第130話 『招待』

 リニアがジェノの家にやって来て、まもなく一年が経とうとしていた。


「うんうん、いい感じね」

「よかった。それじゃあ、もう一皿分も焼いてみます」

「ええ。ただ、火の扱いは注意しないと駄目よ。火が怖いものだという認識は常に持ち続けるように」

「はい。先生!」

 ジェノは元気よく応え、ギョウザを焼いていく。


 今回のギョウザはリニアに教わりながらではあったものの、皮から中身の餡まで全てジェノが一人で作った。さらに初めて火を使う許可も得て、こうして焼いているのである。


「坊ちゃんが料理を、こんなにお上手に……」

 ペントは涙を瞳に浮かべながら、ジェノの成長を複雑な顔で見ている。


「……本来であれば、もっとたくさんの使用人がいて、坊っちゃんのお手を煩わせることなどなかったはずなのに……」

「違うよ、ペント」

 ジェノはフライパンにギョウザを並べると、ペントに向かってにっこり微笑んだ。


「僕は、料理が好きなんだ。だから、こんな楽しいことを教えてくれる、先生とペントにすごく感謝しているんだよ。見ていてね。僕、もっともっと頑張って、美味しい料理を作れるようになるから」

「坊っちゃん……。ペントは、ペントは……」

 ペントはついには号泣してしまった。


「はい。火から目を離さない。ペントさんのことは、私に任せておきなさい。君は、焼くことに集中するように」

「はい、先生」

 ジェノはフライパンに水を入れ、ギョウザを蒸し焼きにしていく。

 

「今度、兄さんが帰ってきたら、僕も何か作ってあげたいな」

 ジェノの兄のデルクは、結局今年になってから、一度も家に帰ってきていない。

 その事はもちろん心配だが、先日手紙で無事を知らせてくれたので、少しだけ安心することが出来た。


 それに、デルクは素晴らしい成果を上げているようで、今年の春からは、更にジェノ達の家が広くなった。広い館の西の部分は、もう殆どがジェノ達の家となったのだ。

 これ以上はジェノの父であるヒルデが使用することを許可しないだろうとペントが言っていたが、ジェノにはもう十分だった。

 

 中央の入口に近づかない限りは、もうあの忌まわしい赤い線を見ることが無くなっただけでも安心する。


「うん。水分が飛んだら、油がギョウザに掛からないように……」

 ジェノはフライパンを上手に動かして油をフライパンに行き渡らせる。


 そして数分後、ジェノは満面の笑顔で、『追加分も出来ました、先生』と得意げに言うのだった。







 夏の日差しを浴びながら、ジェノ達はボール遊びに一生懸命になる。

 誰が発案したのかは分からないが、昔から知られた遊びで、五人ずつのチームに別れて、足だけを使ってボールを奪い合い、ボールをキープしたまま相手の陣地の一番奥までボールを運べば一点になり、先に三点を取ったチームが勝ちという単純な遊びだ。

 

 だが、子どもたちはこれに熱狂する。


「ジェノ、こっちだ!」

「うん、ロディ、お願い」

 ジェノは相手チームの頭を超えるように山なりにボールを蹴って、少し離れたロディにパスをする。

 身体の大きなロディはそのまま相手の陣地まで突き進むが、二人がかりで行く手を遮られてしまう。


「カール!」

「分かっている!」

 ジェノが言うまでもなく、カールは一人で前に、相手の陣地の最奥付近まで走り抜ける。そこにパスが通れば、決勝点の三点目は確実だ。


「いくぞ!」

 ロディは思い切り前に蹴るような体勢を取ったため、相手のチームはカールにボールをパスさせまいとそのコースを体で塞ぐ。

 だが、それはロディの思うツボだった。

 ロディは方向を変えて、誰にも気づかれずに右前に走ってきたジェノにパスをする。


「いけ! ジェノ!」

 ロディはわざと大声でそう叫ぶ。

 ジェノはその意図を悟り、直進ではなく少し斜めに走りながら、敵陣の奥を目指してボールを蹴りながら進む。


 そして、相手チームの多くが自分に集まったところで、再びロディにボールを返した。


「ふん!」

 ロディが力いっぱい蹴ったボールは見事にカールに渡り、そのままカールが敵陣奥までボールを運んで点が入った。

 ジェノ達のチームの勝利が決まった瞬間だった。


「よぉ~し、よくやった、カール!」

「本当。最高のタイミングで前に出てくれたよ」

 ロディとジェノに褒められて、カールは嬉しそうに微笑む。


「しかし、ジェノ。お前も俺の作戦によく気づいたな」

「長いこと同じチームなんだから、分かるよ」

 ジェノがにっこり微笑むと、ロディが手をかざしたので、ジェノも同じようにし、パン! とハイタッチをする。


「くそぉ、ロディ達のチームは強いなぁ」

「去年まではジェノがそれほど戦力になっていなかったのに、いまじゃあ二人がかりでないと止めるのも難しいからな」

 負けた相手チームの少年たちは、悔しそうだったが、すぐ笑顔になり、「次は負けないからな!」と言って笑顔を見せる。


 他のチーム同士の試合が始まり、今日は自分達の出番はここまでなので、ジェノはロディとカール達に抜けることを告げて、他のチームを応援する仲間たちと分かれた。


「ジェノ!」

 噴水の近くに足を運ぶと、マリアが笑顔で声をかけてきた。


「マリア。久しぶりだね」

 ジェノがそう言うと、マリアはどこか困ったように笑う。


 マリアとも今年の冬までは一緒に遊んでいたのだが、春になってからはめっきりこの広場に遊びに来ることが減ってしまっていたのだ。

 だから、今回もおよそ一ヶ月ぶりの再会だった。


「その、ジェノ。私がいなくて、寂しかった?」

 マリアは心配そうな、それでいて何かを期待するかのような様子で尋ねてくる。


「うん。もちろん。僕だけじゃあなくて、ロディやカール達も寂しがっていたよ」

 ジェノは素直な気持ちを口にしたのだが、マリアは、むぅっと不満そうに頬を膨らます。


「そこで、ロディとカールの話はいらないでしょう! ジェノが、私がいなくて寂しかったってことだけ言えばいいの!」

「あっ、そうなんだ。その、よく分からないけれど、ごめん。よく先生にも、『君は女心がまるで分かっていない』って言われるんだ」

 ジェノがそう言うと、一層マリアは頬を膨らます。


「もう! 私と話している時は、先生の話は禁止! ……でも、ジェノが『女心』が分からないっていうのはそのとおりだと思うわ!」

 何故かそう怒られて、ジェノはがっくりと肩を落とす。

 いろいろなことを覚えて頑張っているつもりだけれど、本当にこの『女心』というのは大の苦手だ。


「でも、ジェノが私に会えないことを寂しいって思ってくれていたみたいだから、許してあげる」

 マリアは不機嫌な顔をしていたかと思うと、そう言って笑顔になる。


「……本当に、女心ってなんだろう?」

 あまりにも理解できないものに辟易し、ジェノは天を仰ぐ。


 それから、二人でベンチに座ってとりとめのない事を話した。


 意外だったのは、マリアも剣術を学び始めたということだった。

 なんでも、去年、リニアに救ってもらったときから、自分も剣を使えるようになりたいと思ったのらしい。

 親には猛反対されたらしいが、それでも押し切ったのだという。


 ジェノも興味のある話題だったので、普段以上に話が弾んだ。


「ねぇ、ジェノ。来月のことなんだけれどね……」

「えっ? 僕と先生も?」

 ジェノが驚くのも無理はないことだった。


 マリアの誕生会が近いうちに行われるらしいのだが、それにジェノとリニアを招待したいというのだ。

 場所は、このセインラースの街ではなく、少し離れたところにある山奥の別荘らしい。


「ロディとカールも招待するつもりよ。でも、私はジェノにぜひ参加して欲しいの」

「……うん。ペントと先生に聞いてみるね。でも、できるだけ参加できるように説得してみるよ」

 貴族であるマリアの誕生会に招待されるのは初めてだ。

 だから、ジェノは参加してみたいと思ったのだ。


「うん! 絶対に参加してね! 招待状を送るから」

 マリアは本当に嬉しそうに笑う。


「あっ、マリア。僕の家は……」

「分かっているわ。西館の方に届けてもらうから大丈夫よ」

 幼馴染のマリアは、ジェノの家のことも知っている。


 そんな事を話しているうちに、日が暮れてきてしまった。


「さて、そろそろ私は帰るわね」

「うん。僕も、そろそろ帰るよ」

 ジェノとマリアは一緒にベンチから立ち上がり、そこで別れることにした。


 お互い、またね、と言って踵を返す。

 だが、そこで不意に、


「ジェノ」


 と名前を呼ばれたので、ジェノは振り返る。

 すると、マリアは小走りでこちらに近づいてきて、何の躊躇もなくジェノの頬にキスをした。


「……マリア……」

 ジェノは驚き、マリアの名前を呼ぶ。

 だが、マリアは顔を真っ赤にして微笑むと、「またね、ジェノ」と言って、足早に家に向かって行ってしまった。


 ジェノはしばらくの間動けなかった。


 それは、キスをされた驚きからではない。

 マリアは笑顔だったはずなのに、何故かとても寂しそうに思えたからだった。

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