第114話 『よく分からないもの』
夕暮れに染まる石畳の道を歩いて、ジェノは自分の家に戻ってきた。
いつもなら、家に入ってからペントに「ただいま」と挨拶をするのだが、今日はそれよりも先にその言葉を口にすることになった。
「おかえりなさい、ジェノ。ペントさんが、美味しい夕食を作って待っているわよ」
ジェノを待っていたのか、リニアはそう言って嬉しそうに微笑む。
「うん。ただいま、先生」
ジェノはそう言いながらも、何だか不思議な気がする。
今まではほとんどペントと二人きりだったから、他の人に、「ただいま」と口にするのに違和感があるのだ。
「どう? 友達と遊ぶのは楽しかった?」
「うん。今日はね、マリアと一緒に遊んだんだ。あっ、マリアっていうのは、僕と同じ八歳の女の子で……」
だが、こうやって今日の遊びの話をペント以外の人に話すのは、何故か嬉しかった。
ジェノは家に入ると、手を洗って、ペントが作ってくれた美味しそうな料理が盛られた皿をテーブルに運ぶ。
いつもは自分一人でペントの分も運ぶのだが、リニアも手伝ってくれた。
だから、ジェノのお手伝いはすぐに終わり、あっという間に夕食の時間になった。
「それでは、食事の前のお祈りをしましょう」
ペントに促されて、ジェノとリニアも神様に感謝の言葉を口にする。
でも、ジェノはいつも神様だけではなく、美味しい料理を作ってくれるペントにも、心のなかで感謝をするのだ。
「はい。それでは、先生も、坊っちゃんも召し上がって下さい」
待ち望んだペントの言葉に、ジェノはスプーンを手にとって、まずはシチューを味わう。
優しい味がする。
とっても美味しいだけではなくて、食べてほっとする味が。
こんなに素晴らしい料理を食べられる自分は、この上なく幸せだと思う。
「ペント。すごく美味しいよ」
ジェノは満面の笑顔で、ペントに料理の感想を言う。
「本当。昨日、夕食を頂いた時も思いましたけれど、ペントさんはとても料理が上手ですね。お店の味とは違うけれど、とても美味しくて、心が満たされる味です」
リニアもシチューを口に運び、ペントの料理を褒める。
「いえいえ。素人料理でお恥ずかしい限りです。ただ、量は沢山作りましたので、よければおかわりをしてくださいね」
ペントは嬉しそうに、そして少し恥ずかしそうに言う。
ジェノも、大好きなペントが褒められて、すごく嬉しくて誇らしかった。
「そう言えば、坊っちゃん。今日はどんな遊びをしてきたんですか?」
ペントがシチューを一口口にしてから尋ねてくる。
こうやってペントが尋ねてきてくれて、ジェノがその日のことを話すのがいつもの展開だ。
「うん。今日はね、マリアと遊んだんだよ。あっ! でも、分からないことがあって、ペントに教えて欲しいと思っていたんだ」
「あら? いったい何が分からなかったのですか?」
ペントは嬉しそうに目を細める。
「ねぇ、ペント。『デート』って、何なのかな?」
無邪気にジェノは尋ねたのだが、その言葉を聞いたペントは、いや、横で聞いていたリニアも一緒に、目を大きく見開く。
「ぼっ、坊っちゃん。どこでそのような言葉をお知りになったのですか?」
「それは、私も知りたいなぁ」
何故か、ペントは少し慌てたような声で尋ね返してきて、リニアは楽しそうな声でそれに賛同する。
「うん。今日、マリアが……」
ジェノは今日の出来事を二人に報告した。
「……それでね、パン屋さんで、僕はクリームパンを買って、マリアはお砂糖のついたパンを買ったんだ。
そして、公園の噴水まで二人で歩いて行ってベンチに座って二人で半分個にして両方食べようとしたんだけれど、そのときに、マリアが、口を開けて、パンを食べさせてって言ったんだ」
ジェノはただ淡々と説明しているだけなのだが、ペントとリニアは、何故か食入り気味にこちらの話を聞こうとしてくる。
「僕は、『赤ちゃんじゃないんだから、自分で食べられないの?』って言ったら、マリアは顔を真っ赤にして怒って、『デートだからこれでいいの!』って言って……」
「そっ、それで、坊っちゃんは、どうなさったんですか?」
「そのマリアちゃんに、食べさせてあげたの?」
いつもならのんびりと話を聞いてくれるペントも、どこか飄々としたリニアも、話の続きを言うように急かす。
「デート」というものが分からなくて、教えてほしいのは自分の方なのにと思いながらも、ジェノは話を続ける。
「うん。食べさせてあげたよ。そうしたら、何故かマリアの機嫌が直ったんだ。でも、今度は、自分が食べさせてあげるって言ってきかなくて……。僕は自分で食べられるのに。
その事を言うと、また怒り出して、『デートだから、こうやって食べないと駄目』って言うんだ。おかしいよね?」
ジェノがそこまでいうと、ペント達に今度こそ「デート」とは何かを尋ねようとしたのだが、ペント達はますますジェノに顔を近づけてくる。
「坊っちゃんは、マリアちゃんに食べさせてもらったんですか?」
「うん。赤ちゃんみたいで恥ずかしかったけれど、食べたよ。でも、そうしたらマリアが……」
「何? ジェノ、マリアちゃんはどうしたの?」
リニアに肩を掴まれて尋ねられたが、どうしてこんなに慌てているのか、ジェノには分からない。
「それがね、マリアは目をつぶって、口を僕に向けて来たんだ。ただ、残りのパンは僕のだよ、って言ったら、また怒り出してしまって……」
ジェノの話をそこまで聞いたペントとリニアは、顔に手をやって天を仰いだ。
「あの、ペントさん。この国の女の子って、皆こんなに情熱的なんですか?」
「あっ、いえ。少なくとも私の若い頃は、そんな子はいなかったかと……」
二人の会話の意味が、ジェノにはやっぱり分からない。
「その、ペントさん。少し早いかと思っていたんですが、あくまでも一般教養の範囲にしますので、この辺りのことも、他の勉強と一緒に教えてもいいですか?」
「ええ。お願い致します」
リニアとペントはそう言うと、疲れた顔で食事を再開し始める。
何も分からず、そして二人が何も教えてくれないので、ジェノも食事を再開し、無邪気な顔で料理に舌鼓を打つのだった。
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