第135話 『襲撃と犠牲』

 少し前までの和やかな食事風景は一変し、誰もが恐々となる。

 マリアの誕生会に集まった参加者たちは、ジリジリと迫ってくる狼の群れに後退りすることしかできない。

 だが、彼らの護衛の一人の大男が、大きな剣を片手に前に出る。


「狼ごときに遅れは取らぬ!」

 大男の勇ましい声に、他の護衛達の何人かも前に出る。そして彼らは、自ら狼の群れに突っ込んでいった。


「あなた達は護衛でしょうが! 守りに徹しなさい! これだけの数の狼が、何故集まっているかを不審に思わないの!」

 リニアが大声で指摘するが、男達の耳には入らないようで、彼らは思うがままに武器を振るう。


 しかし、流石に貴族の護衛を務める者たちである。その腕は決して狼に引けを取るようなものではなかった。


 そう、彼らは十分に勝つことができた。……この狼のからくりを知っていれば。


「ぬぅん!」

 大男の大剣がひと凪で三匹の狼の首を飛ばした。そして更に逆凪の攻撃で更に三匹の首を飛ばす。

 大剣を軽々と振り回す、凄まじい膂力だ。

 

 けれど、それを見ていたジェノは違和感に気づく。

 首を飛ばされた狼達は、ただの一匹も血を流してはいない。狼達は、一瞬にして、長方形の紙に変わったのだ。


「その紙も斬りなさい! 早く!」

 リニアの叫び声が響くが、雄叫びをあげて剣を振るう男達には届かない。

 それどころか、攻勢に転じたほうが有利と判断した他の護衛の二人も、彼らに加勢しようと前に出ていく。


 大男の剣は凄まじかった。一振りごとに狼を紙切れに変え、突き進んでいく。だが、彼は前だけを見すぎていた。

 自分が斬った狼が紙に変わったことを確認したものの、その紙が再び狼の形を取って襲いかかってくることに気づかなかったのだ。


「うがっっっっ!」

 大男のくぐもった声が響き渡る。

 彼の足首に、紙から狼に戻った数匹が噛み付いたのだ。


 狼を斬った時とは異なり、大男の足首からは血が溢れ出す。


「なっ、うっ、ああああああ!」

「そんな、コイツラは不死身な、あっ、うわぁぁぁっ!」


 大男に加勢に行った護衛達も先行しすぎた。そのため、紙から狼達に戻った数匹の牙を足首に受けて、その場に倒れる。

 後は、もう一方的な攻撃が、無慈悲な大量の牙が男達を襲っていくだけだった。


 狼達は執拗に男達の首や腹や股間を襲う。

 どこを攻撃すれば早く相手を殺せるのかを理解しているのだ。


 三人の男だったものは、見るに無残な肉塊に変わり、緑の芝生に赤い池を作り上げた。


 悲鳴があちこちで上がり、腰を抜かして動けなくなる者さえいた。

 護衛達は武器を構えながらも動けずに居る。下手に動けば、先の三人と同じ末路が待っているのだ。


 それはもちろん子供達も同じだった。


「あっ、あああっ……」

「うっ、あっ……」

 ロディとカールも後ろを見ているようにジェノが言っていたのに、悲鳴につられて護衛の人間が噛み殺されるのを見てしまったのだ。そのショックは大きい。

 体を震わせて、過呼吸ぎみな呼吸になってしまっている。


「いやぁぁぁぁぁっ!」

 マリアは泣き叫びながらジェノに抱きつく。

 ジェノは、そんなマリアの体を抱きしめ、震える自分に活を入れて、前を見る。


「先生。このままじゃあ、他の人達が……」

 ジェノはリニアに声を掛ける。先生なら、あんな狼達にだって負けないと信じているから。

 だが、リニアは前を向いたまま低い声で、


「……ジェノ。今は、自分達が助かる方法だけを考えていなさい」

 

 そう言って黙り込んだ。


「くっ……」

 ジェノは悔しさに拳を握りしめる。


 自分達がいなければ、先生は自由に戦えるのに。

 せめて自分がもう少し強ければ。こんな何人もの犠牲者を出さなくても済んだかもしれないのに。

 

 これでは同じだ。

 今でも夢に見ることがある、ロウが殺されてしまったあの時と。


「あっ、ああっ……。ジェノ! 狼が!」

 マリアの声を聞き、ジェノはそちらを向く。


 建物を周って来たのだろうか?

 狼が二匹、こちらに向かって襲いかかってくる。


 ジェノは腰の剣に手をやろうとしたが、マリアに抱きつかれているため、思うように体を動かせない。


 しかし、狼達はジェノ達の近くにやって来るとすぐに、紙に変化し、更にその紙が真っ二つに斬り落とされた。


「先生……」

 リニアは前を睨みながらも、一瞬にして狼達を斬り捨てたようだ。真っ二つにされた紙も、灰になって消えた。


「……ここまでするの。……あの外道は……」

 背中しか見えないが、リニアは明らかに激怒していた。

 ただジェノは、彼女の言葉に違和感を覚えたが、今はそんな事を気にしている場合ではないと頭を切り替える。


 周りの狼達は、また少しずつ距離を詰めて他の出席者達を追い詰めていく。

 このままでは、さらなる犠牲者が出てしまう。

 だが、無力な自分には打つ手がない。

 ジェノは悔しさに体を震わせる。


 しかし、ここで思わぬことが起こった。

 突然、狼達は一斉に参加者たちに背中を見せると、散り散りに逃げ始めたのだ。


「……逃げていく……。狼どもが逃げていくぞ!」

 貴族の一人の男性が上げたその声に、多くの者が安堵する。


 護衛の中には、何か別の攻撃があるのではと危惧しているものも居たが、狼達が去ってしばらくしてからも、それはなかった。


「マリアちゃん、お父さんのところに今のうちに移動を。ロディ君とカール君。護衛の人は無事? それなら、彼らのところに。ジェノ、君は私と一緒についてきて!」

 リニアは安堵する貴族達とその護衛をしり目に、子ども達に指示を出す。


 ロディとカールは頷いて、自分の護衛のもとに駆け寄る。

 しかし、マリアは、嫌々と言わんばかりにジェノから離れようとしない。


「マリア。僕は先生と行かなくちゃいけないんだ。お父さんのところに行って。すぐに戻ってくるから」

 そうジェノが言い聞かせたおかげで、マリアはなんとか彼から離れて、彼女を守るために駆け寄ってきていた、父親と護衛のもとに行く。


「皆様は、どうかこちらでお待ちを。私たち二人で、被害を確認してきます。くれぐれも油断はなさらぬようにしてください」

 リニアはマリアの父にそう言って頭を下げると、返事を待たずにジェノの手を引いて小走りに駆け出す。

 ジェノは無言で手を引かれるままに走る。


「くっ。やってくれたわね……」

 リニアは怒りを顕にする。


 別荘の入り口まで戻ってきたジェノたちが見たのは、無残な死体の山。それには、人間だけでなく、馬も含まれている。

 馬車用の馬と御者が全員、噛み殺されていた。


「ジェノ。ごめんなさい。本当なら子どもにこんなものを見せたくはないのだけれど、今は時間がないの。これから、別荘の中に入って生存者を探すから、手伝って!」

「はい、先生!」

 ジェノは恐怖や嫌悪感以上に、怒りを覚える。

 そのため、弱気になって体が動かなくなることはなかった。


 ただ、リニアに手を引かれて別荘に入る前に一瞬だけ振り返り、


「ごめんなさい。僕のせいで……」


 と心のなかで謝罪し、殺されてしまった者たちの冥福を祈るのだった。

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