第134話 『宴にて』

 マリアには何人もの大人が挨拶にやって来る。

 幼いとはいってもマリアも貴族としての教育を受けているので、慣れた様子で会話をしている。

 だが、彼女の傍らに立つジェノには、非常に居心地が悪かった。


 誰もジェノの事については触れないし、話しかけても来ない。

 それは、下賤な平民の子などに語る口など無いという意志の現れなのだろう。


「もう、失礼しちゃう。今日のジェノは、いつも以上に素敵で格好いいのに、どうしてみんな何も言わないのかしら!」

 招待客の挨拶を一通り終わらせたマリアは、一人憤慨する。


「マリア。僕は平民なんだから当たり前だよ。君の誕生会での護衛役なんて仕事、本当は僕なんかがやることではないから」

「……ごめんなさい。突然こんな事をお願いして……」

 そう言ってマリアは泣き出しそうな顔をする。


「いいよ。マリアも大人の人より、遊び慣れている僕の方が、きっと気が楽だったんでしょう?」

 ジェノはフォローを入れたつもりだったが、マリアの頬が、ぷくぅと膨らんでしまう。


「違うわよ! 私はジェノに護衛してもらいたかったの! 他の誰かじゃあなくて、絶対にジェノじゃないと駄目なの!」

「僕じゃないと駄目? それって、どういう意味?」

「もう!」

 マリアはなぜか怒り出し、ジェノの手を引っ張り、家屋の方にズンズン歩いて行く。


「マリア様、どちらに?」

「マリア様、いけません。本日の主役が、宴を離れるなど!」

 護衛の男と側仕えの侍女らしき大人が駆け寄ってくるが、マリアは「すぐに戻るから、誰もついてこないで!」といい、ジェノの手を引っ張って家屋に入ると、すっと扉の影に移動し、周りに人がいないことを確認する。


「マリア。護衛の人達から離れたら危ないよ。早く戻ろうよ」

「ジェノ!」

「えっ? なっ……んっ……」

 ジェノの言葉は最後まで続かなかった。

 彼の唇を、マリアが自分のそれを当てることで塞いだのだ。


「なっ、まっ、マリア……」

 それは一瞬のことだったが、ジェノは驚きのあまりに呆然としてしまう。


「これが、貴方じゃないとだめな理由よ! もう、ジェノの馬鹿! 私、初めてのキスは貴方からして貰いたかったのに!」

「……あっ、その、ぼっ、僕は……」

 珍しく慌てるジェノに、マリアは赤面しながらも、満足そうに微笑んだ。


「でも、最初からこうしておけばよかったのね……」

「マリア……」

 ジェノは何とか気持ちを落ち着かせ、突然顔を俯けたマリアを心配する。


「ジェノ。お願い。今日だけでいいから、私の騎士になって」

 マリアは突然顔を上げたかと思うと、笑顔でジェノの手を両手で包み込む。


 ジェノは断ろうと思った。

 自分は誰かに狙われている可能性がある。マリアをそれに巻き込むわけには行かない。


「あっ……」

 けれど、ここでジェノはリニアとの三つのお願い――言いつけを思い出した。


「うん。分かったよ」

「ありがとう、ジェノ! 大好き!」

 マリアはジェノに抱きついてきたので、ジェノは彼女を受け止める。


「嬉しい、ジェノ。本当に、本当にありがとう……」

「……マリア、どうしたの?」

 ジェノはマリアの顔を見て驚く。彼女は泣いていた。涙をこぼしていたのだ。


「あっ、その、ごめんなさい。あんまりにも嬉しくて……」

 マリアはジェノから離れると、涙を指で拭う。


 ジェノはそんなマリアに、どう声を掛けるべきか分からなかったが、どうすればいいか懸命に考え、マリアに手を差し伸べて微笑む。


「マリア。とりあえず皆のところに戻ろうよ。僕は今日、君とずっと一緒にいるから」

「うん!」

 マリアは満面の笑みを浮かべ、ジェノの手を取る。


 こうして二人は会場である庭に戻った。すると、すぐにリニアの姿が目に入ってきた。

 彼女は手をつないだジェノとマリアに、にっこり微笑みを向けてきた。


 先程のマリアとのやり取りも見られていたのかもと思うと、ジェノは気まずい気持ちになる。




 ◇




 誕生会はつつがなく進んだ。

 とはいっても、あくまでも成長した娘を見せるという名目で、他の貴族たちと誼を持つことが目的のようなので、マリアはただ決まった席に座っていればいいだけだった。

 その結果、ジェノもマリアの隣で話をしたり食事を楽しんだりしたが、できればロディとカール、何より先生と食事をしている方が気楽だと思った。


「いいなぁ、ジェノの奴……」

「ジェノばっかり狡いよな!」

 カールとロディの怨嗟の込められた声が遠くの席から聞こえてきて、ジェノはそんなに羨ましいのなら代わってほしいのにと思う。


「ねぇ、ジェノ。これも美味しいわよ」

「うっ、うん。大丈夫だよ、自分で食べるから」

「駄目よ。ほらっ、あ~ん」

 フォークに茹でた海老の身を刺して、ジェノの口の前に差し出してくるマリア。


 どうして周りの大人は誰もマリアを止めないのだろう?

 ジェノはそれを疑問に思う。


 侍女の何人かが注意をしようとして、マリアに睨まれてすごすごと引き下がったのは分かる。けれど、貴族の娘と平民の少年が仲良くしているところを、貴族の集まる場所で見せることがいいこととは思えない。


「次は、私に食べさせて」

 仕方なくマリアの差し出してきた海老を口に運ぶと、今度はそう催促をされた。


 こんな落ち着かない食べ方なんてしたくない。ゆっくり味わって食べたい。

 喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ジェノは自分の皿の海老をフォークに刺し、マリアの口に運ぶ。


「う~ん。ジェノに食べさせてもらうと、格別に美味しいわ」

 マリアは満足げな笑顔で言う。

 誰に食べさせてもらおうと海老の味は変わらないとジェノは思う。


 困ったようにジェノは横目でリニアを見る。しかし、そこで彼女の顔が険しいことに気づく。

 ジェノは立ち上がり、周りに視線を走らせる。


「ジェノ、どうしたの?」

 マリアが心配そうに尋ねてきたが、ジェノにもまだ何が起こるのかわからない。だが、今はすぐに動ける体制になっておいたほうがいいはずだ。


「ジェノ、マリアちゃん。それに、ロディ君とカール君も、私のそばに来て!」

 周りのことなど気にしない大声で、リニアは子ども達に集合を掛けた。


「マリア、着いて来て! ロディ! カール! 二人も、先生の側に来て、今すぐ!」

 ジェノはマリアの手を取って、さらに友人たちに声をかけ、リニアの元に駆け寄る。

 ジェノのただならぬ雰囲気に、ロディとカールもリニアの元に駆け寄ってきてくれた。


「あの、いったいどうなされました?」

 心配して侍女の一人が話しかけてきたが、リニアは相手にしている時間はないとばかりに大声を出す。


「皆さん、急いでこの庭の中心に集まって下さい! 護衛の皆さんは、それらを守るように円陣を組んで!」

 リニアは大声で指示を出すが、皆驚くばかりで、目をパチパチさせるか、怪訝な顔をするだけだ。


「今すぐ言われたとおりにして下さい! 私達はもう包囲されてしまっています! このままでは、守りきれません!」

 リニアは懸命に訴えるが、参加者達は誰も行動に移ろうとはしない。


「護衛の皆さん! せめてあなた達だけでも武器を構えて! どうしてここまで接近されているのに、誰も気が付かないのですか!」

 リニアはそう言って剣を構える。


「リニア殿。いったいなにを言っておるの……」

 マリアの父がリニアに説明を求めたが、もう手遅れだった。


「いっ、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 女の甲高い悲鳴が上がった。

 しかも、一箇所だけではない。何箇所からもだ。


「あれは……」

 庭のあちこちから、姿を見せたのは、四足歩行で歩く獣。

 ジェノも図鑑でしか見たことがない生き物、狼だった。


 十匹や二十匹ではない数多くの狼が、殺気をまといながらこちらに迫ってくるのだ。


「馬鹿な! 見張りは何をしていたのだ! 衛兵、早くこの獣を追い払え!」

「まずは、私を守りなさい!」

「何をしている、まずは我々の護衛が先だ!」

「子供の、マリアの守りが優先だ!」


 出席者達はパニックを起こし、好き勝手に声を発する。そのせいで、護衛の者たちに命令が上手く伝わらない。

 そのため、護衛の対応も遅れる。

 武器を抜いているのはまだましな方。未だに何をすべきか分からずに、おろおろしている者さえ居る。


「ジェノ。マリアちゃん達をお願い。そこから動いては駄目よ。大丈夫。あなた達には指一本触れさせないから」

「はい、先生!」

 ジェノはリニアに応え、震えて抱きついてきたマリアを安心させるようにポンポンと背中を叩く。


「ロディ、カール。二人も絶対にここから離れないで。そして、先生の後ろを二人で分担して見ていて。僕は左を見ているから、マリアは右を。なにかあったら、すぐに教えて!」

「おっ、おう」

「分かった」

「うっ、うん!」

 三人の返事を確認し、ジェノはリニアの左を、他の皆が集まっている方を見る。


「いい指示よ、ジェノ!」

 リニアは一瞬口の端を上げたが、すぐに真剣な表情になり剣を握る。


 周りを囲む狼の数はどんどん増えていく。

 ジェノはその事に恐怖を覚えながらも、今はただリニアを、自分の先生を信じることにするのだった。

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