第136話 『ノブレス・オブリジェ』

 別荘の中を探し回った結果、幸いなことにそこで仕事をしていた人たちは無事だった。

 リニアは訳がわからずパニックになりそうな人たちを落ち着かせて、今現在の食料と飲水の備蓄を聞いた。

 結果、食料はあと一食分程度は残っており、水は容器に溜めてあるものがあるため、こちらも一日は持つとのことだ。


「この水は持ち込んだものですか?」

「はい。生憎とこの山で水の湧くところはないようです」

 料理人の一人から話を聞いたリニアは、水を入れる小さな容器の存在を確認し、それに水を入れるように指示を出す。


 そして、それが終わったら庭に避難するように伝えて、リニアはジェノを連れて別荘の入口付近に戻る。


「ジェノ。これから私が言うことをよく聞いて」

「はい、先生」

 リニアが小声で言ったので、ジェノも小声で応える。


「一つは、ここに来るまでに話した、君が狙われているという話を決して他の人にしないこと。これが知られてしまったら、君だけではなくて、君のお兄さんとペントさんにも迷惑がかかってしまうわ」

「はい」

 ジェノは頷く。


「もう一つは、これから私がある提案をマリアちゃんのお父さん達にするけれど、決して口を挟まないこと。私がおかしなことを言っても、誰かが腹の立つことを言っても、黙っていて」

「はい、分かりました」

「うん。よろしい」

 リニアはそう言ってジェノの頭を撫でると、ジェノと一緒に庭に戻る。


「おお、どうだったのかね、被害の状況は?」

 護衛二人を同伴させて、マリアの父がジェノ達に歩み寄ってくる。

 それを見て、リニアが膝をついたので、ジェノもそれに倣う。


「はい。報告をさせて頂きます。まず、馬と御者が全員噛み殺されておりました。そのため、馬車はもう使い物になりません。そして、こちらは確認できておりませんが、この状況から、見張りの人間も同じような状況であると思います」

「ぬぅ、そうか……」

「幸い、家屋の中に居た方達は全員無事です。食料はあと一食分。水は、あと一日分は確保されております」

 リニアは淡々と報告を続ける。


「ですが、生憎と我々を襲ってきた、紙を狼に変える魔術師の姿や形跡は残っておりませんでした。襲撃の理由はわかりませんが、この誕生会を狙ってやってきたということは……」

「我が家に恨みを持つ者と考えたほうが良さそうだな」

 マリアの父はそう判断した。そう判断するようにリニアが話を持っていったのだ。


 周りの貴族達達の非難の視線が、マリアの父に向けられる。

 けれど、本来それは自分に向けられていたはずのものだとジェノは理解する。


「……」

 ジェノは黙ってリニアの話を聞いている。

 けれど、先程見た無残に殺されている人々や馬たちを思い出し、拳をギュッと握りしめた。


「私に一つだけ策があるのですが、それを皆様にご提案させて頂きたく存じます。どうか、ご許可を頂けませんでしょうか?」

 平伏したまま、リニアはマリアの父に伺いを立てる。


「ああ。構わん。話し給え」

「ありがとうございます。皆様に声が届くよう、立ち上がらせて頂きます」

「よろしい。許そう」

 何もできないのに、偉そうな態度をとるマリアの父に思うところはあったが、ジェノは決して口を挟まない。


「皆様、これより一つの策を提案させて頂きます」

 リニアはそう言って話し始めた。これからどのような行動を取るべきかを。


 それは、単純な作戦だった。

 簡単に話をまとめると、リニアとジェノの二人が単独で行動をして、助けを呼ぶために山を降り、ほかの人間はこの場に留まって救援を待つというものだ。


「私とこの子で助けを呼んでまいります。どうしてもこの役は必要です。これをしないと、先程の狼が助けに来た人間を襲い全滅させる可能性があります。そうなると、助けが更に遅れます。食料の備蓄が少ない中で、それは致命になりかねません」

 リニアは丁寧に説明をしたが、マリアの父以外の貴族から文句が上がる。


「お前たちのような平民の女と子供に何ができる。もっと優秀な者に助けを呼ぶ役を任せたほうがいい」

「所詮は女の浅知恵。そんなことをして時間を浪費しては相手の思うつぼだ。食料を持てるだけ持って、みんなで下山した方がいいに決まっている」

「一案としては検討しなくもないが、我々が平民の意見を聞かねばならぬ義理はない」

 今まで恐怖で口を噤んでいた貴族たちは、リニアの意見が出た途端、急に元気を取り戻し、口々に彼女を批判し始めた。


 ジェノは腹が立って仕方がなかったが、それを顔に出すまいと懸命に自分を律する。

 先生とした約束を守ろうと懸命に頑張る。


「恐れながら、私以上に優秀な方を助けを呼びに出すというのは、その分、ここの守りが手薄になるということです。

 大事な御身が危険にさらされるということ。そのようなことは決して望ましくありません」

「んっ、ぬぅ、たっ、確かに……」

 リニアはひとりひとり、批判をしてきた貴族たちの目を見て意見を述べる。


「また、皆で下山をする場合ですが、ご高齢なお方や女性も多数おられますので、これも難しいかと。加えて、四方八方からの攻撃に備えるには、護衛の数も心もとない状況ですので……」

「……くそっ!」

 面白くなさそうに悪態をつく貴族に、ジェノは歯を食いしばって文句の言葉が出ないように耐える。


「そして、仰るとおりです。私のような平民の戯言に、貴族の皆様が耳を傾けられる必要などございません。ですが、どうか、私めに、貴方様達の尖兵として働く名誉をお与え頂けないでしょうか? このとおり、伏してお願い致します」

 リニアは膝を地に付き、深々と頭を下げた。

 ジェノもそれに倣う。


「ふん。平民の、ましてや小娘に、何故、私達が栄誉を施してやらねばならぬというのだ? 思い上がりも……」

 貴族の男がネチネチと文句を言っていたが、その言葉を遮る者が現れた。


「ノブレス・オブリジェ……」

 そう口にしたのは、白髪の老紳士だった。

 一見すると小柄な好々爺といった風貌だが、彼が口を開いた途端、辺りが静まり返った。


「高貴なる者の義務。人の上に立ち権力を持つ者には、その代価として身を挺してでも果たすべき重責がある、という意味だ。

 まぁ、そちらの小さな騎士君にも分かるように簡単に言えば、普段偉そうにふんぞり返っているんだから、何か事が起こったときは働けという意味だね」

「レーナス侯……」 

 好々爺然としたその紳士の何が恐ろしいのかわからないが、文句を言っていた貴族の男は、彼の名前を呼んだきり黙り込む。

 

「本来であれば、こういうときこそ我々貴族の男子が、率先して危険を引き受けなければならない。だが、いかんせんワシは年を取りすぎた。正直、今のこの状況では、なんの役にも立てん。だから、これくらいのことで許しておくれ」

 レーナス侯がリニアの前に歩み寄ると、マリアの父も彼に道を譲る。


「エルマイラム王国が侯爵、ジュダン=レーナスの名において、リニア嬢、そなたに命ずる。見事この窮地をその剣で打ち払い、援軍を連れてまいれ」

 朗々たる声で、ジュダン=レーナス侯はリニアとジェノに命じた。


「はっ。必ずや使命を果たしてご覧に入れます」

 リニアは片膝立ちになり、その命令を承った。


 それを見たジュダン=レーナス侯は、また好々爺の顔に戻り、踵を返して他の貴族たちを見る。


「さて、この決定に異議のあるものはワシに直接言ってくるといい」

 そう言うと、彼はまた振り返り、ジェノの前に立った。


「ジェノ君だったね。平伏ではなく、膝立ちになり給え」

「はい!」

 ジェノははっきりと応えて、膝立ちになる。


「君は、今日限定ではあるが、すでにマリア嬢の騎士だ。彼女を救うためにも、リニア嬢の言うことをしっかり守り、彼女の手助けをしてほしい。できるかね?」

「はい。必ず!」

「ふっ、ふふふふふっ。その年で肝が座っておる。将来が楽しみだ」

 ジュダン=レーナス侯はそう言って笑うと、ジェノの頭を優しく撫でて微笑んだ。


「さて、皆の者、我々はここで気長に助けが来るのを待つとしよう」

 その呼びかけに、他の貴族たちは渋々ながらも「はい」と頷いた。


 こうして、ジェノとリニアは救援を呼ぶための使命を賜ったのだった。

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