しすぎる罪で逮捕するというふざけた法律が現実に横行するこの社会では、私の外見はそれだけですでに死罪に値する。

 それもこれも四年前に立后したばかりの若きアルドラーダ王の妃、アンギルローザ王妃の炎のようなやきもちに起因するのだが、まったくいい大人の醜い我儘に民衆が躍らされるなんてどうかしている。

「フェイ」

 路地の暗がりに呼ばうと、「は」と短く答えて黒ずくめの痩身の男が現れ膝をついた。

「けちがついたから今日はもう帰るわ。馬を手配して」

 御意に、と呟いて男はすぐに闇へと紛れる。

 フェイは全てを失った私についてくる奇特な男だ。かつてと同じように振る舞うことは私の良心が咎めるが、変わらず接する彼の態度を見ると、変わらないことが私にできる唯一の事ではないかとも思えてなかなか態度を改めることは出来なかった。

 懐にしまった子袋からクリスタルの輝きを取り出す。宝石の中には一片の花弁。それは母が愛した菫の砂糖漬けだった。

 甘い砂糖の結晶の中に眠る美しい栄光のかけら。 その最後の一枚を口の中に放り込んで奥歯で叩き割る。

 輝きは口の中で砕けて、後味の悪い甘ったるさを残してじきに消えた。悔しさで涙が出そうだった。


 悪法を次々と打ちたてるアンギルローザ王妃が皇后になったのは、故エメリエンヌ王妃が不運な死を迎えたおよそ一年後だった。

 美しくやさしいエメリエンヌ王妃は民衆から愛され、その息子であるギルデリック王子も誠実な人柄から時期王位に就くということに誰も疑いを持っていなかった。

 2人の妹姫も美しく育ち、それぞれが近隣の国の王子との婚約も決まっていた。絵にかいたような魅力的な王室だった。

 だが、その輝かしい時代も長くは続かなかった。


 悲劇の始まりは王子ギルデリックの死から始まる。

 春先の野に誘われて遠駆けに出かけたギルデリックは、冷たくなって王宮へと帰った。落馬事故だった。

 半狂乱になるエメリエンヌ王妃に追い打ちをかけるように、数ヵ月後、王妃の兄グラバスとその妻であるイエダも旅先で命を落とす。

 暴走馬車による交通事故。

 相談役を失った王妃は茫然自失となり、さらに忍びよる魔の手に気付かずに翌年娘のフェンリル王女をも病気で失った。

 その頃には『呪われた王室』と陰で囁かれるようになり、唯一残ったもう一人の娘であるエルードラ王女を守ろうとする王妃の目は狂人にしか見えなかった。

 王妃はその頃から公には姿をほとんど現さなくなり、信頼できる部下数人に守られた王宮の奥にある隠された館に閉じこもりっきりになる。

 そしてエルードラ王女15歳のみぎりに王宮で内々に開かれた成人式典にて、ついにエルードラ王女にも不幸が降りかかってしまった。

 式典の真っただ中でシャンデリアが落下。真下にいたエルードラ王女の命の火はそこで儚くなる。

 ……ただし不思議なことに、巨大なシャンデリアが綺麗に片づけられたころには、その下にあった死体は消えていたという。

 狂った母が死体を手で掘り起こし、奥の館で綺麗な服を着せて生きているように話しかけているとも、呪いの犠牲者の体は悪魔の生贄になったとも言われるようになったが、真実は依然闇の中であった。

 そしてそのわずか1カ月後。不幸を一身に受けたエメリエンヌ王妃自身もまたその運命から逃れることもかなわず、自室で息絶えているのが発見された。

 公式な発表では病死とされたが、その死に関してはいまだに様々な憶測が後を絶たない。

 ともあれ、呪われた王妃の血筋はそこでぷっつりと途絶えてしまう。


 一方、嘆きの王アルドラーダはと言えば、がっくりと肩を落としたのはわずか半年ばかりのみで、続く半年では娘ほども若いアンギルローザに骨抜きにされてあっさり翌年には再婚を果たす。

 エメリエンヌ王妃を愛した民衆は当然眉をひそめたが、暗い話題ばかりだった王室に久しぶりに戻った明るい話題に、人々はやがてそれを受け入れていった。

 だが、しばらくしてそれは大きな間違いであったと気付く。

 美しく若いアンギルローザ王妃は、次第に生来の傲慢さで国政に口を挟んでいく。

 彼女は非常に美しかったが、自分以外の美しさは決して認めなかった。

 国中の若い娘は顔を出して歩くことは許されなくなり、基準以上の美しさは罪とされ、顔立ちの整った子供が生まれると傷をつけることすら強要した。

 民衆の不満は高まったが、王妃が編成した騎士団に恐怖して誰も口を出すことは出来なかった。

「美しすぎて、何が悪い。誰に迷惑をかけるわけでもなし」

 口に出してみるとなんだか滑稽で笑えた。

「馬の準備が整いました」

 いつの間にか現れたフェイが現れて膝を折って、今の言葉は聞こえたかしらと思わず口に手を当てた。

 だが彼はぴくりとも表情を変えずに馬を私にあてがった。

 私はその心遣いをありがたく思って黙って馬に跨がり、短く掛け声をかけて馬の脇腹を蹴ると、馬首を巡らせてすぐに寝床へと引き返した。


 チャンスはまさに天から降るかのごとく唐突に訪れた。

 たまたま足を運んだバルデスの村の祭りで、王妃がお忍びで見物に来ているという情報をつかんだ。

 王妃はお忍びでも常に数人の腕ききの騎士を従えているということは有名だったが、しかし王宮から遠く離れた地であれば、それでも十分にチャンスと呼べた。

 私はすぐにバルデスの祭りの踊り手に志願し、村娘に交じって風の神の面をつけて舞台に立った。

 魅惑的で美しいダンスを披露すると客席からはため息があがった。

 私は面の奥から王妃に流し眼を送り、ことさらに腰を振った。

 王妃がはがみして炎のように燃える赤い目をたぎらせたのが分かる。私は成功したのだ。必ず王妃は接触してくるはずだ。


 しかしまさか突然殴られるとは思ってもいなかった。

 楽屋に戻るなり、王妃は乱暴に戸を開けたててつかつかと歩み寄ると、私の頬を張り飛ばした。

 フェイが反射的に剣を鞘走らせるのを右手を上げて制する。

 殴られた拍子にはじけ飛んだ面の下から金色の髪が落ち、紫の瞳で睨みつけると、王妃は驚いた顔をし、次いで鬼の形相で喚いた。

「この娘を殺せ!」

 さすがに気付いたのかもしれない。私と母は瓜二つだから。

 王妃の取り巻きの二人の騎士が剣を抜き、フェイは舌打ちして私を引きたててその背に隠した。

「悪魔の娘よ。国を悪へと導く呪われた子よ。その顔がその証拠!お前たち早く処刑を」

 フェイが、さっと躍り出てきた背の高い騎士の剣を素早い動きで払い、続いて半歩後ろから切りつけてきた赤毛の男の脇腹を薙いだ。

 完全に油断していたと見えて一発目は綺麗に決まったが、フェイの腕が予想以上にたつことを知った彼らは次の瞬間には座った目を向けて絶妙な距離を取った。

 そうなれば腐っても国お抱えの騎士団。それも王妃を守るために選ばれた精鋭二人だ。多勢に無勢ではフェイに万一でも勝てる見込みはなかった。

 それでも彼は戦うだろう。誓ってもいい。私が命じなければ逃げるなんて真似は絶対にしない。

 だから私は剣を抜いた。こんな機会は死んでも絶対に二度と訪れないと分かっていたから、無謀だと分かっていても自ら可能性を絶つことはできなかった。

「なんだいやる気かい?」

 うすら寒い笑顔で見下す王妃。私は震える足で立ち上がる。

「そうよ。これは母の仇……。菫の砂糖漬けに覚えはあるわね?」

 王妃はきらりと目を光らせて、そして鼻で笑った。

「あんな甘ったるい食べ物のどこがいいのか。私はちょっとスパイスを入れてやっただけの事よ」

 その言葉だけで十分だった。私は大声をあげてフェイを押しのけると、全身全霊を込めて右手を突き出した。

 途端に腹部に鋭い痛みが走り、甲高い音を立てて短剣が地面を滑る。もつれた足に躓いて肩から地面に転がると、血の味がして目の前が暗転した。

 しかしここで意識を手放すわけにはいかなかった。恐らく騎士のどちらかが私を切ったのだろう。でもそれを確認することすら時間の無駄だと感じた。

 ぐぅ、というくぐもった声は騎士のものだったのかフェイのものだったのか。

 しかし私は懸命に目を開くと、まっすぐに王妃の赤い目を見据えて逸らさなかった。王妃の目は少しうろたえたように見えた。

「私は」

 声を出すと下腹部が激しく痛んだ。思わず閉じそうになる目、しかし私は意地でも瞬きひとつしなかった。負けるな。痛みなど大したことではない。

「私は……あなたを引きずり下ろす為だけに今日まで生きてきた……。母がくれた命は復讐のためにある」

 『殺される』と言っていた。王宮の奥で母は常に暗殺者の影に怯えていた。

 死んだことにして私を逃がしてくれた母は、好物の菫の砂糖漬けを握らせて私に繰り返し言い含めた。ここを出たらどこか遠くの田舎へ行き、何もかも忘れて静かに暮らせと。

 だが、そんなことは出来るはずがなかった。兄の死も伯父母の死も妹の死も、全て疑惑の渦の中にあった。

 そして母が亡くなった時、半分かじった菫の砂糖漬けがその傍らにあったと聞いて疑いは確信へと変わった。

 アンギルローザ王妃の生家、グレイドラント家の専売特許は毒の調合だ。そして閉ざされた王宮の奥の館にいる母へ届けられていた菫の砂糖漬けを運んでいたゾルアソ人の商人は、その後調べを進めた結果グレイドラント家から多額の資金を受け取っていたことが分かった。

「私はあなたを許さないわ。たとえ命を奪えずとも……故エメリエンヌ王妃の忘れ形見、エルードラ・ド・フォンデンブルグが現王妃アンギルローザに復讐の刃を向けたという事実はもはや消せない」

 刃を向けていた騎士二人が息を飲むのが分かった。

 いつの間にか楽屋の周囲に集まってきていた民衆も一斉にざわつき始める。

「……なんのことやら。ふん、この娘がエルードラ王女だと?どこにそんな証拠がある?これは私を陥れようとする陰謀だわ。王女は死んだのよ。シャンデリアに頭を潰されてね!」

「証拠……?そんなものが必要?」

 私は膝と手で重たい体を持ち上げた。力の入らない膝をどうにか奮い立たせて立ち上がると、姿勢を正して優雅な仕草で周囲を一瞥した。

「……この髪、肌、目、どこをとってもエメリエンヌの血を引いていることは明白!それ以上になにか証拠が必要だとでも!?」

 幸運だったのは、騎士二人の心に一瞬の迷いが生じたことと、例のうめき声はフェイのものではなかったということだった。

 残った力を振り絞り、袖に仕込んだ守り刀を投げると、それを防ぐものは何もなかった。

 ぎゃあ、という獣のような声がして、王妃が顔を押さえた。

「顔が……!!ああああ!私の顔がぁ」

 その後すぐさま正気を取り戻した騎士二人に私は拘束された。

 王族を傷つけた私は死罪は免れないだろう。フェイに至っては法廷に上る前に殺されてしまうのは確実だ。

 でも私は満足だった。彼女にとって一番大切なことは自らの美しさだったから。

 喉の奥から笑いがこみあげてきて、私はずっと笑い続けていた。なんてくだらないことだろう!ああ!なんて!なんて……!!なんて悲しい私の人生!

 そして私はくず折れて、冷たい大地に眠った。目覚めることは、もうなかった。

(終)

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