第129話 『武術』

 年が明けても、ジェノはいつもと変わらず、修行と勉強と遊びを繰り返す。

 こんなに楽しい時間がずっと続けばいいのにとさえ思うほど、ジェノは日々を楽しんでいた。


 勉強は少し高度の算術が加わってきた。難しいけれど、問題が解けた時の感動は何物にも代えがたい。それに、地理は先生がいろいろな場所を旅した話が聞けるから大好きだ。


「ジェノ。よく言われる言葉だけれど、知識はいくら持っていても重くならないの。だから、いろいろな知識を身につけておいて損はないわ」

 リニアの教えをよく聞き、ジェノは様々な知識を吸収していく。


 特に、図鑑を見て様々な薬草や毒草の知識を得るのが面白かった。


「暖かくなったら、実際に山に行って現地でテストをするから、しっかり覚えておくように」

 とリニアに釘を刺されていたが、ジェノは言われるまでもなく、どんどん本を読んで覚えていく。


 更に、スケッチも面白かった。

 言葉を使わなくても、それ以上に相手に意思を伝えることができる。

 リニアの絵が上手だったことに触発され、ジェノもだんだん絵にハマっていった。


 そして何よりもジェノが面白いと、大事だと思って勉強したのは、応急処置と緊急時の蘇生法のやり方だった。


「ジェノ。しつこく何度も言うけれど、こういった事を興味本位でやっては駄目よ。場合によっては命に関わるから。そして、近くに大人がいるのならば、その人に任せなさい。君のような子どもには、まだ無理なことも多いから。

 でも、周りに誰もいなくて、自分がそれをしないと相手が死んでしまうと思ったら、ためらわずにやりなさい。その見極めを間違えないようにね」

 リニアのその言葉を胸に刻み、ジェノはしっかりと知識をつけて、また簡単な実践も行っていく。


 そして、武術に関しては、少しずつだがリニアは新しいことを教えてくれるようになった。


 日々の基礎稽古の他に、新年になってから、ジェノはこの『型』という一連の動きを覚えることに努めた。


「何だか、一人でダンスをしているみたい」

 最初、型を見た時のジェノの感想はそれだった。

 

 素手で、そして時には木剣を持ったまま決まった動きをするそれを、ジェノはあっという間に覚えた。


 ダンスは物心がついた頃からペントに教わっていたので、それと同じだと考えれば覚えるだけならそれほど難しくなかったのだ。

 あまり好きではなかったダンスが、こんなところで役に立つとはと驚いた。そして、勉強だけでなく、運動も一通りやっておいたほうが良いのだとジェノは学んだ。



「うんうん。この『型』も、順番はきちんと覚えたわね。偉いわよ、ジェノ」

 リニアはそう褒めてくれたが、ジェノはこの『型』というものにどんな意味があるのか分からない。

 その事を尋ねると、リニアはにっこりと微笑んだ。


「よぉ~し、頑張っている生徒のために少しだけ教えてあげましょう。『型』というものの凄さを。それじゃあ、剣を持って、構えて」

 リニアは、ジェノに木剣を手にするように言う。


「さぁ、その剣で攻撃してきなさい。先生は、君に教えた『型』の動きだけで全てを躱して、逆に君を負かせてみせるから」

「はい!」

 ジェノは返事をするのと同時に踏み込み、木剣をリニアめがけて横薙ぎに振る。


「……なっ!」

 だが、不意にリニアの体が視界から消えた。


「はい、足元がお留守!」

 突如下から聞こえた声に驚いたが、それに気づいた時には、ジェノの体は宙を舞い、地面に仰向けに倒されていた。


「うんうん。きちんと頭を打たないように受け身をとったのは偉いわよ」

 リニアは満足そうに笑い、倒れたジェノに手を差し伸べてくれる。

 ジェノはその手を掴んで、立ち上がった。


「今のは、『型』の中にある、体を極限まで低くしてから一気に立ち上がる動作を利用したものよ。いきなり目の前から攻撃対象がいなくなると、人間の頭は軽いパニックを起こして反応が遅れてしまうの。

 そして、その状態の体はバランスが崩れてすごく弱い。攻撃の動作が終わっていない中途半端な状態だからね。後は簡単。私は君の体重がかかっている方の足に自分の腕を当てて、立ち上がるのと同時に、簡単に君を転倒させたという訳よ」

 リニアはこともなげに言うが、あの一瞬でそこまで考えて動ける事がジェノには信じられない。


「どうかな? こんな事をできるようになりたい?」

「はい!」

 ジェノは迷いなく頷く。


「よぉーし、それならまずは、もっともっと足腰を鍛えないと駄目よ。そして、『型』を徹底的に体に覚えさせないとね。それを一挙に解決する修行方法があるんだけれど、すごくきついのよね……。君に耐えられるかなぁ~?」

 リニアが茶化したような口調でジェノを挑発する。


「やります!」

「うんうん。君ならそういうと思っていたわ。それじゃあ、辛い特訓の開始よ!」

 リニアは嬉しそうに言うと、ジェノにこれからの修行の内容を告げてきた。

 だが、それを聞いたジェノはキョトンとしてしまう。


「あっ? ジェノ。今、大したことないと思ったでしょう?」

「あっ、その、はい……」

 ジェノは素直に応える。

 すると、リニアはニンマリと意地の悪い笑みを浮かべる。


「それじゃあ、言われたとおりの条件で、後三回だけ、一番最初に教えた『型』をやったら今日はおしまいよ」

「はい!」

 ジェノは言われたとおりに、『型』を開始する。ただし、今回は『可能な限りゆっくりと』という条件の元で、だ。


「ぐっ……」

 動作を開始してすぐに、ジェノは自分の認識が間違っていたことに気づく。

 体にかかる負荷が、今までの何倍にもなっている。

 動作の開始は良い。動作の終わりも問題ない。だが、その二つの間の動きをゆっくりするというのが、これほど辛いとは思いもしなかった。


「手を下から上に挙げるという単純な動きでも、ゆっくりやると腕の負担が並大抵のものではなくなる。人間は普段はその一番辛い部分の動作を一瞬にすることで、体に掛かる負荷を減らしているの。そしてこれには、体の弱い瞬間を短くするという意味合いもあるわね。

 でも、そのままでは弱いままになってしまうから、そこを強くするのがこの修業の目的の一つよ」

 リニアは笑顔で説明をするが、ジェノはそれに返事をする余裕はない。


 まだ『型』の一回目の三分の一も終わっていないのに、この冬の寒さの中にも関わらず、全身から汗が吹き出てくる。


「ジェノ、腰を高くして楽をしようとしては駄目よ」

「……ぐぅっ。……はっ、はい……」

 ジェノは自然と高くなって来ていた腰を落とし、『型』を続ける。


 全身の筋肉が悲鳴をあげる。けれど、ジェノは何とか一回目の『型』を終わらせることが出来た。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 乱れてしまった呼吸を懸命に整える。そして、呼吸が落ち着くと、再び同じ『型』を開始する。


「うん。いい根性ね」

 リニアは満足げに頷く。


 そして、ジェノはフラフラになりながらも、ゆっくりと行う『型』を三回やり遂げた。

 ただ、リニアの「よし、そこまで」の言葉を聞いた途端、全身の力が抜けてしまい、その場に尻もちをつくことになってしまったが。


「うんうん。正直、初日は出来なくても仕方ないかなぁって思っていたんだけれど、見事にやり通したわね。偉いわよ、ジェノ」

「はっ、はい……。ありがとう……ございます……」

 息も絶え絶えに応えながらも、ジェノは破顔する。


「よぉ~し、今日の武術の修行はおしまい! 次は勉強の時間だけれど、その前に先生がマッサージをしてあげよう。明日の修行に支障が出ないようにね」

 リニアはそう言うが早いか、動けないジェノの体をひょいっと背中に背負う。


「せっ、先生! 僕、少し休めば歩けるよ!」

「駄目よ。今、君の体、特に足は疲れ切っているんだから。おとなしく背負われなさい」

 疲れ切った身体でリニアから逃げることができるはずもなく、ジェノは恥ずかしい思いをしながらも、落ちないようにリニアの肩を手で掴む。


「ジェノ。この『型』は実はものすごくたくさんの秘密が隠されている動きなの。だから、決して他の人の前で『型』を見せては駄目よ」

「はい。分かっています」

 最初に型を教わるときにも言われたことだ。ジェノはしっかり覚えている。


「それと、君が武術を使えることは、他人には隠しておきなさい。今の君なら、同年代の子供との喧嘩にはだいたい勝てるだろうけれど、ね」

「はい。でも、マリアが……」

「ああ。そうね。君が助けてくれたことを、自慢気に皆に話して困っているって言っていたものね」

 リニアはそう言って苦笑していたが、不意に真剣な声で、


「それでも、なるべく隠しておきなさい。もしも喧嘩になりそうなら、逃げたほうが良い。そうしないと、いろいろ大変だから……」


 と言ってきた。


「先生。どうして、そんなに悲しそうにいうの?」

 ジェノはリニアの言葉の端に、物悲しさを感じてしまった。だから、思わずそう尋ねてしまう。

 リニアは少し無言だったが、すぐに口を開く。


「う~ん、いろいろと大変だったからかな。周りの人より力があると、それをやっかむ人も出てくるし、腕だめしとばかりに勝負を挑んでくる人もでてくる。それに、この力を利用しようとする人もでてくるの」

 リニアは冗談めかして言うが、やはりその声はどこか悲しげに思える。


「それって、先生が前に話してくれたお話の、村人みたいな人のこと?」

「……うん。よく覚えていたわね。そのとおりよ。人の力を当てにするばかりで、自分は弱いのだから助けるのが当たり前だろうって考える、ひどい人も世の中には居るの」

 リニアはジェノの顔を振り返って見て、困ったように笑う。


「どうして、この人達は自分の事を自分でしようとしないで、人にばかり頼ろうとするのだろう? どうして、強くなる努力をしないのだろう? なんどもそう思ったわ」

「……それなら、何のために武術ってあるの? 頑張って身につけても、隠していないと大変な目にあって、良いことはない。先生みたいな凄い剣士でも、そんな悲しいことが多いのは、おかしいよ」

 その問に、リニアは優しくジェノの頭を撫でる。


「……うん。そうだね。武術を身につけるのはすごく大変なのに、あんまり報われない。それに、前にも言ったように、武術を使うのは最後の手段。それを使うことなんて、平和に暮らしていたらあまりないわ。本当、嫌になるわよね」

 リニアはそういうと足を止めて、空を見上げる。


「でもね。いざという時に理不尽な力に対抗できるのは、やはり力だけなの。それを身に着けていないと、一方的に奪われてしまう。自分の命も、大切な人の命も、財産も、何もかも」

「……はい。それは、よく分かります……」

 ジェノも目の前で大切な命を奪われた。理不尽な力によって。


「暴力なんて野蛮な事はいけない。話し合いで解決をするべきだ。なんて事をいう人がいるけれど、私に言わせたら平和ボケもいいところ。

 それは、その人の代わりに他の誰かが力を持ってくれていることで、たまたま自分が平和に暮らせていることを理解していない只の馬鹿よ」

 リニアの声には怒りが込められている。


 きっと、何か辛い過去があるのだろうと思うのと同時に、ジェノはリニアの事を殆ど知らない自分に気づく。


「ごめんなさい。やる気を削ぐようなことを言ってしまったわね。でも、今の私は……先生は、武術を学んで、身につけていてよかったと思っているのよ」

 リニアはもう一度振り返り、ジェノににっこり微笑んだ。


「それは、いったい……」

「ジェノ。君に出会えたからだよ。私は君に剣を、志を教えることで自分を見つめ直すことが出来た。そして、自分の剣が何のためにあるのかを理解できたの」

「僕が、何か先生の役に立てたの?」

「うん。君が私の初めての生徒で本当に良かった。私は、君に出会えたことを神様に心から感謝しているわ」

 リニアは笑いながら、ジェノの頭を撫でる。


「僕は、何も出来ていないよ……」

「ううん、そんなことはないよ。このまま剣の、武術の修業を続けていたら、いつか君にも分かる時が来るわ。きっとね」

 ジェノには抽象的すぎて分からない。けれど、リニアが笑ってくれたことが何故かとても嬉しかった。

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