第115話 『先生の実力?』

 ジェノの家に、新しい家族が出来て一ヶ月が経過した。


 新しい家族の名前はリニア。

 ジェノの先生となってくれた人。


 ジェノが熱望していたため、ペントが彼女のことを紹介するときに、剣術の先生だと言っていたが、それ以外の読み書きや数字の勉強もリニアが教えてくれることになった。

 今まではペントがジェノにそれらを教えてくれていたのだが、先生が来てくれたおかげで、ペントは自分の仕事に専念できるようになったようだ。


 この一ヶ月間、同じ屋根の下で生活をして、ジェノはリニアの事が少し分かった気がする。

 その結果として、彼女に対するジェノの感想は、『優しくていい人』だった。


 勉強の教え方はすごく丁寧でわかりやすいし、たまに彼女が話してくれる異国の話はとても興味深くて楽しい。

 そして、ジェノの置かれた境遇も理解してくれている。


 この広い屋敷の僅か五部屋だけが、ジェノ達家族が自由にできる空間だということも理解してくれた。そして、その理由を聞いて、理不尽なジェノの父親に対して怒りをあらわにしてくれたのだから。


 けれど、どうしても分からない事がある。そのせいで、ジェノは未だに心からこの先生のことを、リニアの事を信用できずにいた。


 それは、すごく単純な理由。

 人に武術の指導ができるほど、リニアが本当に強いのかどうかが分からないから。



「ほらっ、腰が高くなってきているわよ。キツイだろうけれど、もう少し頑張って」

 リニアに言われ、ジェノは腰を低く下ろす。


 まるで椅子にでも座っているかのような体勢をずっと続けるのは、かなり大変だ。だが、この一ヶ月間で少しは慣れてきた。

 

「よし、ひとまずそこまで!」

 リニアのその言葉に、ホッとしてしまい、ジェノは足の力が抜けて地面に尻餅をついてしまう。

 それでも、何とか震える足に力を入れて懸命に立ち上がり、ジェノは何でもないかのように姿勢を正す。


 そんな強がりをするジェノを、リニアは微笑ましげに見ると、


「よしよし。偉いわよ、ジェノ。五分は大体安定してできるようになってきたわね。うん、ご褒美に先生がぎゅっとしてあげよう!」


 そう言って抱きしめてくる。


「先生、暑いし苦しいよ」

 身長差の関係上、リニアの大きな胸が顔に当たって苦しいので、ジェノは文句を言う。


「もう。そんな事言わないの。……ああっ、本当に抱き心地が良いわね」

「だから、暑いし苦しいってば!」

 ジェノは怒ってリニアの手から力づくで逃れる。


「もう! 抱きしめられるのは、ペントだけで十分だよ」

 ジェノは口を尖らせる。


 昔からペントは、ジェノをよく抱きしめようとする。

 別にそれが嫌だというわけではないが、自分はもう八歳なのだ。言葉もはっきり喋れないような小さな子達とは違う。

 それに、そんな姿を誰かに見られたらすごく恥ずかしい。


「だって、そのペントさんが教えてくれたんだもの。君の抱き心地が良いって。まぁ、これも先生と生徒のスキンシップの一つよ」

 けれどリニアは反省した様子もなく、楽しそうだ。


「さて、冗談はこの辺りにして。ジェノ。君はこの練習を、空いている時間にこっそりと続けていたわね?」

 リニアは少し怒ったような顔で尋ねてくる。


「……はい。続けていました」

 叱られると思い、ジェノは罰が悪そうな表情を浮かべる。


「そう。素直なのは大変よろしい。そして、そうやって自分から努力しようとするのも悪いことではないわ。特にこの練習は、空いた時間を見つけて簡単にできるし、きちんとやれば健康にも良いから、どんどんやってもいいわよ」

「えっ! いいの?」

 ジェノが瞳を輝かせると、リニアは「で・も・ね」と言って、ジェノの頭に、ぽんっと手を置く。


「今度からは、先に先生に確認を取らないと駄目よ。これからやっていく修行の中には、やりすぎると体に悪影響を及ぼすものもあるから。特に君のように幼いうちはね」

「……はい」

 ジェノはそう答えながらも、心のなかで、もやもやとし続ける気持ちをこれ以上留めておくことができなくなってしまう。


「あの、先生……」

「んっ? どうしたの、ジェノ?」

 ジェノは思い切って、その気持ちをリニアにぶつけることにした。


「僕は先生が剣を使うところを見たことがありません。だから、その、分からないんです。先生が本当に強い人なのかどうか……」

 きっとすごく失礼なことを訊いているとジェノも思う。でも、尋ねずにはいられなかった。

 

「ああ~っ。ひどいなぁ。先生の力を疑うなんて駄目だぞぉ」

 リニアは冗談めかして言うが、ジェノは真剣な目で、「先生!」と声を掛ける。

 すると、リニアは苦笑した。


「ジェノ。君は心配なのね。このまま私の言うとおりに修行をしても強くなれないんじゃあないかって。そうでしょう?」

「はい、そうです。先生は僕の兄さんと同じくらいの歳で、その、女の人だから……」

 自分だけではなく、人々の多くが、剣を持って戦うのは男の人だと思っているはずだとジェノは思う。


「そっか。うん。それなら、今回は先生のとっておきの技を見せてあげよう。その代わり、先生の質問に一つ答えて欲しいな」

「えっ? 先生が剣を使うところを見せてくれるの? うん。それなら、何でも答えるよ」

 ジェノは嬉しそうに言う。


「契約成立ね。危ないから、少し離れていてね」

「はい!」

 ジェノは満面の笑みで返事をする。


 リニアが良いという位置まで下がり、ジェノはリニアを見つめた。

 絶対に先生の剣技を見逃さないようにと、瞬きもせずにじっと見つめ続ける。


「それじゃあ、やるわね」

 リニアはそう言った瞬間、素早く腰を落として前傾姿勢を取り、腰の剣を右手で握る。


 ジェノは固唾を飲みながら、リニアが剣を抜くのを待つ。


 ……だが、何故かリニアは、また元の体勢に戻り、


「はい、おしまい」


 と言って、ジェノに笑みを向けた。


「えっ? えっ? なんで?」

 ジェノには訳がわからない。


「ふふ~ん。見えなかったでしょう? 実は先生は、君に気づかれない速さで、すでに剣を抜いていたのだよ」

 リニアはそう言って笑うが、ジェノはそんな言葉では納得がいかない。


「嘘を言わないでよ! 先生は、剣を握っただけじゃあないか!」

 ジェノは激怒して言うが、リニアは首を横に振る。


「嘘なんて言っていないわよ。本当に剣を抜いたんだから。でも、残念なことに、修行不足の君の目にはそれが見えなかったというわけね」

 リニアは笑って言うと、膨れるジェノの元まで歩いてきて、宥めるように彼の頭を撫でる。


「よし。約束だったわね。先生が今から質問をするから、答えてね」

「ずるいよ……」

 ジェノは不服そうに、リニアをジト目で見る。


「もう、そんなに剥れないの。それに、これは正当な契約なんだから、きちんと守らないと駄目よ」

 リニアは茶目っ気たっぷりに片目をつぶって言うが、ジェノは釈然としない。するわけがない。


「早速、質問をさせてもらうわね」

「……うん」

 ジェノは面白くなさそうに応えたが、リニアの質問の内容に、真面目にならざるを得なかった。


 彼女はこう尋ねてきたのだ。


「どうして君は、そんなに焦って強くなろうとしているの?」


 と。

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