第31話 『違う道を歩む、君へ』

 頬の痛みと突っ張った感じがあっという間に消えていく。

 魔法の力というものはやはり便利だと思う。だが、それはそれとして、ジェノは目の前の男に尋ねずにはいられなかった。


「それで、何を企んでいるんだ?」

「いやだなぁ、ジェノちゃん。俺はただ単に、昨晩、ジェノちゃんのあまりの正義の味方っぷりに痺れてしまって、頬の傷を治していなかったことを思い出しただけだぜ。

 たまたま通りかかる用事もあったから、こうして足を運んであげたわけよ。他意はないぜ」


 調子のいいリットに、ジェノは嘆息する。

 どんな用事があったかは知らないが、この男がわざわざ他人の傷を治してやるために足を運ぶ人間でないことはよく知っている。絶対にこの行動には裏がある。


「もう、リットちゃん。本当に、お昼ごはんを食べていってはくれないの?」

「ああ、ごめんね、バルネアさん。昼はもうほかの店で済ましてしまったんだ。付き合いで仕方なくさ。だから、また今度にさせてよ」


 その上、客が居なくなる時間帯を狙ってきたのに、バルネアさんの作る昼食を断るのだ。これは絶対に怪しい。


「それに、この後すぐにお客さんが来ることになるから、そいつらになにかご馳走してやってよ」

 リットは、片目をつぶってバルネアに意味深なことを言う。


「待て。本当に何をしたんだ、お前は!」

「よ~し、準備は完璧だな。主役が顔に怪我していたら、せっかくのいい場面が台無しになるからな。それじゃあ、後の事はよろしく、ジェノちゃん」


 そこまで言うと、リットはわざわざ転位の魔法を使ってこの店から姿を消した。

 

「なっ、何だったんでしょうか?」

 訳がわからないと言った顔をするメルエーナ。だが、それはジェノも同じだ。


 いったい誰がこの店を訪ねてきて、何が起こるというのだろう?

 考えていても埒が明かないので、ジェノは店のテーブルの拭き掃除を再開する。


 そして、ジェノが拭き掃除を終わらせる頃に、その客はやって来た。


「すみません。もう営業が終わっていると書かれているのは見えたんですが、どうしても会いたい人がいるので、お尋ねしてもいいでしょうか?」

 聞いたことのない若い男性の声。姿を見ても、やはり会った覚えはない。だが、その男性と一緒に入ってきた幼い少年は、ジェノの見知った顔だった。


「コウ君!」

 メルエーナもその姿を確認して、声を上げる。


「いらっしゃいませ。余った材料を使った簡単な料理ならお出しできますので、よろしければお席にどうぞ」

 バルネアは笑顔でそう言い、メルエーナが案内しようとしたが、コウの隣りにいる男性は「いえ、私はジェノさんという方に用事がありまして」と言って、首を横に振る。


 ジェノは何も言わずに、布巾をテーブルに置いて、男性の前に足を進めた。


「コウ。この人がジェノさんかな?」

「……うん」

 コウはずっと俯いたままだったが、男性の問に頷く。


「初めまして。私の名前はマリクと言います。今回の一件で貴方のお世話になった、コウの父親です」

「初めまして。ジェノです」

 ジェノはそう答えながらも、内心では少し動揺していた。


 コウとの距離感から、父親だろうかとも考えはしたが、コウの父親は先の事件で大怪我を負ったはずだ。なのに、目の前の男は自分の足で立っている。まるで怪我などしていないかのように。


「立ち話もなんですので、やはりお席にどうぞ」

 バルネアとメルエーナの二人に促されて、マリクとコウは手近な席に腰を下ろす。ジェノもマリクの向かいに座る。


「その、ジェノさん。まず、大変遅くなってしまったが、私からも貴方に礼を言わせて頂きたい。ありがとうございました。私が留守にしている間に、この子がとてもお世話になってしまい、申し訳ありません」

 マリクの礼と謝辞を受け取り、ジェノは頭を下げる。

 

「ご丁寧にありがとうございます。ですが、ご存知でしょうが、先の一件は、息子さんの依頼契約を遂行しただけに過ぎません。報酬もすでに頂いていますので、この件はここまでにさせて頂ければと思います」


 ジェノは慇懃ながらも淡々とそう告げるが、マリクは顎に手を当てて少し考えると、再び口を開く。


「その、貴方が私達にしてくださったのは、本当にそれだけなのでしょうか?」

「……すみません。質問の意味が分かりません」

 ジェノは思ったままを口にしたのだが、マリクは手にしていたカバンから、何かを取り出し始める。


「その、私は昨日の晩まで少しも起き上がることが出来なかったんです。治療をしてくださっていた神官様からも、もう自分の足で立ち上がることは諦めるようにと言われていたくらいで……。

 ですが、今朝目覚めてみると、体の痛みがまったくなくなっていたんです。そして、立ち上がって歩くことが出来たんです。走ることだってできるほどに、体が元通りになっていたんです」


 少し興奮気味に、マリクは言う。そして、カバンから取り出した紙切れをジェノの前に差し出した。


「神様の奇跡としか思えないと神官様達は仰っていましたが、私はこれが神様のおかげだとは思えませんでした。なぜなら、私の枕元に、この紙が置かれていたからです」


 ジェノは嫌な予感がしながらも、差し出された紙切れに視線を移す。

 するとそこには、


『正義の味方に感謝しろ』


 という文字が記されていた。



「……くそっ。リットの奴」

 ジェノは悪友の親切心と悪戯に、心の中で文句を言いながら歯噛みするしかなかった。


「ああっ、やっぱり、貴方だったんですね。コウにこの事を話したら、きっとジェノさんがお父さんを救ってくれたんだっていうものですから……」

 ジェノが否定しなかったことでそう判断したのだろう。

 マリクは涙さえこぼしながら、ジェノに頭を下げる。


「あのまま私が動けないままだったら、家族を養っていくことができなくなっていました。

 貴方がどのような方法で私の傷を癒やしてくれたのかは知りませんし、余計な詮索はしません。ただ、お礼だけは言わせて下さい。本当に、本当にありがとうございました」


「どうか、顔を上げて下さい。……その、それと、この件はどうか内密にして頂ければと思います」

「はい。決して他言はしません」


 いつまでも顔を上げようとしないマリクに、ジェノは困り果てる。

 自分がしたことでもない事柄で感謝されるというのは非常に気まずい。だが、今更事情を説明したところで、話がこんがらかるだけなのは目に見えている。


「あっ、あの、ジェノさん……」

 渋面のジェノに、マリクの隣に座っていたコウが、席を立って近づいてきた。


「その、誰にも話さないようにって言われていたのに、約束を破ってごめんなさい。それと、お父さんも助けてくれて、ありがとうございました」

 コウはしっかりと謝罪とお礼を言って頭を下げた。その姿に、ジェノは苦笑する。


「……これ以上は、関わらないほうが良いと思っていたんだがな」

 そうは思っても、ジェノはやはりコウの事を放っては置けなかった。


「コウ。その事はもういい。だから、顔を俯けるな」

 ジェノは優しくコウの頭を撫でる。すると、コウは顔を上げて、嬉しそうに微笑んだ。


「その、ジェノさん。僕ね、大きくなったら、ジェノさんみたいになりたい! 誰かを助けてあげられる、強い剣士になりたいんだ!」

 突然のコウの宣言に、しかしジェノは驚きながらも首を横に振る。


「それは違うぞ、コウ。俺はただあの化け物と戦っただけだ。お前のことを、身を挺して助けたのは、お前のお父さん、マリクさんだろう?」

「えっ? うっ、うん。そうです。お父さんは、僕を助けてくれた。守ってくれました。でも、僕は……」


 ジェノの言葉に、コウは納得がいかないようなので、彼は更に言葉を続ける。


「俺に最初に剣術を教えてくれた先生の言葉なんだが。お前と同じくらいの時に、俺はその人にこう言われた。『強い剣士である前に、強い人間になりなさい』と」

「強い人間? でも、ジェノさんはすごく……」

 その言葉に、またジェノはポンと軽くコウの頭を叩く。


「違う。強い人間というのは、腕力があったり、剣を使える人間の事ではないんだ。心が強い者のことを、強い人間と言うんだ。俺はその事に気づかずに、ただ剣技を鍛えただけの弱い人間だ」

「でも、でも、ジェノさんは!」


「もしも、お前が大きくなって、剣術を学びたいと思うのならば止めはしない。だが、目標にするのは俺のような奴では駄目なんだ。

 お前のことを命がけで救ってくれた人を、心の強い人を手本にするんだ。そうすれば、お前はきっと強い人間になれる。俺なんかよりもずっと強い人間にな」


「……わからない。わからないよ、そんなの……」


 コウが文句を言うのを見て、ジェノは口を開く。


「俺も、お前とまったく同じことを先生に言った。だが、ようやく今頃になって少しだけ分かるようになった。先生の言葉の正しさを。

 だから、俺の事を少しでも評価してくれているのであれば、この話を忘れないでいてくれ。いつか、お前にも分かる時が来るはずだ」

 その言葉にも、コウは納得しない。

 

 だが、ジェノはそんなコウに笑みを向ける。

 めったに見せない、年相応の少年の笑顔を。


「贅沢を言うな。俺には、手本にできるような父親はいなかった。だから、お前が羨ましいくらいなんだぞ」


 彼のその笑みには、羨望が込められていた。憧憬が込められていた。


 それは、いくら願っても自分が辿ることができなかった道。

 その道をこれから歩むことができる者に対する、ジェノの正直な気持ちだった。

 

 きっと、そんな心の機微はコウには理解できなかったと思う。

 けれど、頭では理解できなくても、感じるものはあったようで、コウはそれ以上文句を言わなかった。


「我ながら、下手くそな説得だな。だが、俺にはこれが精一杯だ」

 ジェノは心のうちでそうこぼす。


 心からの言葉をぶつけるという方法でしか、自分の気持ちを相手に伝えられない。

 そして、結局自分は、この目の前の幼子が自分と同じ不幸な経験をせずにすむように願うしかないのだ。



 それから、バルネアのはからいで、コウ達は昼食を食べてから帰ってもらうこととなった。

 それが良かったのだろう。不機嫌だったコウも、帰り際には笑顔になっていた。


「本当にありがとうございました」

「ありがとうございました」

 そっくりな笑顔で礼を言う親子の姿に、ジェノは目を細める。


「ジェノさん。良かったですね。きっと、コウ君は大丈夫ですよ」

 コウ達を見送るジェノの横で、メルエーナがそう言う。


 それを気休めとは思わなかった。

 メルエーナの言葉には、信じたくなるような強さがあった。


「ああ、そうか。昨日もそうだったんだな」

 メルエーナの言葉が昨日から随分と心に響く理由を、ジェノはようやく悟った。


 それは、先程自分がコウにしたことと同じことを、彼女もしているから。


 偽りのない心からの言葉を、自分にぶつけてきているのだ。

 何の装飾もない裸の心を。


「困ったな。イルリアとの約束を達成するのが難しくなった。ここまで力を借りてしまった埋め合わせとなると、何をすればいいのだろうか?」


 ジェノはそんな事を思いながら、コウ達が見えなくなるまで彼らを見送り続ける。


 事件は今度こそ終わったかに思えたが、最後に大きな問題が残ってしまった。

 だが、その悩みは、とても幸せなものだった。







「さぁて、今頃、ジェノちゃんは大慌てだろうな」

 リットはナイムの街を歩きながら、満面の笑みを浮かべる。

 

 自分らしくないとは思う。だが、心のなかでこの結末を楽しんでいる自分もいるのだから仕方がない。


「俺はひねくれ者だから、欲しいというやつには何もしないで、何も望まない奴にこうしておせっかいをするんだよ。だが、これくらいは受け取れよ、ジェノちゃん」

 リットは心のうちでそういい、喉で笑う。


「俺は舞台を整えただけで、人々を襲う化け物は、ジェノちゃんが一人で倒したんだぜ。本来であれば、それだけで英雄と呼ばれるはずなのに、ジェノちゃんはそれを蹴って、あのガキのための正義の味方であることを選んだんだ。それなら、この結末は受け入れざるをえないだろう?」

 リットはこの場にいないジェノに同意を求める。


 もちろん、ジェノがそれに答えることはないのだが、誰もがこの結末であることを否定はしないはずだ。

 

 そう、これは昔から決まりきった結末なのだ。

 

 正義の味方が頑張った後は、ハッピーエンドと相場が決まっているのだから。

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