第113話 『子ども達の社交場にて』

 昼食を食べ終わったジェノは、しかたなく家を出て街に向かう。

 天気はとてもいいが、こんなことよりも剣術を学びたいとジェノは思う。


 二日目の今日も、ジェノは足腰を鍛えるための姿勢を続けさせられただけだったので、早く剣を振りたい。


「暑いなぁ……」

 ジェノは流れてくる汗を拭いながら、石畳の道を歩いて行く。


 ジェノの住むセインラースは、このルデン共和国の首都で大陸最大の都市である。歴史あるこの街は、千年も前から栄えてきた。


 海岸に面しているわけではないが、海が近いため交易も盛んだ。また内陸の土地は肥沃で、その大地の恵みが多くの人々の生活を豊かにし続けてくれている。

 戦争も、五十年ほど前に隣国との小競り合いが起こっただけで、平和な時代が続いていた。


 もっともそれは、誰もが幸せな時というわけではない。

 平和な時代だろうと、貧富の差は必ず生まれるし、差別というものはなくならない。

 人の世が長く続き、社会が発展していくことで、それを少なくしようとする活動もあるにはあるが、社会の発展がまた別の問題を生むことから、どの国でもイタチごっこが続いているのが現状だ。


「はぁ。またあいつらがいるんだろうなぁ」

 以前、こっそり街を抜け出して大変な目にあったジェノは、兄とペントに遠くに行くことを禁止されてしまっている。だからジェノが行く遊び場は、近所の子供達が集まる広場付近に限定されてしまう。


 比較的裕福な家が並ぶこの区域では、大きな店を構える商人の子供や下級貴族の子などが多い。だが、どんな家柄の子供であろうと、子供は子供だ。身勝手で我儘な子が多い。


 そんな中、ジェノのように比較的おとなしい性格の子供は、いじめの格好の的にされていた。

 まして、大きな家に住んでいるはずなのに、庶民と変わらぬ簡素な格好が多いジェノは、よくそのことをからかわれて、いじめられていたのだ。


 ジェノはそんな連中と顔を合わせることになるのが憂鬱で、あまりこの場所には来たくないのが本音だ。


「あっ、ジェノ! 久しぶりだね」

 だが、幸いなことに、真っ先にジェノを見つけて駆け寄ってきたのは、予想とは違う、彼と同年代の金色の長い髪の愛らしい少女だった。


 子供というものは愛らしいものだが、このマリアという少女は群を抜いている。将来は間違いなく美人になる。それが約束されているかのような可憐な容姿だ。

 それは、同年代の男の子の誰もが、彼女の気を引こうと躍起になるほどに。


「ああ、マリアか……。久しぶり」

 けれど、ジェノはさしたる興味もなさそうに、マリアにおざなりな返事をする。

 それが面白くなかったのだろう。マリアは頬を膨らまし、ジェノの右手を両手でギュッと握った。


「もう! 久しぶりに会ったのに、そんなどうでもいいような挨拶はなに? 私はジェノに会えなくて、寂しかったんだよ!」

 マリアは不満そうにジト目でジェノを見る。


「別に僕がいなくても、ロディやカールがいるから、遊び相手には困らないでしょう? マリアは女の子の友達だって多いし……」

「いやよ。私は、ジェノと一緒に遊びたいの!」

 マリアはそう言ってぷいっと顔を横に向けるが、その頬を少し赤く染まり、視線はジェノに向けられている。


「そうなんだ。それなら僕も暇だから、一緒に遊ぼうか?」

 だが、ジェノはそんなマリアの様子から何も感じることなく、淡々と言う。

 その言葉に、マリアは不満げに頬を膨らませる。


「もう! ジェノの馬鹿! 暇だからって何よ! 私と一緒に遊ぶのが楽しくないの?」

「いや、そんな事ないよ。マリアはロディ達と違って皆に優しいし、乱暴をしたりしないから、遊んでいて楽しいよ」

「……むぅ。少し不満だけれど、遊んでいて楽しいって言ってくれたから許してあげる」

「えっ? それってどういう事?」

 ジェノには、マリアが何を怒っていて、何を許すと言っているのかが分からない。


「ああ、もう! いいから行きましょう! 余計な邪魔が入らない内に、二人で」

「うん。それなら、久しぶりにリエッタさんのパン屋の方に行ってみない? 少しだけどお小遣い貰ったから、安いパンなら、二人で一個ずつ買えるよ」

「いいの! それじゃあ、別のパンを買って半分こにしましょう。食べるのは、公園の噴水の前が良いなぁ」

 マリアはそう言いながら、ジェノの手を今度は右手だけで握り、彼の左に並び立つ。


 パンが食べられることが嬉しいのか、笑顔になったマリアに、ジェノは笑みを返す。

 だが、そこに……。


「待てよ、マリア。ジェノなんかより、俺達と遊ぼうぜ」

 体の大きな少年と小さな少年の二人が、ジェノとマリアの前に立ちはだかった。


「ロディとカールか……」

 ジェノは心底嫌そうな顔をする。

 それは、マリアも同様だった。


「何だよジェノ。久しぶりだな。俺たちが怖くて一人で家での中で遊んでいたんだろう?」

 体の小さな少年――カールが、ニヤニヤとした笑みをジェノに向けてくる。


「相変わらず女みたいな顔しやがって。気持ち悪い奴だな」

 そう言って嘲笑う、大きな体のロディ。


「今日はマリアと遊ぶんだ。お前達は他所で、二人で遊べばいいだろう」

 ジェノは自分への悪口を無視して、はっきりとそう告げる。


「何だよ。随分と強気じゃないかよ、ジェノ。マリアの前だから、格好つけているのかよ?」

 カールがジェノを挑発するが、ジェノはそれも無視する。


「マリア、行こう」

「うん」

 ジェノは踵を返してマリアと目的のパン屋に向かおうとしたが、不意にロディに肩を掴まれて地面に倒されてしまう。

 幸い、ジェノが倒れるよりも先にマリアの手を離したので、彼女は倒れずにすんだ。


「無視しているんじゃねぇよ、ジェノ!」

 ロディは顔を真っ赤にして、さらに地面に倒れたジェノに蹴りを入れる。

 だが、ジェノは素早く体を起こして膝立ちになると、両手を交差させてそれを防いだ。体重差から少し後ろに体が下がったが、倒れはしなかった。

 


「この間も、そうやって喧嘩を仕掛けてきたよね。そして、泣いて帰ったのを忘れたの?」

 ジェノは静かな怒りの声とともに、ロディを睨みつける。


「うるせぇ! お前だってボロボロになっただろうが! あんなのたまたまだ。俺がお前なんかに負けるわけが……」

 ロディの言葉は最後まで言い終わらなかった。


 乾いた音がジェノの耳に聞こえた。

 そして、驚愕するロディの顔と、彼の頬を思い切り引っ叩いたマリアの姿が目に入ってきた。


「今日は、私はジェノとデートをするの! 邪魔しないで!」

 マリアはそう言って、ロディを睨みつける。そして、あっけにとられるカールの方を向いて、


「絶対に付いてこないでね。もしも付いてきたら、絶交だからね!」


 そう力強く言う。

 

 あまりの迫力に、カールは大人にするように、姿勢を正して「はい!」と答えた。


 マリアは鷹揚に頷くと、地面に膝立ちのままのジェノに手を差し伸べてくる。


「ほら、早くデートに行きましょう!」

「えっ? デートって?」

「いいから、早く! きちんとエスコートしてよね」

 怒っているためかは分からないが、マリアは顔を真っ赤にしてそう言い、ぷいっと顔を横に向ける。


 ジェノは呆然としているロディを一瞥だけし、マリアの手を取って立ち上がった。


「……マリアって、こんなに強かったんだ……」

 口に出したら怒られそうな気がしたので、ジェノは心の内でそう思う。


 そして、女の人は弱いという認識を改めるべきなのかもと考えるのだった。

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