第131話 『買い物』

 ジェノは夕食の時間に、ペントとリニアに誕生会に招待されたことを話した。

 特段、反対される理由はないので、二つ返事で許可が貰えると思っていたのだが、二人は困った顔をする。


「何か、まずかった?」

 不安になり、ジェノが尋ねると、ペントは不安げな表情で口を開く。


「いえ、坊っちゃん。男爵家から招待を頂くというのは大変名誉なことです。ですが、この街から離れたところで行われるというのが、ペントは心配で……」

「ああ、そうだね。でも、きっと馬車か何かを用意してくれると思うから、大丈夫だよ。それに、先生も一緒に招待されているし」

 ジェノはそう言って笑顔でリニアの方を向いたが、彼女は眉間に皺を寄せて何かを考えている。


「先生?」

 ジェノが心配して声を掛けると、リニアは小さく嘆息した。


「お貴族様のご招待って事は、断るわけには行かないわよね。困ったなぁ。何を着ていけばいいかしらね?」

 リニアはそう言って苦笑し、う~ん、と考え続ける。


「大丈夫だよ。先生なら」

「あら、ジェノ。どうして私なら大丈夫なの?」

 何気なく呟いたジェノの言葉に、リニアは表情を一変させて、嬉しそうに尋ねてくる。


「えっ、あの、その……先生は……」

「先生は、何かな?」

 リニアは満面の笑みで言葉の続きを促してくる。


「……ううっ。そっ、その、僕、お風呂に入ってくるよ。ペント。今日も美味しかったよ!」

 ジェノは少し残っていた料理を口の中にかっこむと、逃げるようにお風呂場に向かう。


 けれど、お風呂場に向かう途中で、リニアとペントの笑い声が聞こえて、ジェノは恥ずかしさのあまりに頬を真っ赤にするのだった。


 けれど、ジェノは知らない。

 彼がお風呂場に向かったことは、ペントとリニアにとって望ましいことだったことを。

 二人が険しい顔で、今後のことを話し合っていたことを。








 日常を重ねていると、あっという間に一ヶ月は経過した。

 そして、先日招待状が届いたマリアの誕生会まで、あと三日に迫っていた。


 まだ三日もあるのに、ワクワクした気持ちが溢れそうで、ジェノはベッドに横になりながらも、早くマリアの誕生日にならないものかと思っていた。


 もちろん、マリアの、貴族の誕生会というものがどんなものかという期待もある。

 だが、それ以外にも楽しみなことが、二つあるのだ。



 先日、ジェノは久しぶりに服を買いに出かけた。

 ジェノ自身は気づいていなかったのだが、この一年でジェノの背はぐんぐん伸びて、服を新調する必要が出てきたのだ。


 新しい服を着られるのは嬉しいが、ジェノはお金のことが心配で仕方がなかった。


 今まで自分の服の大部分は、ペントが布を買ってきて、彼女が夜なべして作ってくれるものがほとんどだったのだ。

 しかも、その布を買うお金も、ペント自身が働いて貯めていたお金を使ってくれていたことをジェノは知っている。


 けれど今回は、全てお店で買うというのだ。

 ジェノが心配になるのも無理からぬことだった。


「坊っちゃん、どの服もお似合いですよ」

「そうね。お世辞抜きで格好いいわよ、ジェノ」

 お店に付き添ってくれたペントとリニアが褒めてくれるのが嬉しかったし、お店の人に勧められるままに、いろいろな服を着てみるのは初めての経験で楽しかった。


「でも、ペント。お金は大丈夫なの?」

 ジェノは心配で仕方なくなり、沢山の服を買おうとするペントに尋ねた。


 するとペントは涙を浮かべながら、ジェノを抱きしめた。


「いつも私が不甲斐ないばかりに、私が作った粗末なお洋服ばかりしかご用意出来ずに申し訳ありませんでした。ですが、もう大丈夫です。デルク様が頑張ってくださっているおかげで、お金には余裕がありますので」

 ペントはそう言って涙をこぼす。


「そうなんだ。よかった。デルク兄さんに感謝しないといけないね。でもね、ペント。僕、ペントが作ってくれる服も大好きだよ」

 ジェノがそう言って笑うと、ペントは「坊っちゃん……」といって泣き出してしまう。


「うんうん。ジェノ。今のその気持ちを忘れては駄目よ」

 ペントには抱きしめられたまま泣かれて、リニアには頭を撫でられる。

 店の人達も、そんな自分達に笑顔を向けてくれていた。


 こうして、ジェノは真新しい服で誕生会に参加できるようになった。

 これが、楽しみなことの一つ目。


 そして二つ目は、更に楽しみなことだ。


 それはつい先週のこと。


「よぉーし、ジェノ。今日は朝の稽古はお休みにして、先生と二人で買い物に行きましょう」

「えっ? でも服はもう買ってもらったから……」

 ジェノは何を買いに行くのか皆目見当がつかなかった。


「ふっふっふっ。君がものすごく喜びそうなものを買ってあげるから、楽しみにしてついてきなさい。でも、浮かれすぎては駄目よ。前に行った裏通りの方に行くからね」

「裏通り……。分かりました」

 去年、悪い連中にマリアが攫われそうになった時のことを思い出し、ジェノは気を引き締める。


 そして、リニアと一緒に裏通りにやってきたのだが、「その前に、少し寄りたいところがあるから付き合って」と言われ、ジェノは『冒険者ギルド』と看板に書かれた店に足を運んだ。


 お世辞にも綺麗とは言えない店と、重い雰囲気に気圧されそうになったが、ジェノはリニアの後を追って店に入る。


「おお、久しぶりだな。リニア」

 カウンターの奥にいる、片目に眼帯をした厳つい中年の男が、リニアに話しかけてきた。


「すみません、ご無沙汰していました。親父さん、頼んでいた件についてなんですけれど」

「ああ。つい先日情報が入ったところだ。っと、たしかそっちの小僧は……」

「ええ。私の生徒です」

 リニアがそう言うと、男は嬉しそうに声を上げて笑った。


「こんなに小せえのに、お姫様を守るために、あのごろつき共に立ち向かったあの時の小僧か。うんうん。こりゃあ、将来が楽しみだな」

「ええ。私も楽しみです。それじゃあ、約束のお金です」

 リニアはそう言うと、革袋から大銀貨を二枚も取り出して、男に手渡した。


「あいよ。確かに。ほら、これがお前さんの知りたい事だ」

 リニアは数枚の紙を受け取る。

 とてもそんな紙切れが大銀貨二枚の価値があるとは、ジェノには思えない。


「……なるほど。助かりました、親父さん」

 リニアはその紙をジャケットのポケットに仕舞い、男に頭を下げて踵を返す。


「良いってことよ。これからも贔屓にしてくれよ」

 見た目とは裏腹に陽気な男に背を向けて、ジェノはリニアと一緒に店を後にする。


「先生、今のお店は、どんな店なんですか?」

「んっ? 冒険者ギルドのこと?」

「はい」

 ジェノはそんな店の名前を聞いたことがない。


「そうね、冒険者っていう、冒険や魔物退治をする人達のための組織のことよ。いろいろな国に支店があって、お金を支払えば、いろいろなことを調べてくれたりもするのよ」

「それって、さっき先生が……」

「うん。先生の故郷のことをちょっと調べてもらっていたのよ」

 リニアはそう言うと、ポンポンとジェノの頭を優しく叩いた。

 

 それが、それ以上は聞いてほしくないということだとジェノは悟り、それ以上は口にしない事にした。


「さぁ、着いたわよ」

「ここって……」

 ジェノは眼前の店の看板を見て、目を輝かせる。


「ふふふっ。冒険者ご用達の武器屋さんよ。今日は日々頑張っている生徒のために、先生が剣を買ってあげようというのだよ」

「えっ? えっ、本当! 本当に、僕に剣を?」

「ええ。本当だから、少し落ち着きなさい」

 リニアに笑顔で窘められ、ジェノは慌てて口を閉じる。


「親父さん、おはようございます。頼んでいた剣の持ち主を連れてきました」

 店の入り口の扉を開けるや否や、リニアは挨拶の言葉を口にする。


「おお。待っていたぞ。すまねぇな。なかなかない注文だから、どうしても最後の調整が必要でな」

 頭の禿げ上がった初老の男が、笑顔でリニアに話しかけてくる。


「で、そっちのガキが、俺の作った剣の持ち主になろうっていうんだな」

 男は値踏みするような視線を、ジェノに向けてくる。


 それに気圧されそうになりながらも、先の『冒険者ギルド』というところに一度行っていたことで、少し慣れたジェノは、不安な気持ちを振り払い、口を開く。


「初めまして。ジェノと言います」

「んっ? おお、大抵のガキは俺を見ると泣き出すんだが、なかなかいい根性しているじゃあねぇか。去年、大人に喧嘩を売ったのは伊達じゃあねぇようだな」

「親父さん。あれは、正当防衛です」

 リニアがそう弁護をしてくれたが、初老の男は「そうだな。ただ、その後のお前さんの暴れっぷりは、過剰防衛だったがな」と皮肉めいた笑みを浮かべて、リニアに言葉を返す。


「まぁ、そんな事はいいや。ジェノだったな。俺の名はガオンという。この国で一番の武器職人を自負している男だ。俺は、決して自分の仕事に手は抜かない。それが、お前のようなガキが使う剣だとしてもだ」

 ガオンと名乗った男は、ジェノを睨むように見つめてくる。

 ジェノは負けまいと視線をそらさずに見つめ返す。


「お前さん。剣を手に入れたら何をする? 魔物を殺すのか? 人を殺すのか?」

 ガオンは低い声で尋ねてきた。


「……僕は、本物の剣を持ったことがないので分かりません。でも、誰かを傷つけるよりも、大切な人を守るために、剣を使いたいと思います。僕を守ってくれた、先生のように」

 ジェノは素直な気持ちをぶつける。


「ふん。いかにも何も知らないガキ臭い答えだな」

 ガオンはそう言うと、呆れたように頭を掻く。


 だが、次の瞬間、頭を掻いていた手は、ジェノの顔面目掛けて振り下ろされた。


「はっ!」

 しかし、ジェノはその一撃を、自らの左手を回転させる事により流し受けて、ガオンのバランスを崩れさせると、前のめりになった彼の股間の手前で拳を寸止めにした。


「うんうん。よく今の攻撃に反応できたわね。偉いわよ、ジェノ」

 リニアは満足そうに笑う。


「ふっ、はっ、ははははははっ。まいった、まいった。俺の負けだ」

 ガオンは大声で笑い、降参する。


「リニア。お前はガキになんてことを仕込みやがるんだ」

「あら、最初はちゃんと寸止めするように言っておいた私に、少しは感謝して欲しいですけれど」

「馬鹿が。俺はこのガキの頬を引っ叩いて、剣で斬られるのはこんな痛さじゃあねえってことを教えようとしてだなぁ……」

「ご心配なく。その辺りは私がしっかり教えていますから」

 リニアとガオンはそう言って睨み合っていたが、やがてどちらとなく笑い出した。


「ジェノ、もういいわ。ガオンさん、君のことを気に入ってくれたみたいだから」

「ああ。お前さんの剣をすぐに持ってきてやる。だが、お前はまだまだ成長期だ。これから成長するにつれて調整が必要になってくる。

 いいか、絶対に他の店で武器を買おうなんてするんじゃあねぇぞ。俺が全部やってやる。格安でな」

 ガオンは笑顔で言い、店の奥に入っていったかと思うと、ジェノが普段持っている木剣くらいのサイズの剣を持ってきてくれた。


「凄い……。綺麗だ……」

 無骨な剣を想像していたジェノは、その剣の美しさに見惚れてしまった。

 刀身が綺麗なのはもちろんだが、柄の部分も装飾が施され、何もかもが洗練されている。そのフォルムだけで只の剣とは違うことが、素人のジェノの目にも明らかだった。


「さすが、親父さん。これならお貴族様のパーティに身に着けていっても問題ないわね」

「そりゃそうだ。そう見えるように作ったからな。だが、こいつの真価は実戦で使った時に明らかになるぜ。だが、最後の調整がしたい。ジェノ、この剣を握ってみろ」

 ガオンに促され、ジェノは「はい」と言い、剣の柄を握る。


「そのまま上から下に振ってみろ。そして、次は下から上だ」

 ジェノは言われたとおりに剣を振るう。それは、何十回にも及んだ。


「うん。どうだ、ジェノ。手と腕は疲れたか?」

「いいえ。大丈夫です」

 木剣よりも当然、鋼でできた剣は重量があるのだが、ジェノは疲れを殆ど感じない。


「うん。だいたい良いみたいだな。だが、少し重心が後ろにぶれているな。待っていろ。すぐに調整してやる」

 ジェノから剣を受け取ると、ガオンは店の奥に行ってしまった。


「ジェノ。少し時間が掛かるから、こっちのソファーに座らせてもらいましょう」

「はい」

 ジェノはリニアに言われてソファーに座ったが、やはり剣が気になって仕方がない。


「でも、先生。いいんですか、僕が剣を持っても」

「うん。少し早い気もするけれど、練習にも使いたいからね。それに、いざという時に自分達を守るために持っていなさい。ただし、取り扱いは細心の注意を払うこと」

「はい。分かりました。ありがとうございます!」


 ジェノはこうして自分の剣を初めて手に入れたのだ。



 刃物の管理は子供には危ないと言われ、修行の時の少しの時間しかまだ触らせてもらえないが、マリアの誕生会では、ずっと身につけていられる。

 ジェノは、新しい服と新しい剣を身につけるその時が、本当に待ち遠しくてたまらない。


 けれど、この時のジェノは知らなかった。

 誕生会で、早速その剣を実戦で使わなければいけなくなるということを。


 ……自分達の命が脅かされる事になる未来を、ジェノは知らなかったのだ。

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